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夜闇姫  作者: 里見春子
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14 王女の友人⑤


「ふふ、炎も少し混ぜているようですが、風の魔法を使って姿を見えなくするのは私には無意味ですわぁ。魔力の無駄、無意味、無価値なことですから解除したらどうでしょうかぁ?」


 ラシュナリ殿下は、黙って自身の魔法だけを解除した。


「あらぁ、もう1人いらっしゃるでしょう?ね、エマ様」


 その夏の新緑を思わせる目はしっかりとこちらを捉えていた。


「どうして、ウィノナー様が……」


 その容姿、その話し方、その仕草。間違いなく『風』のウィノナー・ウェルシュタイン様だった。


「……マーリャはどこに?」

 

 ラシュナリ殿下が私の一歩前に出て行った。


「こちらで寝ていらっしゃいますわ。先程までお話をしていましたのに、随分と早寝で驚いてしまいましたぁ」


 こちら、と指し示しながらマーリャ様の身体を起こした。思わず息を呑み込んだ。制服姿で手足を投げ出すようにぐったりとしているマーリャ様には正気を感じない。外傷は見当たらないが、とても寝ていると表現できる状態ではなかった。


「あら、そんな顔なさらないで?死んでいらっしゃいませんわよぉ。死んでしまったら意味がございませんもの」

「意味?」


 ふふ、とウィノナー様は笑って答えない。そんなぞっとするような笑いを浮かべているウィノナー様は初めて見た。


「ウィノナー嬢。どうしてこんなことを?誰かに指示されているのか?」


 ラシュナリ殿下はゆっくりと距離を詰めていく。もう少しで螺旋階段の一段目に至る。

 ウィノナー様は手のひらの上に風を起こしながら続けた。


「そんな怖い顔をなさらないでくださいな。それに、あまり不用意に近づくと、マーリャ王女が危ないですわよぉ?━━誰にも指示なんてされていませんわ。これは私の自由意志。私だけの考えですわぁ」


 手のひらに起こした小さな竜巻を眺めながら口元を笑みの形に歪める。夜闇の中犬歯が光っていた。


「でも、そうですわね。お兄様でいらっしゃいますから気になってしまわれますよねぇ。私たちはどうしてエマ様を選んだのかって、そういう話をしていましたのよぉ」

「わ、たしを……?」

「私たちは同じ風魔法の使い手なのですから、王女のご友人に相応しいのはまずウェルシュタイン家の私からというのが道理なのではないかとそういうお話です。それなのにどうしてエマ様なのでしょう?どうしてエルルーナ家なのでしょう?不思議ですわねぇ」


 私は単純に信じられなかった。とてもウィノナー様の口から出る言葉とは思えなかったからだ。

 ウィノナー様とは特別親しいというわけではないにしても、図書室でお見かけした際には話す関係で、家名や魔力量などの軸ではお話にならない方であったから私はそれがとても嬉しかった。そのウィノナー様が、マーリャ様のご友人が、ウェルシュタイン家が、とお話になるのはどうしても不自然に感じた。


「だからエマ様などでは無くて私と仲良くしましょう?と申し上げたら、急に私がおかしいなどとおっしゃるのです。おかしいのはマーリャ王女ですのにねぇ」


 いつも綺麗に纏め上げているマーリャ様の髪が床に溢れ、ウィノナー様がしゃがみ込んでその髪を撫で上げた。


「でもエマ様だって、渋々マーリャ様のご機嫌取りをしているのでしょう?だってその方が箔が付きますものね。他国の王女と友人関係にあると知れれば、貴族内での立場も幾分かマシにはなりますわ。打算的な判断、貴族的で結構ですわねぇ」

「貴女本当にウィノナー様なのですか……?」


 私の知っているウィノナー様は、貴族的なポジション争いになど興味はないはずだ。興味があるのは歴史的な事実のみ。マーリャ様の友人関係なんてきっと興味が無いはずだ。 


「可笑しなことを仰るのですね。そちらの棚にある著者名を全てそらで言ってみましょうか?それとも小説の一句が良いかしら?そうしたら信じていただけるかしらぁ」


 揶揄(からか)うような笑みを浮かべて挑発的にウィノナー様が言う。


「そのお話だと妹をそこに転がしている理由はありませんよね。妹を返していただけませんか?目が覚めたらもう一度よく話す、それでいかがでしょうか?」

「いーえ、私は今日、今晩、今すぐに納得いくまでお話をしたいのです。お返ししてしまったら今日もうお話ができなくなってしまうかもしれないじゃないですかぁ。エマ様ではなくて私を選ぶとそう仰るまでお話を続けますわ。反応によっては痛い目に遭うかもしれませんが、でもそれも仕方ありませんわね」


 でもその前に、と続けた。


「邪魔な方々にはお帰りいただきましょうかぁ」


 瞬間、疾風が吹き荒れた。

 数百冊を超える蔵書が空中に飛び、ページが開き、そして本同士がぶつかり合う激しい音が響く。先程魔法学の教室で感じた嗅いだことのある匂いは、紙とインクの混ざり合った古い本の匂いだったと今更気がついた。ウィノナー様が魔法を使っているところはあまり見たことがなかったが、5属性の家直系の人間として疑いようのない魔法の強さだ。

 とても立っていられないほどの風に私はどうすることも出来ない。目の端にラシュナリ殿下が地を蹴り、2階へと駆け登っていく姿が見えた。替わりに私のいる1階の風は少しだけ弱まる。

 

 ラシュナリ殿下の頸動脈を的確に狙った刃のような風が飛び、それを相殺するようにラシュナリ殿下も風を放った。

 宙を舞っている本もその攻撃が飛び交うたびに紙屑のように細かく裂けていく。


「流石の精度の高い魔法ですわねぇ。では、こんなのはどうでしょう?」


 ウィノナー様の口元が曲線を描き、私の方を向いた。風の刃がこちらにひとつ、一直線に飛んでくる。あ、と目で捉えても身体が動くその前にこちらに迫ってくる。


「エマ嬢!」


 2階にいたラシュナリ殿下の気がこちらに向く。ラシュナリ殿下の放つ風がウィノナー様では無く私の方に向けられ、刃を打ち消す。しかし、その時ウィノナー様の纏う魔力が膨れ上がるのを感じた。


「ラシュナリ殿下、!」

「余所見はいけません。大気爆発(ウィンボルド)


 鼓膜が割れるほどの大きな音がして、図書室の2階が全て弾け飛んだ。ラシュナリ殿下の身体が1階の端まで吹き飛ばされていき、一緒に空を舞っていた本もバラバラと落ちていくのがスローモーションのように見えた。


「ラシュナリ殿下!」


 駆け寄ろうとしたのだが、耳をやられてしまったためか身体にうまく力が入らない。


「動いては駄目と言ったじゃありませんか」


 マーリャ様を引きずるようにしてウィノナー様がゆっくりと階段を降りてくる。人形のように力を失っているマーリャ様の身体が階段を降りてくるたびに響く鈍い音がとても痛々しい。


「エマ様、貴女を傷つけるのは本望ではありませんが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()それもまた最善かもしれませんわねぇ。最善、最善?最大公約数でしょうかぁ」

 

 細い指先が私の方に再び向けられる。ウィノナー様の目には迷いが一切無い。迷いなく、私に魔法を放つだろう。足や手の先の感覚が無くなっていく。


「大人しくしていてくださいねぇ、でないとずれてしまうかもしれませんから。血がたくさん出たら死んでしまいますわぁ」

「っ」

「……あなたの目的は、こちらでしょう」


 ウィノナー様の足元、ぐったりと目を瞑ったマーリャ様が重々しく口にした。弱い風がその手のひらから放たれる。


「あら、マーリャ王女、お目覚めで。ですが……今は邪魔ですわ。まずは私たちにとっての邪魔者に退場いただいて、それからゆっくりお話しいたしましょう?」


 だから寝ていてくださいな、と氷のように冷たい言葉と一緒に魔法が放たれた。


「マーリャ様!」


 駄目だ、と思った。

 あの攻撃はマーリャ様を傷つける。それも、もの凄く大きな傷を負わせる。そんなこと嫌だ。今動かないと取り返しのつかないことになる。攻撃魔法は一切使えない私に出来ること。魔力が無くても動くことぐらいだったら出来るはずなのに。

 足を動かしたくて、手を動かしたくて、どうにかしないといけないのに枷を嵌められているようにうまく動けない。でも今動かないと一生後悔をする。どうか、お願い。


「止めて!」


 ぷつん、と何かが切れる音が聞こえた気がした。

 急に手が動くようになって、ウィノナー様を思い切り押し倒した。その手から放たれた刃が上空に飛び、天井を真っ二つに裂いた。


「離しなさい!」

「い、やです!」


 押し倒したウィノナー様が全身で抵抗をする。小柄な体躯だけれどそれでも全力の抵抗を抑えるのは難しい。でも絶対に今離さないと思った。だけどその一瞬、ウィノナー様の体に触れた時に魔力を匂いを感じた。私のように魔力量が極端に弱い人間が感知できるのは、同じ属性の魔力のみ。つまり、それは闇の魔力だ。

 どうして、と思う間も無くウィノナー様の口元が動いた。


大気爆(ウィンボル)、」


 今ここで先程と同じ攻撃が放たれれば、私もマーリャ様も無事では済まない。私は咄嗟にマーリャ様を庇うように動くと、


「遅くなって申し訳ない」


 と、ラシュナリ殿下の手刀がウィノナー様に落ちた。糸の切れたマリオネットのようにウィノナー様が崩れた。

 顔に傷を作ったラシュナリ殿下と、倒れ込んだウィノナー様、そしてうっすらと目を開けたマーリャ様が視界に入り、私は意識を手放した。


 *


 誰かの背中で揺れている気がした。

 暖かくて優しくて、それは本当に幼い時以来の感覚だった。幸せだけで満たされていて、ずっとそんな生活が続くと思っていたあの時以来、こんなに人の温もりを感じたことは無かった。

 大丈夫だよ、とそう言われた気がした。


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