ターン15 俺の存在はレギュレーション違反
俺が住むマリーノ国は、基本的に洋風の生活様式。
だけど日本やアジアからの転生者が多かった影響で、ところどころアジアンテイストな文化もある国だ。
俺の家にも、四畳半の畳部屋があったりする。
そして畳があるなら、正座という文化もある。
誰だよ?
余計な文化を、この異世界ラウネスに伝えた日本人は?
俺はそんなに正座は苦手じゃないけど、父さんは正座するとやけに小さく見えてしまう。
身長190cm、体重100kgの大男が、正座のせいで軽自動車も真っ青なコンパクトボディになっちゃってるよ。
まあ正座のせいだけじゃ、ないだろうけどな。
精神的なものが、外に溢れているっていうのもある。
正座して、睨みつけてくる母さんは対照的だ。
武道の達人みたいなオーラを放ち、俺と父さんを威嚇している。
怖い。
マジで怖い。
これなら豪雨の中、溝無しのスリックタイヤで走れとか言われた方がマシだ。
超滑って怖いんだけど、今の母さんよりマシだ。
「夕方ね、うちのお客さんのミサコさんが、工場前を通りかかったの。彼女は車を停めるなり、私にこう言いました。『おたくのランディ君、速いのねえ』と。……最初は、意味が分からなかったわ」
し――しまったー!
あの時ドッケンハイムカートウェイに、ウチの整備工場のお客さんがいたのか~!
この世界でのモータースポーツ人気を、甘く見ていた。
地球ではカート場に行っても、みんな遠くからバラバラにきていた。
だけどこの世界だと、ご近所さんがカートやってるって可能性もかなり高いんだ。
「よくよく話を聞いてみたら、今日ドーン・ドッケンハイムさんのカート場でチームに入る子供のオーディションがあったっていうじゃない。私、人違いですって言っちゃったわ」
――そ、そうだ。
人違いですって、誤魔化すか?
「そしたらオーディションを受けていた親子は身長190cmぐらいの大男と、ウェーブ金髪の小さな男の子だっていうじゃない。どういうことかしら? まさか、あなた達じゃないわよね?」
父さんの目立ち過ぎる巨体が悪い!
俺は非難の視線を送ろうと、父さんを見た。
するとどうだろう。
さっきまで縮こまっていた父さんが背筋を伸ばし、堂々とした態度で母さんを見つめている。
「そうだ、俺達だ。ランディをチームに入れてもらうため、オーディションを受けさせに行った」
おおーっ!
言った!
言い切った!
父さん、カッケー!
「どうして……。どうしてそんな真似を……」
母さんの表情が、怒りから悲しみに変わった。
何だか、とても後ろめたい。
本当に、これで良かったのか?
母さんを充分に説得してからオーディションを受けた方が、良かったんじゃないのか?
そんな後悔が、胸に押し寄せる。
「息子が夢に向かって、歩き出そうとしている。可能な限り後押ししてやるのが、親ってもんだろう?」
「そう……。そうなのかもね……」
母さんの顔が、今にも泣きだしそうに歪んだ。
「だったら後押ししてあげる気持ちになれない私は、母親失格というわけね!」
どうして――
「そんなことは、言っていない。だがせめて俺達は、子供の邪魔にならないようにはしたいじゃないか」
「私の存在が、ランディにとって邪魔だというの? 私は息子が破滅するのを、見たくないだけ……」
どうしてそんなに――
「どうしてそんなに、俺がレースをやるのに反対なんだ! お金の心配は、もういらない! チームが参戦費用を立て替えてくれる! 母さんには、関係ないだろう!」
――違う!
「身体は子供のあなたに、返済能力があると思っているの!?」
「基礎学校に入ったらすぐ飛び級して、早期卒業もして、さっさと働き始めるさ! 転生者の大半は、そうしているんだろう!?」
――俺は母さんに、こんなことが言いたいんじゃない。
「ランディ……。基礎学校4年~6年生の子供達が参戦するNSD-125クラス、ジュニア選手権にフル参戦すると、年間参戦費用はいくらになるか知ってるの?」
突然レースに関する――それも本格的に参戦したことのある人にしか、わからない質問がきた。
俺は、一瞬戸惑う。
NSD-125クラスは、俺が地球で中学生の時に乗っていた全日本選手権のFS-125クラスに相当する。
2ストローク水冷リードバルブの125ccエンジンを積み、太いハイグリップタイヤを履く本格的なクラスだ。
日本では中学2年生からしか乗れなかったけど、この世界では地球の小学4年生に当たる基礎学校4年生から乗れる。
俺は地球でレースをしている時、具体的な参戦費用についてはあまり考えたことがなかった。
地球の父さんは俺に、お金の話をしたがらなかったからだ。
だから俺も知ってはいけないような気がして、周りのチームの子達に聞くような真似はしなかった。
それでもタイヤや車体の値段は知っていたから、それを元に大体の費用を頭の中で試算してみる。
競技人口が多いこの世界では、コストが半分ぐらいに下がっているから――
「年間100万~150万モジャってところだろう?」
母さん視線が冷えた。
「何も知らないのね?」と、憐れむ目だ。
「年間200万~300万モジャよ。今はもっと、高騰しているかもね」
コストが低い、この世界でそんなに?
じゃあ俺が全日本で乗っていたFS-125は、もっと――
「あくまで、1年間の参戦費用よ。プロを目指すなら、4年生になると同時に参戦しないとね。ジュニア選手権の年齢上限、6年生までの3年間。それだけで、900万。そして7年生からもっと上の変速機つきクラスに出ようと思ったら、さらに参戦費用は跳ね上がるわ」
「全部返してみせるさ! ワークスドライバーになれば、それぐらい」
ワークスドライバーっていうのは、自動車メーカーのお抱えレーサーのことだ。
日本でのワークスドライバー年収が、5000万円ぐらいだと雑誌で目にしたことがある。
レーシングドライバーの地位が高いこの世界なら、もっといくはずだ。
それだけあれば、借金なんて――
「ランディ……。あなたは知っているの? ワークスドライバーになるような人達が、そこに辿り着くまでにいくら支払ってレースを続けなきゃいけないのか」
俺は――答えられない。
莫大な額になるのは、わかっていたからだ。
モータースポーツはお金を貰えるスポーツではなく、お金を使うスポーツなんだ。
「あなたはレースの為に借金をして、それを返済するだけの為に人生を生きるの? 私……。そんなの見ていられない……」
母さんが、完全に俯いてしまった。
「俺はそれを、苦痛だとは思わない! それが俺の夢だからだ!」
「夢……。兄さんと、同じことを言うのね……」
母さんは顔を上げて、俺を見つめてくる。
でもその瞳が見ているものは、本当に俺だろうか?
深い恨みと憎悪を感じる、濁りきった暗い瞳。
息子の俺じゃなく、他の何かに向けられているものだと思いたい。
「……わかりました。私はもう、あなたとお父さんにはついていけません。ヴィオレッタと一緒に、出ていきます」
「おい! シャーロット!」
「母さんの分からず屋め!」
俺はもう、自分の感情をコントロールできなくなっていた。
母さんに、「お前は要らない」って言われたような気がしたんだ。
それが悲しくて、やるせなくて、思わず声を荒げてしまった。
ちょうどその時だ。
睨み合う俺と母さんの間に、小さな影がトコトコと割り込んできた。
妹のヴィオレッタだ。
ヴィオレッタは紫の瞳いっぱいに、涙を溜めている。
そして母さんを庇うように両手を広げ、俺の前に立ち塞がった。
「おにいちゃん。ままいじめちゃ、だめ」
――ああ、そうかよ。
俺が母さんを、虐めてるっていうのか?
俺がレースを諦めれば、家族はみんな幸せに生きられると?
俺は――俺はこの家に、邪魔な存在なのか!?
――ハッ!
そうだよな。
俺の見た目は5歳児でも、中身は27という転生者。
この家族の中では、異質な存在なんだ。
さぞかし、気味が悪い奴だろうよ!
「母さんが、出ていくことはないよ」
――気持ち悪い。
自分の口から出た声なのに、機械みたいな声だ。
「出ていくのは……俺の方だ」
「おい、待て! ランディ!」
制止しようとする父さんの声が、すぐに遠くなった。
俺は廊下を駆け抜けると、玄関のドアを乱暴に開ける。
そのまま勢いよく、夜空の下へと飛び出した。