ターン101 業界の常識
「え……? 無いって……どういうこと? タイヤはともかく、燃料はサーキットの敷地内にガソリンスタンドがあるでしょ?」
「えーっとだニ。燃料とタイヤだけじゃなく、それを買うお金も無いだニ」
ま――マジか!?
ならば燃料代ぐらい、俺が代わりに――って、俺も財布に1000モジャしか入ってないよ!
「ぬ……ヌコさん、確認しますよ? 燃料は、メーター読みで半分ぐらいしか入っていません。だけどそれ以上は、給油するお金がない。タイヤは今履いている、4本で終わり。……でOK?」
「OKだニ」
親指を立てたサムズアップのポーズで、妙に頼もしく応えるヌコさん。
いやいや!
話の内容は、全然頼もしくないよ!
「OKじゃなーい! なんだいそれは!? 新品タイヤでタイムアタックすることも、できないじゃないか!? そんなんで、勝負になるわけがない!」
「にゃニ? ランディ。おみゃーはそれでも、レーシングドライバーだニか? いや、レース競技しかやってこなかったからこその甘えだニね。……いいだニか? 改造車業界では、ものが無い状態が当たり前なんだニ」
なんだって!?
俺が甘いというのか?
くっ――
確かに、郷に入っては郷に従えと言うしな。
「わ……わかりましたよ。なるべくタイヤも燃料も減らさないように走って、なおかつデータも集めてセッティングを煮詰めろと? そして午後からのタイムアタック本番では、いいタイムを出せと?」
「そうだニ。さすがは国内スーパーカート王者だニよ」
ヌコさんはものすごく満足げに何度も頷いているけど、俺には不安しかない。
とりあえず、コースオープンと同時に走り始めるのは諦めた。
燃料もタイヤも足りないのは、明らかだったからな。
待機状態の俺と〈レオナ〉を尻目に、他店のデモカー達は威勢のいい排気音を響かせていた。
青信号と同時に、サーキットへと解き放たれていく。
そんなデモカーの群れを見て、俺は疑問を感じずにはいられない。
――本当に「デルタエクストリーム」の現状が、改造車業界では当たり前なのかと。
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■□ケイト・イガラシ視点■□
7月の終わり、日曜日の午後。
ウチはメイデンスピードウェイのグランドスタンドから、爆音と共にメイン直線を駆け抜ける改造車の群れを眺めとった。
「お~! もう走っとる! 時間的に、タイムアタック3回目のセッションかいな。参加台数も観客も多くて、なかなか賑やかやな~!」
久しぶりのサーキットや。
大学4年生のウチは就職活動があるさかい、「シルバードリル」は辞めとった。
ジョージ君はチームに残って、ポール達の面倒を見とる。
ウチは大学卒業したら、進路はどないしようかな――
まあそんな遠い未来のことを、考えてもしゃーないな。
今は、ランディ君の応援をしよ。
今日は日差しが強いな。
薄手のオフショルとフレアスカートの組み合わせで来たんやけど、ショートパンツとかの方が涼しかったかもしれへん。
こうも気温や路面温度が高いと、ええタイムは出ないはずなんやけどな。
なんでこないな時期に、タイムアタックイベントをやるん?
暑さにダレとったら、スタンド上空を飛んどった眠りフクロウのショウヤがウチに向かって鳴いてきたんや。
「何? ぼちぼちランディ君の車が、通るんやって?」
確かマシンは、青い〈レオナ〉って話やったな。
ストレートの奥に視線を向けると、陽炎の向こうから走ってくる青いスポーツカーがおった。
ラウネスネットで、見たことがある車種やで。
長い鼻先に、低いボンネット――あれが、シャーラ〈レオナ〉やな。
実物を見ると、古臭い車やと思う。
生産終了から、もう20年ぐらい経っとるはずや。
シャーラ社が新型を出すって噂がラウネスネットに流れとったけど、定期的にそういうデマが流れるそうやから当てにはならんな。
〈レオナ〉は昔の車だとは思えへんスピードで、ウチとショウヤの前を駆け抜けたんやけど――
「え? ブレーキ踏むの早うない?」
1コーナーまで残り200m看板の前で、〈レオナ〉のブレーキランプが光ったんや。
そりゃランディ君は、突っ込み番長ってタイプのドライバーやないけど――
これは、ビビり過ぎなんちゃう?
しかもブレーキング中に、何やら車の姿勢が安定せえへん。
フラフラしながらコーナーに進入していって、立ち上がりでもヨタヨタ。
なんやねん? あれ?
コーナーを立ち上がってからずいぶん長い間、駆動輪である後輪の空転が止まらへんかったで。
「……ショウヤ! 行くで!」
ウチは上空におったショウヤを、呼び寄せた。
――ピットへ殴り込みや!
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■□ランドール・クロウリィ視点■□
「はあっ、はあっ、はあっ……。ホントなんなんだよ、この車……」
3回目のタイムアタック――本日最後の走行を終えた俺は、ヌコさんが待つピットへと戻りエンジンを停止させたところだ。
全身から滝のように汗が流れ出ているし、筋肉はパンパン。
おまけに神経もゴリゴリに削られて、裁縫糸よりも細くなってしまった。
くそっ!
地球で初めてF3マシンに乗った時より、消耗したぜ。
転生してからは身体能力チートだったから、ここまで体力的に追い込まれたことはなかった。
震える指でお腹の前にあるバックルを操作し、6点式のシートベルトを外す。
自分のものじゃないみたいにズッシリ重い体を引きずって、俺はなんとか車外へと這いずり出た。
「ぬ……ヌコさん。俺のタイムは43台中、何番手ですか? 少しは順位が、上がりましたか?」
「残念だニが……。ひとつ落として、ケツから2番目だニ」
全身の力が抜けた俺は、〈レオナ〉のボンネットに突っ伏してしまった。
まあ、覚悟はしていたさ。
あんな走りで、タイムが出るはずがない。
ブレーキング中だろうがコーナーへの進入中だろうが立ち上がり加速中だろうが、どこでも車が暴れる。
タイヤの接地感は全然ないし、そもそも寿命が終っていて全く食い付かない。
そのくせパワーだけはやたらとあり余っていて、ちょっとアクセルを開けたらすぐにホイールスピンだ。
後輪が空転してお尻をフリフリするばかりで、ちっとも前に進んでくれやしない。
俺の経験不足か?
確かにカートやフォーミュラカーに比べると、市販車をベースにした「ハコ」の運転経験はほとんどない。
でもこないだ「スターダストウェイ」でヌコさんの赤い〈レオナ〉を借りた時は、そこそこ上手く乗れていたぞ?
だいたいこの青い〈レオナ〉は、本当に赤いヤツと同じ車種か?
ターボが付いている上級グレードって話は聞いていたけど、それだけじゃないだろう。
やたらと重量バランスが、悪い気がする。
ボディ剛性も、足りていない。
そういった感想は午前中のフリー走行時に、ヌコさんへと伝えたんだけどね――
「これが改造車ってもんだニ。ドライバーがテクと根性で、何とかするもんだニ」
と言われてしまって、どうしようもなかった。
車高やダンパーの減衰力、タイヤ空気圧は調整してもらえたけど、それだけじゃ車の操縦性は大して改善されていない。
結局俺は、何もできなかった――
無力感に打ちひしがれつつ〈レオナ〉のボンネット上でベチャーっとなっていると、聞き覚えのある元気な声が聞こえてきた。
「ランディく~ん!」
顔を上げると、そこには可愛らしい顔をしたお姉さん。
背中の白い翼が眩しいピンク髪の天使、ケイト・イガラシさんの姿があった。
そういえば、今日のイベントを観にきてくれるって言ってたな。
「やあ、ケイトさん。きてくれた……あだっ!」
今日はケイトさんが翼からハリセンを取り出すところを、正面から見ていた。
だから充分避けられると思ったんだけど、体の方が疲れ果てていて動かない。
結果、顔面に強烈な1発を食らってしまった。
「こないなポンコツ車で走り続けて! 死にたいんか!?」
ちょっと!
ケイトさん!
車を作ったヌコさんの前で、ポンコツはないだろ?
かなり失礼な発言だから注意しようと思ったんだけど、その前にケイトさんがヌコさんをハリセンでしばいてしまった。
2発。
3発。
頭を庇いながらうずくまってしまったヌコさんに、容赦なくハリセンが浴びせられる。
傍目には、児童虐待にしか見えない。
叩かれているのは、38歳のおっさんなんだけど。
いや。
おっさんだとしても、やりすぎだろう。
「や……やめるだニ! 悪かっただニ! ランディなら、なんとかしてくれるかと思ったんだニ!」
――ん?
なんでヌコさんが、謝ってるんだ?
「パワーばっかり出して、車体や足回りが全然ついてきとらんやないか! ドライバーを、殺す気なんか!?」
「あー、ケイトさん。改造車の世界って、どの車もそんなもんなんだって。レーシングカーみたいな、バランスの良さを期待したらいけないんだってさ」
ケイトさんは手を止めて、ジロリと俺を睨んできた。
「ランディ君のドあほ! そんなわけないやろが!? しょーもない嘘に騙されるなんて、勉強不足や! タイム上位のマシンを見てみい! みんなレーシングカーみたいに、バランスがええやろ?」
――あっ。
そう言われてみれば。
エンジンパワーに対して、明らかに足回りが勝っている車もけっこうあったな。
ああいう車なら俺だっていいタイムを出せるのにと思いながら、抜き去っていく姿を羨ましく見送ったもんだ。
「ヌコさん、どういうこと? この青い〈レオナ〉は、欠陥車なの?」
「いや、欠陥車というわけではないだニ。ただ……その……色々と、未完成だニよ」
「せやな、ロールケージも入れとらん。ただでさえ古い車は、ボディ剛性が不足しとるのに……」
ロールケージっていうのは、金属のパイプで組まれたフレームだ。
乗員保護のため、市販車ベースのレーシングカーでは車内にこれを張り巡らせるよう規則で定められている。
今回乗ってるのはレーシングカーじゃなくて改造車だから、装着が義務付けられているわけじゃないけど。
ロールケージは安全のためだけじゃなく、速さにも貢献する。
レーシングスピードで走ると、車体がよじれてタイヤがきちんと接地しなくなる。
それを、防ぐ効果もあるんだ。
この〈レオナ〉に組み込まれていない理由は、組んだらナンバープレートが取得できなくなるからだと思ってたんだけど――
ケイトさんの口ぶりからすると、違うみたいだ。
周りのピットを見回してみれば、他店のデモカーにはみんなロールケージが組み込んであった。
組んでも公道車検通せるのかよ――
「お金が……お金が無かったんだニ!」
刑事ドラマで追い詰められた犯人みたいに、ヌコ・ベッテンコート容疑者は真実を語り始めた。