ターン127 どりるの不思議
今日の俺は、レーシングスーツではなくビジネススーツに身を包んでいる。
やってきたのは中央地域、メターリカ市にあるブルーレヴォリューション本社ビル。
その最上階にある、社長室だ。
スポンサーであるマリーさんに、レース結果を報告するためにきた。
「第1戦、スモー・クオンザ7位……。第2戦、セブンスサイン9位……。第3戦、ノヴァエランド8位……。あまり、パッとしない成績ですわね」
快適そうな椅子に座り、報告書に目を通すマリー・ルイス嬢。
なんとも不満そうな表情だ。
「パッとしないとは酷いね。開幕して3戦、今のところ1個も取りこぼしが無いんだよ?」
なんの取りこぼしかっていうと、入賞した時に得られる年間ランキングポイントだ。
レースの種類によって制度は違うんだけど、GTフリークスの場合は10位までが入賞。
順位に応じて、ポイントを獲得できる。
年間王者はこのポイント合計数で決まるから、「優勝するけどリタイヤもしまくる」みたいに安定感のないドライバーだと王者は遠のくばかり。
ランキングを上げるためには、俺がやってるみたいにコツコツとポイントを積み重ねることが大事なんだ。
「スポンサーとしましては、そろそろ表彰台に登るランディ様を見たいところですわね」
「そんな無茶な。俺は、今年デビューの新人だよ?」
「同じ新人のニーサ様は、第2戦で3位表彰台に上がりましたわよ?」
「その代わり、第3戦でクラッシュしてノーポイントだ。ニーサのミスでね」
それもぶつかった相手は同じ、ヤマモト〈ベルアドネ〉。
同士討ちは、ワークスドライバーとしての印象最悪だ。
あれはかなり、チームとメーカーからの評価を下げたんじゃないか?
大丈夫かな? あいつ――
「テレビで観ているとさ、なんだか最近のお兄ちゃんは走りにキレがない気がする。……やっぱり私も、現地で応援しようかしら?」
今日はヴィオレッタも、ついてきている。
せっかくメターリカ市に来たんだから、兄妹そろって実家に顔を出そうと思っているんだ。
「ダメだ。ヴィオレッタは、受験勉強に専念しなさい」
「ぶうー、つまんない。私もGTフリークスマシンに乗るお兄ちゃんを、生で観たいのに」
ふくれるヴィオレッタの他にもう1人、同行してきた奴がいる。
実家が同じメターリカ市にある男、ジョージ・ドッケンハイムだ。
「なんというか……。ランディは、ヴァイさんに頼り切っていませんかね?」
「えっ? ジョージからは、そんな風に見えるのかい? パートナーとして、足を引っ張らないようにしているつもりだけど?」
「そこですよ、そこ」
ジョージの指摘に、マリーさんとヴィオレッタもウンウン頷いた。
そこってどこ?
「以前のランディ様なら、自分がチームの中心になって引っ張っていってましたわね」
「お兄ちゃん。自動車メーカーチームだからって……相方がGTフリークス界のレジェンドドライバーだからって、変に遠慮してない?」
「前世からレースをやってきたランディは、自分よりレース経験が長いドライバーと組むのは初めてでしょう。あてにしてしまう気持ちも、分かりますけどね」
あー、なるほどね。
もっと、自分がチームを勝たせてやるぐらいの気持ちで走れってことか。
だけど、それは――
「開幕戦の時にね、アレス監督が言ったんだ。俺達がやってるのはスポーツじゃなくて、『戦争』だってね。戦争で兵隊が功を焦って、無謀な突撃をしたらまずいだろ?」
「確かに、それはそうなのですけれども……」
「GTフリークスはメーカーの威信と莫大な利益がかかった戦争であるという見解に、異論はありませんが……」
「え~。お兄ちゃんには『兵隊』じゃなくて、戦場を1人でひっくり返す『英雄』になってもらいたいのに~」
俺以外の3人は、納得がいかない表情をしている。
なのでちょっと、リップサービスを入れることにした。
「今季は手堅くいくよ。少しでも走行経験を積むために、事故は絶対避けたい。そして1年かけて充分に経験を積んだら……来年は、チャンピオンを獲りに行く!」
『お~っ』
パラパラと、拍手が上がる。
心がこもっていないように感じるのは、気のせいだろうか?
「まあ、今年は仕方ありませんわね。パラダイスシティGP予選の時みたいに、圧倒的な速さを見せるランディ様は来年までお預けということで」
マリーさん。
よりにもよって、あのレースを思い出すのかい?
あのレースで俺は、スタート直後に1コーナーを曲がり終えることなくクラッシュしたんだけど?
「あ~。あの時のお兄ちゃん、めちゃくちゃ速かったよね。私のトークアプリIDが、賭かっていたから? 女の子がピンチな時は速く走れるっていうんなら、マリーさんが貞操の危機にでも陥ったら本気出すんじゃない?」
「いやですわ、ヴィオレッタ様。過激なご冗談を、おーっほっほっほっほっ」
ヴィオレッタとマリーさんは、笑い声を上げる。
クールなジョージでさえ、唇の端を少し吊り上げていた。
俺も一緒になって笑う。
「はっはっはっ……。それでマリーさん、何を隠しているの?」
余裕のある悪役令嬢スマイルから一転。
ギクリとした表情を浮かべるマリーさん。
「えっ……あっ……その……。別に、ピンチというわけではありませんのよ」
「本当に?」
俺は机をトントンと人差し指で叩きながら、マリーさんの瞳を覗き込む。
――泳ぎまくっているな。
「実は……その……。仕事の関係で、石油王と呼ばれる『モトリー』の社長と会う機会がありまして……。そこのご子息が……」
――デイモン・オクレール。
燃料から潤滑油、衣類の原料まで、石油製品を幅広く扱うメーカー、『モトリー』の御曹司だ。
実はこのドラ息子、GTフリークスのドライバーだったりする。
親の金に物をいわせてヴァイキーワークスのシートを買ったとか言われているけど、新人テストに合格したんだから最低限の速さはあるんだろう。
「……言い寄られてるの?」
「……はい、何度もしつこく」
「ふーん、面白くないな」
俺の発言に、ヴィオレッタがぎょっとする。
そしてマリーさんは――
なんでちょっと、嬉しそうなの?
「女性にアプローチをかけるなとは、言わないけどさ……。マリーさんは仕事の関係上、無碍に断れないことも分かってるはずだ。それなのに何度も言い寄ってくるなんて、フェアじゃないよ」
「あ……。そっちですのね」
マリーさん、今度はなんだか残念そうだ。
「石油王の息子なんてワガママだろうから、何かしでかさないか心配だな。ベッテルさんやキンバリーさんから、離れちゃダメだよ? 2人っきりで会ったりするのも危険だ。絶対に、しないこと。いいね?」
マリーさんは、首を縦に振らなかった。
代わりに頬をツゥーっと、ひと筋の汗が流れる。
おいおいおいおい。
まさかすでに、手遅れとか言うんじゃないだろうな?
「だ……大丈夫ですわ。ワタクシと2人っきりでデートしたいと仰ってきましたが、条件として無理難題を吹っかけてやりましたの」
い――嫌な予感。
怖いから、続きを聞きたくない。
「次のGTフリークス第4戦、アンセムシティ。ワタクシが資金援助しているランドール・クロウリィより前でチェッカーを受けられたら、デートしても良いと……」
「あちゃー」
ヴィオレッタといい、ウチの女性陣はなんでそんな無謀な賭けをしたがるんだよ?
これは、お説教が必要かな?
「だって、あのドラ息子……。ランディ様のことを、『大したことないドライバーのくせに、〈サーベラス〉の性能がいいから上に行けているだけ』なんて言いましたのよ? ワタクシ、悔しくて……。確かに今年の〈スティールトーメンター〉は、かなり遅いですけど……」
「遅かったね、第3戦までは」
「えっ? それは、どういう意味ですの?」
俺とジョージは、顔を見合わせる。
これを伝えると、マリーさんが不安になるだけかもしれない。
だけどいずれは、分かってしまうことだしな。
俺の代わりに、ジョージが説明を始めた。
「マリー社長。実は第4戦から自然吸気エンジンのエアリストリクター径と、RR車の最低重量が見直されることになったんです」
まずエアリストリクターっていうのは、エンジンの吸入空気量を制限する部品だ。
GTフリークスマシンはこれによって、どの車も大体700馬力ぐらいに調整されている。
排気量の大小や、ターボの有無に関係なくだ。
ところが今年ふたを開けてみれば、どうもターボ無しのNA勢が遅い。
ターボ車に、有利過ぎるんじゃないのか?
NA車の規制を、もっと緩めるべきなんじゃないのか?
――なんて、言われ出した。
もちろん言い出したのはNAエンジンを使うレイヴン、ヴァイキー、ナイトウィザードの3社だ。
ターボエンジンを使う俺達タカサキ勢や、ニーサ達ヤマモト勢はこのままでいいじゃんって思ってるんだけど。
かくしてNAエンジンを使っている3車種は、第4戦からエアリストリクターの径がちょっと大きくなる。
もうひとつ、RR車の最低重量見直し。
RRっていうのは、リヤエンジン・リヤドライブの略。
車の後ろの方――乗用車でいうトランク辺りにエンジンがあって、後輪を駆動する方式だ。
ヴァイキー〈スティールトーメンター427〉が、このRRを採用している。
駆動輪に荷重がかかるから、路面を蹴るトラクション性能は2輪駆動最強。
それにハードなブレーキングをする時は、前後重量配分が50:50になってバランスがいい。
その代わりお尻が重すぎて、操縦性に癖があるという欠点もあるけど。
このRR車は、俺達の〈サーベラス〉みたいにエンジンを後部座席辺りに置くMRよりはレースに不利。
そしてニーサんところの〈ベルアドネ〉みたいな前置きエンジンのFR車よりは、有利だとされている。
だからGTフリークスマシンの最低重量は駆動方式によって、
FR車 850kg
RR車 875kg
MR車 900kg
と、車両規則で定められてきた。
ところがこれもヴァイキー社から運営団体にクレームが入って、FR車と同じ850Kgに改正されるっていうんだ。
RRはエンジンが邪魔で、車体後部底面の空力部品――リヤディフューザーの改造に制限がある。
だからそんなに、有利じゃないぞ。
せめて重量を、軽くしてくれって主張だ。
「えっと……その……つまり……?」
マリーさんは意味が分かっていないようなことを言ってきたけど、これは分からないんじゃなくて分かりたくないんだろうな。
スポンサーや監督、チームオーナーという形で散々レースにかかわってきたマリーさんは、マシンの技術的なこともそれなりに理解しているんだから。
「ようするにデイモン・オクレールが乗る〈スティールトーメンター427〉は、次戦からエンジンパワーが上がる上に車重が軽くなります」
「この意味が、分からないマリーさんじゃないよね? かなり速くなるってことさ」
「おほ……おほほほほ……」
椅子の背もたれに預けた、マリーさんの体がずり下がる。
俺は確かに見た。
マリーさんのトレードマークである、縦ロールヘア。
その巻き数が、減る瞬間を。