ターン131 彼女の剣となれ
樹神暦2637年6月
日曜日
GTフリークス 第4戦
アンセムシティ市街地コース
決勝日
19:00
俺はピット内に設置されたライブ映像モニターで、レースのスタートを見守っていた。
色とりどりのネオン風看板と、街灯の光。
加えてレース用に設置された投光器に照らされて、30台のGTフリークスマシンがゆっくりとホームストレートを走ってくる。
GTフリークスも一般的な耐久レースの例に漏れず、走行状態からそのままスタートを切るローリングスタート方式だ。
2列に並んだフォーメーション。
一糸乱れぬその姿は、空軍のアクロバットチームがギッチリ密集して飛行するパフォーマンスに近いものがある。
空軍の編隊飛行と違うのは、スタートと同時に今まで一緒に飛んでいた仲間同士で格闘戦をおっぱじめてしまうという点だろう。
青信号。
交戦開始!
アクセル全開の咆哮を上げ、一斉にバラける怪物達。
道幅が狭いのに、みんな平気で3台横並びとかになる。
公道コースの場合、道の両脇はコンクリートウォール。
常設サーキットと違って、芝生や砂利なんかの退避所がない。
なのに、そんなことはおかまいなしだ。
GTフリークスでは、エースドライバーがスタートを務めることが多い。
冷静さを保ったままイカれた領域に踏み込めるエース達は、「行ける」と判断したら躊躇しない。
コンクリートウォールとの隙間が1cmぐらいしかなかったとしても、顔色ひとつ変えずに全幅2m超えの車体をねじ込んでいく。
時速300km/hの通勤ラッシュ。
その異常でシュールな光景を、みんな固唾を呑んで見守っている。
チーム関係者も観客も、きっとカメラの向こうにいるテレビの視聴者達も――
俺も、その中の1人。
今夜も後半走行時間担当だから、前半はヴァイさんの走りを見守るだけだ。
マシンの走行風圧と爆音で、道路上に張り出している光の看板がビリビリと揺れている。
揺れているのは、モニター内に映るものだけじゃない。
俺の周辺にある機材だとか、自分の内臓だとか、あらゆるものが振動させられていた。
ホームストレートからピットの中までは、サインエリアやピットロード、作業エリアを挟んでいて距離があるっていうのに――
隣でモニターを見上げている、マリー・ルイス社長の銀髪縦ロールも揺れている。
「なんて贅沢な光景ですの……」
お金持ちのマリーさんの目にも、そう映るんだ。
そりゃ、そうだよね。
GTフリークスマシンが1台3億モジャだとして、30台いるから総額90億モジャ?
ついでに操るドライバーも、億単位で契約金を貰っている連中ばっかり。
まあ、億単位でスポンサーを持ち込んでいる人もいるけど。
タイヤとか燃料費とかのランニングコストも考えると、何百億モジャっていうお金がかかった集団。
それが、一斉に目の前を通過して行ったんだ。
究極の無駄遣いが、ここにはある。
それだけの無駄遣いと引き換えに、得られる景色は絶景。
宝石をちりばめたように輝く、夜のアンセムシティ。
そこを走るのも、これまた宝石のように美しいマシン達。
マシンは企業の広告塔だからな。
より目立つように。
より印象に残るように。
より企業イメージを向上させるようにを追求してデザインされた、カラーリングとスポンサーロゴ。
それが人の顔が映りこむぐらい磨き上げられているんだから、美しくないわけがない。
通勤ラッシュの先頭にいる勤労意欲満点な社畜マシンは、ヴァイキーのエース格427号車。
少し間隔を空けて続くのが、430号車。
これがデイモン・オクレールの乗る、絶対に負けてはいけない相手。
今はベテラン、エイセス・クリアウォーター選手がドライブしている。
つまりレース後半、俺とオクレールは直接対決ってわけだ。
それに続く、3位のマシンは――
おっ!
あのライムグリーンの車体は、我らが〈ロスハイム・ラウドレーシングサーベラス〉じゃないか。
スタート直後の1コーナーで、1台パスしたみたいだな。
これで3位。
GTフリークスのレジェンドドライバーっていうのは、伊達じゃない。
さすヴァイ。
スタート時の立入禁止が解除されて、サインエリアに入れるようになった。
俺はさっそく行き、金網の隙間からホームストレートを通過するマシン達を覗き込む。
とてつもない質量と速度で、極彩色の洪水が眼前を流れていった。
いつの間にか隣に来ていたマリーさんも、その光景を見て唖然とする。
「こ……こんなに速いのですか!? TPC耐久の〈レオナ〉とは、次元が違う……」
「このコースは直線がそんなに長くないから、最高速は300km/hちょっとしか出ないよ」
「はあ……。300km/hオーバーでも、ランディ様達にとっては『しか』なのですわね……」
そういえば俺も最初の頃は、GTフリークスマシンの圧倒的な速さに驚いていたな。
マシンもそれを操るドライバー達も、異次元の怪物達みたいに感じていた。
それが今や、身近で当たり前のものになりつつある。
「俺も段々、人間辞めてきちゃったのかね……」
「……? 耳でも尖り始めましたの?」
俺はダークエルフのクォーターでもあるからな。
妹のヴィオレッタみたいに耳が尖ったり、褐色の肌になってもおかしくはない。
大人になってから他種族の身体的特徴が出る人も、確かにいる。
でも俺が言ってるのは、そういう意味じゃない。
不思議そうな表情をしているマリーさん。
俺は視線を彼女から戻し、再びコース上を見る。
3周目に入ったヴァイさんとさーべるちゃんが、ホームストレートを通過した。
牙のようなデザインのブレーキランプが、煌々と輝く。
赤い残像を描いて1コーナーの向こうに消えてゆく怪物達を、俺は妙に静かな気持ちで見つめていた。
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レースは特に波乱もなく、進んでいく。
危険な公道コースなんだから、クラッシュするマシンがいっぱい出てもおかしくないはずだ。
なのに1回も大きな事故は無く、追い越し禁止のセーフティーカーが入ったりすることもない。
小さな接触やマシントラブルは、コース各所で発生していた。
だけど腕利きのGTフリークスドライバー達は、コース上でストップすることなくピットまで戻れる生存能力を持っている。
同じ公道レースなのに、スタート直後で大クラッシュが起こったパラダイスシティGPとは大違いだ。
あっちは、元気な若手が多いレースだったからな。
順位はスタート直後から、大きく動いてはいない。
ここまでは――だけどね。
波乱の足音は、確実に近づきつつあった。
レースは60周の周回数のうち、20周を消化。
1人目のドライバーが1/3以上走っているから、もう2人目に交代してもルール違反じゃない。
そろそろ早めにピットインして、給油とタイヤ交換、ドライバー交代をするチームが出始めてもおかしくない時間帯だ。
――なのに、どこのチームも動かない。
俺もまだ、ドライバー交代の準備はしていない。
みんなあるものを待ち、ピットタイミングを計ってるんだ。
隣ではマリーさんが自慢の銀髪縦ロールを摘まみ、毛先を気にしていた。
いつもより、曲がっているみたいだ。
湿度が原因だな。
「なんということでしょう……。こんな展開まで、パラダイスシティGPの時と似ているなんて……」
湿り気を帯びた風がビルの隙間を吹き抜けて、人々の体を冷やす。
これは、そろそろくるな。
俺の大嫌いな、アレが――
「ランディ。しばらくヴァイのまま引っ張る。路面が完全に濡れて、雨用タイヤを使えるようになってからピットインさせるぞ」
アレス・ラーメント監督の言葉に、俺は肩をすくめた。
降水確率100%。
昨日の予報では、50%だったのにな。
俺が公道コースを走ると必ず雨が降るなんて、嫌すぎるジンクスだぜ。
そんなことを考えているうちに、ぽつりぽつりと雨粒が落ち始めた。
「あ……あの……ランディ様。どうか、ご無理をなさらないで下さいませ」
マリーさんは不安そうに、俺を見つめてくる。
これはたぶん、パラダイスシティGPでの大事故を思い出しているな。
おいおい。
俺が頑張らないと、君はあのオクレールの野郎とひと晩つき合わなきゃいけなくなるんだぜ?
それなのに自分のことは置いといて、俺の心配をしてくれるとはね。
本当に、いい子だな――
これでいいのか? ランドール・クロウリィ。
お前は彼女のドライバーたり得るのか?
スポンサーには心配をかけるんじゃなくて、期待をかけてもらうもんだろ?
「大丈夫だよ、マリーさん。雨は得意だからね」
「えっ……?」
マリーさんは、驚きの表情だ。
あー、これは信用されていないな?
「シルバードリル」から「ブルーレヴォリューションレーシング」までの在籍期間、散々「雨は嫌いだ~」って騒いでいたから当然か。
ま、今ここで説明しても仕方ない。
ドライバーなら、走りで示せ。
俺はドライバー交代に備え、ゆっくりと装備一式を身に着けていった。
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――残り周回数、25周。
『この周入らせろ! もう、晴れ用タイヤじゃダメだ!』
「分かった。ピットインしろ、ボックス」
ヴァイさんとアレス監督のやり取りを、俺も無線で聞いていた。
立ち上がり、ピットの前にある作業エリアへと歩いていく。
ちょうど俺の眼前を、金属質な高回転音が通過していった。
トップの〈スティールトーメンター〉427号車だ。
427号車が通過していったのは、ピットロードじゃない。
コース上、ホームストレートだ。
「あれ? 427号車は、もう1周行くの?」
路面状況は――微妙なところだ。
路面が充分に濡れていないのにピットインして雨用タイヤに履き替えれば、遅いだけじゃ済まない。
下手したらタイヤがオーバーヒートして、ボロボロになってしまう。
逆に路面がかなり濡れているのに晴れ用タイヤで走り続ければ、滑りまくって激遅だ。
事故る可能性も高い。
もう1周、晴れ用のまま行くと決めた427号車。
この周で、雨用に履き替えるべきだと判断した36号車。
刻々と変化していく路面状況。
それを読み違えたら、致命的だ。
ピットインのタイミングが1周違っただけで、大きく順位を落とすことになりかねない。
――とはいうものの、チーム内に迷いは感じられない。
ヴァイ・アイバニーズが、雨用タイヤへの替え時だと判断した。
その判断を、みんな全面的に信頼しているんだ。
意外なことに、これからオクレールが乗り込む430号車もピットインしてきた。
同じヴァイキー勢なのに、427号車とは違う戦略を取るらしい。
5つ先のピット前にいる、オクレールの野郎と目が合う。
はっ!
その程度の殺気じゃ、俺はビビらないぜ?
いい巡り合わせだ。
これでお互い、同じタイミングでのピットイン。
チーム戦略の差を、敗北の言い訳にはできないぞ。
2位を走っていた430号車が先にピットへと辿り着き、作業を開始する。
ちょっと遅れて、ウチのさーべるちゃんも帰ってきた。
停車と同時にエアジャッキで車体が持ち上げられ、作業開始。
すぐに運転席から、ヴァイさんが降りてきた。
「ブレーキバランスを後ろに寄せてるが、燃料入れてタンク重くなったらもっと後ろに調整してもいい」
「分かりました。もう、川ができているところはありますか?」
「まだだ。だが、そろそろターン7にできるぞ。コース裏側の方が、雨量が多い。気を付けろ」
ドライバー交代作業を進めながら、ヴァイさんとの短いやりとり。
それが終ると、ドアが閉じられた。
エンジンが停止しているから、車体を叩く雨音が結構大きく聞こえる。
雨量は増える一方だ。
これはウチと、430号車の判断が正解だな。
先頭を走っていた427号車は、まだ晴れ用タイヤ。
びしょ濡れな路面で、相当なペースダウンを強いられているだろう。
下手したら、コース上で事故ってるかもな。
間違いなく、優勝争いからは脱落だ。
俺とさーべるちゃんの前方で、オクレールの〈スティールトーメンター〉に火が入った。
雨を吹き散らすように排気炎を上げながら、ピットアウトしていく。
ちっ。
元々向こうの方が前を走っていたんだから、先に出て行かれるのは仕方ないな。
苛立つ暇もなく、〈サーベラス〉も地面に降ろされる。
エンジンスタート、アクセルオン。
排水用の溝が切られた雨用タイヤは、濡れた路面でも浮くことなく路面を蹴り飛ばす。
温まったら、もっと食い付く。
濡れた路面でも、きっちり発熱するような材質になっているからな。
さ~て。
相手は「鋼鉄の拷問官」なんて恐ろし気な名前だけど、こっちは「地獄の番犬」だ。
どっちがおっかないか、見せてやるぜ。