ターン123 GTフリークスドライバー
改造ショップ「デルタエクストリーム」の2階にあるアパート。
俺とジョージの部屋からはカーテンが取り外され、家具もなくなっていた。
外からの日差しに照らされて、明るく輝いている。
「さて……。忘れ物は、ないかな?」
この部屋で過ごした思い出を振り返りながら、俺はグルリと回りを見渡す。
何回もチェックしたんだ。
忘れ物なんか、あるはずもない。
それでも部屋を見渡すのは、単に俺が名残惜しんでいるだけか。
俺はフウッと短く息を吐き、荷物の詰まったバッグを肩に担ぎ上げた。
そのままゆっくりと、部屋を後にする。
昔ながらの金属製キーで、玄関のドアを施錠。
廊下に出ると、大家であるヌコ・ベッテンコートさんが立っていた。
「今まで色々と、お世話になりました」
そう言って鍵を渡すと、ヌコさんはニヤリと微笑みながら受け取った。
「世話になったのは、おいちゃんの方だニ。おみゃーのおかげでレースの世界に戻る踏ん切りがついたし、何回も勝っていい目を見させてもらっただニよ」
「それは、俺ひとりの力で成し遂げたんじゃないよ。みんなのおかげさ」
「本当に、いい奴らが揃ってただニ。……寂しくなるだニね」
「これが、今生の別れってわけでもないさ」
3年前――
「ノヴァエランド12時間」で優勝した年。
俺とニーサはブルーレヴォリューションレーシングからチューンド・プロダクション・カー耐久選手権にも参戦し、2回表彰台に登った。
翌年の2635年から2636年にかけては、年間全7戦にフル参戦。
2年連続年間王者を獲得。
クリス君を加えた3人で「ノヴァエランド12時間」に2回挑み、ここでも3位表彰台と2位表彰台を1回ずつゲット。
そして今年――
樹神歴2637年。
俺とニーサは、チームを出ることになった。
アパートの階段を、一緒に下りていく俺とヌコさん。
下りた先には、俺と同じように荷物を背負った連中がいた。
ジョージ・ドッケンハイム。
ニーサ・シルヴィア。
ケイト・イガラシさんの3人だ。
「遅いぞランドール! 何をモタモタしていたのだ! そんな遅さでは、私の敵ではないな」
ニーサは相変わらずだな。
でも――
言葉は相変わらずケンカ腰だけど、口調と表情は柔らかくなった。
「ほう。ニーサはずいぶんと、自信あり気ですね。まあ僕とランディを、甘く見ないことです。昨年王者のヤマモトとはいっても、僕らが出場する以上今年の王座獲得は無理だと思っていて下さい」
「いいえ。今年もヤマモトが、王座を頂きます。ジョージさん。今年の〈ベルアドネ〉は、とてつもなく速いんですよ。テストで乗った時の印象だと、特に低速コーナー立ち上がりでの駆動力が……」
「口軽っ! 自動車メーカードライバーが、そんなんで大丈夫かよ?」
俺の指摘に、慌ててニーサが自分の口を押える。
コイツって自分が乗るマシンを、やたら自慢したがる癖があるんだよな。
「ええな~、みんな同じカテゴリーで。ウチだけ別や……。しかも、モータースポーツの現場やないし……」
ケイトさんは、ちょっと元気がない。
彼女はBRRで〈レオナ〉を手掛けた実績を評価され、自動車メーカーのシャーラに引き抜かれたんだ。
今頃になって、一般企業への就職が決まるとはね。
ケイトさん本人は、
「サラリーマンは嫌や……」
なんてボヤいていた。
だけどヌコさんやヴァリエッタさんの熱心な勧めや、シャーラ人事担当者からのカルト宗教みたいな激しい勧誘に負けちゃったんだ。
かくしてケイトさんは、シャーラ本社のある西地域へ旅立つことになった。
俺、ジョージ、ニーサは東地域への旅立ち。
だからケイトさんだけ、ちょうど正反対の方角へ行くことになる。
「それもこれも、シャーラがGTフリークスに参戦しとらんのがあかんで。参戦するよう、上申したろ。そしたらランディ君もジョージ君もニーサちゃんも、シャーラに移籍してきてな。もちろん、マシン設計はウチや」
「その時を、楽しみにしていますよ」
冷静なジョージのことだから、「貧乏メーカーのシャーラでは、金のかかるGTフリークスなんて無理です」と切って捨てるかと思ったのに――
ジョージはケイトさんの夢物語を、真面目に聞いていた。
なんだか本当に、いつか実現できそうな気もする。
「さて……。それじゃみんな、そろそろお別れだ」
樹神暦2637年3月。
ヌコさんや「デルタエクストリーム」の従業員達に見送られ、俺達は新たな戦場に向け旅立つ。
ケイトさんは、自動車メーカーのシャーラ本社へ。
設計とか開発とか、そういう仕事をするらしい。
今のところシャーラがモータースポーツに復帰する予定はないから、レーシングカーを手掛けることはないだろう。
ニーサはヤマモトのワークスドライバーとして、〈ベルアドネ〉のハンドルを握る。
参戦カテゴリーは、マリーノ国で最大の人気を誇る「GTフリークス」。
このカテゴリーは、完全にプロのレースだ。
アマチュアドライバーや、個人参加チームは一切いない。
マシンは一応、市販のスポーツカーやスーパーカーをベースにしている。
だけど原形を留めないほどに改造されていて、シリーズ名通り異形の怪物と化していた。
それを操るドライバー達も、怪物だと言っていい。
そんな怪物だらけの世界に、ニーサは飛び込んで行く。
そしてそれは、俺とジョージもだ。
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旅立ちから、30分後――
俺とジョージはリニアモーターカーの座席に収まり、くつろいでいた。
ニーサも同じ東地域行きなんだけど、あいつは実家に寄ってから行くそうだ。
なので俺達とは、別行動。
「リニアは快適ですね。自分で運転しなくていいですし」
「同感だね。素晴らしい景色も見れるし、最高さ」
このマリーノ国では、日本の新幹線感覚でリニアモーターカーが走っている。
最高速度は600km/hと、新幹線の約2倍。
俺らレーシングドライバーから見ても、信じられないスピードだ。
スピーディーに目的地まで行けるだけでなく、旅の風景も楽しめるようにできている。
なんと車両の屋根と横の壁が、スケスケの透明だ。
高速走行の騒音が漏れないようチューブ状のトンネル内を走行するんだけど、このトンネルもスケスケ。
以前ナタークティカ国に行く時通った海底トンネル、「マーメイドコーリダー」。
あれと同じ、MKKクリスタルでできているんだ。
だから俺達乗客は、まるで低空を飛んでいるような絶景を拝めるってわけ。
ふかふかのシートに身をゆだねて、快適な旅を満喫しながらね。
今まで国内をレースで移動する時、なんであんまり利用してなかったかって?
運賃も、それなりにするからだよ。
「移動手段がセレブなものに変わったのに、まだワークスドライバーになったという実感が湧かないようですね」
「うーん。実は、そうなんだ。こうして雑誌にも、載っているのにね」
俺が手元で広げていた雑誌は、「GTフリークス公式ガイドブック」。
2637年シーズンに参戦するGTフリークスのマシンやドライバーが、写真入りで載っている観戦ガイドだ。
そのうちの1ページに、バストアップ写真で掲載されている金髪碧眼の若い男。
間違いなく俺だ。
プロフィールにも確かに、ランドール・クロウリィ19歳と記載されている。
4月になれば、もう20歳だけど。
乗り込むマシンの写真も、大きく載せてあった。
タカサキ自動車メーカーチーム「ラウドレーシング」の36号車、〈ロスハイム・ラウドレーシングサーベラス〉。
タカサキ社のミッドシップスポーツカー、〈サーベラスMarkⅡ〉をベースにしたマシン。
屋根上と車体側面に突き出た、合計3つの吸気口がチャームポイント。
巷のスポーツカー好きからは、「さーべるちゃん」の愛称で呼ばれる人気車種だ。
エンジンは2.2ℓの水平対向4気筒ターボ、700馬力。
ライムグリーンの車体には、メインスポンサーである巨大人材派遣会社「ロスハイムギルド」さんの企業ロゴ。
そしてロスハイムギルドさんのシンボルマークである、槍が描かれている。
それと俺個人の持ち込みスポンサーである、「ブルーレヴォリューション」のロゴもマシン各所に散りばめられていた。
今年もマリーさんには、お世話になっております。
そんな写真を見つめているのに、どうしても実感が湧かない。
自分がタカサキワークス――それも国内最高峰カテゴリーである、GTフリークスのドライバーになったという実感が。
2週間前の新人テストで、実際に36号車を走らせたというのに。
「ちょっと心配ですね。そんなにふわふわした精神状態で、年間10戦を戦っていけるのですか?」
「テストの時、タイムはそれなりだったから大丈夫だと思うけど……。この非現実感は、なんとかならないもんか」
「常日頃から、あの目立つライムグリーンのレーシングスーツを着て生活したらどうです? ワークスドライバーだと、実感できること間違いなしですよ」
「本気で言ってる? ヴァリエッタさん並みに、悪目立ちしちゃうんですけど? ……サーキットで着るなら、あの色はかっこいいと思うんだけどね」
ジョージとのやり取りがいつも通り過ぎて、さらに実感が湧かない。
俺だけじゃなくて、両親もこんな感じなんだよな。
ヴィオレッタだけは、
「お兄ちゃんなら、GTフリークスのドライバーになって当然でしょ?」
って、言ってくれたけど――
2月に、参戦体制発表の記者会見まであったのにな。
まあ俺はその席で、思考停止して固まってたんだけど。
ふわふわ感を拭うことを諦めて、仮眠でも取ろうかと目を閉じた時だ。
座席のすぐ横――通路側から、声を掛けられた。
「あの~。人違いだったら、ごめんなさい。ランドール・クロウリィさん?」
驚いて目を開き、声のした方を振り向いた。
そこには、知らない男の子が立っている。
背中には白い翼。
ケイトさんと同じ、天翼族だ。
年齢は、10~12歳ってところか?
「確かに俺の名前は、ランドール・クロウリィだけど……」
怪訝に思いながら返した俺の答えに、男の子は目を輝かせて叫んだ。
「ほ……本物!? GTフリークスドライバーのランドール・クロウリィ選手ですよね!? 今年、36号車に乗る」
えっ?
こんな小さい子が、俺みたいな新人ドライバーを知ってるの?
間違いじゃないので、一応肯定しておくか。
「ああ、そうだよ。今年から乗る、ド新人だけどね」
「わわわっ! 僕、〈ロスハイム・ラウドレーシングサーベラス〉の大ファンなんです! クロウリィ選手のことも、『ノヴァエランド12時間』で優勝した時から、ずっと憧れてて……。それで今年は36号車に乗ってくれるってテレビのニュースで言ってたから、凄く嬉しくって!」
うわー。
この子、相当なレースマニアだな。
いくら国内で最大の人気を誇る、GTフリークスのドライバーだからってな――
俺みたいなド新人、普通は誰も注目なんて――
『なにぃいいいいいっ!!!!』
怒号に近い、驚きの声。
それが車両内の至るところから発せられて、俺は思わずビクッとしてしまった。
甘く見ていた。
GTフリークスと、そのドライバーの人気を。
その後、俺はサイン攻め、写真攻めに遭った。
天翼族の男の子からだけじゃない。
同じリニアの車内にいた、ほぼ全員からだ。
さすがにクタクタになって、席に戻る。
するとジョージが、サラリと言い放ってきやがった。
「どうです? 少しは実感できましたか? 自分がプロの……GTフリークスのドライバーだと」
こ――このドワーフメカニック――
自分も「ラウドレーシング」の一員になるくせに、ずいぶんお気楽な態度だな。
俺はジョージをひと睨みしてからリクライニングシートを倒し、瞳を閉じた。
巨大人材派遣会社「ロスハイムギルド」。
そのはじまりは、冒険者と呼ばれる者達の集まりだったと言われている。
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タカサキのミッドシップスポーツカー、〈サーベラス〉
その名の由来は地獄の番犬ではなく、幼女と共に冒険したゴールデンレトリバーだったとかなんとか。
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