10 王女の友人①
私は街の上を飛んでいた。
比喩ではなく、本当に身体ごと宙に浮き、空を飛んでいた。
マーリャ王女が歓迎パーティで使っていたものと同じ、飛行の魔法だ。目の前にいるラシュナリ殿下も飛んでいらっしゃる。二人分の飛行を保つのは相当に緻密な魔力操作がいるはずだけれど、途中途中で気遣いをしてくださるほどだ。
「こちらの方が帰る分には早そうだけれど、気分はどう?」
「大丈夫です。本当に、すごいですね……!!」
建物の屋根の高さどころではなく、王宮で一番高い物見の塔よりもさらにずっと高いところを飛んでいた。
色とりどりの学舎の丘の屋根はもちろん、その奥の海の水平線までが全てひとつの視界に入っている。空はピンクで、オレンジで、それから水色と藍まで全ての色を含んでいる。藍に中にひとつだけ星が光っていて、それが何よりも美しかった。パーティで見てきたどの宝石よりも一番美しい。
気分が悪いどころか、とても幸せな気持ちだった。
飛行魔法といえば古の魔法使いはほとんど皆が使えた魔法で、歴史小説には必ず出てくる魔法だ。私の魔力では到底それは叶わないことだけれど、いつか飛べたら、というのは幼い頃からずっと思っていたことだった。
「……それならよかった。学園の奥の方まで飛んでから戻ろうか」
ラシュナリ殿下は少し驚いた顔をしてから微笑むと、速度を上げて試練の森の方まで向かっていった。
学園は広く、敷地も広大だ。木々の上を風のように飛び、花の色を見て、また飛び上がる。空は少しだけひんやりしていて風が脚に冷たい。
しばらくぐるりと回ってから、私の寮の近くに降り立った。ほんの10分程度ぶりだというのに、地面の硬さに驚いた。
「楽しんでもらえたらならよかった。一応、蜃気楼を掛けておいたから人からは見られていないけれど、一応飛行魔法を使ったのはここだけの内緒で」
「はい、あの……送っていただきまして、ありがとうございました」
「うん。マーリャのことはまた連絡するよ。とりあえず本人にも伝えておく。喜ぶと思うよ」
部屋に戻り、買って帰ったケーキを渡すとシュゼットも喜んだ。と、同時に「何か良いことでもありましたか?」と聞かれた。
かいつまんで話すと、シュゼットが私よりも嬉しそうで涙を流していた。
何かに選ばれなくて、選ばれて。
単純だと言われても、今日はいい日だったと思った。
✳︎
翌日の放課後、私はマーリャ王女が在籍されている教室に向かおうと荷物をまとめていた。
各領地の偵察が終わったフィリップ殿下とラシュナリ殿下も学園に入られ、教室ではクラスメイトたちが━━特にアーリア様を始めとする御令嬢たちが━━お二人を囲んでいた。
フィリップ殿下も学園の生徒に親しくしていらっしゃるけれど、あくまでも王族にしては、という前提が置かれる。対してラシュナリ殿下は本当に垣根無く他生徒と接していらっしゃって、すぐに学園に馴染んでいらっしゃった。
わざわざマーリャ王女のところにお迎えにいくとお伝えするほどでもないだろうと思い、そっと私は教室を出て行った。
マーリャ王女の教室は私たちが昨年まで在籍していたクラスだ。
そこにリリーも在籍しているけれど、今はまだお休み中でいない。教室を覗くと、2年生の教室と全く同じ状況で、マーリャ王女がクラスの方々から囲まれていた。中心は『炎』の家のカレン様だ。
どう声を掛けようかと思っていると、マーリャ王女の方がこちらに気が付かれた。周りの方々に2、3言ほどお話になると、鞄を持たれてそのままこちらへといらっしゃる。
ラシュナリ殿下もそうだけれど、学園の制服をとても美しく着こなしている。
「エマ様、お待たせいたしました。どうぞよろしくお願いいたしますね」
「お話中に申し訳ございません」
教室には、驚いたように目を見開いているカレン様の姿がある。
私がマーリャ王女をお迎えに上がるのは間違ってはいないけれど、タイミングはあまり良くなかったかもしれない。
「いえ、皆様にはこの後出るとお伝えしておりましたから大丈夫ですわ。さあ行きましょう」
私が案内をさせていただく方だというのに、マーリャ王女に手を引かれるように校舎を歩いていく。
「マーリャ王女、先日は申し訳ございませんでした」
こつこつとローファーを鳴らしながら、古い螺旋階段を降りていくマーリャ王女が立ち止まった。くるりとスカートが広がる。
「こちらが謝らないといけないと思っていたところですわ。それに……どこか二人で話せるところに行きませんか?人が来ないところが良いのですが、どこかご存知でしょうか」
人が誰も立ち入らないところ、ということで旧棟と本棟の間へと向かった。以前不思議な使い魔の子を見つけたあたりに、あまり人の立ち寄らないガゼポがある。夏の日中は暑いけれど、夕方になるとほんのりと涼しさがあって気持ちが良いぐらいだ。
ただ、本棟と比べると新しいところではないのでそのようにお伝えすると「風が気持ちいところですわね」とマーリャ王女はにこにことしていた。
「では改めまして、急なお話でしたのにありがとうございます。兄様ったら、私が直接お話しするって言ったのに先にエマ様に言ってしまうなんてズルも良いところですわよね。━━エマ様、先日は失礼いたしました。そして、お引き受けいただきましてありがとうございます」
柔らかな風が頬を撫でた。
「いえ、こちらこそ申し訳ございません。あの……とても恐れ多いのですが、どうぞよろしくお願いいたします」
「ふふ、ではどうぞ私のことはマーリャとお呼びくださいませね、エマ」
「ええっと……マーリャ様」
「様も要りませんわ」
「ま、マー……いえ、申し訳ございません……」
「まあ、では今はそれで良いですわ」
ふふふ、とひとつ笑ってマーリャ様は続けた。
「ですがひとつ、お伝えしないといけないことがありますの」
少し声色が真剣なものに変わったことを感じて、私はなぜかどきりとした。
「私たちは━━私と兄様は、この国で探しものをしていますの。そのためにこの国に来たのです」
「探しもの……?」
「ええ。そしてそれは秘密の探しものなのです。どうしても探さないといけないもので……ですが、私たちがこの国で探し物をするにはどうしても限度があります。だからこそ、協力してくれる方が必要で━━その手助けをエマにお願いしたく思っていますの」
「その、探しものとは何なのでしょう?」
私は正直、あまり外に出たこともなく土地勘が強いわけでも、人脈が広いということもない。協力できるかが不安であった。
「申し訳ございませんが、それは言えませんの。いえ、隠したいわけではないのですが、それをお伝えするととてもとても深い問題にエマを巻き込むことになりますの。勝手なお願いだとは分かっておりますが、どうか探しものに協力していただけないでしょうか?」
「協力というのはどのような……?」
「ただ、私があちこちと探し回る際にご案内をしていただきたいのです。私ひとりですと目立ってしまいますが、この国の同じ学園の方にご案内していただくということなら話が別ですわ。……もちろんエマに迷惑を掛けることはありません」
少し困ったような表情を浮かべて、マーリャ様は続けた。
「協力をしていただきたいから、友人になって欲しいと言ったのではありませんの。むしろ逆で……私たちはこの国で協力をしてくださるその人を探しておりました。信頼に値して、この異国の地で私たちを助けてくださる人。私たちはそれをエマにお願いしたいと思いましたの。それに友人になっていただきたいと思いました」
「それに最初に出会った時から秘密を共有しておりましたし」と、これはいたずらっぽく加えた。
「兄様も同じ意見でしたわ。だからフライングされたのですけど」
私が少し戸惑っている表情を浮かべていることに気が付いたのか、
「ごめんなさい、こんなお話をしてしまって。ですが、何を言わないのも失礼だと思って……もし、嫌な思いをされてしまったのなら……」
「━━いいえ、大丈夫です。私でよろしければ……ご協力いたします」
マーリャ様の表情は真剣そのもので、必死な思いが伝わってきた。正直、私はほとんどお力になれることはないだろう。だけど、以前のパーティの際に感じた、このお二人なら信じられるという気持ちを思い出して私は頷いた。
「まあ……ありがとうございます!」
「ですが、ひとつお伺いしたいのですが、もしかしてラシュナリ殿下もご協力をされている方を見つけていらっしゃるのでしょうか?」
マーリャ様のお話を聞いた後では、ラシュナリ殿下とフィリップ殿下がご一緒に国内の各地を回っていらっしゃったことにも納得がいく。
「……いいえ。兄様も探していらっしゃいますが、まだ。私はエマがいてくださって僥倖でした」




