ターン125 ヴァイセンサー
樹神暦2637年3月
GTフリークス 第1戦
スモー・クオンザサーキット
フリー練習走行
今日は3月最後の金曜日。
もうすぐ4月だっていうのに、日差しがあってもまだまだ肌寒い。
まあサーキットってのは、山の上にあることが多いからね。
いまはレーシングスーツのファスナーを、きっちり上まで上げている。
走行後は暑くなって、上半身だけ脱ぐかもな。
俺はサインエリアから、長いメインストレートの奥を見つめていた。
このサーキットの最終コーナーは、アクセル全開で旋回する緩やかな高速コーナー。
GTフリークスマシンともなると、ストレートに入った時点で速度は300km/h近い。
その最終コーナーで、キラリと光が瞬いた。
狼の瞳を連想させる形状のヘッドライトが、猛然と俺の方へ迫ってくる。
ライムグリーンの車体。
屋根上と車体側面、合計3つの吸気口。
ヴァイ・アイバニーズさんがドライブする、〈サーベラス〉だ。
とっくに300km/hを、突破してるっていうのに――
700馬力を誇る2.2ℓ水平対向4気筒ターボエンジンは、まだまだこれからが本番だと言わんばかりに車体を加速させている。
ヴァイさんと〈サーベラス〉が、俺の眼前を通過した。
「うっ!」
信じられない迫力だ。
身長187cm、体重66kgの俺が、走行風圧でよろめいちゃったぞ?
「どうだねランディ、GTフリークスマシンのスピードは。新人テストで走ったセブンスサインサーキットより、このスモー・クオンザは直線が長いからな。迫力も、段違いだろう?」
俺の右隣りから渋いバリトンボイスで話しかけてきたのは、ゴリラ――じゃなかった。
ゴリラの獣人――でもない。
限りなくゴリラに近い人間族。
我らがタカサキ企業チーム「ラウドレーシング」の総大将、アレス・ラーメント監督だ。
「……自分で走っている時はそうでもないのに、他人が走っているのを外から見ると怖くなりますね。本当に俺も、あんなスピードで走ってるんですか?」
「ヴァイも昔、同じようなことを言っていたな。……なに、心配するな。350km/hの世界なんぞ、すぐに慣れる。恐れるべきはスピードではなく、敗北だよ。負ければ来年、この場所にはいられないかもしれないからな。私も君も、ヴァイもだ」
「俺みたいな実績のない新人はともかく、監督やヴァイさんも……ですか。やっぱりモータースポーツの世界って、厳しいですね」
アレス監督は俺の言葉が意外だったようで、一瞬キョトンとした。
だけどすぐに、くつくつと笑い始める。
「モータースポーツ……そうか、スポーツか……。君が今まで走ってきたスーパーカートは若手ドライバー発掘の場であるし、TPC耐久はアマチュアも混じっているからな。まだ、スポーツでいられる。だが、このGTフリークスは……」
なんだろう? この違和感は――
ラウドレーシングはGTフリークスだけでなく、スーパーカートやノヴァエランド12時間にも参戦している。
だから俺は以前から、アレス監督とは何度も顔を合わせる機会があった。
だけどいま目の前に立っている人物は、別人なんじゃないかと思える。
ごっつい外見に似合わない、理知的な言動は相変わらずだ。
だけど今のアレス監督には、底知れない怖さがあった。
――いや、アレス監督だけじゃない。
レイヴンワークスのディータ・シャムシエル監督もだ。
頭上で揺れるキュートなウサ耳よりも、カミソリのように研ぎ澄まされた雰囲気に注意がいく。
他のカテゴリーで会う時と、いったい何が違うっていうんだ?
「我々がやっているのは、スポーツではない。……『戦争』だよ」
アレス監督はそう言って、立ち去り際に俺の肩へと手を置く。
本当に軽く、優しく触れられただけだ。
だけどその手は、ずしりと重く感じられた。
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「おい、ジョージ。ステアリング中心が、出てねえぞ。ラックにかませてある、スペーサーを確認しろ」
ピットに戻ってくるなり、ヴァイさんはジョージにそう注文を出した。
「そんなはずは……。データロガーでは、きちんと真っすぐになってます」
「いいから、見てみろよ」
促され、ジョージは言われた箇所のチェックを始める。
そしてすぐに不具合を発見し、報告した。
「そんな……。確かにギヤ1枚分、右にずれてます」
「オレの言った通りだろ?」
ヴァイさんはそう言って、犬歯を剥き出しにしながらドヤ顔スマイルを浮かべた。
「すみません、僕のミスです」
「いいってことよ。監督と、エンジニア連中に伝えとけ。『レースウィークに入ってんのに、くだらねえ悪戯してんじゃねえ』ってな」
ヴァイさんはカラカラと笑い声を上げながら、パドックへと出て行った。
一部始終を見ていた俺は、ジョージの背中に話しかける。
「どういうこと? わざとステアリングセンターをずらしたの?」
「ええ。実は監督達と、賭けをしていましてね。マシンに搭載されている高精度センサーでも捉えきれないわずかな誤差に、ヴァイさんはちゃんと気づいた。残念ながら、賭けは僕の負けです」
「意外だな。自動車メーカーチームがレースウィークに入ってから、そんな遊びみたいな真似をするなんて……」
「たぶんこれは、デモンストレーションなんでしょう。新入りの僕とランディに、エースドライバーの力を見せつける……ね」
そいつは確かに効果があった。
ヴァイセンサーとでも言うべき、超人的な感覚。
それを見せつけられて、俺には2つの感情が同時に湧き出ている。
「この人と一緒にレースを戦えるんだ」という興奮。
そして、「敵でなくて本当に良かった」という安堵感だ。
「それとランディに対して、『ワークスドライバーならこれぐらいはできるようになれ』とプレッシャーをかける意図もあったんでしょう」
「ジョージに対して、『ミスしたらすぐバレるんだからな』っていう脅しもあったんじゃないの?」
軽口を叩き合いながら、ヘルメットを被り走行の準備を整える。
次は俺の走行だ。
そこでふと、不安に思うことがあった。
「なあ、ジョージ。ステアリングセンターは今、ちゃんと修正したんだよな?」
「さあ? 走ってみれば、分かるんじゃないですか? ランディも、プロドライバーなんですから」
こ――この野郎!
俺まで試す気か!?
その後、フリー練習走行を走った俺のタイムは冴えなかった。
ステアリングが真っすぐになっているのかずーっと気になって、集中できなかったからだ。
無線でジョージが
『ちゃんと真っ直ぐになってますよ』
って言ってきたけど、すっごく気になってしまったんだよ。
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土曜日
AM10:17
予選タイムアタック
俺は〈サーベラス〉のハンドルを握り、タイムアタックに向けてタイヤを温めていた。
そこへ、ヴァイさんが無線で呼び掛けてくる。
『ランディ、よーく聞けよ。オレがどんなに速いタイムを出しても、お前が遅けりゃスーパーラップに進めねえ』
GTフリークスの予選方式は少々特殊で、スーパーラップという方式を取っている。
まずは午前中に、普通のタイムアタック時間が60分間。
そこで速いタイムを記録した上位10台のマシンが、午後からのスーパーラップというものに進出して予選1番手を奪い合う。
このスーパーラップっていうのは、1台ずつ順番に1周だけのタイムアタックを行う予選方式だ。
普通の予選は、時間内であれば何回もアタックしていい。
だけど、このスーパーラップは1発勝負。
極限の集中力が求められる。
そんな重大なパートを担当するのは、当然エースのヴァイさん。
けれども相方である俺のタイムがあまりに遅いと、スーパーラップに進めないルールになっているんだ。
午前中のタイムアタックで、ドライバー2人ともいいタイムじゃないとダメってわけ。
「分かってますよ。足を引っ張るような走りはしません」
『馬鹿野郎。「ロートルより、俺の方が速いです」ぐらい言え』
GTフリークス界のレジェンド相手に、言えるわけがない。
「了解、無線はここまで。アタック入ります」
俺は無線の交信スイッチから指を離し、大きく深呼吸をする。
「さーて……。頼んだぞ、さーべるちゃん」
世間で呼ばれている愛称で、俺は〈サーベラス〉に呼び掛けた。
彼女はターボエンジンの力強い咆哮で応える。
実際には、俺が自分の足でアクセルを踏んだだけなんだけど。
まずは最終コーナーの手前、クランク状に曲がったシケイン。
控えめなスピードで進入し、脱出速度を最優先。
タイムの計測開始は、この後コントロールラインを通過してから。
だけどシケインの立ち上がり速度と最終コーナーでのスピードの乗せ方次第で、次の周のタイムは変わってきてしまう。
極太の後輪が、地面を蹴飛ばす。
しっかりとした蹴り出しだ。
低速なシケインからの立ち上がりなのに、もうダウンフォースが効いているのを感じる。
走行風の力で車体を安定させるダウンフォースは、スピードが乗るほど効くものなのに。
アクセル全開。
タイヤの食い付きとダウンフォースに任せて、俺とさーべるちゃんは最終コーナーを旋回する。
とんでもない横Gだ。
体中の血液が、全部外側に持って行かれる。
それだけの遠心力が掛かっているのに、さーべるちゃんは全く動じない。
路面にビタリと張り付いて、最終コーナーを立ち上がった。
スモー・クオンザ名物、2kmのホームストレートへ突入。
ノヴァエランドなんかも2kmのストレートがあるけど、こっちは手前が高速コーナー。
全開時間は、ずっと長い。
「速度が乗れば、ゴキブリのように天井に貼り付いて走れる」とまで言われる、ハイダウンフォースなGTフリークスマシン。
だけど直線では、その強烈なダウンフォースは空気抵抗になって邪魔だ。
そこでGTフリークスマシンには、こんなハイテク装置が搭載されている。
「DRS、オン」
俺は、ステアリングに備え付けられているボタンを押した。
ドラッグ・リダクション・システム。
ウイングの角度を変化させたり吸気口を閉じたりして、空気抵抗を減らしてしまう装置だ。
当然ダウンフォースも減ってしまうけど、直線を走る時はそんなに必要ない。
ダウンフォースはブレーキの効きや、コーナリングの速さを上げるためのものだからな。
DRSを作動させると、風切音が小さくなる。
鉛みたいに重い大気の壁が、軽くなった。
スピードメーターのデジタル表示が、300km/を超えてなおパラパラと忙しく上昇していく。
このメーターもハイテクで、樹脂製の前窓に情報を直接投影するヘッドアップディスプレイになっていた。
空中に、文字が浮かび上がって見えるんだ。
気分は戦闘機パイロットだぜ。
スーパーカートやTPC耐久時代には、このクソ長い直線でのんびり休憩できていたのになぁ。
せっかちなさーべるちゃんは、あっという間に直線終点まで走り抜けてしまう。
急な1コーナーに向け、352km/hからのハードブレーキング開始だ。
ブレーキペダルを踏むと同時に、DRSが自動解除されダウンフォースが戻る。
空気抵抗によるエアブレーキと、カーボンディスクローターのブレーキが生み出す非常識なストッピングパワー。
それらが合わさり、352km/hから90km/hまで一気に車体を減速させる。
減速に必要な時間は、3秒にも満たない。
体に感じるのは、減速Gというより衝撃。
それも、交通事故級のやつだ。
俺はハンドルに備え付けられたパドルを操作し、ギヤを7速から2速まで連続的にシフトダウン。
コンピューター制御で、自動的に回転合わせが行われる。
1コーナーを旋回。
くるりと向きを変えた魔犬は、700馬力を炸裂させて次の獲物へと飛び掛かる。
1コーナーから2コーナーまでって、こんなに距離が短かったかな?
TPC耐久仕様の〈レオナ〉で走っている時は、短めだけど確かに直線って印象だったのに――
GTフリークスマシンだと、ワープしてしまったような感覚だ。
直線が短いだけじゃなく、コーナーも狭く、小さく、窮屈に感じる。
マリーノ国内で随一の道幅を誇る、スモー・クオンザサーキットだぞ?
スーパーカートで初めて走った時は、広すぎてどういう走行ラインを取ったらいいか戸惑ったぐらいなのに。
昔を懐かしむ暇もなく、俺とさーべるちゃんは再び最終コーナーへ。
外側にある左目の視界が、涙で滲む。
こりゃあ血液が寄り過ぎて、充血しているな。
そういやニーサをピットロードで見かけた時、充血した左目に涙が浮かんでいた。
目の病気かと心配したんだけど、こういうことか。
俺は再びDRSを作動させ、ホームストレートを駆ける――いや。
飛行すると言った方が、しっくりくるほどの速度域だ。
コントロールラインを通過。
アクセルを戻すとアンチラグシステムが効いて、バラバラと機関砲みたいなアフターファイア音が鳴り響く。
さて、タイムは――
この章から先は、登場するレーシンカーにSF的要素が多くなります。
2021年現在、地球のモータースポーツ界で実用化されていない技術も混ざっているので、作者の妄想を信じすぎないようご注意下さい。