ターン150 一緒に走りたいから、一緒にチャンピオンになりたいから
普通、レーシングドライバーが速くて問題になることなんてない。
遅い方が、遥かに問題だ。
だけどジョージとタイジーさんが見せる硬い表情からして、何か問題があるのは間違いない。
「ジョージ。ルディが速すぎるってのは、どういう意味だい?」
「エンジニア達がシミュレーションしたタイムを、上回ってきているんですよ」
レーシングドライバー――特にGTフリークスみたいなトップカテゴリーで走るドライバーは、超人的なドライビングテクニックを持っている人が多い。
けれどもマシンの限界を超えて、どこまでも速く走れるわけじゃない。
設計者達の想定する、速さの限界というものは存在する。
そういったシミュレーションの限界を上回ってしまうドライバーの話は、地球にいた頃からよく聞いていた。
北欧の貴公子と呼ばれたF1ドライバーなんかは、しばしばシミュレーションを超えてしまっていたらしい。
ただ地球より、この世界の方がモータースポーツの技術は発展している。
シミュレーションに関しても、正確さが地球より優れている。
だからそれを上回ってくる今のルディは、かなり異常な速さってことだ。
「ランディはエンジニアがシミュレーションした限界タイムを、いつでもどこでも安定して叩き出せるタイプですね。けど、ルディは違う。彼女はムラっ気こそありますが、限界タイムをポンと超えたりするんですよ。それも、大幅に……。だから不安で……」
「不安?」
「ええ。マシンの強度が、ルディの速さについていかなくなるんじゃないかと思いましてね」
ようやく、2人の心配している理由がわかった。
2639年型〈サーベラス〉は速い。
だけどそれは、速さを求めてかなり攻めた設計になっているからだ。
実際シーズン序盤は、信頼性不足に苦しんだ。
内部の摩擦抵抗を減らし、過給圧も上げたエンジンは大破しやすかった。
変速機は本体軽量化の影響と、1000分の1秒でも速くギヤチェンジできるよう電子制御したせいで破損しやすかった。
トライ&エラーを繰り返してデータを蓄積、改良を加え続けた結果、壊れなくはなってきている。
だけど元々が、「信頼性より速さを」というコンセプトで作られたマシンであるのには違いない。
「強度面で、不安があるの?」
「いえ。もちろん安全性には、気を配っています。エンジンや変速機と違い、走行中に壊れると危険な足回りや車体、ブレーキは強度に余裕を持たせた設計にはなっているんですが……」
「その余裕すら突き破ってしまうほど、今のルディは速いって?」
「……今のところは、問題ありません。タイジーさんと一緒にチェックしましたが、破損やその兆候は全く見られませんでしたし」
「足回りや車体、ブレーキに関して、俺も走っていて違和感を感じたことは無いな」
このことを、ルディに伝えるかどうかは悩ましい。
現状、壊れる兆候は全くないからだ。
不安を抱いてしまったら、ドライビングのリズムを崩してしまう可能性もある。
そうなった方が、よっぽど危険だ。
「とにかく僕とタイジーさんは、監督にありのままを報告します。速すぎるルディに、不安を感じていること。今のところマシンには、壊れる兆候が全くないことをね」
「ああ。俺も、その方がいいと思うよ」
ちょうどそこへ、当のルディ本人が帰ってきた。
「みなさん、どうしたんですか? さーべるちゃんのボディパネル開けちゃって。何か、故障個所でも?」
「あ、いやいや。俺がさ、なんだか足回りに違和感を感じる気がするかもしれない可能性があるって言っちゃったんだよ」
「あはは……。ランディ先輩、変な言葉遣い。大丈夫ですよ。午前中の予選で、先輩の後に走ったボクが保証します。マシンに異常はありません」
本人に言い切られて、ますます言い出しづらくなってしまった。
「ボクはマシンより、自分の体調に違和感を感じていますよ」
「えっ? どんな?」
「ビックリするくらい、感覚が冴えてるんです。午後からのスーパーラップ、すっごいタイムが出せるかも?」
妙にキラキラした目で言うルディに、不安が加速する。
「あー、ルディ。俺達ドライバーの仕事は無事にチェッカーを受けて、年間王者を獲得することだよ。いまウチは2位にけっこうな差をつけてランキングトップなんだし、無理しないで」
「……それもそうですね。分かりました。午後からのスーパーラップでは速いタイムを出すより、ミスなく走り切るよう心がけますよ」
ルディのその言葉に、ピット内の空気が和らいだのが分かった。
そうだ、これでいい。
ルディの速さには夢を見たくなるけど、無事に帰ってきてこそのレーサーだ。
「ボクはね、速く走れるだけのドライバーじゃなくて、ランディ先輩みたいな安定感も出せるドライバーになりたいんです」
「そりゃルディみたいに凄いドライバーから、目標にされるのは嬉しいけど……。どうしてなんだい?」
「いつか先輩と一緒に、『ユグドラシル24時間』を走りたいからです。長丁場の耐久レースでは、速さだけじゃなく安定感も大事でしょう?」
「そうだな……。ルディの言う通りだ」
「午後からのスーパーラップも肩の力を抜いて、そこそこの順位狙いでいきますね」
心配し過ぎだったかな?
今のルディは気負っていないし、本人も無理はしないと言っている。
今年の俺達はすでに3勝し、勝てなかったレースでも上位フィニッシュが多かった。
あと何ポイントか獲るだけで、ランキング2位以下に逆転の目がなくなり年間王者が確定する。
ここは、守りに入るのが得策だ。
「なあルディ。俺はルディと一緒に、チャンピオンになりたいよ」
「ボクもですよ。残り2レース、手堅く行きましょうね」
ニコリと笑うルドルフィーネ・シェンカーは、あだ名の通り妖精だ。
彼女から差し出された右手を、俺はしっかりと握り返した。
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樹神暦2639年11月
GTフリークス 第9戦
メイデンスピードウェイ
14:30
予選スーパーラップ
まだ予選日だっていうのに、サーキットの観客席は超満員。
元からGTフリークスの人気は凄まじかったのに、最近は音速の妖精ルドルフィーネ・シェンカーのスーパーラップをひと目見たいというお客さんが増えているからだ。
ある程度ペースをコントロールしないといけない決勝レースより、1周に全てをかけるスーパーラップの方が見ごたえあるっていうファンもいるしね。
ニーサも速い美人ドライバーってことで、デビュー当時はかなり注目を集めた。
だけど今のルディの方が人気あって、ちょっと拗ね気味だったりする。
まあ、しょうがないね。
年間10戦中、7回も予選1番手なんて速すぎるもんね。
そりゃ、注目されるでしょう。
注目しているのは、ファンだけじゃない。
世界中の自動車メーカーが、企業チームドライバーとしてルディを欲しがってるとの噂だ。
その中には、世界最高峰の耐久レースである「ユグドラシル24時間」に参戦しているメーカーもあるとか。
こりゃユグドラシル24時間デビューは、ルディに先を越されるかもしれないな。
今日も俺とルディの36号車は、スーパーラップの1番最後にアタックだ。
午前中の予選タイムが良かった10台。
その10台が、午前の順位から逆順にアタックするルールになっているからね。
ピット内のスピーカーから、「フルーツキングダム」が歌うルディのテーマソングが流れ始める。
この曲も、すっかり聞き慣れたもんだ。
考えてみれば今年、スーパーラップに進出できなかったレースって無かったんだよな。
いつも午前中の予選で、10位以内に入っていたということ。
この成果は、俺とルディの頑張りだけで出したものじゃない。
常にスタッフ達が、最高の車を用意してくれたからだ。
さーべるちゃんも、頑張ってくれた。
同じ〈サーベラス〉を使う他のタカサキ系5チームもかなりいい成績を残しているから、本当に2639年型は速いマシンだと思う。
音速の妖精と緑の魔犬のコンビが、ホームストレートを通過した。
心なしか、エンジン音が静かな気がする。
俺。
ジョージ。
マリーさん。
ヴィオレッタ。
それから今回は地元なので、ピットまで応援に来てくれたオズワルド父さんとシャーロット母さん。
みんながピット内にあるモニターで、ルディの走りを見守っていた。
『ミスなく走り切る』
『そこそこの順位狙いでいく』
『手堅くいく』
走行前に語った通り、ルディの駆る〈サーベラス〉はクルージングでもしているような走りだ。
危なげなく1コーナーを曲がり、スムーズに立ち上がっていった。
うん、素晴らしい!
いつもの研ぎ澄まされた刃のような鋭さはないけど、これはこれでドライビングの極みだ。
まるで、レールの上を走っているみたいな安定感。
安定感があり過ぎるせいで、かなりゆっくり走っているように見えてしまう。
だけどタイムだって、悪くはないはずだ。
そろそろ、第1区間のタイムが表示されるはず。
暫定トップである、タカサキ38号車とのタイム差は――
『-0.476秒』。
――は?
なんだこのタイムは?
俺は何度か瞬きし、もういちどモニターを見る。
見間違いじゃない。
「おいおいルディ、手堅くいくんじゃなかったのかよ? 速すぎるだろう」
チームスタッフの大半は、驚速タイムに喜んでいる。
だけど一部の連中――速すぎるルディに不安を感じている面子は、表情が硬い。
「これは……。本人には、速く走っている自覚が無いのでは? ただひたすらミスなく、正確にというのを意識した結果なのでしょう」
ジョージの言う通りかもしれない。
モータースポーツってやつは、頑張り過ぎるとタイムが出ないことが多い。
コーナーで突っ込み過ぎない。
立ち上がりでアクセルを開け過ぎない。
旋回速度を上げ過ぎない、下げ過ぎない。
そういったやり過ぎないということが、速く走るためには大事で――そして、難しい。
なのに今のルディは、それが完璧に近い形で実現できてしまっている。
コーナーが連続するテクニカル区間を、ゆたっと徘徊する緑の魔犬。
でもきっと、タイムは恐ろしく速いはずだ。
高速コーナー100Rを抜け、急な上り坂を駆け上がりヘアピンコーナーへ。
ここで、第2区間のタイムが表示される。
『-1.039秒』。
「あり得ない!」
俺の叫びに、ジョージも同意見みたいで頷く。
このタイムは異常だ!
アタックをやめさせるべきだ!
俺とジョージ。
それからチーフエンジニアのタイジー・マークーンさんが、視線で中止を訴える。
それを受けたアレス・ラーメント監督は、ヘッドセット型無線機のマイクを口元に持っていき――ためらった。
理由は理解できる。
タイムアタックに入っているドライバーに話しかける行為は、集中力を乱してしまう可能性が高い。
特に今のルディは、急な下りストレート「ジェット・トゥ・ジェット」を駆け下りている。
その先にある右コーナーへ向けて、ブレーキングを開始する直前だ。
無線で呼びかけるには、あまりに危険なタイミング。
『このコーナーを、抜けた先で』
アレス監督は、そう考えていたんだろう。
俺やジョージも、そうしてくれるんだろうと思っていた。
だけど、すべてが遅かった。
俺が「ありえない」と叫んだのも――
ジョージやタイジーさんと一緒に、視線でアタック中止を訴えたのも――
監督が無線でルディに、中止を指示するという判断を下したのも――
全部、手遅れだったんだ。
ブレーキングの瞬間、鮮やかなライムグリーンの魔犬は激しく火花を散らした。
このコーナーでは、ほとんどのマシンが火花を散らせて走り抜けるのが当たり前。
だけど今回の火花は、いつもの何倍も多い。
〈サーベラス〉の左前輪は、あり得ない方向に曲がっていた。
足回りが、折れている!
その結果、車体底面が完全に地面と接触していた。
多過ぎる火花は、そこからのものだ。
こんな状態で、まともな減速ができるわけがない。
ハンドルだって、ろくに効かない。
おい!
嘘だろう!?
あんなにルディの言うことを素直に聞いて、安定感のある走りをしていたじゃないか!
それがフラフラと――
どこへ行く気なんだよ! 〈サーベラス〉!
そっちは――
そっちはダメだ!!
コーナーを真っすぐ突っ切って、砂利ゾーンへと飛び出した〈サーベラス〉。
バウンドした拍子にダウンフォースが無くなり、いつもは大地に吸い付いてくれる車体が空へと舞い上がってしまった。
ルディを乗せた〈サーベラス〉は、コース外へと飛んで行く。
クルクルと、現実感のない回転をしながら。
誰が叫んだのか分からない絶叫が、ピット内に響き渡った。
いや――
ひょっとしたら叫んだのは、俺だったのかもしれない。
「ルディーーーーーー!!!!」