ターン106 リベンジ光の精霊
樹神歴2633年12月
メイデンスピードウェイ
空は薄暗く、今にも雪が降り出しそうだ。
レーシングスーツの上からブルゾンを羽織ってるのに、かなり寒い。
鼻から入ってくる冷気が肺に突き刺さり、内側から俺の体を冷やす。
だけどサーキットは、熱気に包まれていた。
ダウンジャケットを纏ったケイトさんが、ピット内のタイミングモニターを見ながら叫ぶ。
「第2区間、マイナスコンマ3! ニーサちゃんが、ランディ君を上回ってきたで!」
「当然だね。まだ車には、潜在能力がある。あれでタイムが出なかったら、クビだよクビ」
ヌコさんとケイトさんが提案した車の持ち込みセットは、相当に決まっていた。
それでも細かいところを微調整していけば、まだまだタイムは縮まる感触がある。
俺はピットから出てピットロードを横断し、コンクリート壁で守られたサインエリアへとやってきた。
我がショップの社長ヌコ・ベッテンコートさんが、ウォールの上からホームストレートを覗き込んでいる。
ウォールの上まで全然背丈が足りないので、オンザ脚立だ。
「FOOOOOO!!!!! ニーサの奴、めちゃくちゃ踏んでるだニ」
「アクセル踏めば、いいってもんじゃないでしょ?」
俺もヌコさんの隣に陣取り、ホームストレートの奥へと視線を向ける。
するとブルーメタリックに塗装された〈レオナ〉が、滑るように最終コーナーを立ち上がってきた。
紅白に塗り分けられた縁石を、目いっぱい使っている。
むう。
悔しいけど、上手いな。
公道用タイヤは排水用の溝が切ってある分、接地面積や剛性が減る。
レース専用の溝無しタイヤに比べると、食い付き力が格段に劣るものなんだ。
なのに、ニーサときたら――
その限りあるグリップを余すことなく路面に伝え、一分の無駄もない加速をして直線スピードを稼ぎ出してやがる。
ブルーメタリックの〈レオナ〉は鋭く大気を切り裂きながら、最新スポーツカー達に負けないスピードで俺とヌコさんの前を通過していく。
赤いヘルメットの中で、ニーサの青い瞳が自信ありげに俺を見ていた。
あんにゃろ――
「最高速は、スーパーカー勢にも負けないぐらい伸びているだニ」
「そりゃ、ヌコさんが組んだエンジンがいいんだよ」
ウチの〈レオナ〉が積んでいる2ローターターボエンジンは、420馬力を発生する。
もっとパワーを上げられなくもない。
だけどエンジンの反応や操縦性、タイヤのグリップとのバランス等を考えると、今の仕様がベストだとケイトさんは判断した。
そう。
ケイトさんが――だ。
ヌコさんはもっと過給圧を上げたロマン仕様にしたがって、俺とケイトさんから却下されていた。
俺にとってターボエンジンの車は、この〈レオナ〉が初めてだ。
前世地球では、1回も乗ったことが無かった。
8月に3ローターターボ仕様の〈レオナ〉に乗った時は、ひどかったなぁ。
アクセルを踏んでもすぐに反応してくれず、遅れて狂暴なパワーが立ち上がる「ドッカンターボ」な性格になっていた。
ものすごく乗りにくくて、俺はターボが嫌いになりそうだったよ。
けれども、今の〈レオナ〉は違う。
まるで大排気量自然吸気エンジンのように、フラットな回転力。
反応遅れを感じさせない、鋭い反応。
そしてターボならではの力強さを併せ持った、優等生へと変貌していた。
このメイデンスピードウェイは標高の高い場所にあって、空気が薄い。
だけどタービンで無理矢理エンジンに空気を押し込むターボエンジンなら、パワーダウンも少ないんだ。
おかげでコーナー立ち上がり加速は凄まじく速く、それによって直線スピードも大排気量車に匹敵する伸びを見せていた。
「2分0秒228。ランディより、コンマ4秒も速いだニね」
ストップウォッチを片手に、ヌコさんは挑発するような表情で言ってくる。
「まだまだタイムは縮むさ。次の走行では、2分を切ってみせるよ」
「お~。頼もしいだニね」
改造車雑誌が主催するタイムアタックイベント、「オプティマスフライングラップ」。
このイベントではまず、午前中にフリー走行枠が1時間ある。
実はこの時間、誰をドライバーとして走らせてもいいルールになっているんだ。
そこでヌコさんは、俺とニーサの両方を走らせてくれている。
良いタイムを出した方が、午後からのタイムアタック本番を担当する――という約束で。
このフリー走行で、まずは最初に俺が走行。
持ち時間は15分弱。
ピットから出て行く周とピットに入る周を計算に入れると、全開で走れるのは2~3周しかない。
限られた走行距離で車に慣れ、データを集め、ヌコさんとケイトさんにセッティング変更の要望を出さなきゃいけないんだ。
――とは言っても、車をいじる時間もほとんど無い。
だから、簡単に作業できる部分だけだ。
俺は1回目の走行後に、リヤウイングの角度をもう1段階立ててくれと要望を出した。
車が良くなるようにセッティングを変えたんだから、ニーサがより良いタイムを出せるのは当然だ。
「さあ、ニーサが入ってくるだニ。今度はランディが、2回目の走行だニよ」
「OK、OK、任せて」
俺はサインエリアから、ピットに戻った。
レーシングスーツの上から着込んでいたブルゾンを脱ぎ、フェイスマスクを着用する。
そこまで準備したタイミングで、ニーサがピットに戻ってきた。
あまり疲労した様子もなく、軽やかな身のこなしで運転席から降りてくる。
奴はヘルメットを外しながら、ケイトさんにマシンの印象を伝え始めた。
「アンチラグシステムは、問題なく作動しています。タービンの回転落ちが全然なくて、乗りやすい。アフターファイアが、バラバラとうるさいですけど」
「それは排気集合管で未燃焼ガスを燃やすシステムだから、しゃーないな。普通ロータリーは構造上、アンチラグは無理なんやで。ウチとヌコさんが、苦労して独自の着火機構を組み込んだんや。うるさいぐらい、我慢してーな」
「もちろん、手間と効果は理解していますよ。すごいシステムです。……それと第2区間S字の立ち上がり、もう少し前側をゆっくり持ち上げたいです」
「わかったで。ダンパーのリバンプ側、ちょい強くしてみるわ」
ケイトさんが作業を始めたところで、ニーサはフェイスマスクも脱いだ。
後頭部で括り、1本結びにしていたプラチナブロンドが揺れる。
「ニーサ、100Rでの駆動力はどうだ? リヤウイング立てた効果は、出てるだろう?」
「悪くない。あそこだけで、コンマ2は稼げただろうな。ランドール、少しはいい仕事をしたではないか」
相変わらずニーサの奴、俺とケイトさんでは喋り方が全然違う。
でも、まあいい。
ニーサ・シルヴィアはクソむかつく奴だけど、大したドライバーだというのも事実だ。
そんな奴から「いい仕事をした」なんて言われると、普段抱く悪感情も少しはマシになる。
「ランドール。第1ヘアピンのCP、泥が掻き出されているぞ。うっかり乗って、スピンするなよ」
上からな言い方なのが気になるけど、内容自体はちゃんとした情報交換だ。
それに俺のシートベルト装着や調整を、ニーサはしっかり手伝ってくれる。
タイムを競い合うライバル同士ではあるけど、協力して速い車を作り上げる仲間でもあるからな。
お互い、そこんとこはちゃんとやっている。
「ランディ君、準備OKや!」
ケイトさんがカーボン製のボンネットを下ろし、ピンで留める。
ピットロードの向こう側――サインエリアからは、ヌコさんが親指を立てたポーズで俺と〈レオナ〉を見ていた。
相変わらず、脚立の住民だ。
「出るよ」
俺は運転席の窓を閉め、ピットロードへと出て行った。
「……お、雪か」
フロントガラスにポツリ、ポツリと水滴がつく。
幸い、路面が濡れてしまうほどではない。
ワイパーを動かせば、視界だって充分だ。
ピットロードの出口まで来た。
速度制限区間が終る。
大きく踏み込んだアクセルに呼応して、エンジンの唸り声が高まった。
――3速。
――4速。
――5速。
6速シーケンシャル式へと換装された左手のシフトレバーを操作し、俺はどんどんギヤを上げてゆく。
変速の瞬間アクセルを戻しても、アンチラグシステムのおかげで過給圧は落ち込まない。
420馬力という数値以上に力強い加速をしながら、俺と〈レオナ〉は走り抜けた。
ちらちらと雪が舞う、メイデンスピードウェイを。
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年が明けて、樹神暦2634年1月。
改造ショップ「デルタエクストリーム」、閉店後の事務所。
ヌコさんは来客用ソファに深々と腰かけ、雑誌を見ながらニヤついていた。
「にゃひひひ……。ニャッポリート」
年不相応に可愛らしいショタ顔が、年相応にいやらしい感じで歪む。
手に持ってる雑誌は、「オプティマス2月号」。
「3位だニよ! 3位! 20年前の車とは思えないタイムだと、記事でも絶賛されているだニ。これでまた、商売繁盛だニ」
ヌコさんが浮かれる気持ちも分かる。
ウチの〈レオナ〉より上位の2台は、ちょっと改造車離れしたマシンだったからなぁ。
本当に公道走れるのか怪しいぐらいイジってあるレイヴン〈RRS〉と、マーティン・フリードマン社の〈エリザベス・ジェノサイダー〉。
何千万モジャもするスーパーカーと反則臭いラリー兵器に負けても、まあ当然といった空気はある。
それ以外の明らかに〈レオナ〉より速そうな最新スポーツカー、スーパーカーの改造車を押しのけての3位だから、実に堂々たる結果といえるだろう。
「……私が乗れば、2位に上がれましたよ」
「言ってろ言ってろ」
机で書類仕事をしながら、不満そうな表情でぼやいたニーサ。
俺は、不敵な笑みを向けてやったんだけど――
――正直、紙一重の差だった。
あの日俺は午前のフリー走行でなんとかニーサよりもいいタイムを叩き出し、午後からのタイムアタック担当をもぎ取った。
タイムは1分59秒776で、ニーサとはわずかコンマ1秒差。
最後のアタックでニーサが他店の遅い車に引っかかっていなければ、俺は負けていたかもしれない。
俺の笑顔にムカついたのか、ニーサはプイッとそっぽを向いてしまった。
奴はそのまま、ヌコさんに話しかける。
「ヌコさん。最近ウチのお店は、全盛期と変わらないぐらいに名前が売れています。部品やオイルのメーカーから、協賛の申し出もきています。これは、チャンスじゃありませんか?」
あっ!
ニーサそれ、俺がヌコさんに言い出そうとしていたんだぞ。
「チャンスって……なんのチャンスだニか?」
『チューンド・プロダクション・カー耐久選手権への復帰!』
完全に、声が揃ってしまったことが不満。
たぶん向こうも、そうなんだろうな。
俺とニーサは、睨み合った。