ターン157 彩られる光の精霊
樹神暦2641年3月
マリーノ国 西地域
ディオマジク市
俺は郊外にある、シャーラ社のテストコースを訪れていた。
市販予定の乗用車が、走行に耐えられるかどうかの耐久テストや高速走行試験。
あるいは全くの新しい技術を盛り込んだ、試作車の実験をしたりするためのコースだ。
シャーラは比較的警備に大らかなところのある自動車メーカーだから、割とすんなり敷地内に入場できる。
ICカードを持っていれば、自動でゲートが開くんだ。
あとはやる気の無さそうな警備員さんから一瞥されるだけで、スピーディーに通過。
これが国内最大のメーカーであるタカサキだと、警備は超厳重なんだよな。
テストコースの敷地外をうろうろしているだけでも、黒服のゴリラ獣人部隊が湧いてきて取り囲まれるらしい。
敷地奥へと車を進める俺に、社員たちの視線が集中する。
なんでかって?
俺が他社のスポーツカーである、タカサキ〈サーベラスMarkⅡ〉で訪れているからだ。
あんまりジロジロ見ないで欲しい。
仕方ないだろ?
去年まで俺は、タカサキのワークスドライバーだったんだから。
他社の車はダメっていうなら、〈レオナ〉を1台くれよ。
レンタカーでいいからさ。
自社の自動車はかなり近くの駐車場に停められるのに、他社の車だと遠くの駐車場へと追いやられる。
面倒な規則だな~。
まあ、文句を言っても仕方ない。
俺は車を遠くの駐車場に停め、荷物を詰め込んだバッグを肩に担いで歩き出した。
ICカード認証が必要な扉をいくつか通り抜け、辿り着いたのはテストコースに併設されている研究所。
最先端技術が集結する自動車メーカーの研究所だっていうのに、その佇まいは意外と地味だ。
町工場――と言ったらあんまりだけど、ちょっと大きめの古い工場といったイメージ。
これまたカード認証で扉を開け、建物内に入る。
外観に比べ、中身はかなり清潔感があった。
揃えられた機器や設備にも、最先端な雰囲気がある。
タカサキ、ヤマモト、レイヴンよりは小さい会社とはいえ、さすがは自動車メーカー様の施設だぜ。
研究所の廊下には、額縁入りで大きな写真が飾られていた。
37年前、シャーラがユグドラシル24時間で優勝した時のもの。
白をメインカラーに、青いラインの入ったマシン――GR-4型〈レオナ〉GT-YDだ。
このカラーリングが、シャーラのワークスカラーなんだよな。
その隣にも、別の写真が飾られている。
中央に写る、ブルーのマシンは――
なんと俺達が6年前、ノヴァエランド12時間で優勝した時の〈BRRレオナ〉だ。
この時ブルーレヴォリューションレーシングは個人参加チームで、シャーラの企業チームってわけじゃなかったんだけどなぁ――
あとで聞いた話によると、ノヴァエランド12時間でのGR-9型〈レオナ〉優勝にシャーラ本社は熱狂したらしい。
37年前のユグドラシル24時間優勝を知るベテラン社員達は涙を流し、知らない若い社員達は興奮に胸を熱くした。
元からシャーラ内部にはモータースポーツへの復帰推進派がいて、BRRにデータを提供してくれたりはしていた。
それがノヴァエランド優勝以降は爆発的に数が増え、会社上層部も取り込み社長にまで火を付けてしまったんだ。
かくしてモータースポーツから完全撤退してくすぶり続けた青き不死鳥は、再び燃え上がり翼を広げようとしている。
写真の前を通過し、俺は廊下の奥を目指した。
目的の部屋の前に立ち、スライド式の金属製自動ドアを開けた瞬間だ。
奇妙な光景が、目に飛び込んでくる。
なんだ?
あのオブジェ?
広い面積を持つ、作業エリアの中央。
天井から、謎の物体が垂れ下がっている。
よく見ると、猫耳と猫尻尾を生やした子供がロープで縛られているんだ。
それもなんだか亀の甲羅っぽい、マニアックな縛り方で。
大丈夫。
これは、児童虐待とかじゃない。
そもそもあれは、児童じゃない。
中身は45歳のおっさんだ。
俺みたいな転生者でもないのに、外見と実年齢に大きな開きのあるショタジジイ――ヌコ・ベッテンコートさんだ。
「おー、ランディ! 来ただニね。待ちくたびれただニよ」
「ヌコさん、ずいぶん楽しそうだね」
俺には全く理解できない性癖だけど、ヌコさんは縛られたり叩かれたりして喜ぶ被虐趣味があるらしい。
こうやって、ロープで縛られているのも趣味だ。
たぶん――
っていうか、自動車メーカーの研究所まで来て自分の趣味全開なのはいかがなものか。
周りで仕事中のシャーラ社員達が、ロープで吊るされる猫耳ショタ(45歳)を見ても無反応だというのが恐ろしい。
みんなこの光景に、慣れちゃってるってことだよな?
「今日は大事な、初テスト走行の日だニ。こうやって、精神を集中しているんだニよ」
違った。
趣味じゃなかったのか。
仕事の為に精神を集中させているとは、さすがのプロ根性。
マリーノ国最高のロータリー改造屋ってのは、伊達じゃない。
しかしこの精神統一法は、色々と台無しだな。
外部に知れたらシャーラの企業イメージが低下しそうなので、ほどほどにしてもらいたい。
「ところでさ、パワートレイン担当エンジニアのヌコさん。チーフデザイナーと、サスペンション担当エンジニアの姿が見えないんだけど?」
「あ~、隣の休憩室だニよ。なかなか出てこないだニね」
「OK、俺が様子を見てくるよ。ヌコさんはそのまま、ぶら下がってて」
了解という意味らしく、ヌコさんは体をブラブラと揺すった。
――よく考えたら、誰がヌコさんを縛り上げたんだろう?
自分じゃ無理だろうしな。
疑問を抱えながら入口とは別方向の自動ドアを開け、俺は休憩室へと入って行く。
中央にいくつかのテーブルと椅子、それを囲むようにソファが置かれていた。
そして、そのソファには――
「ぐがーっ! ぐがーっ!」
小柄な体のどこから湧いてくるんだという大音量で、いびきをかいて爆睡するケイト・イガラシさんの姿があった。
「あらら……。チーフデザイナーは、お休み中ですか」
起こさないよう、そーっと近づいて寝顔を覗き込む。
口の端から、ひと筋のヨダレが垂れていた。
相変わらず、10代で通用しそうな可愛らしさだ。
とても、今年で30歳には――おっと!
この話題は、禁句だった。
――ん?
ケイトさんに掛かっているこの毛布は、誰が掛けたのかな?
「女性の寝顔を、ジロジロ見るのは失礼ですよ」
背後から小さく声をかけられて、俺はビクリと振り返った。
そこにいたのは、腕を組んで冷ややかな視線を浴びせてくるドワーフの男。
「ジョージ、脅かすなよ。……お前、この部屋に最初からいたか?」
俺って気配とかには、敏感な方なんだけどな。
このジョージ・ドッケンハイムは小さい頃から、謎の隠密パワーを発揮する時があった。
存在感のある長身なのに、フッと姿を眩ましたりする。
「最初から、いましたよ? 気付かないなんて、よっぽどケイト先輩の寝姿が気になっていましたか?」
「豪快なイビキに、気を取られていたのは確かだね。あと、ヨダレ」
「まったく、この女は……。世話が焼けます」
ジョージは素早く作業着のポケットからハンカチを取り出し、ケイトさんの口から溢れ出てるヨダレを拭う。
なんだかジョージって、お母さんみたいだな。
ケイトさんの方が、3つも年上なはずなんだけど。
口元を、綺麗に拭いてもらったケイトさん。
すると彼女は、クネクネと身をよじりながら寝言をこぼし始めた。
「ムニャ、ムニャ……。ランディ君、あか~ん。こんなところで、そないなことを……。恥ずかしいやん……」
夢の中の俺は、どんな場所でどんな行為に及んでいるの!?
寝言を聞いたジョージは俺の方を振り返り、いつもの眼鏡クイッをやりながら冷たく吐き捨てた。
「変態ですね」
「悪いの俺かよ?」
こいつはレースでマシンがエンジン大破した時でも、
「ランディの日頃の行いが悪いから」
って言う、とんでもメカニックだからな。
だけど腕は確かだし、今回もサスペンション担当エンジニアとチーフメカニックを兼任するというスーパーマンっぷりだ。
シャーラ本社にはレース現場での経験を持つ社員が残ってないから、ジョージやケイトさんが色々兼任して頑張らなきゃいけないってのもあるけど。
「とにかく。不埒なランディに、これ以上チーフの寝顔を見せるわけにはいきません。テスト走行前にはちゃんと起こして連れて行きますから、今は退室して下さい」
「お……おう? 分かったよ」
ジョージに背中を押され、俺は休憩所から追い出されてしまった。
――あれ?
ジョージは休憩室内に残るの?
寝ている女性と同じ部屋に、男がいるのってどうかと思うけど――
2人っきりだし。
まあジョージなら、変な真似はすまい。
ケイトさんのヨダレ拭き係兼、番犬だ。
まだ少し、テスト走行開始までは時間があるな。
俺は吊るされているヌコさんの側を通り抜け、作業エリアの隅へ。
保護シートをかけられた、背の低い物体の前に立つ。
「君のお母さんは、眠いんだってさ。最近、徹夜続きだったみたいだからね。睡眠不足は、美容に悪いってのに」
保護シートの下から、なにも返事は返ってこない。
だけど感じる。
彼女の意思を。
寝ぼすけな母親など放っておいて、早く私を走らせて欲しいと。
俺は保護シートを、一気に剥ぎ取る。
現れたのは、1台のレーシングカー。
低く地を這う、ワイド&ローな車体。
GTフリークスで乗ってた〈サーベラス〉やノヴァエランド12時間で乗ったマリーノGT仕様の〈レオナ〉と比べると、有機的で生き物っぽい姿だ。
意外なことに、すでにボディは塗装済みだった。
普通はテスト段階のレーシングカーって、未塗装で真っ黒だったりするのに。
「あっ、そうか。君は塗装も、特別製だったね。それがちゃんと作動するかどうかも、テストしないといけないのか」
車体のベースカラーは白。
白磁のように美しく、神秘的なオーラを放っている。
「光の精霊」の名に、相応しい。
そして所々に散りばめられた、青いアクセントカラー。
これは元々シャーラのワークスカラーが、白地に青っていうのもある。
今回はマリーさんの会社ブルーレヴォリューションがメインスポンサー様だから、企業カラーと相まってちょうどいい。
――なんだろう?
不思議な懐かしさを感じる。
以前に俺は、こんなカラーリングのマシンに乗ってたような――
いや、気のせいか。
前世地球でも、こんな色のマシンでレースしたことは無い。
シャーラ〈レオナ〉GT-YD。
シャーラのピュアスポーツカー〈レオナ〉を、世界最速のレーシングカーであるGT-YD規格に合わせて改造したマシン。
本当は、改造という言葉は正しくない。
車体であるモノコック部分から、市販の〈レオナ〉とは全くの別物なんだから。
吊り上がった眼光鋭いヘッドライトや、丸目4灯のテールランプ等、外観が〈レオナ〉っぽく見える点。
エンジンは市販車と同じく、ロータリーエンジンを積んでいる点。
車体前方にエンジンを載せる、フロントエンジン方式を取っている点ぐらいしか共通点が無い。
彼女の存在感に、背筋がブルッと震えた。
エンジンもかけず、ただ屋内に停めてあるだけなのに――
圧倒的な速さを、予感させてくれる。
危険な絶世の美女に見惚れ鳥肌を立てていると、背後から雰囲気をブチ壊す台詞を投げかけられた。
「ランディ。そろそろ下ろして欲しいだニよ。おいちゃん、トイレに行きたいだニ」