ターン132 リングを見ないで3点シュート
■□マリー・ルイス視点■□
ワタクシはピット内で、モニターを眺め続けておりました。
そこには、ランディ様が駆る〈サーベラス〉の車載カメラ映像が映し出されています。
前窓に叩きつけられる、無数の雨粒。
ワイパーが忙しそうに動いていますが、ちっとも視界は良くなりません。
水滴を拭きとる傍から、次の雨粒が叩きつけられています。
雨だとどうしても、思い出してしまいます。
5年前――
スーパーカート世界一決定戦、パラダイスシティGPの大クラッシュを。
多くのマシンが無残に引き裂かれた、恐ろしい事故でした。
あの時はピットで見ていて、心臓が止まりそうになりましたわ。
最近ワタクシは、考えておりますの。
ドライバーはいつも危険に身を晒しているというのに、自分はいったい何をしているのかと――
エンジニアやメカニック達は、頭も体も全力で使いドライバーと共に戦っています。
では出資者であるワタクシは、一緒に戦っていると言えるのでしょうか?
確かに、お金は出しました。
でも、その後は?
全て他人に任せて、戦いの行く末を眺めているだけ?
できることといえば、それぐらいしかありませんものね。
でもそれは、ちょっと卑怯なのではないのでしょうか?
他人にお金を渡してリングへと上がらせ、殴り合いをさせるようなものなのでは?
自分は安全なところにいて、決して殴られることはない。
安心感と同時に、言いようのない疎外感を抱いてしまいます。
今回デイモン・オクレールが持ちかけてきた下らない賭けに乗ってしまったのは、自分も危険の中に身を置きたかったからです。
負ければドライバーと同様、辛い目に遭う。
そういう状況に追い込まれたら、一緒に戦っていることを強く実感できるのではないかと――
でも、違いました。
やはりワタクシとランディ様の置かれた状況には、天と地ほど差があります。
視界を奪う雨。
濡れてツルツルに滑る路面。
そんな危険極まりない状況下でも、ランディ様は限界ギリギリの速度で走り抜けます。
確かに乾いた路面の時より、全車スピードは下がっていますわ。
それでも最高速は、280km/h以上。
ワタクシが小さい頃、カートで100km/hぐらいからぶつかった時でもあれだけ怖かったのに――
「ランディ様……。あんなに雨が苦手なのに、ワタクシに心配させないよう嘘までついて……」
小さく呟いたつもりなのに、隣にいたジョージ様にはハッキリ聞こえてしまったようです。
彼は、意外そうな反応をしました。
「は? なにを言ってるんです、マリー社長。あの嘘発見器を常に抱えて歩いているようなランディが、嘘なんかつけるわけないでしょう?」
「えっ? でも……。『シルバードリル』から『ブルーレヴォリューションレーシング』時代まで、ずっと『雨は嫌だ』と……」
「ランディがいちどでも、『雨は苦手だ』と言ったことがありましたか?」
そういえば――
「嫌だ、嫌いだ」とは言っても、「苦手だ、得意じゃない」とおっしゃった記憶はありません。
「ひょっとして……。ランディ様は本当に、雨が得意なのですか? ならばなぜ、『嫌い』だなんて……」
「前走車が巻き上げる水煙で、他の車が見えなくなるのが怖いんですよ。濡れて滑る路面でのマシンコントロールは、むしろ得意なドライバーですね」
「そうでしたの……。でも視界が悪いのは、どうしようも……。あっ!」
ジョージ様は気持ちが表情に出にくい方ですが、今回は少し得意気なご様子でした。
「そうです。GTフリークスマシンには、レーダーがついています。他車の位置はマーカーで補正されて、前窓や横窓、後方モニターに表示されるのです」
「他車の位置は、そうなのでしょうけど……。コースはどうなのです? コーナーまでの距離ですとか、横にあるコンクリート壁までの距離は、さすがに表示されないでしょう?」
ジョージ様が答えるより先に、ヴァイ様がヘルメットを外しながら答えてくださいました。
「お嬢ちゃん。オレ達GTフリークスドライバーはな、水煙や霧でコーナーが見えなくても問題ねえ。そういう時は、自車のすぐ横の景色を見ながらブレーキングポイントを決めるんだ。特にこういう市街地コースだと、建物とかが近くて自分の位置を把握しやすい」
「……そっ!」
そんな超人みたいな真似が、可能なのですか!?
ヴァイ様は、事も無げにおっしゃいましたけど――
それはバスケットボールで自分の立ち位置だけを頼りに、リングを全く見ないで3点シュートを決めるような芸当では?
しかも280Km/hオーバーで走りながらでは、自分の立ち位置を正確に把握することすら困難でしょうに。
ワタクシが絶句していると、ヴァイ様はさらにとんでもない言葉を続けます。
「ランディの奴は、距離感を測る空間認識力と記憶力が恐ろしくいい。このアンセムシティ市街地コースはもう、目隠ししても感覚だけで走れるだろうな。オレでも本当にやれと言われたら、ちょっと自信ねえんだけどよ」
GTフリークスドライバーとは、なんという人達なのでしょう!
確かにランディ様は、慣れ親しんだ地元メイデンスピードウェイでよくおっしゃっていました。
「目をつぶってでも走れる」と。
まさか本当に、そのままの意味だったなんて――
「コースは見えなくても、勝手に動くことは無い。勝手に動く他車の動きは、レーダーが教えてくれる。そして、濡れた路面でのマシンコントロールは得意。これだけ条件が揃えば、どうなるかは分かりますよね?」
ジョージ様の眼鏡が、キラリと光ります。
相変わらず、人が悪そうなお顔ですこと。
でもきっとワタクシも、同じような笑顔になってしまっているのでしょう。
そこへ、実況放送が響いてきます。
『お~っと! なんという速さなのでしょう! ピットアウト直後は10秒あった差が、僅か5周で半分! 5秒差です! 新人のランドール・クロウリィ、いったいどんな魔法を使っているのか!? トップの430号車、デイモン・オクレールを捉えつつあるぞ~!』
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■□ランドール・クロウリィ視点■□
あ~もう!
やっぱり雨は嫌だ!
視界は悪いし路面は滑る。
水が溜まっているところを避けて、コーナーを大回りしないといけない時もある。
おまけに湿度が高くなって、運転席内がムワ~っとする。
蒸し暑い。
早く帰って、シャワーを浴びたい。
――そうか。
トップに躍り出て真っ先にチェッカーフラッグを受ければ、誰より早くレースを終えることができるぞ。
それがいい、そうしよう。
ならばまずやらなきゃいけないのは、俺の前を走るデイモン・オクレールの野郎をぶち抜くことだ。
シルバーとイエローに塗り分けられた、〈スティールトーメンター〉430号車。
丸みを帯びたセクシーなボディは水煙の向こうに隠れて、横長楕円形のテールランプしか見えない。
けれどもそれは、肉眼での話。
〈サーベラス〉に搭載されたレーダーは、水煙の中に隠れた〈スティールトーメンター〉のシルエットをはっきり捉えていた。
前窓に敵車の輪郭と距離カウンターが光の線で描き出され、真っ白に染まった世界の中でも正確に位置を掴める。
これだよ、これ。
GTフリークスマシンは、この機能があるからいい。
俺が雨を嫌いな理由の8割が、これで片付く。
他の理由――滑る路面はドライバーが技術でコントロールすれば済む話だし、コーナーや壁は見えなくても距離を憶えておけばいいだけだもんな。
というわけで、今の俺とさーべるちゃんはイケイケだ。
この雨の中、コース上にいるマシンで1番速いんじゃないだろうか?
前を行くオクレールも、遅くはない。
むしろそのドライビングテクニックに、感心したぐらいだ。
誰だ? 金の力でシートを買ったとかいう噂を流した奴は?
恐ろしく繊細で、丁寧な走りじゃないか。
滑りやすい路面なのに、無駄なスライドが一切ない。
リヤエンジンリヤドライブ車の利点である蹴り出しを、しっかり生かして加速させている。
――こいつ、似てるな。
俺の走りに。
よく考えたらデイモン・オクレールは、俺と似てるんだ。
走りのスタイルだけじゃなく、ドライバーとしての境遇が。
裕福な育ちと、実家からの手厚い支援。
金でシートを買ったと、周りから侮られている状況。
地球でボンボンドライバーだった頃の俺と、そっくりじゃないか。
奴のことがムカつくのは、同族嫌悪なのか?
――それだけじゃないな。
認めたくないけど、嫉妬もある。
同じボンボンでも、あいつはマリーノ国内最高峰――いや。
モア連合最高峰カテゴリーと言っても過言じゃない、GTフリークスまで上がってきた。
地球のフォーミュラに例えるなら、日本一を決めるスーパーフォーミュラのドライバーになったようなもんだ。
それに対して俺は、F3止まりだったドライバー。
醜いもんだ。
嫉妬に狂った男なんて。
ひょっとしたらマリーさんの件で怒ったのも、義憤じゃなくて嫉妬なんじゃないだろうか?
そんなことを考えているうちに、オクレールのテールランプが大きくなる。
確かに遅くはないし上手いんだけど、オクレールの走りには速さに対する「飢え」みたいなものが感じられない。
俺と違って、貧乏を体験していないからなのか?
どこかおっとりした雰囲気で、線の細さも感じる。
オクレールが吸血鬼という、長命種だからってのもあるかもしれない。
レーサーが持てる力の全てを使って、必死の思いで削り取るコンマ1秒。
そのコンマ1秒の重みが、俺達人間族みたいな短命種とは全然違うんだ。
思えば俺も今シーズンの序盤3戦、オクレールみたいにのんびり構えてはいなかっただろうか?
『今シーズンは経験を積むことに全力を尽くして、来シーズンで勝負』
そんな考えでいたけど、果たしてそれが正解だったのか?
来年のシートなんて、あるかどうか分からない。
下手したら来年どころか、次戦からクビだなんてことも有り得る。
俺にミスが無かったとしても、ヴァイさんはいつ引退してもおかしくない年齢だ。
アレス監督だって、タカサキ本社の意向で現場を退くかもしれない。
会社の経営が上手くいかなくなれば、タカサキはGTフリークスから撤退する。
マリーさんも、俺の資金援助なんか不可能になる。
いつまでも、みんなと一緒に走れるわけじゃないんだ。
1シーズン。
1レース。
1周。
同じ瞬間は二度と戻ってこないのに、無駄遣いしてどうする?
同じ新人でも、きっとニーサの姿勢が正解だ。
全部勝つつもりで走れ。
後悔しないために。
600mの裏ストレート。
俺もオクレールもドラッグ・リダクション・システムを作動させて、空気抵抗を減らす。
水煙で、視界は真っ白。
だけど俺はレーダーの距離カウンターを信頼して、〈サーベラス〉の鼻先を〈スティールトーメンター〉の尻へと寄せていった。
微かに――
だけど確実に、接触した手応えがあった。
オクレールの奴も、それを感じたはずだ。
これは俺とさーべるちゃんからの、「今から抜くぞ」という意思表示。
直線終わり。
俺は〈サーベラス〉の進路を変え、〈スティールトーメンター〉の横へと並びかけた。