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夜闇姫  作者: 里見春子
13/17

13 王女の友人④


「いなくなられたとは、どういう、ことでしょうか……?」


 部屋の中には入らず、廊下の前で立つラシュナリ殿下は、いつも綺麗に整えている髪も服も少し荒れていた。表情にも余裕が無く緊迫した状況であることが肌に伝わる。まさか異国の王太子が私の寮を訪れると想像もしていなかったシュゼットはおろおろとしている。

 蜃気楼と遮音の魔法を使っているラシュナリ殿下は、黙って頷いた。


「図書室で別れてしばらくしてから迎えに行ったけれど、姿が見えず。少し嫌な予感がしたので風魔法を使ったがどうしても気配すら掴めない」

「そんな……」

「マーリャの行動ならある程度僕にも推測ができるけれど、この国での行動は貴女の方が詳しいと思って、何か少しでも知っていることがないか聞きに来たんだ」 

「いつもは……図書室に行く日は夕方旧棟近くのガゼポでお茶をして……日が暮れる前には寮に戻っています」

「旧棟か、ありがとう。行ってみるよ」


 そう言うとラシュナリ殿下は笑った。でもその笑いに力はなかった。ただ形だけ頬を笑みの形に浮かべたものだ。


「あの、私も連れて行っていただけないでしょうか」

「……貴女を?」

「学園内でしたら私案内できます。お邪魔にはならないようにいたします。どうぞお連れいただけませんか」 


 今日はもともと王都に行く約束をしていた。マーリャ様が気を遣ってくださってそれは無くなったが、もし一緒に行っていればこのようなことにはならなかったのかもしれない。

 マーリャ様の姿が頭の中に浮かぶ。何だかとても嫌な予感がして、首の後ろに嫌な汗が流れていく。少しでも早く見つけないと取り返しのつかないことになるような、そんな気がしてたまらない。

 数秒ラシュナリ殿下は考える様子を見せて、そして頷いた。


「行きましょう」


 *


 夜の学園は別の世界のようだ。

 特に旧棟近くは灯りも無く、夏のじっとりと暑い夜が広がっている。

 ラシュナリ殿下が炎魔法を使っていなければすぐ隣を歩く殿下の姿すら見えないかもしれない。


「ここです、ここがいつも使っているガゼポです」


 普段お茶を頂いている時は夕日が差し込み、涼しげな風が吹いている場所も夜になればただの寂しく古びれたガゼポだ。私はそれを見て怖くなってしまった。

 テーブルの上を撫でるようにラシュナリ殿下が手を滑らせた。


「ついさっきまでいた、という様子では少なくともなさそうだね。マーリャの居場所を、風の導き(シルフィード)


 その手の先から、ふわりと風が登る。しかしすぐに風は消えてしまった。


「やはり、探索がうまく行かない」

「どういうことでしょうか?」

風の導き(シルフィード)は関わりの深い捜索対象が辿った道を示す魔法だから、今しがたのことだけで無くてもマーリャが普段何度もここに来ているなら少なからず反応をするはずなんだ」


 つまり、と続けた。


「探索魔法除けをされているのだろう」

「それって……」

「意図的に誰かに(かどわ)かされたと考えた方が良さそうだ」

「そんな……」


 この学園内でマーリャ様が誘拐される。そのようなことがあるのだろうか。

 でもそれは外交問題で。いや、外交なんてどうでもいい。マーリャ様はどこで今なにをしている?命は?誰かにこのことを報告しなくて良いのか。きっとラシュナリ殿下は1人で見つけようとする。

 色々な考えが頭の中をぐちゃぐちゃと巡る。


「エマ嬢、気を確かに」

「……申し訳ございません、ラシュナリ殿下の方がご心配でいらっしゃるはずなのに」

「いや、ここまで妹のことを心配してくれる方が隣にいるだけで有難いよ」


 気休めなどでは無く、本当にほっとしたようにラシュナリ殿下が仰った。それから人差し指を伸ばし、指先にオレンジの明かりを灯した。「少しだけ失礼するね」とそのまま私の額にその指先を当てた。

 優しく暖かなものを額の中心に感じ、そしてすっとその明かりが吸い込まれていくように感じた。不規則に動いていた心臓の動きがゆっくりと正常に戻っていき、それから視界がぱっと明るくなったように感じた。


「あの、今のは?」

「僕たちの国でのおまじないみたいなものかな。悪夢を見たり、嫌な思い出が残りそうな時に使う炎の魔法」

「あ、りがとうございます。気分が……和らぎました」

「それなら良かった。行こうか、旧棟を探してみよう」


 木造の古い校舎は外以上に暗く、そして不気味であるが先程のおまじないのお陰で随分と落ち着いて足を踏み出せる。


「マーリャはああ見えて武術も得意でね。そして風と炎の魔法があれば大体のことに対処できる。だからつい使用人も付けずに歩いたりしていたんだけど、それが裏目に出た」


 そう言うラシュナリ殿下も、今は使用人ひとり付けずにマーリャ様を探していらっしゃる。


「……使用人に言えない理由があるのでしょうか?それから……この件のことも」

「使用人を連れてこない理由と、この件を学園に報告しない理由は少し違うけれど、でも理由はある。貴女には何も言えずに協力してもらっている探し物と共通の理由だ」

 

 ごめんね、と続けた。暗い廊下にぽつりとその声が響いた。


「何も話せずに申し訳ないとマーリャはいつも言っているよ。私も、貴女に秘密事に付き合ってもらうことをわかった上で貴女に声をかけた」

「それは……気にしていません。マーリャ様とご一緒していると、その、楽しいですから」

「何か、良くないことを企んでいるかもしれないよ、僕たちは」

「そんな気はしません」

「……そうか、ありがとう」


 マーリャ様と纏っている空気が似ているからか、ラシュナリ殿下とも以前より上手く話せているような気がした。


「……マーリャ様を拐かすような人間がこの学園にいるのでしょうか」


 アリラハとの国交は長いこと絶っていたが、その再開に反対していると言う組織は少なくとも私は聞いたことがない。もちろん(まつりごと)には私はあまり詳しくはないけれど、少なくとも学園内ではマーリャ様やラシュナリ殿下を歓迎しない声など聞いたことがない。

 

「きっと、理由はどこにでもあるよ。もやもやとした人間が誰でも持っている感情に色を付ければ全部理由になる」


 でも、と続ける。


「だからと言ってマーリャを傷つけていい理由にはならない」


 暗闇でもはっきりと見える赤い目には、はっきりと怒りの色が光っていた。

 上階へ上がる階段の手すりに手をかけたその時、がたん、という音がすぐ上階から聞こえた。


「この上は!?」

「真上には、私たちのクラスが使っている魔法学の教室があります!」


 急いで階段を駆け上り、上階最奥にある魔法学のクラスに着いた。


「エマ嬢はここに、絶対に動かないで」


 こくりと私は動いた。ラシュナリ殿下は静かに教室のドアに手を添えると口元で何かを唱えた。しかし、すぐに顎に手を添えると、目を細めた。そして、教室の扉を勢いよく開ける。


「だれもいない……?」


 確かに物音がしたのはこの教室だった。でも教室内には誰もおらず、人気も感じられない。


「いや、マーリャの香水の香りが少し残っている。ここにいたのは間違いがなさそうだ」


 確かにほんのりとマーリャ様がいつも纏っている香りがする。それから、他にもどこかで嗅いだことのあるような匂いを感じるけれど、私にはそれが何であるかがわからなかった。


「これ、私の席が……」

 

 私がいつも座っている席だけ椅子が倒れている。今日の授業が終わって教室を出ていく際には確かに倒れていなかった。そして、この教室は他の授業には使わない。もしかしたら先程の物音はこの椅子が倒れた音だったのかもしれない。


「偶然、でしょうか」

「いや、微弱だけれど魔力の残滓(ざんし)を感じる。もともとこの教室で使われていた魔法の残りかもしれないけれど」

「このクラスでは魔法は使いません。魔力が残っているとしたら別の理由があるはずです」

「なるほど……他には何か変わっているところはある?」


 そう言われて教室内を見て歩く。他には特に、と言おうとして窓の外を見た時、眼下で何かが走り抜けていくのが目に入った。人とも思えないよな速さだったが、鳥などの動物のようにも思えない。


「いま、何かが下を……!」


 すぐにラシュナリ殿下も窓辺に来て下を見るが、もう何かは見えなくなっていた。


「見間違いかもしれません。でも……」

「どっちに?」

「本棟の方…かと」

「行こう、微かだけれど風の魔力を感じる。……申し訳ない、少しだけ我慢していてほしい」


 そう言うとラシュナリ殿下は窓を開けた。赤茶の髪がふわりと揺れる。そのまま私の手をとると、窓辺から真っ直ぐに落ちた。


「っ」


 地面に向かって垂直に落ちていた身体は、地面のすれすれになると今度は水平に角度を変え、本当へと真っ直ぐに飛んでいく。先日の学舎の丘を飛んだ時のようなものではなく、目を開けているのがやっとのスピードだ。木々の近くを通るとあとからその木が大きく揺れる音を遠くに感じる。


「怖くはない?」

「大丈夫、です」


 そのまままっすぐに飛んでいくと、突き当たったのは今日あの出来事があったサロン近くの扉だった。ラシュナリ殿下は魔法を切って地面に降りると扉を開けて本棟へと入った。

 旧棟よりは幾分かましとは言え、本棟は普段は人で溢れているからこそ物音が一切聞こえない静寂な世界は少し不気味だ。2人分の靴音だけが高い天井まで響く。


「その、風の魔力というのは?」


 ラシュナリ殿下が険しく目を細める。その目が、いつもよりも赤く、濃く光っているように見えるのは気のせいではないように感じた。こんな時に不謹慎と分かっているけれど、人間離れした創造物のようにとても美しい横顔だ。 


「微かに残っている。ただ、マーリャのものではないのは確かだ。罠かもしれないから絶対に離れないで」

「はい」

 

 静かに歩いていくと、それは私もよく知っている方向だった。そこは、図書室の方向だった。ラシュナリ殿下もそれに気づいているようで顔を見合わせた。

 そして図書室の前まで来るとラシュナリ殿下は頷いた。ここだ、というように。図書室の扉は見知った扉なのに硬く閉ざされてまるで牢獄の扉のように見えた。

 ラシュナリ殿下が唇に指を当て声を出さないように、というジェスチャーをされて私はそれに従う。

 ゆっくりと扉を開けていき、暗い図書室の中へと入る。今この瞬間もラシュナリ殿下の魔法は発動していて、私たちの姿も音も誰にも知られないはずではあるけれど、感じたことのない緊張感に脈が早くなった。


「あらぁ。やっといらっしゃったのですね。待ちわびましたわ」


 独特のペースの声が図書室に広がった。螺旋階段の上、2階席の端。私のお気に入りのスペース。そこに立っているシルエットは少女のもので。


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