ターン10 熱くなれタイヤ!
■□3人称視点■□
「ああっ! ランディ! いきなりそんな……危ない!」
ムキムキの巨躯を小さくして、情けなく叫ぶオズワルド・クロウリィ。
腕を胸の前でたたみ、やや内股になったその姿。
息子の無茶にハラハラする、「ママさん」そのものだ。
ランディが近くで見ていたら、「父さん、やめてよ」とゲンナリしていたことだろう。
ドーン・ドッケンハイムは寒さに太い首を縮こまらせ、着ていたブルゾンの襟を引き揚げた。
そしてママさんモードのオズワルドに、呆れたような視線を向ける。
「落ち着けよ、オズワルド。タイヤを温めるための、蛇行運転じゃないか。お前だって、何度も見てきただろう? トミーがやっているのをな……」
「トミーの蛇行運転は、あそこまで過激じゃありませんでしたよ」
「確かにランディのは、幼児にしては激しいな」
タイヤというものはある程度熱が入り、内圧が高まらなければ路面に食いつかない。
レーシングタイヤともなれば、乗用車のタイヤよりもその性質が顕著だ。
発熱させることが目的の蛇行運転は、暴走族がやるような生ぬるい蛇行運転ではない。
タイヤの限界を「超える」ところまで、ランディはマシンを揺さぶっていた。
後輪は激しくスライドし、スピン直前の挙動を見せる。
マシンは興奮した肉食獣さながらに、暴れ狂っていた。
それをランディは、逆ハンドルで宥めすかす。
熟練猛獣使いの如く、己の制御下からは逃さない。
コーナー手前では、スピードの乗った状態からガツンとブレーキング。
後輪が滑ってしまい、回転が止まる。
ブレーキロックだ。
だがランディは繊細なペダル操作で、一瞬ロックさせてはブレーキを解放。
そしてまたロックさせてを、減速中に細かく何回も繰り返す。
「あれくらい、KOR-50クラス全国大会のドライバーなら誰でもやるよ。もちろん、僕もね。タイヤを温める他にも、マシンの限界域での動きを身体に馴染ませてるんだ」
ブレイズは、できて当然といった口調。
そんな彼の方を振り返り、ドーンは目を見開いた。
「おい、ブレイズ! その恰好は……」
ブレイズは長い赤髪を後頭部で括り、服装は髪と同色のカートスーツへと着替えていたのだ。
「幼児用レンタルカートは、もう1台あるでしょ? あいつが速く走れるよう、僕が引っ張ってやるよ」
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■□ランドール・クロウリィ視点■□
「よーし。タイヤも温まってきたし、そろそろ『アレ』をやるか」
俺が意気込んでいると、視界の端に1台のマシンが映った。
赤いカウルのカートが、コースインしてくる。
ドライバーのスーツは、マシンと同色の赤。
被っているヘルメットは、緑がメインカラー。
それに、黄色いラインが入っているデザイン。
ヘルメットの下からは、赤い尻尾のような髪の毛がちょろっと覗いていた。
その尻尾ヘアーを見て、俺は誰がコースインしたのかを悟った。
「うっわ~。ブレイズの野郎かよ」
これは、俺の想定に無い。
一応、他にレンタルカートの利用者がいた場合のシミュレーションもしてきた。
だけどここまで速いドライバーがコース上にいる状況なんて、全然考えていなかった。
絡まれると、タイムアタックの邪魔だな。
ブレイズ・ルーレイロの野郎は片手をハンドルから離し、親指でクイックイッと後方を差す。
どうやら、後ろにつけと言いたいらしい。
引っ張ってくれるつもりのようだ。
ありがたいねぇ。
でもそれ、ありがた迷惑なんだよ。
こちとら速いヤツに引っ張ってもらって、簡単にタイムが上がるような素人じゃないんだよ。
「というわけで、バイバイ」
俺はまた片手を上げて合図をすると、コースから離れる。
マシンと共に、するりとピットロードへ戻って行った。
ピットに帰って来た俺は、父さんとドーンさんの前にピタリとマシンを停車させる。
狙った位置から、1cmもずれていない。
メカニックが素早く作業に移るためには、こういう正確な停車が不可欠なんだ。
「なっ! なにを考えているんだ!? レンタルカートの占有走行時間は、あと7分しか残っていないんだぞ?」
「ああ、ドーンさん。これは、息子との打ち合わせ通りなんです」
父さんが取り出したのは、アナログ時計のようなダイヤルと金属の棒で構成された工具。
タイヤの空気圧を測る、エアゲージだった。
「父さん! 右前輪を0.05、右後輪を0.1抜いて!」
「了解。いちど、4輪とも計測しなくていいのか?」
「必要ないよ。左の2輪は、ばっちり決まってるから」
父さんは慣れた手つきでエアゲージをタイヤのバルブに押し付け、空気を抜いて内圧を調整する。
俺達親子の行動に、ドーンさんは驚いたようだ。
「まさか、レンタルカートの空気圧を弄るなんてな……。確かに弄ったらダメとは言っていないが……。走行時間が、無くなるぞ?」
「元より、1周しかタイムアタックしない予定でしたから」
俺の1発勝負宣言に、ドーンさんだけでなく父さんも唖然としていた。
そういえば、1発勝負だってのは父さんに伝えていなかったな。
コース上ではタイヤを温めながら走行中のブレイズが、何やら拳を振り上げて怒っていた。
だけどメンドクサイから、無視しよう。
「父さん。ブレイズが最終コーナーの手前に来たら、合図してね。あいつの前に出ないと、引っかかってアタックの邪魔だから」
「邪魔って……。あいつはここの最速記録保持者で、去年ハトブレイク国の全国大会で優勝もしているドライバーなんだぞ? 引っ掛かるどころか、ぶっちぎられるんじゃないのか?」
「んー。相手がインターカップ優勝ドライバーでも、たぶん引っかかっちゃうかな?」
「そうか……。わかった。ランディ、そろそろ準備しろ……今だ!」
父さんの合図で、俺はアクセルを踏み込んだ。
遠心クラッチが繋がった瞬間、キュッと短いスキール音が聞こえた。
だけどそれ以上パワーを掛け過ぎて、タイヤを空転させるようなヘマはしない。
後輪の食い付き性能を、最大まで使ったスタートダッシュ。
俺は速やかな加速で、ピットロードからコース上へと戻る。
無事に、お邪魔虫なブレイズの前へと出られた。
あとは次の周でタイムアタックに入り、奴のコース最速記録を打ち破るだけだ。
タイヤの空気圧セッティングは、バッチリ決まっている。
暖気後は高めの圧になってしまっていた右側2輪の空気を抜き、4輪とも最大のパフォーマンスを発揮できる空気圧に調整した。
空気圧ひとつでタイヤの接地面積や剛性が大きく変わり、タイムに影響が出るのがモータースポーツだ。
これで心おきなく、タイムアタックできると思っていたら――
「あ~。マジかよ? ブレイズの野郎……」
俺は片手運転をしながら、頭を抱えた。
後ろにいたはずのブレイズが、前にいる。
この野郎!
わざわざ超スロー走行して、俺が1周回ってくるのを待ち伏せてやがったのか?
どんだけ構ってちゃんなんだよ!?
もう、残された走行時間は少ない。
コースを周回できるのは、あと3周って計算になる。
俺は最後の1周に、アタックする予定だった。
燃料を消費して、タンクが軽くなるからな。
それまでにブレイズの前に出ておかないと、奴が邪魔になる。
俺はベストな走行ラインで、走れない。
タイムが出ない。
「抜くしか……ないか」
ええい!
やってやるさ!
最後の3周目。
タイムアタックの1周を迎える前に、あの野郎をぶち抜く!
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■□3人称視点■□
ピットロードとサーキットのメイン直線を隔てる、コンクリート壁。
その手前にあるサインエリアと呼ばれる空間から、オズワルドとドーンはコースを走る2台のカートを見つめていた。
そこへ、わらわらと人が集まってくる。
「なんかレンタルカートの時間帯に、面白そうなことやってるな」
「ドーンさん。あの子達は、一騎討ちでもやってるのかい?」
「おい。前を走ってる方の子供、ブレイズ・ルーレイロじゃないか? アクセル・ルーレイロの息子の」
年齢、性別、種族もバラバラ。
彼らは自らのマシンを持ち込んで練習走行にきている、一般客カートドライバー達。
レンタルカートの占有走行時間枠なので、休憩中なのだ。
モータースポーツ人口が多いこの世界では、平日でも結構な数のドライバー達がコースを訪れる。
「お? お前さん、オズワルド・クロウリィじゃないか? 久しぶりだなあ。ブレイズとやり合っているのは、お前の息子か?」
「みんな……。まだ、走っていたのか」
練習走行にきていたドライバー達の中には、何人かオズワルドの知っている顔があった。
「あたぼうよ! やめられるもんか! いくつになっても、レースは最高さ! 嫁さんには『もう今月はタイヤ買っちゃダメよ!』 って、昨日も怒られたけどな! お前の嫁さんは……。ああ……。そうだったな」
「トミー・ブラックが亡くなってから、もう何年経つのかしら? 彼の妹は……シャーロットは、きていないのね?」
「ああ。シャーロットには黙って、こっそり息子と2人だけできた」
「息子にレースをやらせる気か? トミーのことがあったのに?」
「俺は……。息子のやりたいように、やらせてやりたい」
古い友人達――かつてのレース仲間達との会話を切り、オズワルドは視線をコース上へと戻す。
最終コーナーを立ち上がり、加速してくる2台のレンタルカート。
レンタル用、しかも幼児用のマシンということで、エンジンの吸入空気量を絞るエアリストリクターが装着されている。
パワーが抑えられ、最高速度は80km/hぐらいしか出ない。
だがその2台は、大人達をたじろがせる程の威圧感を放っていた。
普段100cc~125ccの成人用カートに乗る、大人達をだ。
最終コーナーを立ち上がったばかりなのに、あまりにも早いタイミングで最高速度に到達する2台。
ドライバー2人は、まだ小さな体が受けるほんの僅かな空気抵抗も許容しない。
小柄な肉体をさらに縮こまらせ、ハンドルの前にあるフロントパネルにその身を隠そうとする。
少しでもマシンの邪魔にならぬよう、己の存在すら消し去ってしまいたいのだ。
――邪魔だ。
――空気の壁も、ハンドルを切る時の走行抵抗も。
――俺とマシンの邪魔をするな。
――速さの妨げになるものは、全て排除する。
ヘルメットの奥から覗く2人の眼光は、そう言っていた。
小さな子供2人が発する、スピードへの狂気。
カートキャリアも長いはずの大人達は、ただただ圧倒されていた。