ターン13 空飛ぶレコードブレイカー
ピットに戻り、俺は驚いたよ。
出迎えてくれるのは、オズワルド父さんとドーン・ドッケンハイムさんだけだと思っていた。
なのに、大勢の大人達――練習走行に来ていた一般客達が、俺を出迎え祝福してくれたから。
そういえばサインエリアから、みんな熱心に見ていたな。
てっきり、ブレイズ・ルーレイロに注目しているんだと思っていた。
奴は有名人の息子で、自身も知名度が高いからな。
だけどこの様子からすると、俺の走りにも注目が集まってたみたいだ。
ところで皆さん。
レンタルカートの占有時間が終わったってことは、午後の一般走行時間がもうスタートしているはずなんだけど?
走らなくて、いいの?
「おめでとう、ランドール・クロウリィ。来季、君はRTヘリオンのドライバーとして走ってもらう」
そう言ってドーンさんが差し出して来た大きな手を、俺はガッチリと握った。
うーん。
ドワーフ男性の手って、でっかいな。
俺はまだ手が小さいから、ドーンさんの人差し指付け根だけ握っている感じだ。
巨人族の血が入っている父さんの手も大きいけど、それと同じぐらいかな?
――ちょっとドーンさん、強く握り過ぎだよ!
普通の5歳児だったら、手の骨が砕けるよ!?
いや、待てよ?
まさかこれも、オーディションの一環?
ドライバーにとって重要な身体能力のひとつ、「握力」のテストか?
そう思うと、握手をやめることができない。
せめて人差し指だけでも痺れさせてやろうと、俺は握力をMAXにし続けていた。
そこへ、ブレイズ・ルーレイロのマシンも帰ってくる。
奴は意気消沈した様子で、ゆらりとマシンを降りた。
ヘルメットも脱がず、シールドだけを跳ね上げて俺に尋ねる。
「お前の最後の周、何秒?」
俺に聞かれても困る。
なんせまだ帰ってきてから、タイミングモニターを見ていないんだからな。
タイミングモニターっていうのは、コース上を走っているマシンのタイムが表示される画面だ。
体内ストップウォッチによると、最後の周は48秒03ぐらいだと思うけど――
俺の代わりに、ドーンさんが答えた。
「ランディのタイムは、47秒998 。コース最速記録だよ」
わお!
47秒台に入ったか!
いやいや。
喜んでばかりもいられないぞ、俺。
体内ストップウォッチの精度が、思ったより低かったってことだからな。
「お前も凄かったぞ、ブレイズ。48秒141。以前お前が持っていたコースレコードよりも、速い。自己ベストだな」
「持っていた……か……」
ドーンさんの言葉を受けて、ブレイズが呆然と呟く。
そう――もう過去形だ。
現在このコース、このクラスのレコード保持者は俺だからな。
残酷だけど、これがモータースポーツ。
ブレイズは震える手でヘルメットを脱ぎ、フェイスマスクをはぎ取った。
エルフ用フェイスマスクは、長い耳を収める耳袋が着いているのが特徴だ。
「……ずるい!」
ブレイズの発した叫びは、とても子供らしいものだった。
年齢の割には、大人びている奴だと思っていたんだけどな。
「何だよ! 転生者って! 中身は大人と、同じじゃないか!? そんなのが、幼児のクラスにくるなよ! 競技規則の方が、おかしいんだ!」
うん。
確かに公平とは、言えないかもね。
だからって俺に、大人と一緒に走れって言われても困る。
シートにクッションを敷いて、ペダルに下駄をかませたとしても、小さすぎる俺が大人用マシンに乗るのは非現実的だ。
それに――
「レースってのは、いつも不公平で理不尽なもんだろ?」
ドライバーの腕の差より、マシンの性能差が勝敗に大きく影響したり――
チームの資金力に、差があり過ぎたり――
特定の自動車メーカーが有利になるよう、車両規則が設定されていたり――
不公平、不平等を挙げ始めればキリがない。
そういう世界だ。
でも俺は、そんな世界に魅せられた。
明らかなマシンの性能差を、自らの腕でひっくり返してみせるドライバーが稀にいる。
圧倒的な資金力と人材、研究施設を持つ自動車メーカーチームを、脅かす個人参加チームが存在する。
誰も注目していない遅さと予選順位からスルスルと順位を上げ、ライバル達が次々故障する中ノントラブルで優勝をかっさらったチームがある。
逆に24時間耐久レースでぶっちぎりの快走を見せながら、残り5分でエンジンが止まりゴールまでたどり着けなかったチームも――
吹き荒れる不公平と理不尽の嵐の中で、時折瞬く刹那の奇跡。
その奇跡が俺を――多くの人々を、魅了してやまない。
「うう~。うっうっうっ」
俺の「不公平で理不尽なもんだろう」発言に、ブレイズは泣き出した。
こいつはこの歳で、それを充分に理解しているんだろう。
だからこそ自分が敗北したという事実をキッチリと受け止めて、悔しさを抑えきれなくなってしまった。
今は存分に泣けよ。
思えば俺は地球で子供だった頃、レースで負けても泣いたことなんてなかった。
それだけ必死さが――勝負に対するこだわりが、足りなかったんだと思う。
レースでリタイヤして、泣いているドライバー。
クラッシュして、呆然としているドライバー。
エキサイトして、喧嘩を始めるドライバー。
俺は彼らを見ても、情けないだとかみっともないなんて感情は湧いてこない。
彼らこそレースで勝つことに全てをかけている、レーサー中のレーサーだ。
目の前で泣いているブレイズも、その1人。
「中身が大人の奴に負けたって、悔しくなんかない」
そう自分に言い聞かせ、敗北感を誤魔化すことだってできるだろう。
だけど奴は、それをしない。
自分の前を走るドライバーは、誰が相手だろうと許せないんだ。
それが伝説のレーシングドライバーである、父アクセル・ルーレイロだったとしても。
奴にとって自分の父親は、自慢のパパなんかじゃない。
ぶち抜くべき、最強のライバルなんだ。
やっぱり、お前は凄いよブレイズ・ルーレイロ。
ちょっとばかし、生意気だけどな。
俺の感心をよそに、ブレイズの嗚咽は慟哭に変わった。
さすがにドーンさんが宥めようとブレイズに近づいた時、唐突に知らない少年の声が響いた。
「どうしたのですか? 何でブレイズが、泣いているのです?」
周りを囲んでいた大人達。
その壁が一部開き、1人の少年が姿を現した。
髪の色は、ドーンさんと同じ水色。
くせっ毛のドーンさんと違い、彼はサラりとした直毛のミディアムヘア。
目元も似ているから、一瞬親子かと思った。
だけどそれにしては、彼は華奢過ぎる。
歳は俺より、3つか4つ上かな?
ドワーフ族の血が入っているとしたら、コレぐらいの歳でも筋肉がそれなりに発達しているはずだ。
ドワーフは大人になるまで角が生えないから、断言はできない。
だけど多分、ドワーフではないんだろう。
目元は似ていても、放つ雰囲気は別物だ。
筋骨隆々でヒゲを伸ばし、昔カタギの職人を思わせるドーンさん。
対してこの少年は眼鏡をかけ、子供とは思えない丁寧な口調で話す。
パソコンの前から、離れないってタイプかな?
「おお、ジョージか。そういえば今日、学校は昼までだって言ってたな」
学校か。
このマリーノ国や各国でも一般的なのが、12年課程の基礎学校。
地球でいう小学校から高校までが、義務教育としてセットになっている。
大学や専門学校で初めて受験という制度が出てくるのが、この世界における教育制度の特徴だ。
このジョージ君とやらは、年齢から推測するにベーシックスクールの2~3年生ってところだろう。
「ええ。僕の学年は、もう下校です。それで、お父さん。なぜブレイズが、泣いているのですか?」
マジかよ!?
親子なの!?
お母さんは、エルフかなんかだろうか?
いやいや。
それにしても、この少年は細すぎる。
「えぐっ、えぐっ! ジョージっ! そこにいる、ランドールっていう人間族が……」
おい、ブレイズ! 俺が泣かしたみたいに言うんじゃない!
突然、パリーン! という音が響き渡った。
な――何が起こったんだ!?
なんの前触れもなく、ジョージ少年の眼鏡が割れたぞ!?
誰も、何もしていないよな?
「そうか……。てめえがブレイズを……」
おいおいジョージ。
いきなり口調を変えるなよ。
誰が言ったのか、一瞬分からなかったじゃないか。
「ブレイズを泣かす奴は、俺がゆるさねえ!」
ジョージさーん!
1人称まで、「僕」から「俺」に変わってますよー!
それだけじゃない。
奴は割れた眼鏡を外すと、「変身」を始めやがった。
細かった四肢は突然筋肉が盛り上がり、3倍ぐらいの太さへと変貌する。
胸や胴回りの筋肉も、ボゴォっと盛り上がり始めた。
着ていたTシャツは、パツンパツン。
今にも破けてしまいそうだ。
マッチョ過ぎない?
8~9歳のドワーフって、確かに人間やエルフの同い年よりガッシリしている。
だけどコイツは、絶対規格外だ!
「待て! ジョージ!」
殺気立った息子を、ドーンさんは慌てて止めようとする。
だけど、ちょっと遅かった。
ジョージは猪も真っ青な勢いで、俺に突進してきた。
そして、右拳を振り上げる。
あ、コレはヤバい奴だ。
5歳児が食らったら、死ねる。
すでにヘルメットを脱いでいた俺の顔面を、ジョージの右ストレートが打ち抜く。
俺は3mぐらい、空を飛んだ。