ターン107 蘇る光の精霊
「チューンド・プロダクション・カー耐久選手権への復帰だニか……」
ヌコさんは腕を組み、目を閉じてしまった。
そして瞼シャッターを開けることなく、ボソリと呟く。
「レースの世界は、もう嫌だニ」
えーっ!?
なんだソレ!?
改造ショップのタイムアタックイベントには積極的だったのに、公式なレース競技を嫌がるっていうのはどういうことだ?
俺が疑問に思っていると、ヌコさんはゆっくりと目を開けてから語り始めた。
「規則書とにらめっこしながら車を作るのは、メンドくさかっただニ。改造屋として、もっと自由にやりたかっただニよ」
ぬう――
クリス・マルムスティーン君と、同じようなことを言っている。
確かに公式なレース競技の世界では、そうなんだよな。
車をめちゃくちゃに改造しているように見えて、実は車両規則でがんじがらめにしてある。
競技の公平性や安全性を保つには、仕方のない部分なんだけどね。
車を作る人としては、面白みに欠けるのかもな。
「それと、もうひとつ。おいちゃんが、レースの世界から撤退した理由……。〈レオナ〉のホモロゲーションが、切れただニよ」
――ホモロゲーション。
市販の自動車をベースにした競技車両でレースに出場するためには、自動車メーカーがこのホモロゲーションという承認を取得しなければならないんだ。
取得のためには、ある程度の生産台数が求められる。
この規則がないと、お金持ち自動車メーカーはエゲツない手段が可能になってしまう。
レースで勝つために、採算度外視の怪物を1台とか2台だけ生産。
それを「普通の市販車です。レース専用設計ではありません」とか白々しいこと言いながらレースに出場させてくるというね。
昔タカサキやヴァイキーが、世界耐久選手権でやらかしたんだよなぁ。
そういうお金ごり押しな戦法を、封じるための規則がホモロゲーションだ。
「そっか……。〈レオナ〉はもう、生産終了から20年も経過しているから……」
「ホモロゲ切れで、国内外の公式レースでは走れないだニ。なんの選手権もかかっていない旧車レースやアマチュアのカテゴリーでは、いまだに第一線で活躍してるだニが……」
「ならさ、他の車種……ヤマモトの〈ヴェリーナ〉あたりで出場するのは? ウチのお客さんでも、〈レオナ〉の次に多い車種じゃないか」
「ヤだニ。おいちゃんは、ロータリーエンジンひと筋なんだニ。お客さんも、ロータリー乗りが中心だニ。普通のレシプロエンジン車である〈ヴェリーナ〉で出場しても宣伝効果は期待できないし、おいちゃんもレースで通用するほどのノウハウを持っていないだニ」
「なら〈ヴェリーナ〉のエンジンを、〈レオナ〉のロータリーに載せ替えて……」
「ブーッ! 車両規則違反だニ。車体と異なるメーカーのエンジンは、積めないだニ」
「そんな……」
八方塞がりじゃないか。
俺やニーサがこのショップから、レースに出ることは不可能なのか?
「ランディもニーサもスーパーカートに戻ったり、TPC耐久に出てる他のチームを探した方がいいだニよ。シートが決まるまでは、ウチで働いてもらいたいだニがね」
そう言うとヌコさんはソファからぴょこんと飛び降り、店外へと出て行ってしまった。
事務所に残されたのは、俺とニーサの2人だけ。
いつもとは違った意味で、気まずい沈黙が訪れていた。
「ヌコさんは、あんなこと言ってたけど……どうする? ニーサはスーパーカートに、戻ろうとは思わないのか?」
「私には……もう、スーパーカートは無理なんだ」
「……? どういうことだ?」
「スーパーカートは、運転席が狭いだろう? だから……その……大きくなった最近では、ハンドルを切るとき邪魔になってしまって……」
「何が邪魔になるんだ?」
「この爽やか無自覚セクハラ野郎め!」
なんでか分からないけど、ニーサは怒って尻尾を振り回してきた。
ニーサの行為こそが、逆セクハラみたいなもんじゃないのか?
また、尻尾を掴まれてもいいのか?
自分でそれに気づいたのか、ニーサは急に冷静さを取り戻して椅子に腰を下ろした。
「まいったな……。私がデルタエクストリームに来たのは、ヌコさんをレースの世界に引きずり戻すという目的もあったのだが……」
「え? そうなのか?」
「ああ。私のお母様……ヴァリエッタ・シルヴィアは、『ロータリーの魔女』と呼ばれた有名な走り屋でな。若かりし頃のヌコさんが改造した〈レオナ〉に乗って、サーキットで活躍したらしい」
ヌコさんの若かりし頃ってのが、想像しにくい。
今でも若いを通り越して、幼く見えるしな。
「それでニーサのお母さんは、ヌコさんにレースをして欲しいと?」
「ヌコさんの腕を買っているし、このショップの常連だったからな。メジャーな世界で、活躍してもらいたいんだろう。だが、この状況では仕方ない。〈レオナ〉のホモロゲ切れなんて、どうしようも……」
「……なくはないで!」
大きな声とともに、お店のドアをバーンと勢いよく開けたのはケイト・イガラシさんだ。
俺のバイト先だった男の娘メイド喫茶に登場した時といい、心臓に悪い登場ばかりだな。この人。
「ケイトさん。お店のドアは、もっとゆっくり開けてよ」
「そんな細かいこと、言うてる場合やないで! ビッグニュースや! ビッグニュース! ついさっき、ラウネスネットに流れたんや! シャーラがやってくれたで!」
ケイトさんはいそいそと事務所のパソコンを立ち上げ、ヌコさんを呼んできて欲しいとお願いしてきた。
俺は言われた通りにヌコさんを連れて、事務所に戻ってくる。
そこには立ち上がったパソコンのモニターを見つめながら、楽し気な笑顔を浮かべているケイトさん。
そしてケイトさんの背後から画面を覗き込み、何かに驚いているニーサの姿があった。
「2人のその表情……。まさか……まさかだニよ? また、いつものデマじゃないだニか?」
ヌコさんは熱に浮かされたように、フラフラとケイトさんの傍へと寄っていく。
「デマやないで! シャーラ公式ウェブサイトでの発表や!」
俺も気になって、パソコンの画面を覗き込んだ。
そこに大きく映し出されていたのは、1台のスポーツカー。
パールホワイトのボディが眩しい。
これが、この車のイメージカラーなんだろう。
最新のスポーツカーらしく、曲面を多用したデザイン。
空気抵抗は、いかにも少なそうだ。
ドアは斜め上に跳ね上げる、シザーズ式。
日本ではガルウイングドアという呼び方が一般的だったけど、実際にはガルウイングとシザーズは別物だ。
吊り上がった、鋭い目つきのヘッドライト。
抜き去っていくとき印象に残りそうな、丸目4灯のテールランプ。
異様に低いボンネットは、コンパクトなロータリーエンジン搭載車である証。
そのボンネット前端には、長い尻尾と翼を持った猫のエンブレム。
そうこれは、光の精霊の系譜に名を連ねるマシン。
「型式はGR-9。20年ぶりに復活する、新型の〈レオナ〉や」
ヌコさんが喜びのあまり「FOOOOOO!!!!!」と叫ぶんじゃないかと思って、俺達3人は身構えた。
だけどヌコさんは「FOOOOOO!!!!!」も「ニャッポリート!」も叫ばず、食い入るように画面を見つめたまま。
「……そうだニか。やっと……やっと新型が出るんだニね」
俺達は、見くびっていた。
ヌコさんが〈レオナ〉に――ロータリーエンジンにかける情熱を。
ヌコさんが乗っている――そしてウチのショップのデモカーでもある先代のGR-4型〈レオナ〉が生産終了してから、20年の長い年月が流れた。
その間も、この人は――
ずっと〈レオナ〉を研究し、時間と愛情を注ぎ込んできたんだ。
だから復活するという嬉しいニュースを聞いても、喜ぶよりも先に感動で胸がいっぱいになってしまったんだろう。
よく見ると、目尻に涙も浮かんでいる。
ヌコさん以外の俺達3人は目くばせし合い、そっと事務所から出た。
感動しているヌコさんの、邪魔をしちゃいけないと思ったのさ。
建物の外に出ると、今夜は月明かりが眩しかった。
なんせこの世界には、月が2つもあるからな。
月を見上げていると、ニーサが隣で白い息を吐きながら尋ねてきた。
「ランドール。貴様はさっき私に、『スーパーカートに戻ろうと思わないのか?』と、聞いてきたな。そういう貴様は、どうするつもりなのだ?」
「俺は……このショップから、〈レオナ〉で、ヌコさんと一緒にレースに出たい」
マリーさんは、もうしばらく時間がかかりそうだしな。
それまでは、ヌコさんと組みたい。
「ワガママな奴め。そんなことでは、いつまでたってもシートは得られないぞ? それにヌコさん自身が、レースは嫌だと言っているのに……」
言葉は否定的だけど、ニーサは面白そうに笑っていた。
「説得してみせるさ。ニーサだって、俺と同じことを考えているんだろ?」
「まあな」
そう言って、俺と同じように月を見上げる。
「ドライバー達だけで、盛り上がるのはずるいで。ウチも混ぜてもらわんと。新型〈レオナ〉の画像を見て、もうインスピレーションが大噴火や。TPC耐久の車両規則に合わせた空力部品……いけるで!」
「ケイトさん、就職活動はいいの?」
「ええねん! 就職なんてせえへんでも! 実は旧型〈レオナ〉用のエアロ販売で、けっこう稼がせてもろうとる。新型のエアロも商品化して、儲けさせてもらうで」
ついに一般企業への就職を、完全に諦めちゃった。
でも、こっちの方がケイトさんらしいかもな。
データエンジニアと空力エンジニア、戦略担当はケイトさんで決まりだ。
ジョージも呼びたいところだけど、「シルバードリル」でポール達のマシンを見るのに忙しいだろうからなぁ――
「やるぞ。明日からじっくりと、ヌコさんを説得する」
俺の言葉に、ニーサもケイトさんも大きく頷く。
「まずはヌコさんに、新型〈レオナ〉を購入してもらわないとあかんな。ショップのデモカーにするにしても競技車両ベースにするにしても、研究しないことには始まらんで」
「大きな出費ではありますけど、今のお店の経営状況なら出せなくはありませんよ」
ニーサはお店の経営状況を、完全に把握してるみたいだからな。
コイツがそう言うんなら、本当に出せるんだろう。
少しずつ、パズルのピースが組み合わさってゆく。
月の背後に、サーキットを駆ける新型〈レオナ〉の幻影を見た気がした。
待っていろよ、TPC耐久選手権。
レイヴン〈RRS〉も、ヤマモト〈ベルアドネ〉も、ヴァイキー〈スティールトーメンター〉も、みんなまとめてぶっちぎってやる。
俺達の〈レオナ〉でな!
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俺達は、見くびっていた。
ヌコさんが〈レオナ〉に――ロータリーエンジンにかける情熱を。
そして経営者にあるまじき、経済観念の無さを。




