ターン147 エースドライバーにしません?
「……ってなことがあってさ。ルディには、ビックリしちゃったよ」
「ふむ。前々から、恐ろしく感覚が鋭い子だとは思っていましたが……。そこまで……ですか……」
ボクシングジムであった出来事を話してやると、ジョージ・ドッケンハイムは顎に手を当てて少し考え込むような仕草をした。
樹神歴2638年12月。
場所はタカサキの本拠地、スモー・クオンザサーキット。
空は晴れ渡っていた。
だけど気温が低く、太陽が当たっていても寒い。
今日は2639年型マシンの慣らし運転。
GTフリークス参戦チームのうち、今日集まっているのはタカサキ勢の6台だけだ。
「……それにしてもランディ。なんだか、憑き物が落ちたような表情になりましたね」
「ああ、ニーサのおかげだな。サンドバッグぶっ叩いて、スッキリしたよ。それに、思い出したんだ。俺は、1人でレースを戦っているんじゃないぞ……ってね」
俺が視線を向けた先には、ルドルフィーネ・シェンカーがいる。
エンジニアと一緒に、携帯情報端末を覗き込みながら打ち合わせ中だ。
「今日のルディ、きっとメチャメチャ速いよ。ボクシングジムで見せたあの超感覚は、マシンに乗ってからも発揮されるはずだ」
「それは楽しみですね。苦労して、マシンを仕上げた甲斐があります」
苦労――
知っているとも。
エンジニアやメカニック達が、連日徹夜続きだったことは。
タフなジョージの奴でさえ、目の下にはうっすらクマができている。
今年1番悔しかったのは、きっと俺達ドライバーじゃない。
カーデザイナー、エンジニア、メカニック――
マシンを作り、仕上げる人達だ。
2638年シーズンは、マシンが遅いから負けた。
それは事実だ。
周回タイムの遅さが――
成績が――
残酷な数字の数々が、それを証明している。
けれどもタカサキドライバー12名の中で、誰ひとりマシンの戦闘力不足を口にする奴はいなかった。
そんな状況下でも、なんとかするのがドライバーの仕事だ。
結局、なんともならなかったわけだけど――
ドライバーが責めなくても、ファンは、世間は激しく責め立てる。
ラウネスネットの掲示板は、誹謗中傷の嵐だった。
『牙を抜かれた魔犬』
『異次元の遅さ』
『エンジニア全員クビにしろ』
『GTフリークス舐めんな』
『やる気ないなら、撤退すれば?』
『国内最大自動車メーカー、タカサキの名が泣く』
どいつもこいつも、勝手なことばかり言いやがって――
だけどそんな悔しい思いも、今年までの話だ。
来年は、全部黙らせてやる。
「2639年からは、車両規則が大きく変わる。空力パーツのデザインや足回り、車体が今までと別物になります。タカサキはそれに合わせ、去年から開発を進めてきました。2638年型のアップデートを、後回しにしてもね」
「まったく……。もう少し早く、それを教えてくれたっていいのにね」
ピットの前で話していた俺とジョージは、同時に背後のガレージ内を振り返る。
そこに鎮座していたのは、2639年型〈サーベラス〉。
まだ、いつものライムグリーンには塗装されていない。
ボディパネルは、黒いカーボン地が剥き出しだ。
ゼッケンだけが白色で目立つ。
そこに書かれている数字は、もうカーナンバー1じゃない。
ラウドレーシングおなじみの36番。
「ジョージ、速いんだろう? 2639年型は」
「さあ? 速く走れるかどうかは、ランディ次第ですね」
すっとぼけやがって!
「超速いですよ」って、自慢したいんだろ?
付き合い長いからな。
お前の考えてることなんて、お見通しなんだよ。
いつも俺の考えがバレバレって言うけど、他人のこと言えるか!
まあジョージは俺と違って、周りからは「なに考えているんだか分からん奴」と思われているみたいだけどな。
「ランディ……。頼みます、来年こそは……」
「……分かってるよ」
目の前で暖機運転中の〈サーベラス〉は、スタッフ達の血と汗と涙の結晶。
彼女の力を全て引き出し、ヤマモト〈ベルアドネ〉を――
ヴァイキー〈スティールトーメンター427〉を――
ナイトウィザード〈シヴァV12〉を――
そして、レイヴン〈イフリータ〉を捕食しろ。
それが俺とルディの――いや。
タカサキメーカーチームドライバー、12名全員の使命だ。
「それじゃ、行ってくるよ」
俺は素早く装備一式を身に着け、さーべるちゃんの運転席に収まった。
2638年型と比べて、大幅には変わっていない。
でもスイッチ類やダイヤル類、前窓に投影される情報とかに、細かいアップデートが見られる。
前よりさらに、扱いやすくなってそうだ。
メカニック達に押されて、俺とさーべるちゃんはピット前へ出た。
ゼッケンの番号の違い以外、見分けのつかない6台の黒い〈サーベラス〉。
それがピットロードに対して、斜めに整然と並べられる。
もうコースオープンになっているから、各自好きなタイミングでコースインしてもいい。
なのに、1台も動かない。
その代わりサインエリアの1箇所に、各チームの監督達が集結しつつあるのが見えた。
ウチのアレス・ラーメント監督もいる。
6名の監督達は互いに顔を見合わせてタイミングを計ると、一斉に無線機のヘッドセットから俺達ドライバーへ向けて指示を飛ばした。
口の動きから察するに、6人全員同じ言葉だろう。
『タカサキワークス、出撃』
その言葉を受け、水平対向エンジン6基の合唱が山間部に響き渡った。
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「凄いね、2639年型は。コーナー速すぎて、遠心力で首が痛くなっちゃうよ」
「当然です」
せっかくの称賛に、ジョージは「なに当たり前のこと言ってるんだ?」といった態度で応える。
可愛くないやつ。
チーフエンジニアのタイジー・マークーンさんは、隣でうっすら感涙を浮かべてるっていうのにさ。
「ランディもタイジーさんも、浮かれるのはまだ早いですよ」
「それは同感だけどさ……。非公式ながら、〈イフリータ〉のコース最速記録を軽く上回っているんだよ? 明るい結果に喜んで、テンション上げるぐらいはいいんじゃないの?」
「いま、季節は冬。気温も路面温度も低く、タイムは速くて当然。〈イフリータ〉がコース最速記録を記録したのは、4月半ばですよ。それに……」
「それに?」
「速いだけでは、勝てないのがレースです」
意味ありげに、いつもの眼鏡クイッをかますジョージ。
その数秒後だ。
「おい! 38号車が、変速機トラブルだってよ」
ウチのスタッフの誰かが言った台詞に反応して、俺とジョージは作業エリアまで出て2つ隣のピットを見やる。
38号車のスタッフ達は深刻な表情でテレメトリーから送られてくるデータを分析したり、無線のやり取りをしていた。
ちょうどその時、ホームストレートを別のマシン――39号車が通過していく。
バラついた排気音を上げながら。
これは――
エンジンが、失火を起こしている!?
「ウチは……36号車は、大丈夫なのか? 走行中のルディは、なんて言ってる?」
近年のレーシングカーは、ものすごく精巧にできている。
同じ工場で作られている以上、個体差なんてほとんどない。
つまり同じ車種を使う他所のチームに起こったマシントラブルは、高い確率で自分達にも降りかかるということ。
無線を通してドライバーとやり取りをしていたアレス監督が、僅かに眉をひそめた。
「6速に、入らなくなったそうだ。4速も入りが悪い。……ピットに戻すぞ」
ルディの乗る36号車が、ホームストレートを走ってくる。
通常はギヤを7速まで入れるところを、6速から上に入らなくなったもんだから5速キープ。
このスモー・クオンザは2kmも直線があるから、5速じゃかなり手前からエンジンが吹けきってしまう。
苦し気に走り抜ける36号車を、タカサキ系チーム関係者の全員が不安げな表情で見守っていた。
さっきまで晴れていた空は、いつの間にかどんよりと曇っている。
今にも雪が、降り出しそうなほどに。
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「自己ベストは、1分19秒787か……。ルディにコンマ2秒、負けちゃったな」
「えへへ……頑張りました。ロングランだと、まだまだランディ先輩のペースには敵いませんけどね」
ピットでデータシートを眺めながら、言葉を交わす俺とルディ。
「課題は、エンジンと変速機の耐久性か……」
「速さは充分なんですけどね……」
残念なことに今日走った6台全車、エンジンか変速機のトラブルが発生していた。
2639年型〈サーベラス〉は速い。
けれども速さのために、耐久性を犠牲にし過ぎている。
ルディと2人で頭を抱えていると、ジョージが近寄ってきた。
「2人とも、なにを暗い顔しているのですか。今日の走行は、かなり収穫が多かったのですよ?」
「『浮かれるのはまだ早い』とか、『速いだけでは勝てない』とか言ってたのはジョージだろ? 収穫なんて、あったか?」
「とりあえず、エンジンとミッションが脆いということがハッキリ分かりました」
「分かっただけじゃ、レースで完走できないだろ?」
「ええ。ですからその弱点を、潰していくのです。来年の3月末、開幕戦までにね」
「なるほどね。対策を取れる早い時期に、弱点が明らかになったのがなによりの収穫ってわけか」
またエンジニアやメカニックの皆に、負担をかけると思うと気が重い。
だけどマシンの耐久性向上なんて、俺達ドライバーじゃどうしようもないからな。
できるのは、車を労りながら走ることぐらいか?
そういう走りは、俺の得意分野でもある。
ルディは速いけど、短距離選手なところがあるからな。
「ん? 待てよ……?」
ふとアイディアが浮かんで、目の前のルディを見た。
空色の瞳を、パチクリさせる仕草が可愛らしい。
だけど、俺は知っている。
可憐な見た目と裏腹に、彼女は抜き身の刀みたいな鋭い走りをする音速エルフであることを。
ちょうどその時、アレス監督が通りかかった。
いい機会だと思い、俺は監督に自分のアイディアを伝える。
「アレス監督。実は、提案があるんですけど」
「ふむ、言ってみろ」
そこで俺は一旦振り返り、ルディの様子を窺った。
彼女はキョトンとした表情で、小首を傾げる。
あ~。
この提案をするのは、正直複雑な気持ちだ。
だけどたぶん、これが正解。
来年勝利を――
チャンピオンを掴む可能性に、1番近づけるはず。
「2639年シーズンは俺じゃなく、ルディをエースドライバーにしません?」