ターン100 オプティマスフライングラップ
月曜日。
今日は男の娘メイド喫茶、リンの森でのアルバイトも入っていない。
なので俺は学校が終わった後、自転車でそのまま出かけることにした。
目的地はヌコ・ベッテンコートさんが経営する改造車ショップ、「デルタエクストリーム」。
最近俺は、登校にスクールバスではなく自転車を使っている。
その方が、自由が利くからね。
俺の体力なら、行動範囲はオートバイ並みだ。
自転車だと、妹のヴィオレッタと一緒に登下校できないのがちょっと寂しいけど。
「デルタエクストリーム」の店舗は、俺の住むメターリカ市のお隣ガッデス市にあった。
隣の市ぐらい、どうってことはない。
距離はせいぜい、50kmぐらいしか離れていないからな。
自転車なら楽勝、楽勝。
到着するのは日が暮れる頃になるけど、ヌコさんに連絡したら来てもいいって言ってくれた。
「ランドール、よく来てくれただニ」
作業着姿のヌコさんは、笑顔で俺を出迎えてくれた。
相変わらずちっこい。
お店に1人でいたら、子供が店番をしているようにしか見えない。
他に、従業員はいないの?
ちっこいヌコ社長に対して、お店は想像していたよりも大きかった。
ガラス張りの事務所と、その隣に3つ並んだシャッター。
それぞれ中に整備用のピットや、リフトがあるんだろう。
建物の2階は、アパートになっているみたいだな。
改造ショップの2階になんか住んでて、うるさくはないんだろうか?
整備の音や車のエンジン音が、けっこうするはずだ。
3つのうち真ん中のシャッターには、しっぽが長くて翼が生えた猫のシルエットが描かれていた。
見ていると、なんだか懐かしい気分が湧いてくる。
この猫は、いったい?
「その猫の絵は、〈レオナ〉のエンブレムだニ。おとぎ話に出てくる、光の精霊だニよ」
俺は店の片隅に駐車してある、ヌコさんの愛車に視線を向ける。
なるほど。
赤い〈レオナ〉のボンネットを見れば、確かに同じエンブレムがあった。
猫耳獣人のヌコさんと、何か関係がある絵なのかと思っちゃったよ。
「ランディ。おみゃーに見せたいマシンがあるだ二」
ヌコさんはそう言いながら、猫の絵が描かれたシャッターを開ける。
もちろん開閉は、電動式だ。
ヌコさんの身長だと、上まで押し上げられないからね。
――壊れた時は、どうするんだろ?
工場内には、様々な工具や部品が並べられていた。
ウチの実家クロウリィ・モータースと、雰囲気が似ている。
設備や工具、置いてある部品はさほど変わらない。
あっ。
でも馬力や燃費を測定するシャーシダイナモは、ウチの工場に無いな。
さらに見渡すと作業台の上に、見慣れない部品を発見した。
「ヌコさん。これってなんです?」
俺が指差したのは、金属製の枠。
形は繭型をしていた。
「おみゃー本当に、ロータリーエンジン知らないだニね。それはローターハウジングっていうだ二。ほれ。棚の上にある、あの模型を見るだ二」
指差された先を見れば、電動で動く模型があった。
ローターハウジングの中で、おむすびのような部品が偏心しながらクルクル回っている。
「あ~。そういえばこういうエンジン、何か自動車工学の本で見た気がする」
「地球のル・マン24時間とかいう、でっかいレースでも勝っているエンジンだそうだ二よ?」
ル・マン24時間は、フォーミュラしか興味なかった俺でも知っているビッグレース。
F1のモナコGP、アメリカのインディ500と並んで、「世界3大レース」と呼ばれているんだ。
「今から30年前。そんなロータリーエンジンを積んで『ユグドラシル24時間』を制したのが、この〈レオナ〉だ二!」
ヌコさんがぽんぽんとボンネットを叩いて見せる〈レオナ〉は、先程工場の外に停まっていた赤い個体とは別物。
ボディはブルーメタリックに塗装されている。
リヤには巨大なスポイラー。
フロントやサイドにも、周囲を威嚇するようなゴツい空力部品が装着されている。
オーバーフェンダーによって、車体の全幅は広げられていた。
それに収まるタイヤも太い。
エアロのデザインが、少々暴走族っぽいのが気になるな。
「この青い〈レオナ〉、サーキット専用ですか?」
「一応、ナンバープレートはついてるだ二。車検対応の車しか出場できないイベントに、参加するための車だ二」
地球の日本国と同じく、このマリーノ国でも公道を走るための車検が存在する。
だけど日本のものと比べると格段に規制が緩く、過激な改造車も数多く走っているんだ。
「走り屋向け改造車雑誌『オプティマス』が主催するタイムアタックイベントが、再来週にメイデンスピードウェイであるだニ」
ほ~う。
メイデンスピードウェイといえば、俺の住むメターリカ市にある。
スーパーカート時代に所属していた、「シルバードリル」の本拠地。
路面のヒビ割れひとつまで把握している、俺の庭と言っても過言じゃないサーキットだ。
「そ・こ・で・だニ。ランドール。おみゃーこの〈レオナ〉で、そのイベントに出場してみないだニか?」
「ふむ。そうですね……」
俺は顎に手を当て、考える――
――フリをしていた。
答えは、迷うことなくイエスだ。
だけどすぐに飛びついて、軽く見られたくはない。
シート喪失中とはいえ、俺は国内スーパーカートの年間王者だからな。
ドライバーとしての市場価値を下げないために、余裕のあるところを見せとかないと。
「その顔は、決定だニね。よろしく頼むだニよ」
あらら。
また、表情に出てたよ。
俺って交渉事には、向いてないよね。
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2週間後の日曜日。
俺は、メイデンスピードウェイのピットを訪れていた。
「ヌコさん、おはようございます」
「おおランディ、おはようだニ。そのレーシングスーツは、新品だニか?」
「ええ。この青い〈レオナ〉に、合わせようと思いまして」
実は俺、今までカート用のスーツしか持っていなかった。
市販車ベースのツーリングカーや地球のフォーミュラカーは、カート用よりも耐火性が重視されたスーツを使う。
こっちの世界でも、それは同じ。
なのでこの2週間で、急いでスーツを注文したんだ。
本当は白が1番好きな色なんだけど、今回乗る〈レオナ〉に合わせて青色のスーツにしてみた。
レーシングスーツって、高いからね。
バイト代が、吹っ飛んだよ。
とほほ――
「今回のイベントの流れについては、こないだ説明した通りだニ」
「ええ、しっかり把握していますよ」
この「オプティマスフライングラップ」というイベントは、公道を走れる改造車でサーキット1周のタイムを競い合う。
午前中に1時間のフリー走行が許可されていて、その間にセッティングを煮詰めていく。
午後からは15分ずつ、3セッションに分けてのタイムアタック。
そこで上位のタイムを記録すれば、改造車雑誌「オプティマス」にショップの名前と車の写真がデカデカと載るんだ。
このオプティマスって雑誌は、全国で圧倒的な販売部数を誇るからな。
大々的に、宣伝できるっていう寸法さ。
宣伝効果はかなり高いから、各ショップはお金と手間を惜しまず注ぎ込んだデモカーを参戦させてくる。
有名どころになると、プロドライバーを雇って乗せているショップまである。
――いいね!
俺の名前を売るには、絶好のイベントだ。
ここで良いタイムを記録できれば、チューンド・プロダクション・カー耐久選手権に参戦しているチームへのアピール材料になる。
それと宣伝に貢献して『デルタエクストリーム』のお客さんが増えれば、資金に余裕のできたヌコさんはレースへの復帰を計画するかもしれない。
「まーた何か、悪いことを企んでいるだニね?」
「いやいや、いいことを考えているんですよ。ヌコさんや、お店にとってもね」
ヌコさんは、なかなか鋭い人だな。
車をいじる人は、こうでないといけないのかも。
レーシングメカニックのジョージも、俺の考えていることが手に取るように分かるみたいだしな。
決して俺が、分かりやす過ぎる奴だというだけではないはずだ。
ヌコさんと会話しているうちに、周りのピットでマシンに火が入った。
どのショップのデモカーも公道車検対応のマフラーだから、レーシングカーほどの音量はない。
それでも車体の大きさもエンジン排気量も、今まで乗ってきたカートとは桁違いだからな。
迫力は、比べ物にならない。
エンジンの形式は、多種多様。
自然吸気。
ターボ。
直列4気筒にV型6気筒。
V12エンジンのスーパーカーを持ち込んでいるショップもある。
バリエーション豊かなサウンドが、山間部に鳴り響いていた。
カートだとエンジンはみんな同じ排気量・気筒数だから、音もほとんど同じだもんな。
こういう個性豊かな大合唱も、悪くないもんだ。
もうすぐコースオープンの時間。
気の早いドライバー達は、もうマシンをピットから出していた。
ナンバープレート付きの市販車でも、ショップの看板であるデモカーはド派手にカラーリングされたものが多い。
パーツメーカーのロゴや、スポンサーらしき企業のロゴが入っている車まである。
これじゃ、レーシングカーとあまり変わらないな。
出口にある赤信号が青にならないと、コースインはできない。
それでも多くのマシンがピットレーン出口で停車し、1列になってコースオープンの時間を待ちわびていた。
走行可能な時間を、1秒でも無駄にしてたまるかと考えているんだろうな。
ドライバー達は青信号の瞬間を待ち望みながら、ピットロード出口で「待て」をしているコース係員さんを睨みつけていた。
「よし! ヌコさん! ウチもそろそろ、〈レオナ〉の暖機運転を始めましょう!」
時間を無駄にできないのは、ウチのショップだって同じだ。
1時間の走行枠。
その中で、どれだけ車を仕上げられるのか――
俺が運転席のドアを開け、ハンドルの右下にあるキーを捻ろうとした時――
「ランディ! 待つんだニ!」
ヌコさんが、鋭い声で俺を静止する。
「え? なぜです? そろそろ暖気をしないと、コースオープンと同時に走り始められませんよ?」
「路面が出来上がる、フリー走行時間後半に出て行くだニ」
ヌコさんの言わんとしていることは、分からなくもない。
後から出ていった方が最速走行ラインの埃は払われて綺麗になるし、タイヤのゴムが乗って食い付きが良くなる。
当然、速く走れるんだけど――
「なに言ってるんですか? まだ車のセッティングは、全然決まっていないでしょう? タイムアタックに入る以前の段階だ。少しでも多く走って、データを集めないと……」
それに俺が、この車に全然慣れていないのもある。
このフリー走行セッションでは、走れるだけ走り込むのが正解なはずだ。
「ランディ……。言いにくいんだニが……」
深刻な表情で俺を見つめるヌコさんには、えも言われぬ迫力があった。
見た目はチビっ子でも、さすがは38歳。
長く、車業界で生きてきた人ならではの貫禄だ。
ヌコさんから見れば、俺は何か判断ミスを犯しているのか?
ゴクリと唾を飲み込んだ時、衝撃の言葉が浴びせられた。
「燃料とタイヤが、あんまり無いだニよ」




