8 異国の人③
歓迎のパーティーはその後も続き、殿下達はパーティの中心として、国内外の貴族の元を回っていた。
私はただフィリップ殿下の後ろをついて回ると言うだけと言えばそうなのだけれど、横から話に入ることもできず、フィリップ殿下が嬉しそうにリリーの紹介をしているところをそっと見守り続けないといけないのは気持ちが苦しい。だけど、王族の婚約者として招かれている以上勝手な退室などは許されない。
アリラハの貴族の方以外は私が婚約者になった経緯を知っている。私が魔力をほぼ持たずに、ただ世継ぎのためだけに婚約者になったことも知っている。時折殿下と離れた時に受ける視線には蔑みすらも含まれていた。
結局しばらく経って、これ以上はリリーの身体に触る、というフィリップ殿下の判断で私とリリーは退室した。
光輝の間を出たところで私はリリーに尋ねた。
「リリー……。あなた、先程は本当に涼みに出ていただけなの?」
「ええ、そうよ。ねえさまったら急にどうしたの?」
リリーはきょとん、と小首を傾げている。
「ひとりで外に出るのは珍しいから、例えばどなたかが案内してくださったのかしら、と思って……」
「あら!ねえさま心配してくださったのね。でも私だって王宮には来慣れてるもの。ひとりで外にだって出られるわ」
「そう、なの」
「そんなことよりも、私、今日はとっても楽しかったの。またねえさまと一緒にパーティに行きたいわ。フィルさまにお願いしたら許してくださるかしら、ねえ?」
リリーは王宮の廊下をくるくるとステップを踏むように歩いていく。今日は本当に体調が良いのだろう。細かな宝石が散りばめられた特注のドレスを纏ったリリーは、舞うたびに光の鱗粉を宙に飛ばしているかのようで、「妖精姫」というリリーの別称に相応しく空想の世界のような美しさだ。
リリーは嘘をつくほど器用ではないし、そもそも嘘という考え方をきっと持っていない。だからきっとその言葉に嘘はないはずだけど。けれど。
(だけどやっぱり、胸がざわつくのはどうして?)
*
私の学園での部屋は、寮の一番端側にある。
試練の森の目の前にある部屋は、ほとんど陽が入らない。だけど日中限られた時間だけ木々の隙間から日光が入るタイミングがある。私はその日が差し込むそのときに時間の移り変わりを感じながらお茶をいただくのが好きだ。
侍女のシュゼットもそのことを知っているので、その時間になると私が一番好きなお茶を淹れてくれる。
だけど今日は、ゆっくり楽しむ時間は無さそうだ。
パーティから数日が経った今日は学園はお休み。
休日の寮生は、王都にタウンハウスがある生徒はそちらへ、残っている生徒も学園からすぐ近くにある「学舎の丘」という街へと出かけることが多く、人はほとんど残っていない。というよりも、校舎から遠く、かつ建物自体も古い私の部屋のある棟は人気が低く、そもそも入寮している生徒が少ない。
「お嬢様、本日はお出かけになるとか……」
「……出かけると言ってもリリーの寮に行くだけよ」
「ですが……」
「いいの。心配してくれてありがとう、シュゼット」
これはアーリア様などがお話されていたことだけれど、歓迎パーティが終わってすぐに学園に転入するというわけではなく、フィリップ殿下やラシュナリ殿下は国内の各領地などを回っていらっしゃる。最初はマーリャ王女も同行をされていらっしゃったそうだけれど、一足先に王都に戻り、学園に入られた。
もともとは王宮が学舎の丘に新しい宿を作り、そちらから通われるというお話だったけれど、ラシュナリ殿下とマーリャ王女たってのご希望で他生徒と同じ寮生となるそうだ。ならば、とリリーのためにフィリップ殿下がご用意された寮の新棟にお二人とも入ることが決まった。セキュリティも設備も、王族の方が使われても何の問題もないほどに備わっている。
期せずしてリリーと同じ寮生になることが決まり、さらにご兄妹そろって闇魔法にご興味を持たれるということで、誰よりも喜んだのはお父様とお母様であった。
すぐに話を進め、学園内の御令嬢だけでマーリャ王女の歓迎茶会を行おうという運びになった。それで今日、リリーの部屋でお茶会をすることになった、ということである。そして簡単な話、私はリリーの体調管理のために同席をしなくてはならない。
「すみません、私もエマ様付きとしてお茶会に参加したいのですが……でも今回は……」
「王女殿下がなるべく使用人は少なくカジュアルなお茶会で、と仰っているのだから仕方がないことだわ。茶葉とお茶菓子の用意を少しだけお願いできるかしら?マーリャ王女は多分甘いものがあまりお好きじゃないようだから、チーズやソルトのお菓子だと嬉しいわ」
「……はい、承知いたしました」
「マーリャ王女もいらっしゃる場所でおかしなことはないはずよ、だからそんな顔しないで、ね。私は大丈夫」
「お嬢様……」
王女様の要望で使用人の数を抑えるために、エルルーナ家はリリー付きの使用人のみが参加することになった。これは、お茶会を開催するに運んだお父様の決定事項だ。
問題なのは、先日リリーがマーリャ王女のことを「さま」呼びすることを使用人を通して注意してもらったら、リリーが少し機嫌を損ねたらしく、リリー付きのエルルーナ家使用人達が怒っているのだ。それで、シュゼットはお茶会でいつもの嫌がらせをしてこないか心配している。
さらに、今日のお茶会に参加をするのが、マーリャ王女、リリーの他にも『水』のウェルシュタイン家のアーリア様、それからリリーたちと同じ1年生で『炎』のファイバード家のカレン様も同席をされるということもある。
どちらの御令嬢も私が王家に嫁ぐことを特に良く思っていないお二人だ。特に『炎』の家は、フィリップ殿下の子の元に、ファイバード家の子が嫁ぐということもあり、私のことを特によく思っていらっしゃらない。
シュゼットを安心させるために、大丈夫と言ったけれど、本当はどうしても気が進まない。
お昼を過ぎ、準備が整ってからリリーの寮に向かった。
元々はリリーのために作られた寮は通常『雨露の園』と呼ばれている。王家の光魔法結界で守られたその建物は、認められた者以外の立ち入りを絶対に許さない。
私も足を踏み入れるのは初めてだけれど、どこを見ても磨き抜かれ、ピカピカに輝いている。
御令嬢専用の『白雪の間』を抜けてリリーの部屋に着くと、既にアーリア様とカレン様が揃われていた。
リリーの部屋は広く、いくつかあるうちのひとつを客間として解放していた。エルルーナの家と同じく可愛らしい装飾で彩られた客間には、テーブルいっぱいに甘い砂糖菓子が並べられていた。
リリー付きの使用人たちの冷たい視線を感じる。
「……申し訳ございません。遅くなりまして」
「いいえ、私たちは今し方学舎の丘にお茶菓子を買いに行っていましたの。まさかエマ様もご招待されているとは思わずにお誘いせず失礼いたしましたわ。ねえ、カレン様」
「ええ。ご無礼をお許し下さいませ。ですがエマ様は学舎の丘にお詳しくないとお伺いしましたので、アーリア様にご案内いただきましたのよ」
整った眉尻を上げて、カレン様が謝罪を口にした。カレン様はとても勝気な性格でいらっしゃるから、私が同席することには心からよく思っていらっしゃらないのだろう。
「私も行きたかったのですが、アーリアさまが許してくださりませんでしたの」
ぷく、と頬を膨らませてリリーが言った。あらまあ、とアーリア様は微笑んだ。
「リリー様を連れ回してお身体に触るとフィリップ殿下にお叱りを受けてしまいますわ。学園を離れて公務に出ていらっしゃるフィリップ殿下のためにもリリー様はお身体を大事にしてくださいまし」
「わかりましたわ……。あら、ねえさまもお菓子を持ってきていらっしゃるのね!ねえさまの用意するお菓子は普段いただくものと少しお味が違っていて面白いわよね!━━そちらも並べてくれる?」
「はい、リリー様。……またこのような見窄らしい菓子をお持ちになって。普段のお茶会でしたらどうされようとご勝手いただいて構いませんが、今回はリリー様の主催となっているのですから品位を疑われるようなことは避けていただきたいものです」
リリー付きの侍女が小さな声で、だけどきちんと聴こえるように言った。
エルルーナでリリーに出されるような一等級の菓子は私はいただいたことがなく、代わりに、以前厨房係も担っており、職人の腕を持つシュゼットがお菓子を用意してくれていた。とっても美味しくて私は大好きだ。材料もエルルーナの厨房で使用しているものと同等のものを使用しているのでお茶会に持参するものとして本来失礼はないが、一流パティスリーのものと隣に並べれば見た目は劣ってしまう。変に悪目立ちをしてシュゼットの菓子が悪く言われるようなら、余計な気を回して持ってこなければよかったと思った。
「ですが逆にそういったお菓子があった方が、私たちのご用意したものが目立って有難いぐらいですわ。素敵なお気遣い、さすがですね、エマ様」
「あら、アーリア様、そのような言い方をしては、まるでエマ様が引き立て役のようですわ。王族のご婚約者であるエマ様を引き立て役扱いでは失礼に当たってしまうかもしれません」
「まあ、そんなつもりはありませんのよ。でもエマ様はお優しいからお許しいただけますわよね」
くすくす、と笑い声が響く。普段の教室であっても、お茶会であっても、場所は変わっても結局はいつもと同じだ。
「あら、申し訳ございません。私、出遅れてしまったかしら?」
マーリャ王女がお部屋に入られた。先日のパーティの時よりもずっとラフな洋服でいらっしゃり、髪色と同じ淡いベージュのワンピースを着ている。侍女もおひとりのみだ。
お会いしてまだ二回目だけれど、華がある方というのはマーリャ王女のような方のことを言うのだろうと思った。どんな格好をされていても、どこにいても自然と目が引かれてしまう。
私や、アーリア様、カレン様が立ち上がり、目をぱちぱちとさせたリリーも続いた。
「マーリャさま、またお会いできてうれしいですわ」
「先日ぶりですわね、リリー様。本日はご招待いただきありがとうございます。エマ様も、またお会いできて嬉しいですわ。……みなさま、そんなに畏まらず、今日はカジュアルなお茶会ですもの。どうぞ王女としてではなく、この学園の1年生として接してくださいませ」
「では……発言をお許しくださいませ、マーリャ王女。私アーリア=ウェルシュタインと申します。先日のパーティのことは父からよく伺っておりますわ」
「私、カレン=ファイバードと申します。我が家は『炎』の家ですから、マーリャ王女とは魔法のお話ができるのを楽しみにしておりましたの」
「お二人とも、どうぞよろしくお願いいたしますね。さあ、お掛けになって」
マーリャ王女は全員に微笑みかけ、
「まあ、こんなにたくさんお茶菓子もご用意いただいて。アリラハのお菓子もお持ちしたのですが、なんだか申し訳ないぐらいですわ」
「アリラハの食べ物はとても美味しいとお父様も仰っておりましたので楽しみですわ。こちらのお菓子は学舎の丘で一番人気の砂糖菓子ですの。ぜひマーリャ王女にも召し上がっていただきたくてご用意してしまっただけですわ」
「うれしいですわ、ありがとうございます」
マーリャ王女は驚くほど気さくで、お茶を淹れるのさえご自分で当たり前のようになさろうとされていたほどであった。それに、もっと驚いたことに今日は毒見もされていない。私のお持ちしたお菓子も、おいしいですね、と召し上がっていらっしゃって、私はすこしほっとした。
「──それでは、マーリャ王女は『風』のベルラーシ領に行ってらっしゃったのですね」
「ええ、先日のパーティでお話しさせていただいた際に、書庫に珍しい書物をたくさん保管されていらっしゃると仰っていたので興味がございまして。兄様は他の領地も回られると言っていましたが、私は早く学園に通ってみたくて我が儘を言いましたの」
「まあ。この学園はとても素敵なところですから、マーリャ王女も、もちろんラシュナリ殿下もきっとご満足されると思いますわ」
「早く授業にも出てみたいですわ。リリー様、カレン様、不慣れなところがあるかと思いますがどうぞよろしくお願いいたしますね」
「私も最近学園に通い始めたばかりですけれど、みなさんとってもやさしいんですよ」
リリーがティーカップを傾けながら、笑顔いっぱいに言った。
「まあ、ではリリー様も転入生なのですね」
「はい、私は体調をすぐに壊してしまうので学園に通えなかったのですが、最近やっと通えるようになりましたの。特にフィルさまが気を遣ってくださって、私毎日とっても楽しいんですわ」
「お優しい方なのですね、フィリップ様は」
「はい、そうなのです!」
それからリリーは、殿下がこんなことをしてくれた、こんなことがお優しいと続けて話し始めた。私も知っているものから、知らないものまで、リリーと殿下のエピソードを。
マーリャ王女は時折相槌を打ち、微笑みながらお話を聞いていらっしゃり、
「リリー様、そんなに急いでお話になったら綺麗な声が枯れてしまいますわ。さあ、一度お茶をお飲みになって?……私、他国の王族の方と接するのは初めてなのですが、フィリップ様はとても気さくな方でいらっしゃいますのね。兄ともすぐに親しい仲になっておりまして、妹としても嬉しい限りですわ。学園でもそのようなご様子なのでしょうか?」
「ええ、フィリップ殿下は私達にも分け隔てなく接してくださって、素晴らしい王族でいらっしゃいますわ」
「まあ、素敵ですわね」
「もしかしてマーリャさまは、フィルさまのことがお好きなのですか?」
あまりにもさらりと、今日のお天気は素敵ですね、というような語調でリリーが言った。
さっと、お腹の奥が冷えた。
他国の、しかも外交が再開して間もない王国の第一王女にそのようなことを言うのは、タブーが以外の何物でもない。
「リリー、」
「まあ、そのようなつもりは無かったのですが、ご婚約をされている方に恋心を抱くのは王族としても乙女としてもルール違反ですから、ご安心下さいまし。この話はこのお茶会だけの話にしてくださいましね。兄様に怒られてしまいますわ」
ふふふ、と笑みを混ぜながらマーリャ王女が制した。
「ただ、恋といえば兄様にも早くいい人が見つからないかと妹ながらに心配しておりますの。まだ王太子ではありますがもう国政に前のめりで、それ以外のことには全然でして……。私は早く義姉様が欲しいところですわ」
まあ、とアーリア様とカレン様が感嘆の声を上げた。
「そのお話、とても興味がありますわ!ぜひラシュナリ殿下のことも教えてくださいませ」
「ふふ、もちろんですわ。私にも、みなさまのことを教えてください」
マーリャ様がとても上手に話を変えられ、リリーの不敬にも当たる発言はお茶会の中で消えて行った。
それからしばらく、アーリア様がラシュナリ殿下のことをあれこれと尋ねていく中で、時間は過ぎていく。
ややして、リリーが咳き込み始めた。体調が悪くなり始める時の前触れのような物だ。
「……マーリャ王女、申し訳ございません。妹が少し体調が悪いようで、下がらせていただいてもよろしいでしょうか?」
「本当ですね、ごめんなさい私がお話を長引かせてしまいましたね。リリー様、お休みください」
「わたくしはまだ大丈夫、っ、ですわ」
先程まで桃色に色づいていた肌が一転して、真っ青になった。咳をする度にゆるゆると巻かれた髪が前後に揺れる。
倒れ込みそうになったリリーを支えようとして思わず触った腕の部分から、びりりと痺れるような知らない感覚が伝わってきた。
「いやっ!」
「っ」
そして、どん、と華奢な体躯から想像できないほど強い力でリリーに突き飛ばされた。背後にあったチェストに思い切り背中がぶつかり、鈍い痛みが広がる。
リリーはそのまま、ぐったりと倒れ込んだ。そして、呆然と見ていたリリーの使用人たちが慌ててリリーの元に走り寄ってきた。
✳︎ * *
その夜、アリラハの職人が作ったランプの光が揺れる中、マーリャは自室のベッドに浅く腰掛け、目を閉じていた。
「……こちらはそうですわね、気になる点は早速いくつか。先日のパーティの件もありますし。私はまだ『雷』の家とは接触しておりませんが、『雷』の御子息はフィリップ様付きでいらっしゃるそうなので、そちらでカバーしていただいても良いかもしれません。いずれにしても学園に入ってからの方が動きやすそうですけれども」
マーリャの部屋には誰もいない。しかし目の前にまるで誰かがいるように話を進めていく。
「……ああ、彼女ですか?そうですわね、そこも気になっている点のひとつですわ」
マーリャはお茶会の様子を思い出す。『水』『炎』そして『闇』の家の令嬢たち。溢れるほどの愛嬌を振りまく妖精のようなお嬢様。使用人が給仕はおろか、視線すら合わせようとしないお嬢様。
「はいはい、分かっていますわよ。でしたら兄様もそろそろこちらにいらっしゃれば宜しいのでは?」
* * *