12 王女の友人③
翌日は魔法学のクラスまでマーリャ様が迎えに来てくれて、そのまま王都へと行くことになっていた。夏の日差しは今日も強く、日差しが苦手というマーリャ様は日傘を差していらっしゃる。
「こちらの校舎も随分と大きいんですね。こちらには図書室などは無いのですか?」
「ここは旧棟ですので、私たちの魔法学のクラス以外はほとんど使っていなくて、その他の教室は物置みたいな状態だと思います。本が置いてるとは聞いたことがないですね……生徒も教師もほとんど出入りしませんし」
「そうですか……」
そういえば、とマーリャ様は続けた。
「前々から思っていましたがエマの髪色と瞳の色は、陽の下だと特に綺麗ですわね」
「え、」
私の髪色は白髪に近いグレー。瞳の色は薄い緑色だ。どちらもぼんやりとした色で、艶のある黒に、エメラルドの瞳というはっきりとした色を持つリリーとよく比べられる。
「陽の光できらきらとしていて、でも角度によってアイスブルーのように見えて素敵な色ですね。瞳も宝石のようです」
「そのようなこと……初めて言われました」
「ふふ、皆さんまだまだですわね」
今度一緒にヘアアレンジし合ってみませんか?というお話をしながら本棟へと入っていく。そして、サロンの前を通ったところで、向こう側の廊下から見知った方々がやってきた。
「フィルさまがお見舞いに来てくださったぐらいにはもう具合も良くなっていたのに、おとうさまとおかあさまが家に一度帰ってきなさいっておっしゃるので戻っていたのです。エルルーナでみんな優しくしてくれましたけど、でもやっと学園にこられてうれしいです……あ、ねえさま」
フィリップ殿下と、腕を絡めるリリー、それからお付きの方々の一行だ。体調は回復していたことを聞いていたけれど、エルルーナ領地に戻っていたことは私は知らなかった。
「もう、ねえさまはどうしてお見舞いに来てくださらなかったのですか?フィルさまも、みなさまも何度も来てくださったのに」
リリーが愛らしく頬を膨らませた。フィリップ殿下に見舞いを止められていることも、仮にリリーの部屋に行っても使用人たちに止められることも当然知らないのだろう。
「ね、フィルさま、ひどいでしょう?そう思いませんか?」
「……心配している者だけば行けばいいだろう。もう行こう、サロンで皆がリリーのことを待っているよ。あまり立ち話をしていては病み上がりの身体にも障る」
フィリップ殿下がリリーの頭を撫でる。リリーは拗ねた顔をしながらも、頬を赤く染めた。
リリーがしばらく休んでいたからか、それとも私がマーリャ様と一緒に行動するようになっていたからか、この感覚は随分久しぶりに感じた。甘くてとろけるお姫様と、優しいフィリップ殿下と、何も言うことのできない自分。暗いものが胸に広がるこの感覚。
「でしたらねえさまと……マーリャさまも一緒にいきましょう?」
「いや、エマはサロンには入れない。……マーリャは良かったら一緒にお茶でもどうかな?」
マーリャ様は一度私の顔を見てから、すっと一歩前に出た。
「せっかくのお誘いですが、お断りさせていただきますわ」
小柄なマーリャ様から発せられる言葉は、滑らかで、美しくて、そして廊下を突き抜けていく。
赤い目は笑みを浮かべているが、多分それが笑っていないということに私が気がついた。
「まあ……どうしてですか?あ、先日のお茶会で倒れてしまったから、私のこときらいになってしまったのでしょうか……?」
「お身体が弱いとい理由で嫌いになる道理はございませんわ。私はこれからエマと王都へと出かける予定なのです。ですからお断りさせていただいただけです」
「ねえさまが王都へ?ねえさまは王都がお嫌いなのではないのですか?だっていつもおとうさまやおかあさまと王都に行ったお話をするとご機嫌が悪くなられますし……ついこの間フィルさまがご案内してくださった時のお話をしたときも、」
「リリー様、あまりご婚約者様がいる方と不用意に出かけるべきではございませんわ。そしてそのお話をご婚約者様本人になさるのも褒められたことではないかと思います」
ぴしゃりとマーリャ様がおっしゃり、10人以上はいるはずの廊下が静まり返った。フィリップ殿下ですら何も言わずにいる。
マーリャ様からは見えない気配が溢れ出ていて、それはきっと言葉にするなら高貴さや、高潔さと表現するのだろう。
「どうして、どうしてそのようなことを言うのですか?私たちはみんななかよしで……それをどうしてマーリャさまに咎められないといけないのですか?マーリャさまは私のことがやっぱりおきらいなのでしょうか?怒っていらっしゃるのでしょうか?」
「怒っているわけではございませんわ。ただ、客観視出来るから立場だからこそお伝えしたまでです」
リリーの丸い目がみるみるうちに涙でいっぱいになっていく。遠くから見ればそれは、マーリャ様が強く当たっているような光景だ。これは良くないとそう思った。マーリャ様は他でもない私のために言ってくださっている。だから何か言わないといけないとそう思うのに、口を開けてもうまく言葉が出てこない。ぱくぱくと唇だけが虚しく動く。それどころか、手の先すら動かない。━━どうして、どうして。
「あ、っの」
「これはどういう状況?」
「……兄様」
私たちから来た扉から現れたラシュナリ殿下が、マーリャ様の肩に手を置いた。「どうしたの?」と聞くと、マーリャ様は黙って肩をすくめた。それから私に視線を送ったあと、
「妹が失礼しました。ですが、妹は正義感が強いもので。今日はこちらで失礼」
ラシュナリ殿下がマーリャ様の背中を押すように、そしてマーリャ様が私の腕を引いてその場から立ち去った。一瞬フィリップ殿下の顔色が見えたけれど、こちらの方など見ていなくて、その碧の目はリリーのことしか映していなかった。
サロンから随分と離れたところで立ち止まり、息を吐いた。
「せめて何かするなら僕がいるところでやってほしかったよ、マーリャ」
「ごめんなさい」
私はまだ息が荒れているのに対してお二人は特に普段と変わらない。
「あの、マーリャ様、私……」
「どうぞ何も言わないでくださいな。というよりも妹さんに勝手なことを言ってしまって申し訳ありません」
マーリャ様は人差し指を私の唇に当てた。
「いえ、……本当は、私が言わなくてはならないことなのに」
「貴女以外にも言うべき人間ならたくさんいる。この学園は少し変わっているね。見えない糸で皆縛られているように奇怪に思うことがある」
「糸、ですか」
私は独り言のように呟いてしまった。
先ほどうまく言葉にできなくなってしまったこと、まるで喉奥が糸で縛られたかのような感覚を思い出した。手足も思うように動かせず、それを糸と表現するならどうしてかしっくりとくるような気がして。
でも、それは臆病な自分を言い訳するように思えた。
「何か、心当たりでも?」
「……いえ、申し訳ございません。私の考え違いだと思います」
もし、とラシュナリ殿下は顔を上げた。
「何か困ったことや思ったことがあるなら、いつでも話して欲しい」
マーリャ様と同じ、強く赤い目だった。
その日は結局、先ほどのようなことがあったからお休みください、とマーリャ様が気を遣ってくださり、お一人で図書室に行かれると仰っていた。ラシュナリ殿下と3人で図書室にまで行き、そこで別れた。
けれど、夜、シュゼットから突然お部屋にどなたかがいらっしゃったと言われ、急いで身支度を整えて出ていくとそこに夕方別れたばかりのラシュナリ殿下の姿があった。
そして、こう告げられた。
「マーリャがいなくなった」
と。




