3 新学期①
王国には、国内の15歳以上の貴族子息女が通う学園がある。
歴史や言語の勉強があったり、子息女の中での交流を図るための時間があったりはするが、主には魔法の勉強のための場所だ。
私は1年前から学園に通っているが、エルルーナ侯爵領は学園のある王都からは少し遠いため、普段は寮に入っている。初夏の頃は夜会が多く、学園は一旦休みとなる。だから領地に帰っていたけれど、今日から新しい学期が始まる。私と同じ2年生には殿下もおり、新学期からはリリーも1年生として入学する。
リリーと殿下の仲の良さは王宮でも貴族社会、特に5属性の家に関係のある貴族の中では良く知られていることだけれど、流石に婚約者ではない2人で会うことは許容できないと言う方が居たようで、私は2人が会うためだけに領地に呼び戻されたのだ。
「皆様、御機嫌よう」
「御機嫌よう」
同級生たちが、再開の挨拶を交わしている中、私は「御機嫌よう」と返して席につく。
「エマ様、御機嫌よう。お休みはいかがでした?」
「……私は……領地に戻っておりましたの」
絵に描いたような微笑みを浮かべて、一人のご令嬢が近づいてきた。『水』のウェルシュタイン家の分家出身の令嬢だ。
「あら、そうなのね?私はタウンハウスにおりまして、夜会に行ったり……後はそうですわね、今年の魔法学の課題は大変だったでしょう?あまりゆっくり出来なくて……お父様に勉強のしすぎじゃないかって逆に叱られてしまいましたわ」
困ってしまいましたの、と頬に手を当てるシャーリー様に私は何も返せない。
「まあ、シャーリーったら、およしなさい。エマ様とは魔法学のクラスが違うでしょう?課題も違うのよ」
「アーリア様。あらごめんなさい。エマ様は基礎のFクラスでしたわね。エルルーナの家の方はいつも応用のSクラスで競い合っていたとお父様に聞いたから……つい。1学年ずれてしまっておりましたわね、残念ですわ。お許しくださいね?」
口角を美しい角度で上げた令嬢に続き、
「ごめんなさいね、エマ様。エルルーナ家の方だからつい、勘違いをしてしまったみたいで。でも、今学期からはリリー様が入学されるのでしょう?なかなか夜会でもお姿を拝見することが叶いませんから。ねえエマ様、今度ご紹介頂ける?私、リリー様とはぜひ仲良くなりたいと思っておりますの」
『水』のウェルシュタイン家の本家ご令嬢・アーリア=ウェルシュタインが美しい水色の瞳を細めてそう言った。わかりやす過ぎる程の悪意に、クラスメイトの子息女達がくすりと笑う。
ウェルシュタイン家には昔、リリーの治療で大規模な治癒魔法を依頼したことがあったのでエルルーナ家で行ったことの顛末についても詳しい。
私からの返答を待っているように立っているアーリア様に、掠れる声でこう返して、私は席を離れた。
「……その、リリーは、身体が弱くてなかなか人と会えませんの。あの、私、入学手続きについて先生とお話ししなくてはならないのです。失礼いたします」
「あら、顔色が悪いですわよ、エマ様。あなたもお身体は大切になさらないと。治癒魔法でも施して差し上げましょうか」
形ばかりの婚約者、世継を産むためだけの存在と理解した上での発言に、私はもう返せなかった。
本当にその通りなのだけど、胸がちくりと痛んで止まない。
ウェルシュタインのように深くこの話を知っている貴族もいれば、事のなり行きを正しく知らない人もいて、リリーから私に婚約者の座が戻ってきたのは、私が無理やり奪い去ったからだ、と言う方もいる。奪い去っておきながら、結局殿下の心を得られなかった愚かな令嬢、と。
5属性の家の者でありながら基礎クラスでやっと追いつけるほどの魔力しか持たず、分不相応に殿下に擦り寄る令嬢と噂され、この学園で私が心を許せる人は誰もいなかった。
ただただ、リリーが1年後に入学したいと言い始めた時の準備として、先に入学させられていただけなのだ。結局、殿下が救護室を拡充させたり、より高度な風魔法を用いて教室の空調を整えたり、王族から専属の侍女を派遣したりと手を打たれているようだったので、きっと私は必要ないのだけれど。寮の部屋も、リリーのために新棟を建てたと聞いている。
1枚、リリーの入学に関して預かった書類を提出してから私は図書室に入り、2階の端、いつもの席に座った。
休み明けの朝早くから図書室へと来る人間はいないようで、私の貸切状態だった。休み中に借りていた本を返却し、続きを探す。建国の頃の魔族との大戦時代、初代国王と民の絆を描いた歴史小説だ。
古い歴史となった魔族大戦に興味を持つ生徒は少ないようで、最近の本ではないというのに装飾は綺麗なまま残っている。
古の時代、山と海と谷を越え、果ての大陸にある魔族の大群が押し寄せ、5属性の当主たちと初代国王、そしてエルフやドワーフ、ヴァンパイアの亜人と共闘して魔族を鎮圧した。
「あらあ、エマ様でいらっしゃる?」
「ウィノナー様」
本に集中していたから気が付かなかったが、『風』のウィノナー=ベルラーシ侯爵令嬢がそこに立っていた。ふわふわとした柔かな髪の毛に、新緑の輝きを思わせる瞳が特徴のご令嬢だ。
分家や下級貴族の出身者を常に携えている『水』のアーリア様とは異なり、ウィノナー様はいつもお一人で行動されている。
風魔法の使い手であるのはもちろん、学問面でもこの学年で右に出る者はいない。せめて学問ぐらいでは勝てるだろうとお父様にはきつく言われているが、私がウィノナー様に点数で勝てたことはほとんど無い。
「先客はどなたもいらっしゃらないと思っておりましたけれど……随分お早いのですわねえ」
ウィノナー様はゆっくりと近づき、私の手元をしげしげと眺めた。
「歴史小説ですのねえ。私もそのシリーズは私の親族が書いたものですの」
少し間延びした、特徴的な話し方でウィノナー様は言葉を紡ぐ。
「そこまで読まれて、何かご感想はあるかしら」
「感想……でしょうか」
「ええ。その本は我が家で出版して、贈書したのは良いものの、どなたも読んでくださらなんですの。悲しく埃が積もっていたところに折角の読者が現れたんですものねえ」
たっぷり10秒、私は黙った。
「ですが……魔族との争いなど、遠い世界の話ですし……このような戦いがもう起きなければと」
ウィノナー様は、興味を失ったようにすっと瞳を細めて、
「ありきたりな感想ですわねえ。何事も意見と想像する心を持たねば成せることも成せないと、その本に出てくる国王陛下が仰っているでしょう」
はあ、とため息を落として、ウィノナー様はまたふわふわと髪を揺らしてゆっくりと歩いて行った。失望されている。それは見慣れている目の色だった。
「ですが、数少ない読者の貴女にひとつ、教えて差し上げますわ。━━この先、大きなうねりが起きますわあ。お気をつけを」
「え?」
うねり、という単語に顔を上げた。
「『風』は何でも運んできてくれますの。それでは、ご機嫌よう」
*
講義の始まる時間が近づき、私はウィノナー様の言葉を胸の奥に残したまま、図書室を後にした。
『風』のベルラーシ家はこの国で最も耳が早いというのは有名な話。けれど、その一片を私に伝えたのはどういうことなのだろう、と。
図書室から教室へと戻る途中に、5属性の名家と王族のみ立ち入れるサロンの前を通った。ちょうど扉の前を通る際に、サロンから専属給仕係が出てきて、その奥から━━
「まあ、ねえさま」
と、とろける笑顔のリリーが出てきた。
2021.0821 サブタイトルの文字修正をしました。