ターン126 怪物達のオーケストラ
「1分22秒609だあ~? ランディ、22秒ぐらい切れよ」
予選アタックを終えた俺がピットに戻ってくるなり、ヴァイ・アイバニーズさんは不満そうに言ってきた。
「22秒切ったら、そりゃもうコース最速記録じゃないですか」
「予選なんてもんはな、毎回コースレコード出すつもりで走れ」
そんな無茶な。
路面コンディションとか、マシンのセッティングが決まっているかとか、その年の車両規則とかでタイムは変わってくるもんだ。
コース最速記録なんて、毎回出るわけがない。
「そこまで悪いタイムじゃないでしょう?」
俺が出したタイムは参加30台中、10番手のタイムだ。
「たしかに悪くはねえ。だが、良くもねえ。お前の彼女なんて、今んところ3番手だぞ?」
彼女?
誰のことだ?
さーべるちゃんか?
タイミングモニターに表示されているカーナンバーとドライバー名を見て、ようやく誰のことを言っているのか気付いた。
「ニーサ・シルヴィアは、彼女なんかじゃありません」
「そうかい。どっちにしたって、負けてんのはカッコ悪ィだろうが」
「決勝で、上に行くのは俺達ですよ。ニーサが乗る〈ベルアドネ〉1号車は、明らかにセッティングが決まっていない。暴れるマシンを、無理してねじ伏せている」
「それでもタイムが出てんだから、決まってないとは言えないだろ?」
む――むう――
普通だとレーシングカーってやつは、外から見ても安定感ある綺麗な走りができている方が良いタイムが出る。
スライドしまくるマシンを逆ハンドルで抑え込んで走るのは、一見攻撃的で速そうに見えるけど実は遅い。
でも、たまにいるんだよな。
暴れる車で、意味不明な速さを見せるドライバーが。
ニーサもそういうタイプなのかな?
「しょうがねえな。いっちょオレが、コース最速記録を叩き出してやるか」
ヴァイさんは愛用のドリンクを飲み干すと、さっさとマシンに乗り込みコースへと出て行った。
さすがのヴァイさんも、その時のアタックではコース最速記録なんて出なかったさ。
それでも7番手のタイムを叩き出し、スーパーラップへ進出。
午後から行われたスーパーラップでは、本当にコース最速記録を更新して7番グリッドを獲得。
そう。
コース最速記録を更新したのに、7番手だ。
上位8台までがコースレコード更新というエースドライバー達の化け物っぷりを、俺は見せつけられることになった。
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日曜日
GTフリークス第1戦
スモー・クオンザサーキット
12:30
決勝開始前
ピットの中で暖気中の36号車、〈ロスハイム・ラウドレーシングサーベラス〉。
ライムグリーンの魔犬は腹に響くアイドリング音を轟かせながら、狩場に解き放たれる時を待っていた。
マシンの横には、スタートドライバーを務めるヴァイさん。
チーフエンジニアのタイジー・マークーンさんと、最後の打ち合わせ中だ。
ヴァイさんは装備一式を身に着け、後はヘルメットを被るだけという状態。
俺の方はというと――
ビビっていた。
折り畳み式の椅子に腰かけ、精神を集中しているようなフリをしている。
けれども実際には、ただただビビっているだけだ。
俺の出番はレース後半。
レース直前にもちょっとだけウォームアップで走るけど、出番といえるようなものはまだまだ先。
だというのに、この緊張。
自分でも、呆れてくる。
「よう、ランディ。ビビってんのか?」
打ち合わせを終えたヴァイさんが、話しかけてきた。
この人はいつも視線をキョロキョロと動かして、スタッフ達の様子を気にかけてくれるんだよな。
考えていることがダダ漏れな俺の体質は、ワークスドライバーになっても変わらない。
強がってみせても、無駄だな。
「そりゃあ、ビビりますよ。GTフリークスって、メチャメチャお客さん入るじゃないですか。練習走行から決勝を通して、毎レース40万人ぐらい」
この数字は、俺が前世で憧れてたF1の日本GPより多い。
GTフリークスでは、ホームストレートにある巨大なグランドスタンドは超満員。
コースの至るところに設置された、他のスタンドもいっぱい。
コースを取り巻く金網には、外の景色が見えなくなるぐらいビッシリお客さんが張り付いている。
朝のウォームアップ走行では、動物園で人気な猛獣の気分を味わった。
「特にグランドスタンドにいる、タカサキの応援団。ありがたいけど、プレッシャーが凄いです」
グランドスタンドには、各メーカーの応援団席が予約されている。
しかもこのスモー・クオンザサーキットは、タカサキの本拠地。
近くにある乗用車の生産工場や、部品を製造する下請けメーカー、新車販売ディーラーなどから大勢の社員が応援に動員されている。
この応援は社内行事で、強制参加だそうだ。
「俺の休日を潰しておいて、負けたら絶対に許さねえ」
「GTフリークスの戦績次第で、〈サーベラスMarkII〉の新車売上台数が変わってきちゃうんだよな~」
「下請メーカー社員である私のお給料は大したことないのに、タカサキ本社はこんなことに何十億モジャも使っているのね。せめて勝ってもらわないと、納得できないわ」
そんな声が、聞こえてくる気がする。
実際ラウネスネットの掲示板とかに、こういう内容が書きこまれているのを見たことがあった。
「まあ、ビビって当然じゃねえか? あの鬼気迫る応援団を見て全くビビらねえ奴は、責任感の欠如したサイコパス野郎だぜ」
「ヴァイさんも、プレッシャーを感じたりするんですか?」
「……オレは周りの人間から思われているよりずっと、内心はビビってるよ」
意外だった。
――ヴァイ・アイバニーズというドライバーは、プレッシャーをものともしない強靭な精神力を持っている。
――どんな逆境でも薄ら笑いを浮かべながらコースに飛び出していき、結果を持ち帰る。
そんな、無敵のヒーローだと思っていたから。
「全然そんな風には見えない。何か、特殊な精神コントロールの方法でもあるんですか?」
俺の問いに、犬歯を剥き出し笑顔を浮かべたヴァイさん。
彼はレーシングスーツのファスナーを少し下ろし、首元からロケットペンダントを取り出す。
中には、女性の写真が入っていた。
目尻の少し下がった、優しい顔立ちの人間族。
楽し気な笑顔を、写真の中からこちらに向けている。
「お守りだよ、お守り。最高の女が自分の走りを見守ってくれてると思うと、プレッシャーより張り切る気持ちの方が上回るってもんだろ?」
「あっ……」
一瞬、返答に詰まる。
俺は知っていたから。
その女性――
ヴァイさんの奥さんであるジョアンナ・アイバニーズさんが、10年前に病気でこの世を去ったことを。
「おっと、変な気を遣うなよ。彼女すらいないお前と比べると、いちどは結婚したオレの方が何百倍も幸せ者なんだからな」
ああ――
この人、優しいな。
俺が反応に困ってるのを見て、こんな冗談で気を紛らわせてくれるとは。
ところがそんな優しいヴァイさんと比べるとちっとも優しさが感じられない男が、通り抜け様に余計なことを言ってきた。
ジョージ・ドッケンハイムの野郎だ。
「ヴァイさん。ランディは特定の彼女こそいませんが、4股かけている最低野郎ですよ」
『なにぃいいいいいっ!?』
また、こういう反応か。
いや。
リニアモーターカーの時と違って、怒り声の割合が凄いな。
ヴァイさんだけでなく、ピットにいたスタッフ全員が驚く。
いつも冷静なアレス・ラーメント監督まで、いま確かに叫んだよな?
「お……おいおいジョージ。人聞きの悪いこと言うなよ」
「君がいつまで経っても、誰か1人に決めないからいけないんです。ルディかマリー社長かニーサか、いい加減はっきりさせなさい」
――ん?
4股って言ったのに、1人足りなくないか?
っていうか、ニーサを入れるな。
あいつは敵だぞ?
「ランディ……その……チームとしてはドライバーの恋愛にまで干渉はしたくないが、4股は少し自重してくれないか? 特にマリー・ルイス社長は、大事なスポンサーでもあるわけだし」
「アレス監督まで、ジョージのたわごとを真に受けないで下さい!」
なんとか誤解を解きたいのに、スタッフ達からの視線は険しくなる一方だ。
「あー、ちっくしょう! ものすげえ気になる話題なのに、もうコースオープンの時間だ。いいか、ランディ。レースが終ったら、その話は詳しく聞かせてもらうからな」
ヴァイさんは、残念そうにヘルメットを装着しながら続ける。
「オレが全車5周ぐらい周回遅れにして戻ってくるから、お前も同じぐらい周回遅れにしろ。それで普通より10周早い時間でレースを終了して、話の続きができるぜ」
「そんな大差、ユグドラシル24時間のGT-YDマシンを持ってきてもつけられませんよ」
「馬鹿野郎。やりもしないで、できませんなんて言うんじゃねえ。やってみてから、『やっぱりできませんでした』でいいんだよ」
「本当にそれでいいのか?」なんて思ったけど、これはヴァイさんが俺の緊張を解そうとしてくれているんだな。
「分かりましたよ。ベストを尽くします」
「んー。まだちょっと、反応が固えな。まあいい、ちょっくら行ってくるぜ」
そう言ってヴァイさんは〈サーベラス〉に乗り込んだ。
自走ではなく、スタッフ達に押されてピット前まで出る。
そこでマシンは、斜めに停められた。
作業が遅れている数台を除いて、参加車両はほとんど出揃っている。
「……時間だ」
俺の隣で、アレス監督が静かに呟く。
言い終わるとほぼ同時に、ピットロード出口の信号が赤から青へ。
――コースオープン。
レース開始前のウォームアップを行うために、怪物達の群れはコースへ出てゆく。
ピットロード出口まではスピードリミッターが効いているから、獲物に忍び寄るようにゆっくりと。
速度測定ラインを越えた瞬間、ドライバー達はスピードリミッターをカット。
多種多様な音色――
それでいて一様に爆音な排気音を響かせて、獰猛に加速していく。
今年GTフリークスに参戦している車両は、5メーカー5車種。
各車種ごとに6台で、合計30台。
まずはチューンド・プロダクション・カー耐久時代に、何度もやり合ったレイヴン〈RRS〉。
GTフリークス仕様は、完全な別物だ。
市販車の原型がほとんど残っていない、空力の化け物。
車というより、航空機然としている。
後部座席の辺りに搭載された3.5ℓV型8気筒自然吸気エンジンは、700馬力を得るには少々排気量が小さい。
なので、ブン回してパワーを絞り出していた。
毎分10000回転オーバーの甲高い排気音を響かせて、矢のようにコース上へと飛び出していく。
続いてヤマモト〈ベルアドネ〉。
これもTPC耐久やノヴァエランド12時間に出ていたGT-B仕様とは、かけ離れた化け物になっている。
特にボンネットの空気排出口は冷却効果とダウンフォースを追求した結果、肋骨を連想させるホラーなデザインになってしまっていた。
おかげでラウネスネット上でのあだ名は、「骸姫」という禍々しいものだ。
マッシブなデザインで、かっこいいスーパーカーなんだけどね。
車体前方に搭載されるエンジンは、3.5ℓV型6気筒ツインターボ。
地響きを起こすほどの重低音を轟かせ、大柄な車体を瞬時に加速させる。
3台目は海外メーカー。
ハーロイン国よりやってきた、ヴァイキー〈スティールトーメンター427〉がコースインしていく。
エンジンは4.2ℓ水平対向6気筒ターボ無し。
金属質な、高回転音が特徴だ。
丸みを帯びた車体の後部にエンジンを搭載する、リヤエンジンリヤドライブレイアウト。
俺達の〈サーベラス〉やレイヴン〈RRS〉みたいなミッドシップエンジンよりも、さらにエンジンが後ろにあるってこと。
エンジンの重みで後輪がしっかり地面に押し付けられるから、蹴り出し性能は2輪駆動最強だ。
その駆動力でピットロードのアスファルトがめくれるんじゃないかと思うようなダッシュを見せ、ピットアウトしていく。
4車種目は、ブレイズのいるハトブレイク国からやってきたスーパーカー。
ナイトウィザード社の〈シヴァV12〉。
直線的でのっぺりした、とにかく低いフォルム。
横長長方形のヘッドライトと、線のように細長いテールランプがサイバーな雰囲気を振りまいている。
7ℓV型12気筒という巨大な自然吸気エンジンを、ミッドシップに搭載。
ピットロードではバリバリとした排気音だったのに、コースインしてエンジンを回し始めると美しい高音に変化する。
まるで管楽器だ。
大排気量+多気筒だけあって、直線の伸びは凄まじい。
あっという間に、1コーナーへと消えて行った。
「この怪物みたいな4車種を、俺達のタカサキ〈サーベラス〉で相手にしないといけないんだよな……」
魔犬の咆哮とでも表現すべき荒々しいターボサウンドを響かせて、コース上に飛び出していくヴァイさんのマシン。
その後ろ姿を、俺は腕組みしながら見送っていた。
ナイトウィザード社は車以外にロボ作ってたりとか、そういうことはないです。
ここのエースドライバーはコボルトだとかなんとか。
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