ターン14 そんなファステストは要らないよ!
俺はつかの間の浮遊感を味わった後、地面へと激しく着陸。
勢いで、ピットの外まで転がり出た。
そしてそのまま、動かなくなる。
「ラ……ランディ! しっかりしろー!」
オズワルド父さんが必死の声で叫びつつ、駆け寄ってくる足音が聞こえた。
「ジョージ……。お前、なんてことを!」
ドーン・ドッケンハイム監督――おたくの息子さん、やらかしてしまいましたね。
これは大問題ですよ?
ドワーフ族の子供が、喧嘩で人間族の――それも年下の子を、思いっきりぶん殴るなんて。
ドワーフ族や巨人族、獣人族の子供は、身体能力に優れている。
だから学校の体育の授業でも、人間族やエルフ族の子供とは別に分けられることが多いっていうのに。
親の監督不行き届きと言われても、仕方ありませんよね?
「おいコラ、クソガキ! 死んだふりなんてしてんじゃねーぞ? ざーとらしく、後ろに飛びやがって。今のパンチ、首と体を捻って受け流しただろうが? 全然手応えが無かったぞ!」
ジョージ少年の指摘に、ウチの父さんが怪訝そうな声を上げる。
「ランディ?」
俺の顔を覗き込んでいるのが、目を閉じていても雰囲気で分かるな。
おのれ、ジョージめ。
親父さんやウチの父さんと違って、ラディッシュ・アクターな俺の演技を見抜ける程度の観察眼は持ち合わせているみたいだな。
ダメな演技でカットを入れられた役者の気分で、俺は目を開いた。
身体の反動を使って、身軽に飛び起きる。
「バレちゃったか。このまま大人しく気絶したフリをしていれば、喧嘩にならず丸く収まると思ったんだけどね」
「てめえ。本当に、それが目的か?」
ギクリ!
そこまで見抜いちゃう?
うん。
実は違います。
これからボスになるドーン・ドッケンハイム監督に、貸しを作っとくのもいいかな~? なんて腹黒いことを考えていたりして。
ほら、あるじゃん。
新品タイヤとかパーツが、足りなかった時。
あるいはメカニックの手が足りなかった時、チームの新参者な俺が後回しにされる可能性って。
そんな状況になりかけた時、「そういえばあの時、おたくの息子さんが……」って言えば――
え? 汚い?
これも勝負の内だよ。
限りあるチームの力を、どれだけ自分に集められるかどうかって大事なの。
レースの世界では、「最大の敵はチームメイト」って言葉もあるぐらいだしね。
全日本F3の初年度、俺はそれを痛感したんだよ。
ドゴォオオオン! という迫撃砲のような轟音を上げて、ドーンさんの拳骨がジョージの頭に着弾した。
「馬鹿野郎! よそ様の子をぶん殴っておいて、言うことがそれか!? すぐ、ランディに謝らんか!」
いや、謝罪とかいいです。
それより早く、ジョージ君を病院に連れて行って下さい。
俺の優れた動体視力は、はっきりと捉えたよ。
ジョージのパンチを受け流した俺と違って、直撃だったよね?
頭蓋骨、陥没してない?
「いってーな! 親父! 俺はブレイズを泣かす奴は、誰だろうと許さねえんだよ!」
今のが痛いで済むんだ?
うん。
こいつとは、喧嘩したくないな。
「すまんな、ランディ。こいつは将来、ブレイズのエンジニアかメカニックになるって意気込んでいてな。ブレイズ絡みとなると、すぐ頭に血が上るんだ」
ドーンさんはジョージの頭を押さえつけ、自分も一緒に頭を下げる。
「いえ、大丈夫です。ちょっとびっくりしたけど、偶然避けられましたから」
大嘘を吐いているのが分かったらしく、ジョージは再び俺に掴みかかろうと前に出た。
だけどドーンさんが、襟首を掴んで引きずり戻す。
彼は胸元に入っていた眼鏡ケースから、新しい眼鏡を取り出した。
それを、割れた息子の眼鏡と取り替える。
すると、あら不思議。
ジョージの体はみるみると萎んで、元の痩せぎす体型に戻ってしまった。
こいつ、本当にドワーフ?
新種の生命体とかじゃないよね?
まあこの世界には不死者とか、医学的に体のメカニズムが解明されていない種族もいるからな。
「そうだ! いいことを思いついたぞ! ジョージ。お前が来季から、ランディのマシンを見てやれ。専属メカニックだ」
「ええっ?」
ドーンさんの提案に対し、ジョージは不満そうな声を上げた。
俺も心の中では、「ええ~っ!」だよ。
大人のメカさん、付けてくれないの?
専属が1人付くっていうのはいいことだけど、子供っていうのはなあ――
どう転ぶかは、ジョージ少年の実力次第だな。
「うん。僕も、それがいいと思う」
いつの間にかしれっと泣き止んでいたブレイズが、割り込んできて発言した。
ジョージは物凄いショックを受けたらしく、バックに稲妻を走らせて固まる。
「そ……そんな。ブレイズ……僕は君と組んでレースをするために、修行を……」
あ。
ジョージの1人称が、「俺」から「僕」に戻った。
「ジョージ。僕も君もまだ子供だから、親元を離れてレースをやるのは難しい。僕はパパと一緒に、ハトブレイク国に帰らなきゃならない。コンビを組めるようになるのは、大人になってから。上のカテゴリーでだよ。それまではそこのランディと一緒に、技術や知識を磨いておいて欲しい」
「彼に、ブレイズの代わりが務まるのですか?」
「47秒998。僕の持ってたコース最速記録は、彼に破られた」
「……本当ですか? だったら、鍛えがいのありそうなドライバーですね」
鍛える=肉体的にとかだったら、勘弁してくれ。
そりゃ、身体的トレーニングはこれからも続けるけどさ。
お前の変身後みたいになるのは、ゴメンだからな。
「基礎学校7年生になったら乗れるスーパーカートからは、世界一決定戦がある。絶対に、国内選手権を勝ち抜いてくれ。ジョージ。ランディ。世界一決定戦で会おう」
もしもーし。
2人だけで、決めないでくれる?
簡単に言うけど、大変だよ? ソレ。
特に国内選手権とか世界一決定戦とかは、遠征の費用が――
けど――
まあ――
なんとかしてみせるか!
「わかったよ、ブレイズ・ルーレイロ。俺とジョージのコンビは、世界一決定戦まで行く。そしたらその時は……」
「その時は?」
俺はブレイズに会った時から、ずーっと言いたかったことを――
封印していた欲望を、吐き出した。
「お前の親父さんの、サインをくれ」
俺のひと言に怒ったブレイズが掴みかかってきて、また騒ぎになった。
そういやコイツ、パパの話をされるのが嫌いって言ってたな。
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その後、俺達はサーキット受付の隣にあるロビーで、今後の打ち合わせを始めた。
来季の参戦体制、俺のチーム内での扱い等についてだ。
面子は俺、父さん、ドーン監督。
まあジョージまでは、分かるとしてだ。
なんで、完全部外者のブレイズまで居る?
しかもコイツ、色々と口出ししてきた。
まあ俺が、不利になるような口出しじゃなかったけどな。
「そこも無償でいいんじゃない?」とか、「シーズン途中の成績次第では、ランディを第3ドライバー扱いではなくエースドライバーにするべきだ」とか。
俺が有利になるよう、ドーンさんに掛け合ってくれている。
父さんの方は、主だった参戦費用を立て替えてもらう条件だけで満足してしまっているらしい。
交渉らしい交渉は、してくれない。
父さん。
マネージャー失格だよ。
シャーロット母さんがレースに協力してくれるなら、交渉は母さんにしてもらった方が良さそうだな。
「あ……! そういえば、母さん!」
俺の言葉に、父さんもハッと気づいた。
「おお、いかん! そろそろ帰らないと、母さんに疑われるな!」
打ち合わせに夢中になっていて、気づかなかった。
時刻はもう、夕方だ。
「なんだ、2人とも。まだシャーロットには、黙って活動するつもりなのか?」
「いえ。さすがにシーズンが始まる前には、話します。参戦費用の心配がなくなれば、妻も納得してくれるかと……」
「そうか……。だと、いいがな……」
心配そうに呟くドーンさんの言葉が、俺の耳に残った。
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非常に残念な話だけど、俺と父さんはもうドッケンハイムカートウェイを後にしなければならない。
何が残念かって?
もう少し待てば、ブレイズを迎えに父親のアクセル・ルーレイロが来るかもしれないからだ。
親子揃って大のルーレイロファンである俺達は、渋々とシャーラ製ライトバンに乗り込んだ。
名残惜しく思いながらも、帰路に就く。
ひとつ、幸運なことがある。
アクセル・ルーレイロは現在、世界耐久選手権で「レイヴン」という自動車メーカーと契約している。
レイヴンの研究所は、このサーキットに近い。
しかも、奥さんの実家もこの辺りなんだそうだ。
なので時々、遊びに来るらしい。
よし!
次こそは会って、サインをねだるぞ!
緊張していた行きのドライブと違い、帰りの車内は空気が明るい。
父さんとの会話も弾んだ。
父さんは俺がレースをやることが、嬉しくてたまらないみたいだ。
もう「ユグドラシル24時間に参戦するなら、どこのメーカーからがいいか?」なんて話をしてくる。
このマリーノ国でモータースポーツに積極的な自動車メーカーは、タカサキ、ヤマモト、レイヴンの3社。
俺達が乗っているバンの製造元であるシャーラ社も、昔はレースで活躍していた。
だけど今は、参戦していない。
うーん。
国内メーカーの中では、レイヴンかな~?
憧れのアクセル・ルーレイロも所属しているし、なにより本社がこのメターリカ市にあるからね。
俺がそう答えたら、父さんは「ヤマモトもいいぞ~。ヤマモトに、悲願のユグドラシル24時間初優勝をもたらしてくれ~」とプッシュしてきた。
オズワルド父さんは、元ヤマモト社の販売ディーラーメカニックだからな。
まったく。
楽観的と言うか、親バカというか。
でも、期待されて悪い気はしない。
俺は今度の人生こそ、周りの人達の期待に応えてみせる。
さて。
期待に応える前に、クリアしなければならない問題があったな。
どのタイミングで母さんに、レースのことを言い出すかという問題だ。
「ランディ。母さんには、シーズン開幕直前に話そうか? 『ドタキャンしたら、ドーンさんにも迷惑が掛かるから』と言えば、母さんも引き下がるだろう」
「そんなこと言って……。父さんは、母さんに報告するのが怖いだけじゃないの?」
「そ……そんなことはないぞ?」
絶対嘘だね。
だって、俺も怖いもん。
「でもさ。開幕直前に話すっていうのは、俺も賛成だよ。ドーンさんに、断りにくくなるもんね。母さんもドーンさんと知り合いなら、なおさらね」
結局俺と父さんは、問題を可能な限り先送りするという極めて消極的な戦略を選択するということで合意した。
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日が暮れ始める頃、俺と父さんの乗ったバンは自宅へと到着した。
なんとか可能な限り長い期間、母さんにレースのことを悟られないよう頑張ろう。
俺と父さんはそう決意し、そっと玄関の戸を開ける。
そこには腕を組んで仁王立ちしている、母さんの姿があった。
鬼の形相だ。
「あなた。ランディ。お話があります」
バレた!
最速バレきたぁーーっ!