ターン108 サーキット以上の修羅場があることを知った
新型〈レオナ〉の発表から、1週間後。
「デルタエクストリーム」事務所でのことだ。
ヌコさんの無謀すぎる行いに対して、俺、ニーサ、ケイトさんの3人は驚きの声を上げてしまった。
『3台買っただぁ~!?』
新車のスポーツカーを3台も注文するほど、ウチのお店は羽振りが良かったのか?
一瞬そんなことを考えて、経理担当ニーサ・シルヴィアの方を見た。
だけどニーサは、両手の人差し指で小さくバッテンを作る。
こいつがダメだって言うんなら、本当にダメじゃん――
「心配は要らないだニよ。これからは新型〈レオナ〉に乗ってくるお客さんも増えて、ますます儲かるだニ。そうなった時、新型のノウハウが無いと困るだニよ」
「そりゃあ、そうだけどさ……。3台も要る? ……あっ! ひょっとして1台は、レース車両ベース?」
自分の願望を込めてそう言ってみたけど、ヌコさんは首を横に振る。
「ショップのデモカー用と、おいちゃんの個人用と、無改造保存用だニ!」
パーン! と小気味よい音を立てて、ケイトさんのハリセンが飛んだ。
「あほかー! なんやねん!? その無駄遣いっぷりは! デモカー用1台でええやろ!?」
「嫌だニ! プライベート用とノーマル保存用は、絶対必要だニ!」
「せめて、デモカー用を優先せぇへんか!」
ヌコさんの小さな体に、ハリセンの雨が降り注ぐ。
だけどヌコさんは反省するどころか、どことなく嬉しそうだ。
なんとかっていうマゾい神様を信仰しているみたいだし、そういう趣味なんだろう。
だとしたら、これ以上ケイトさんがどついても効果なしだな。
「どう思う、ニーサ?」
「経営者が購入すると言い出した以上、私達従業員は従うしかあるまい。あの様子だと、死んでもキャンセルしてくれそうにないしな」
ニーサが指差した先には、恍惚とした表情を浮かべるヌコさん。
そして、叩き疲れてハリセンを下ろしたケイトさんの姿があった。
お店がつぶれないように、俺達が頑張って働くしかないな。
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それから2ケ月。
月日は飛ぶように過ぎていった。
新型〈レオナ〉の発表に伴い、旧型の方にも注目が集まってお客さんが増えたんだ。
俺達は日々の仕事に追われて、チューンド・プロダクション・カー耐久選手権へ復帰するようヌコさんを説得する暇も無かった。
これはもう2634年シーズンは、レース参戦を諦めるしかなさそうだ。
だけど3年前にスーパーカートのシートを失った時と比べると、不思議と焦りは湧いてこない。
俺の精神力が少しは成長したのか、今回は車に関わる仕事をしているからなのか――
新型〈レオナ〉が納車されれば、全てが動き出す。
なんの根拠もなく、そんな楽観的な考えでいた。
忙しさにかまけて、思考停止していたのかもな。
だから、対策が遅れた。
予想できた事態だったのに――
いざその場面に遭遇した時、俺はマネキンのように固まる以外の行動が取れなかった。
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3月の終わり。
ある休日の朝だ。
「ランディく~ん、来てもうたで」
ニコニコとした、可憐な笑顔。
肩に眠りフクロウのショウヤを乗せて、ケイト・イガラシ嬢が俺の前に立っていた。
問題は、俺達が今いる場所だ。
ここは「デルタエクストリーム」の事務所でも、工場でもない。
ショップの2階にある、アパート自室の玄関前だ。
つまり俺の背後――部屋の中には、ニーサがいるんだ。
しかも朝のトレーニングを終えたニーサは今、シャワーで汗を流している。
なんだ、この言い訳不可能な状況。
詰んでいるとしか、言いようがない。
前世地球でのF3時代。
エンジニアから
『ごめん、計算ミスった。燃料足りない』
と無線で宣告された時も、ここまで絶望的な気分にはならなかった。
落ち着け。
落ち着くんだぞ、俺。
レーシングドライバーはどんな危機的状況でも、冷静な判断を下さなければならない。
なんとか理由をつけて、ケイトさんと一緒に外へ出かけられないだろうか?
部屋の中にさえ入れなければ、俺の勝ちだ。
「お……おはよう、ケイトさん。今日はどうしたの? お店じゃなくて、アパートの方に来るなんて。あっ、一緒に朝御飯でも食べに行く?」
演技の才能が、水素原子ほどもない自分を呪う。
その誘い方は唐突で、不自然で、あやしすぎるぞ、俺!
「えへへ……実はな……。今日から隣の部屋に、引っ越してきたねん」
――もうダメだ!
隣に越してこられて、誤魔化し通せるわけがない。
女の子と一緒に住んでいる破廉恥野郎と、罵られる未来確定だ。
いや、待て。
レーシングドライバーたるもの、こんな簡単に諦めていいんだろうか?
車が完全に停止する瞬間まで、レースを捨てるな!
今は少しでも長く、ニーサと同じ部屋に住んでいる事実を隠すんだ!
例え1日でも、1時間でも、1分でも長く誤魔化せ!
「えっ、本当かい? もう部屋に、荷物は運んだの? ケイトさんの新しい部屋、見てみたいなあ」
自分でも鳥肌が立つほどに白々しい、俺のヘボ演技。
だけど今日のケイトさんは妙にウキウキしていて、幼稚園児の学芸会を遥かに下回るそれに気づいていない。
「いきなり1人暮らしの女の子の部屋に、上がるつもりなん? まあ、ランディ君ならエエわ。でも、変な真似したらアカンで。ウチにも、心の準備ってもんが……」
ケイトさんが喋っている途中で、俺の背後に気配が生まれる。
「ランドール! シャンプーが、もう残り少ないぞ! 使ったら、ちゃんと補充をしておけ!」
時が止まった。
俺、ケイトさん、ニーサの3人はもとより、いつも眠そうにしているショウヤまで目を大きく見開いている。
最初に口を開いたのは、ニーサだった。
「お……おはようございます、ケイトさん」
やってくれたな、ニーサ・シルヴィア。
共同生活を秘密にするということに関しては、味方だと思っていたのに。
罰として今週の食事当番は、全部やってもらおうか?
いや、今はそれどころじゃない。
何か、何か良い言い訳はないか?
明らかに風呂上りっぽい女の子が、部屋着としか思えない薄着で登場しても不自然じゃない説明はないか?
そうだ!
ニーサの服が、なんらかの事情で汚れてしまったことにしよう。
それでやむを得ず部屋に上げ、シャワーを貸したという設定でどうだろうか?
よし!
それで行こう!
そう決意して口を開きかけた瞬間、ケイトさんの方が先に話し始めた。
「……いつからなん?」
いつからニーサが部屋にいるのか? という意味だろう。
感情の無い、冷たい声。
恐ろしすぎて、口から出かけた言い訳が引っ込む。
「去年の……11月からです」
ニーサ! 洗濯当番も追加!
なんで正直に答えるんだよ!?
「今朝からです。ちょっとシャワー借りただけです」って、なぜ誤魔化さない!
ケイトさんは怒るでも騒ぐでもなく、携帯情報端末を取り出した。
通話アプリを立ち上げ、音声のみの通話モードで誰かと話し始める。
「あーっ、アンジェラちゃん。今、通話大丈夫? 実はな、ランディ君とニーサちゃんのことで話があるねん。え? ちょうどニーサちゃんに会いに、近くまで来とる? ほな、待っとるで」
淫魔族のアンジェラ・アモットさんか。
いつの間に、連絡先を交換したんだ?
彼女は俺のクラスメイトだったし、ニーサの親友でもある。
ケイトさんはアンジェラさんとの通話を終えるなり、次の相手へと通話を試みた。
「あ、マリーちゃん? 堪忍な、忙しいのに。やっぱランディ君の監視を外したの、アカンかったで。エライことになってしもた。……ん? 今から来れるん? 場所は……ああ、知っとるんやね。ほな、待っとるで」
ああ、そんな!
マリーさんにも、知られてしまうなんて!
「シルバードリル」時代も女性問題が云々言ってたし、もう資金援助してもらえないかもしれないな。
そこで終わりかと思いきや、ケイトさんはさらに誰かと音声通話を始めた。
「あーもしもし? ルディちゃん?」
な・ん・だ・と!?
遥か彼方。
ツェペリレッド連合のハーロイン国にいる、ルドルフィーネ・シェンカーと通話だと!?
「実はな、ランディ君があのニーサ・シルヴィアと……え? すぐ来るって?」
嘘だろ?
嘘だと言ってくれ!
っていうかケイトさん、なんでそんなに人を集める必要があるの?
しかも、女の子ばっかり。
「場所はこないだ話しとった、『デルタエクストリーム』や。……30分で来る? 早いな。……ああ。ハーロイン国では、15歳になる歳から運転免許取れるんやったな。ほな、安全運転で」
そうか、ルディは車の運転免許を取ったのか――
なんて、感慨にふけっている場合じゃない!
通話を終え、携帯情報端末をスリープモードにしたケイトさん。
彼女は玄関のドアを開けた時と同じ可憐な――でも、あの時より無機質な笑顔で俺に微笑みかけてきた。
「せめてもの慈悲や。ヴィオレッタちゃんには、秘密にしといたる。ウチも、死人は出しとうないからな」
ふ~っ。
家族に知られるのだけは、避けられたか。
――っていうかケイトさんの中で、ウチの妹はどんな風に思われているの!?
「ほな、ランディ君。お・は・な・し・しよか?」