ターン12 リスタート(1)
俺はブレイズのマシンに、接触しそうなほど張り付いた。
そのままS字コーナーを立ち上がり、スピードの乗る裏ストレートへ。
メイン直線ほど長くはないけど、かなりスピードが乗る。
ブレイズを風よけにしているおかげで、直線後半のスピードが良く伸びた。
スリップストリームってヤツだ。
時速80kmを超えた俺達2人の目の前に、きつく曲がったヘアピンが迫る。
さあ、ブレイズ。
空間認識力に優れたエルフ族ご自慢の、遅いブレーキングを見せてみろ。
でないと内側に、マシンの鼻面をねじ込んじゃうぞ?
奴はマシン1台分、内側に寄せてからブレーキングを開始した。
速く走ることよりも、俺に抜かれないことを重視したブロックラインだ。
――かかった!
俺はブレイズと同じ位置まで、ブレーキを我慢する。
シートになるべく体重をかけ、後輪が浮かび上がるのを押さえつけた。
カートはブレーキが後輪にしか付いていないから、浮き上がる前にどれだけ強く減速できるかがキモだ。
床まで踏み抜くような、フルブレーキング。
俺とブレイズは、同じように限界ギリギリまで我慢してからブレーキを踏んだ。
だけどその後通った走行ラインは、対照的だ。
コーナーを曲がっている途中で、1番内側に寄る部分を「クリッピングポイント」っていう。
ブレイズはそのクリッピングポイントを、手前に取ったライン。
俺はクリッピングポイントを、奥に取っている。
ブレイズのがコーナーへの進入速度を上げられるけど、代わりにアクセルオンが遅くなってしまう「突っ込み重視」のライン。
奴は俺に、抜かれたくないからね。
一方で俺が通ったのは、「立ち上がり重視」のライン。
進入スピードは余計に落とさないといけないけど、早くアクセルオンできて脱出加速が速くなる。
そうさ。
俺が狙っていた勝負所は、このヘアピンコーナーじゃない。
次に待ち構えている、左のスプーンだ。
スプーンっていうのは緩く大きく曲がり込んで、走ってきた方角へとまた戻っていくようなコーナー。
日本の鈴鹿サーキットにあるのとかが、有名だね。
ヘアピンほど急カーブじゃないから、そんなにスピードは落とさない。
そもそもこのドッケンハイムカートウェイのスプーンは、手前がスピードの落ちるヘアピン。
あんまりスピードが乗った状態での進入にならない。
幼児用カートならブレーキ不要。
アクセルオフで、ちょいちょいっと向きを変えればOKだ。
普通なら、追い越しを仕掛けられるようなコーナーじゃない。
だからブレイズの野郎も、余裕こいていやがった。
ヘアピンからの立ち上がり速度で勝った俺が外側から並びかけても、「どうせ抜けやしないんだろう?」といった様子。
目線を俺の方に、向けようともしない。
――舐めんな!
俺はブレイズより、コーナーの奥まで突っ込んでからアクセルをオフにする。
おっと、これだけじゃないぜ。
俺はハンドルを抱え込むようにして、体重を右前輪へと掛けた。
こうすると、右後輪がより強く地面に押し付けられる。
接地面積が増えた右後輪ちゃんは、ガッツリと路面を捉えて車の向きをしっかり変えてくれる。
反対に左後輪ちゃんは、いつも以上にサボり気味。
さらにインリフトして、ふわふわに浮く。
そして左後輪ちゃんが仕事をしないせいで、右後輪ちゃんが過労で倒れた。
俺の体内の血液を、みんなまとめて体の右側に押し流すような遠心力。
その遠心力にタイヤのグリップ力が負けて、横滑りが始まる。
ドリフト走行状態ってヤツだ。
素人目にはドリフトって派手で速そうに見えるけど、タイヤが路面を蹴らずに空転している状態だから実は遅くなる。
だけど今は、これでいいんだ。
俺はタイヤ1本分スライドさせながら、内側を走るブレイズに車体を被せる。
光栄に思えよ?
外側から被せるなんざ、相手の技量を信用していないとできないことだぜ?
普通なら、タイヤが滑っていないブレイズの方が速いはず。
だけど被せた俺の車体が邪魔で、奴はアクセルを踏めない。
ここで俺のどてっ腹に追突するような、下手クソでもない。
ヤツの苛立ちと殺気、怒りのこもったエンジン音が左わき腹に突き刺さってくる。
だからってそんなもので、引いてたまるか。
このままダラダラと右後輪を滑らせると、立ち上がりでまたブレイズに抜き返されてしまう。
俺は再び後輪ちゃん達に、バリバリと働いてもらうことにする。
シートに身体を押し付け、後輪に荷重を掛けるとスライドが止まった。
スプーン立ち上がりでアクセルを踏めなかったブレイズよりも、俺の方が加速が良い。
車半分、前に出ていた状態。
だけど徐々に、じりじりとブレイズが遅れ始める。
最終コーナー進入前には、俺の方が完全に前に出ていた。
最終コーナーで鼻面を無理にねじ込んでも、立ち上がりが苦しくなる。
長いメインストレートで抜き返されるから、ブレイズはそんな無駄なことはしない。
また1コーナーや3コーナー、ヘアピンのブレーキングで仕掛けてくるつもりなのかもしれない。
だけど、悪いな――
ここから俺は、1人旅だ。
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■□ブレイズ・ルーレイロ視点■□
「そんな馬鹿な……。いったい、何が起こっているんだ?」
僕は思わず、ヘルメットの中で呟いてしまった。
最終コーナーを立ち上がる。
すると前を行くランドールとかいう人間族は、僕を引き離しにかかった。
コーナーひとつ回っただけで、少しだけど差が開く。
サインエリアに集まっている大人達が、ランドールの奴に派手な喝采を送っていた。
くそ。
なんだか腹が立つ。
お前は大人しく、僕の後ろを走っとけばいいんだ。
いや。
お前だけじゃない。
僕は同世代の誰にも、負けるわけにはいかないんだ。
僕が追う背中は、パパ――アクセル・ルーレイロだけなんだよ。
みんな僕の前から、消してやる。
1コーナーのブレーキングで差を詰めて、3コーナーで内側に飛び込む。
そう決めた僕の目の前で、あいつは不思議な走りをしたんだ。
タイムアタックはやめて、ゆっくり流してる?
一瞬、そう思ってしまった。
ランドールのブレーキングやステアリング操作は、あまりにスムーズ。
とてもタイムアタック中のドライバーだとは、思えなかったから。
マシンも暴れているような挙動は全く見せず、スウーッとコーナーに入っていく。
何だ?
コイツの走り方は?
「攻めている」という雰囲気が、全く伝わってこない。
やる気あるのか?
のんびり走っているなら、僕が得意な遅いブレーキングで差を――
差を――
広げられた!?
何がどうなっている?
わからないけど、これだけは確実だ。
認めたくないけどアイツは――
ランドールは――
僕より速いんだ。
それにしても、なんでそんな走り方でタイムが出る?
そりゃ、雑に操作したらタイムが出ないのは分かっているさ。
でも、アイツの走りは異質だ。
ステアリングの操作量が、異様に少ない。
その時、僕は思い出した。
いつか聞いた、パパの前世の話を。
F1っていう、異世界のトップカテゴリーにいた時のライバルの話。
「音速の貴公子」と呼ばれたパパに対して、ライバルは「教授」って呼ばれていたらしい。
そのライバルのドライビングが、超がつくほどスムーズだったって。
たぶん、僕の前を走ってるランドールみたいに。
パパの宿敵と、同じドライビングスタイルの男。
そんな相手に、負けるわけにはいかない!
負けるわけには――いかないのに――
少しずつ、だけど確実に離される。
おい!
待てよ!
僕を、置いていくなよ!
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■□ランドール・クロウリィ視点■□
5年ぶりに乗ったレーシングマシンだというのに、今日は「声」がよく聞こえる。
エンジンの声。
タイヤの声。
車体の声。
路面の声。
空気の流れや、自分の身体の筋肉達の声まで聞こえてくる。
情報が多い。
身体のセンサー全てが、恐ろしく鋭敏に働いている。
やっぱり、今朝直感した通りだった。
今日の俺は速い。
それも、とびっきりに。
こんなに調子が良かったことは、地球でF3に乗り始めてからはなかったな。
いつからだったろうか?
マシンを支配下に置くことに、固執し始めたのは。
確か全日本F3で、ヨーロッパから来た外国人ドライバー達の速さを目の当たりにしてからだったな。
彼らの野性味溢れる速さとマシンコントロール技術に嫉妬し、憧れた。
なんとかドライビングスタイルを真似ようと試行錯誤したけれど、結局ものにはならなかった。
もちろんプロのドライバーを目指すなら、そういう走り方も練習しておく必要があるだろう。
引き出しは、ひとつでも多い方がいいと思うしね。
ただそれは、当時の俺には合っていなかったんだ。
今ならどうかな?
そういう走り方をしても、それなりにやれるかもしれない。
なんでか理由はよく分からないけど、地球にいた頃より今の俺の方が上手い気がする。
5歳児より下とか、当時の俺には聞かせられないな。
そんな今の俺が、全盛期だった頃のドライビングに回帰している。
マシンを支配下に置くんじゃない。
俺がマシンの邪魔をしないように走る。
俺の方こそ、車の部品。
さあ、マシンよ。
俺を使え。
何だい? タイヤちゃん?
ブレーキで路面に押し付けただけじゃ、まだ荷重が足りないのかい?
俺の体重を使ってくれ。
ドライバーとマシンの重量比が、ほぼ1:1のカートだからこそ意味がある体重移動。
左曲がりのコーナーでは、外側の右タイヤが踏ん張ることで曲がってくれる。
コーナー進入では、ハンドルを抱え込みながら右前輪に。
旋回中は燃料タンクを足で挟んで傾け、右の前後両輪に。
そしてコーナー立ち上がりではシートに体を押し付け、地面を蹴る右後輪へ。
体重移動で、タイヤを強く地面へと押し付ける。
これらの体重移動を、限りなく滑らかに行うんだ。
雑に動いて、車やタイヤをビックリさせてはいけない。
彼女らは今、滑るか滑らないかギリギリの仕事をしているんだからね。
そうさ。
君達には、充分な力がある。
俺が余計なことさえしなければ、更新できる。
ブレイズが持つコース最速記録、48秒247を。
今日のコースコンディションなら、コンマ2秒ぐらいイケるはずだ。
そう確信して、俺はサーキットを駆け抜ける。
芸術のような1周を、完成させるために。
俺がマシンの一部となるように歩み寄ると、マシンの方も色々と教えてくれる。
どういう風に、走らせて欲しいのかを。
それらをフィードバックさせて、より無駄のない走りを追求する。
なんて楽しいんだ。
この1周で終わりなんて、残念だな。
いつまでも、走り続けていたい。
最終コーナーを立ち上がり、メインストレートへと入った。
大人達がサインエリアから身を乗り出し、歓声を上げている。
ちょっと、父さん!
はしゃぎ過ぎだよ!
恥ずかしいなあ、もう――
カートコースの経営者であり、俺のボスになるドーン・ドッケンハイム監督は浮かれていない。
ボスになる「予定」とは言わない。
決定事項だ。
俺には確かに、コース最速記録を破った手ごたえがあった。
俺の体内ストップウォッチは、最近恐ろしく正確になっている。
発信機計測と多少の誤差はあったとしても、48秒2は確実に切っている。
ドーンさんは手に持った旗を静かに構え、俺が近づくのを待っていた。
旗が振られる。
白と黒の市松模様――チェッカーフラッグだ。
『お疲れさん』
上下に振られるチェッカーフラッグは、俺とマシンをそう労ってくれているように感じた。
やったぞ!
これで俺は、この世界でも走れる。
F3時代は喪失する一方だったシートを、実力でもぎ取った。
それがカートの――それも幼児用クラスのシートだったとしても、たまらなく嬉しい。
ここからが俺の――人生のリスタートだ!
俺はヘルメットのシールドを、押し上げた。
レーシングスピードで走っている時は、走行風が強くてシールドを開けたりはできない。
だけど今は、クールダウンでゆっくり走っている。
ひんやりとした風が、心地よい風速でヘルメット内に進入してきた。
火照った俺の顔面と、心を冷やしてくれる。
だけど、心の火照りはまだ収まらない。
俺は右手をハンドルから離し、拳を天へと突きあげる。
「おおおおおおーーっ!」
けたたましいカートのエンジン音すらかき消してしまう音量で、俺は雄叫びを上げた。