16 王女の友人⑦
今日もう1話投稿しておりますので、ご注意くださいませ。
「この後は女子会ですから、兄様はどーぞ男子寮へお戻りくださいな」
「はいはい。でももし何かあったらすぐに呼ぶように。エマ嬢、妹が五月蝿かったらごめんね。今日は付き合ってあげて」
そう言うとラシュナリ殿下は部屋を出て行った。
それを見送るとすぐにじゃあ先にお風呂へ、と案内される。マーリャ様のお部屋の広い湯船には薬草が使われていて、ほんのりと青く優しい香りがした。薬湯に浸かると身体中の色々なところに沁みて驚いた。どうやら身体中のあちこちに細かな傷が出来ていたらしい。
湯船に浸かりながら、お風呂の中にあった鏡を覗く。ぼんやりとした顔が朱に染まっている。そしてなんとは無しに首の後ろを見てみる。
(糸なんて、やっぱり無いよね)
図書室で感じた1本糸が切れるような感覚。あれが妙にリアルで、生々しくて、鮮明で、不思議な感覚だった。
でもあの時動けて、本当によかったと思う。図書室の天井が真っ二つになるほどの攻撃を放てるウィノナー様に飛びかかるというのも、今思い返せば震えるほど恐ろしいことだけれど、マーリャ様にあの攻撃が当たっていたらと思うとそのほうがよっぽど恐ろしい。
ちゃぽん、とお湯に浸かり、思う。
(私ももっと魔力が増やせたらいいのに)
本来闇属性の魔法は、汎用性が高い魔法だ。攻撃、防御はもちろん、回復やその逆、精神・肉体への影響を与えるものを幅広く応用できる魔法で、出来ないことは無いとさえ言われている。古の時代は光属性と並んで魔族とも対等に戦える魔法使いも居たと言うほどだ。
浴室を出ると、別のお風呂を使っていたマーリャ様とおそろいのナイトウェアを貸していただき、ベッドルームに入った。髪を下ろしているマーリャ様は普段とまた印象が違っていてとても可愛らしい。そのことをお伝えすると少し照れていらっしゃった。
マーリャ様のお部屋は、リリーの部屋と間取りこそ同じかもしれないが調度品が全く違っていて同じ寮内の部屋とは思えない。マーリャ様のお部屋は茶色と基調としていて落ち着くお部屋だ。ところどころに置かれている工芸品はアリラハのものだろう。
「お風呂、とても気持ち良かったです。ありがとうございます」
「ふふ、良かったです。うちの使用人がいつも薬を調合してくれるんです。傷もきっと、早く治ると思います」
それからマーリャ様の勧めで、ブランデーを少し垂らしたホットミルクを頂いた。確かに身体は疲れているはずなのに妙に気分は昂っていて、暖かい飲み物が嬉しかった。
「あの、今日、一緒に寝ていただけませんか?」
カップを眺めながらマーリャ様が言った。
「今日は1人だと寂しくて。駄目でしょうか?」
その姿が儚げで、気丈に振る舞っていてもやっぱりマーリャ様も怖かったのだろうと理解した。私はもちろん、ぜひ、と言った。
マーリャ様のお部屋のベッドはとても大きい。おそらく4人で寝ても全く狭く無いぐらいだろう。ふかふかなお布団に入ると、お日様と干し草のような柔らかい香りがした。蝋燭の火がちらちらと天井に揺れている。ほんの数滴のブランデーのせいか、頭も身体もこのまま柔らかな布団に溶けてしまいそうだ。
「ねえ、エマ、これは兄様には内緒ですよ?」
「内緒のお話ですか?」
「はい。……私、結構怖かったんですよね。武術も魔法も自信があったから、あんなに……いとも簡単に意識を奪われるだなんて思ってもいなくて。目を覚ました時の光景がウィノナー様に襲われているエマと、そして遠くに倒れている兄様で、肝が冷えました。お二人が助けに来てくださらなかったら、私どうなっていたか分かりません」
マーリャ様はこちらを向いていないからどんな表情をしていらっしゃるのかも分からないし、私は今そちらを向くべきでないと思った。マーリャ様の声もどことなくいつもよりもふわふわと溶けてしまいそうだ。それこそ消えてしまいそうなほどに。
「でもマーリャ様が咄嗟にウィノナー様の気をそらしてくださったから私は動くことができました。マーリャ様はやっぱりすごいですよ」
「エマ……貴女って、もう」
ごろりと寝返りを打って、マーリャ様は言った。
もちろんマーリャ様を慰めるために言った言葉ではなく本心だ。マーリャ様はしっかりとしていらっしゃるけれど私よりも本当は年下。リリーと同じ歳の女の子なのだ。急に攫われて命の危険のあるような場面に遭遇して、それでもなお咄嗟の判断ができるのはとても勇気のあることだ。
「私もはやく兄様のようになりたいです」
「ラシュナリ殿下のように?」
「兄様って何てこともないように凄いことをこなすから」
確かにラシュナリ殿下も凄いと思う。複数属性を使えるだけでもほんのひと握り、さらに複数属性を混ぜた魔法を使える人間はこの国でも10人かその程度だろう。姿を隠す魔法を常時発動させているだけでも恐ろしく魔力を消費するはずなのに、細かな調整が必要な飛行魔法を同時に2人分発動するというのはほとんど人離れしている。
魔法のことだけではない。ラシュナリ殿下はずっと冷静だった。もちろん大国を背負う次期国王のラシュナリ殿下と、侯爵家の娘という私では背負っている立場の重さが全く違うと言うこともある。でも、それを差し引いても、とても同じ歳の青年とは思えなかった。
「確かに、すごいですね……」
ねえ、とマーリャ様がこちらを向き直ったように動いた音が聞こえた。ベッドがぎしりと揺れ、シルクのナイトウェアが擦れた音だ。顔をそちらに向けると、口元をきゅっとさせたマーリャ様がベッドの向こう側でこちら側を見ていた。
「エマは、フィリップ殿下のことがお好きなのですか?」
蝋燭の火がマーリャ様の形の良い顔立ちを照らして、そして時折影を与えている。
「……どうしたのですか、急に」
「急に思ったのです。本当に、今、そう思ったのです。それにこういった寝間着でお話をするときには恋のお話をするものと聞いたことがあります」
少しふざけた言い回しをしているけれど、マーリャ様の声色は真剣だった。
「……私が何と言ってもどうにもならないことですから」
「……それがお答えではありませんか。やっぱりそうなのですね」
やっぱり?と聞き返すと、マーリャ様は苦笑いをした。
「見ていれば何となく。今日の夕方、リリー様とフィリップ様を見るお顔が……その、特にお辛そうだったので」
そんなに分かりやすく顔に出ていたのだろうか。思わず頬を触ってしまった。
「いえ、今までもそうかなと思う事はあったのですけど、エマはあまりお顔に出さないから。……でも、エマはフィリップ様のご婚約者なのでしょう……?フィリップ様とリリー様のご関係は側で見ていると、とても脆くて硝子細工の上に立っているように思えることがあります。どうして、ですか?」
「……マーリャ様も5属性の家と王家の婚姻についてはご存知ですよね。私は、エルルーナの人間であるのに魔力もない、はずれの令嬢と言われているのです。だけど『体力』だけがリリーに無いことだから、それだけで婚約者に戻っただけ。もともとフィリップ殿下とリリーは想い合っている婚約者で……私は何も言う事はできません」
「それって……苦しく無いのですか?リリー様もフィリップ様もどうして……エマのことを考えないの」
「苦しい、のかもしれませんね。でも……」
仕方のない事なのだと思います、という言葉は飲み込んだ。
マーリャ様の物言いたげに揺れている瞳は悲しみと怒りを含んでいる。それは他でもなく私のためにそう思っていらっしゃるのだ。
フィリップ殿下が王族の中で最後の最後まで私が婚約者に戻ることを反対されていたと聞く。あのような女とは間違っても婚姻できないと。それはとても悲しいことだけど、でも同時にあれだけリリーと思い合っていたら当然だとも思ってしまう。そしてリリーはただ、愛する方と一緒に居たいだけ。
たとえどんなに努力したとしても想い合っている2人の間に入れるだけの力も、魅力も、魔力も私はきっと得られない。だったらいっそ婚約者を辞退したいと思っても、それすらも許されない。それを一言で表現するなら、仕方ない、という言葉になってしまうのだ。
だから2人の茶会に付き添って、婚約者という立場が必要な時だけ呼ばれて、期待のされない王妃教育を受ける。それをそっと見ているだけだと思っていたけれど、思っていた以上に気持ちが出ていてしまったのかもしれない。
「そう思ってくださっただけで嬉しいです。ありがとうございます、マーリャ様」
「そういうことでは……」
では、とマーリャ様が続ける。
「どうしてフィリップ様がお好きなのですか?」




