ターン114 集う光の精霊達
樹神暦2634年8月。
俺は新型〈レオナ〉――いや。
もう販売開始から半年ぐらい経ったから、現行型と言った方がいいな。
現行型GR-9〈レオナ〉のハンドルを握り、片側4車線の高速道路を走行していた。
この車はヌコさんが個人用として購入した、赤い個体だ。
まったく改造されてなくて、無改造のまま。
たぶんこの個体を、ノーマル保存用にするつもりなんだろう。
GR-9型レオナはピュアスポーツカーなのに、乗り心地もそんなに悪くない。
足回りの完成度が、高いからだ。
むしろこういう高速巡航だと、快適かつ優雅なドライブを楽しめる車だった。
低い重心がもたらす、路面に吸い付くような安定感。
3ローターターボエンジンによる、余裕ある動力性能。
そしてクラッチ操作の要らない、7速セミATのおかげだな。
「〈レオナ〉って、いい車ね。ヌコさんに、感謝しなきゃ」
「そうだな」
俺から見て左側。
助手席のセミバケットシートに収まったヴィオレッタが、楽しそうな声で言ってくる。
マイカーを持たない俺が今回〈レオナ〉でサーキット入りするのは、ヌコ・ベッテンコート監督の指示だった。
俺達ブルーレヴォリューションレーシングは、〈レオナ〉の販売元シャーラの企業チームってわけじゃない。
あくまで個人参加チームだ。
だけどシャーラ本社から車に関する様々なデータを送ってもらっているし、応援もされている。
だから少しでも宣伝になるようにと、俺達ドライバー3人は全員が〈レオナ〉を運転してきた。
ちなみに現行型は1台足りなかったから、ジャンケンで負けたクリス君だけが旧型のGR-4〈レオナ〉だ。
この高速道路は、海沿いを走っていた。
視線を少し左にずらせば、コバルトブルーの海。
そしてその上を飛び交う、カモメの群れが視界に入る。
次に視線を右へとずらせば、今回の戦場である「ノヴァエランドサーキット」が遠くに見えた。
標高約200mの小高い山を装飾するように、極彩色のラインが蛇みたいに走っている。
ラインの正体は、紅白に塗られたサーキットの縁石。
そしてコンクリート壁に掲載された、スポンサー企業の広告だ。
山の麓には、数多くの車が集結しつつあった。
チーム関係者の車や、マシンを運ぶ輸送トラック。
モーターホームは当然として、観客が乗ってきたキャンピングカーとかもかなり多いみたいだ。
木曜日である今日は搬入日で、レースカーが走行したりする予定は全くない。
それでも熱心なお客さんは、今日のうちからサーキット入りする。
「ドライバーより早く現地入りするなんて、みんな熱心だな」
「それだけこのノヴァエランド12時間の注目度が、高いってことよ。参加台数72台。去年の観客動員数30万人。賞金総額2億モジャ……」
ヴィオレッタの言う通り。
このレースはどこの選手権にも組み込まれていないけど、かなりのビッグレースだ。
マリーノ国内のTPC耐久選手権クラス1に参戦しているチームは、ほぼ全チーム参戦してくる。
それ以外にも、世界中のGT-Bマシンが参戦してくるんだ。
このGT-Bマシンっていうのは、アマチュアのお金持ちドライバーに売りつけるよう作られた市販レーシングカーの規格。
これを使ったレースは世界中で人気がありすぎて、自動車メーカーチームがプロドライバーを乗せて参戦してくるようになった。
近年では改良に次ぐ改良で走行性能が上がり過ぎて、アマチュアでは手に余る代物になりつつある。
アマチュア向け規格とはいったい? ――ってな感じだ。
残念ながらシャーラ社は、〈レオナ〉GT-Bなんてものは販売していない。
だから俺達はマリーノGTという、GT-Bと大体同じ速さになるような車両規則に合わせて〈レオナ〉を改造してきた。
これで同じTPC耐久クラス1のマシンとして、レースに出場することができる。
「お兄ちゃん。ちょっと、表情が硬いわね。緊張してる?」
「実は……。そうなんだ」
「分かるわ。このレースには、あの人も参戦してくるしね。でもお兄ちゃんなら、負けやしないわよ」
「そう……かな? なんかさ……。最近俺、何もしてないだろ? マリーさん達が凄く頑張ってくれて、あれよあれよという間にチームやマシンが出来上がって……」
こうして振り返ってみると、ホントに何もしてないな。俺。
「自分の力で、道を切り拓いたわけじゃない。だから俺って、大したことないドライバーなのかもしれないって……」
弱気な発言が気に入らなかったのか、ヴィオレッタは唇をへの字に曲げてしまった。
「お兄ちゃんの女ったらし!」
「は? なんだよ急に?」
「だって、そうでしょ? マリーさんに、ケイトさんに、ニーサさんに……。凄い女の人達が、お兄ちゃんの周りには集まってきているわ」
「ジョージやヌコさんのことも、思い出してやってくれ」
クリス君は――別にいいや。
「じゃあ女ったらしじゃなくて、人たらしね。少しは自分の魅力を自覚しないと、嫌味よ?」
「ヴィオレッタ……。いったい何が言いたいんだ?」
「このチームは、お兄ちゃんが作ったようなものだって話よ。ランドール・クロウリィというドライバーに吸い寄せられて、みんな集まってきた」
「買いかぶり過ぎだよ」
「買いかぶりじゃないわ」
ヴィオレッタは、ひとつひとつ語りはじめる。
俺の走りに夢を見たからこそ、マリーさんは出資してくれたんだということ。
俺がいなければ、ケイトさんはレースの世界に来ていなかったということ。
自分のお眼鏡にかなうドライバーでなければ、ジョージはマシンを見てくれないだろうということ。
なんだかんだで腕を認めてくれたからこそ、ニーサは俺と組むのを了承してくれたんだということ。
「お兄ちゃんが『デルタエクストリーム』で働いてなければ、マリーさんは買収してチームを立ち上げようとは考えなかった。つまり、ヌコさんをレースの世界に引き戻したのもお兄ちゃん」
「そうなのかな? ヴィオレッタにそう言われたら、なんだかそんな気がしてきたよ」
まだちょっと釈然としないところもあるけど、俺はなんとか笑顔を作ることができた。
ヴィオレッタの方も、魅力的な笑顔で応える。
ホント、気立てのいい妹だな。
悪い虫が、近づかないようにしなければ。
ブレイズ・ルーレイロとか。
そんな風に妹の心配をしていたら、バックミラーに影が映った。
追い越し車線を走ってくるのは、パールホワイトのスポーツカーだ。
「おっ。この車と同じ、現行型〈レオナ〉じゃないか」
白い〈レオナ〉は巡行中の俺達に追いつくと、そこで加速をやめて並走してきた。
「お兄ちゃんの知り合い?」
「いや、知らないオッサン達だな」
白い〈レオナ〉に乗ったオッサン達は、やたらとフレンドリーな笑顔を浮かべながらこちらに手を振ってくる。
知り合いでもないのに――
ひょっとして同じ〈レオナ〉に乗っているからってだけで、仲間みたいに思われているのか?
やがて助手席に乗っているオッサンが、俺を指差しながら何やら運転席の男と一緒にざわつき始めた。
何を喋っているのかな?
助手席の男が窓に貼り付き、口を大きく動かして俺に何か伝えようとしてくる。
えーっと。
たぶんこれは、「がんばれランドール」って言ってるな。
「お兄ちゃんのファンなんじゃない?」
「え、マジか? 俺ってスーパーカートのチャンピオンだから、それなりに知名度あるのかな?」
「それもあるだろうけど、ノヴァエランド12時間に1台だけ参戦している〈レオナ〉のドライバーだからじゃない?」
「あー。この人達、レースを観に行く途中なのか」
せっかく応援してくれたっぽいから、俺はサムズアップで応えてみせた。
そしたらオッサンコンビも満面の笑みを浮かべて、親指を立てる。
次の瞬間、白い〈レオナ〉は力強く加速した。
俺が運転する赤い〈レオナ〉を置いて、走り去る。
確かにこの国の高速道路は速度無制限だし、運転も危なげない雰囲気だけど――
あんまり飛ばして、事故るなよ。
「負けられないわね。今回お兄ちゃんは、世界中の〈レオナ〉乗りの代表なんだから」
ヴィオレッタに言われて、ハッと気づく。
これは地球で乗ってきたフォーミュラカーや、カートでは無かった感覚だ。
市販のスポーツカーや高性能車をベースにしたハコ車のレースでは、観客はお気に入りのドライバーだけを応援するんじゃない。
自分が乗っている車や、いつかは乗りたい憧れの車も応援するんだ。
つまり俺達が不甲斐ない走りをすれば、世界中の〈レオナ〉ファンやオーナー達をガッカリさせてしまう。
「余計にプレッシャー掛かっちゃった? 心配しないで。お兄ちゃんは、ひとりじゃないから」
たぶん、自分やチームのみんながついているからと言いたかったんだろう。
だけどヴィオレッタの意図とは違う予想外の援軍が、雄叫びを上げながら登場した。
ロータリーサウンドを響かせながら、何台もの〈レオナ〉が俺達を追い越してゆく。
旧型が多いけど、現行型もいる。
無改造の車もいれば、かなり派手な外見の改造車もいる。
どの車もオーナー達の愛情を証明するかのように、ボディが磨き上げられていた。
色とりどりの宝石たちは整然と隊列を組んで、追い越し車線を走り抜けていく。
「わあ、凄い。20台ぐらいいるわ。〈レオナ〉のオーナーズクラブか何か? みんな、ノヴァエランドサーキットにいくのかしら?」
「……だったらいいな」
たとえ現地まで応援に来てくれなくても、こんなに〈レオナ〉を愛する人達がいるというのはとても心強い。
コースは難攻不落、危険極まりないレイアウト。
敵は世界中から集まってくる、腕利きのプロドライバーや自動車メーカーチーム。
今まで経験したことのない、ハードなレースになるだろう。
だけど――
応援の数だって、今まで経験したことのない多さだ。
俺は、〈レオナ〉オーナーズクラブと思わしき隊列の最後尾についた。
彼らと共に、高速道路を降りるインターチェンジへと車を進める。
さあ、見せてやろうぜ。
この世界で唯一ロータリーエンジンを搭載するピュアスポーツカー、〈レオナ〉の雄姿をな。