ターン11 秘儀! ルーレイロ足
■□ランドール・クロウリィ視点■□
さーて。
ここからは、レースモードだ。
俺に課せられたミッション。
それは前を走るクソガキ、ブレイズの持つコース最速記録を更新すること。
だけどタイムアタックをする前にコイツを抜いておかないと、それどころじゃない。
速いドライバーと競い合えば、速く走れるんじゃないかって?
答えは✕だ。
相手の車が邪魔になり、理想的な走行ラインで走れない。
加減速のタイミングも、ズラさないといけなくなる。
その結果、タイムは遅くなる。
バトルして速くなるのは素人。
普段から、車の性能を限界まで引き出せていない下手クソだけだ。
残り3周しかないと思うと、ちょっと気持ちが焦――
――あれ?
おかしい。
あんまり焦っていない。
俺はこんなに、強靭メンタルの持ち主だったっけ?
20代半ばの美女(ウチの母さんのことだけど)に、粗相したオムツを交換してもらうという羞恥プレイに耐え抜いたおかげか?
あれで、鋼のような精神を手に入れたのか?
なんで焦らずに済んでいるかはわからないけど、これはいい精神状態だ。
「あと3周もあるじゃないか」と、考えられる自分がいる。
よし。
最初の1周は、ブレイズの背中に張りつく。
じっくり走りを、観察させてもらう。
長いメイン直線の奥に、直角に曲がった1コーナーが見えた。
直線スピードが遅い幼児用カートでも、直線終盤での到達速度は70km/hを超える。
ブレーキ無しで曲がるのは、不可能だ。
ドカンと減速する、フルブレーキングが要求される。
1コーナーが迫り、俺の目の前でブレイズ・ルーレイロはブレーキを――
――踏まない?
おいおい?
どこまでブレーキを、我慢するんだよ?
俺は戦慄を覚え、背中がざわりと粟立った。
まだ踏まない。
あんまり突っ込み過ぎると、立ち上がり加速が苦しくなるぜ?
かえってタイムは悪くなるぜ?
俺の心配を背中で感じたのか、ようやくブレイズはブレーキングを開始する。
なんつうハードブレーキングだ!
見えない壁に、激突したんじゃないかって錯覚したよ。
ブレイズは他のドライバーより遥かに短い距離で、マシンを減速させた。
減速の勢いで前輪は地面に押しつけられ、食いつきを増す。
その一方、後輪は浮き上がり暴れようとする。
ブレイズのマシンは、機敏にコーナーの内側へと向きを変えた。
あまりに鋭くて、風を切る音が聞こえそうな動きだ。
ふわりと宙に浮く、左後輪。
奇麗なインリフトだな。
上手いドライバー達は、みんなこういう風にイン側の後輪を浮かせて走る。
そうしないと、奇麗に曲がれないんだ。
レーシングカートは左右の後輪が、アクスルシャフトで繋がっているから。
ブレイズの左後輪が、地面に着いた。
アクセルオンで、後輪が路面に押し付けられたんだ。
――って、そんなタイミングでかよ!?
アクセルオンが、めちゃくちゃ早いな!
ブレイズは限りあるパワーをいち早く路面に伝え、少しでもタイムを削り取ろうとする。
緩い2コーナーをアクセル全開で通過し、急に曲がった3コーナへと駆け抜けた。
ここのブレーキングは、難しい。
手前のコーナーを曲がった時の遠心力がまだ残っている状態から、ブレーキを始めなければいけない。
運転免許を持っている人なら、自動車教習所で習っただろう?
「カーブを曲がりながら、強いブレーキを踏むと危ない」って。
曲がりながらブレーキとか、曲がりながら加速したり。
タイヤってもんは、そういう2つの仕事を同時にこなすのが苦手だ。
すぐに音を上げて、滑り出す。
まったく。
黒くて丸くて不器用な奴め。
だけどそんな不器用な奴を上手く使ってやるのが、ドライバーの仕事ってもんさ。
ブレイズの野郎は上手く横Gを抜きながら、強烈な踏力でブレーキングを開始した。
旋回中ブレーキングとは思えないぐらい、ハードなブレーキングだ。
タイヤの常識を、完全無視。
これじゃ自動車教習所の先生方も、教え方に困っちゃうぜ。
でも、さすがにその強さでブレーキングは――ほら、マシンの尻が滑った。
なんて思ったら、全て奴のコントロール内だ。
最小限のスライドで向きを変えた奴は、アクセルオンで後輪を地面にガッツリ押し付けて加速する。
左、右とS字コーナーになっている区間を、ヒラヒラと華麗に切り返すブレイズ。
まるで、空を舞う燕だ。
暴れようとする後輪を、奴は繊細かつ大胆なアクセル操作で支配下に置いていた。
前へ前へと、車を押し進める。
パワーの掛け過ぎにより、タイヤを空転させてタイム損失してしまったりは全くない。
この独特な、アクセル操作のリズム――
似ているな。
お前の親父、アクセル・ルーレイロに。
アクセル・ルーレイロが地球でF1ドライバーだった頃の車載カメラ映像は、何百回と見たよ。
俺もあんな風に、なりたかった。
こんな年でそこまで親父のドライビングに近づけているなんて、立派なもんだ。
認めるぜ。
お前は凄いよ、ブレイズ・ルーレイロ。
俺やお前の親父みたいに、人生「強くてニューゲーム」のチート野郎じゃないのにな。
俺がなぜこんなにも詳しくブレイズの走りを分析できているのかというと、距離が近いからだ。
俺のマシン先端にあるフロントバンパーと、奴のマシン後端にあるリヤバンパーとの距離は5cm。
2台のマシンがぴったりと前後にくっついた、テール・トゥ・ノーズと呼ばれる状態だった。
背後から聞こえるエンジン音で、俺を振り切れていないのはわかっていたんだろうな。
メイン直線に入った時、ブレイズが俺の方を振り返る。
ヘルメットの奥――フェイスマスクの隙間から覗くその表情は、「なんで振り切れないんだよ!」と言いたげだった。
さて、なんででしょうね?
丸々1周奴のケツを拝んでいたおかげで、走りを比較することができた。
俺がブレイズより勝っているもの、ひとつは筋力。
そしてもうひとつは――
――体重の重さだ。
俺の方が、前を走るブレイズより確実に体重が重い。
デブっているわけじゃないぜ。
俺の方が、筋肉量が多いってこと。
そりゃ、生後半年で歩き始めると同時に――いや。0歳からベビーベッドの上で、身体能力トレーニングを開始したからな。
そんじょそこいらの5歳児とは、鍛え方が違いますよ。
ブレイズも俺より早くカートに乗り始めたんだから、普通の子供よりは鍛えられているはず。
だけどエルフ族って、人間族より筋肉が付きにくいらしいからな。
もっともエルフでも、アクセル・ルーレイロみたいな大人のトップドライバーになれば話は別だ。
細身でも、めちゃくちゃ筋肉質な凄い身体をしている。
この重さなんだけど――普通に考えるなら、レーシングカーってヤツは軽ければ軽いほどいい。
軽ければ、加速が良くなる。
ブレーキが良く効くようになる。
速いスピードで曲がっても、タイヤが滑らなくなる。
タイヤもブレーキも、寿命が長くなる。
燃費も良くなる。
車体の劣化も遅くなる。
いいことだらけじゃん、と思うだろ?
実際レーシングカーって通常は、「1グラムでも軽く」という理念を持って設計されている。
今回俺も、燃料タンクが軽くなる走行終了間際にタイムアタックしようとしているわけだし。
本番のカートレースだと、マシン+ドライバーの重量が規定値に満たない場合重りを積まなければならない。
条件が、公平になるようにだ。
ところが今、俺とブレイズが乗ってるマシンはレンタル用。
性能調整のための重りなんて、積んでいる訳がない。
ブレイズ。
お前も自分の方が、軽くて有利だと思っているんだろ?
でも時には、重さが有利に働く場合もあるのさ。
さあ行くぜ!
エルフ狩りだ!