1 幸せなふたり
「フィルさま。ねえご覧になって?今日のお茶会のために、おとうさまにドレスを仕立てて貰ったの」
「良く似合っているよ。リリーは本当に何でも似合う。……ああ、新しいドレスがあるのなら、新しい宝石を贈らなくちゃいけなかったな。すぐに手配しよう。次は何の宝石がいいかな。どの宝石であってもリリーの美しさにはとても敵わないだろうけれど」
「まあ、フィルさまったら」
王族専用庭園の中。薔薇に囲まれた白いテーブルに、ケーキやお茶をたくさん並べて男女二人が笑いあっている。青年の方は、初夏の日差しを受けてきらきらと輝かせる金の髪に、突き抜けるような碧の瞳。少女は紫を一滴落としたような艶やかな黒髪に、エメラルドの翠の瞳。どちらも絵本の世界から飛び出てきたように美しい容姿をしている。
青年が━━エデローラ王国の王太子殿下・フィリップ=リーデライト=エデローラが「お茶が冷めてしまうよ」と微笑むと、少女━━私の妹であるリリー=エルルーナが「私のだいすきなお茶だわ」と、はにかんだ。
初夏の昼下がりの中の、美しき男女の幸せな時間。とても微笑ましく、優しい時間。
フィリップ殿下が私の婚約者でなければ、とても優しい時間であった。
*
私、エマ=エルルーナは今年16となるエルルーナ侯爵家の長女だ。
1つ年下の妹・リリーとは年こそ近いものの、妹と比べれば何もかも「足りない姉」と言われてきた。
優れた容姿も、ダンスの出来も、愛嬌も、勉強の飲み込みの早さも、そして魔力も。
唯一勝てるのは「体力」のみ。とは言え、その体力も世のご令嬢並みで、秀でたものではない。
実際、私の目から見てもリリーはとても可愛らしい。まん丸の瞳は引き込まれそうなほど魅力的で、肌や髪も艶があり、いつも光を浴びているかのように輝いている。
嫌味でも何でもなく、エデローラの次期王妃に相応しいのはリリーなのだ、と心から思う。
そして実際、ほんの少し前までフィリップ殿下の婚約者は私ではなくリリーであった。フィリップ殿下とリリーはお互いを好き合っていて、その仲睦まじい姿は王宮内や貴族社会でも評判だった。
それがとある理由から、婚約者の座に私が座ることになり、1年。
相思相愛の2人は引き離されることに耐えられず、私がフィリップ殿下にお会いするところに同席するという体でリリーも王宮へと上がり、結局2人が仲良くお茶会をするところを静かに見つめる、という複雑な関係性を続けること、半年。
毎度、2人分のお茶が用意されたテーブルとは離れたところに、ひとり分のティーカップとティーポットだけ用意され、もちろん給仕係もなく、私はじっと過ごしている。殿下付きの使用人達は皆、リリーと殿下の婚約を祝福していたし、王太子殿下の婚約者になりうるほどの魔力を持たない私のことを認めていないのだ。
そして殿下とリリーの2人とも、私のことは背景の一部かと思っているようで、お茶会の間━━いや、殿下の場合は王宮に上がってから、この庭園に至るまでの道筋でも━━私に一度でも話しかけることはない。
私はただ後ろを付いて歩いて行って、黙ってひとり用の席について、お茶を飲む。本を持ち込むことは許容範囲内のようだったので、最近は本を何冊か持参して、黙々と読んでいる。
今は初夏だからましだけれど、きっともう少し経てば、日よけのないこの席はとても暑くなるだろう。
「ねえ、フィルさま。やっと手続きが整ったから、私も新学期から学園に通えることになったの。1年生だからフィルさまとはひとつ違ってしまうけど……」
「それは嬉しいな。でも、体調は大丈夫なのか?」
「ええ。最近はとっても元気なの。それに、学園内でもお付きがいれば大丈夫だろうっておとうさまがお許しを下さったの」
「では、学園の者にもリリーには気を使うように言い伝えておこう。リリーも何か困ったことがあったらすぐに私に言うようにしてくれ」
「まあ、フィルさまったら。私は普通の学園生活が送りたいの。フィルさまに言われたらみんな緊張してしまうわ」
「私はリリーが心配なんだよ。そんな細い身体で……」
殿下がリリーの頭を撫でて、リリーはぱっと顔を赤くさせる。
私は読み終わった本を閉じて、空を見上げた。陽が少し傾き始めて気温が落ち始めているが、給仕係達はみな、遠くから微笑みながら殿下とリリーを眺めている。殿下付きの文官達も、姿を見せる気配はない。
私は誰にも見えないところでそっとため息をついた。
「リリー。そろそろ時間よ」
しん、と沈黙が走った。
私から殿下に物申すことはできないので、リリーに声をかけることで2人の茶会に終わりの合図を告げているのだが、この瞬間は何度経験しても慣れない。殿下は「背景」に話しかけられてむっとした顔をされ、リリーはつまらなさそうに息を吐く。
「……フィルさま、今日は私帰りますわ。学園が始まるまでに、こちらにまた来ても良いでしょう?」
「ああ、いつでも。リリーが来てくれると思うと王太子としての務めにも力が入るよ」
フィリップ殿下が退席され、エルルーナ家の使用人達がリリーを馬車の方へと案内する。私もその後ろを付いて行った。
*
その日の夕食の席で、私はお父様に叱られた。リリーが帰りの馬車の中で熱を出したからだ。
リリーはとても体が弱く、そして体力がないため、長く外にいたり話し続けたりするとすぐに体調を崩すのだ。短ければ一晩、長ければ一週間ほど寝込み、高熱にうなされる。
「どうしてお前が付いていて、またリリーが熱を出すんだ?お前はリリーの姉だろう、どうしてちゃんと見ていない?殿下にリリーが寝込んでいると知られればまたご心配をお掛けするじゃないか」
「あなた、そのくらいにしてして下さい。声が響いたらリリーが可哀想」
「ああ……そうだな。この調子で、来月から学園生活は大丈夫なのか。リリーがどうしてもと言うから、何とか手続きを進めたが……エマ、お前がきちんとリリーを見てあげるのだぞ。本当は学園に入るほどの魔力もないお前を、わざわざ入学させてやったのだから」
「……はい、お父様」
私は味のしない、ただ生ぬるいだけのスープをごくんと飲み込んだ。見た目はお父様やお母様が食べているものと全く同じなのに、ほとんど味付けが何もされていないこの料理は、使用人達から私への手の込んだ嫌がらせだ。私とリリーで王宮に出かけて、リリーが熱を出した日の夕食はいつもこうだ。
「それから、全学期の試験の結果はなんだ?また総合点で『水』のウェルシュタイン家の娘に負けたそうじゃないか。歴史科目は『風』のベルラーシ家の娘にも劣っている。魔法が出来ないのだからせめて勉強で勝てなくて、他に何で勝てる?そんな調子で殿下の婚約者だと名乗られれば、我がエルルーナの家格にも響くのだぞ」
「……申し訳ありません、お父様」
「新学期が始まるまでに、全学期の科目全て書き取りをしろ。終わるまで、王宮でのお茶会以外の外出は禁止だ。図書室への入室も禁じる。━━シュゼット、お前が見張っているんだ」
私の唯一の侍女・シュゼットが一歩前に出て、「はい、旦那さま」と小さく言った。私の方に向けられている目がごめんなさいと謝っている。私はいいのよ、とシュゼットにだけ見えるように口元だけ微笑んだ。
お父様は深くため息をついて、それからお母様と話し始めた。
「ああ、魔法院からリリーにまた依頼が来たよ。新しいスクロールがひとつ欲しいそうだ。次は闇結界のスペルが欲しいとのことだから、リリーが回復したら折を見て」
「ええ、そうね。もう直接魔法院から依頼がくるなんて……本当にリリーは天才ね」
味付けのない食事を終えて、私は席を立った。リリーの話に夢中の2人は、私が途中で席を立ったことに気がついてもいないようだ。シュゼットと自室に戻り、ベットの縁に座れば、やっと落ち着いて息をすることが出来た。
ぬいぐるみや、ドレスがたっぷりと用意されたリリーの部屋とは違い、全て茶色の静かな部屋だ。私はこの部屋でずっと過ごしているから嫌いではないけれど、これが侯爵令嬢の部屋なのか、と知らない者が見ればきっと驚くだろう。
「ごめんなさい、お嬢様。わたし、何もできなくて……また、お料理、いつもの、だったのですよね」
言葉を選ぶようにして、おずおずとシュゼット言う。
シュゼットは唯一と言っても良い、私の味方だ。とても心優しい女の子だけど、逆を言えばとても気が弱くていつも困ったような顔をしている。もともとはお母様に付いていたが、はっきりしない人間が嫌いなお母様によって、私の侍女にさせられたのだ。
「いいのよ。もう慣れているもの。それより書き取りを始めなくちゃ。早く始めなくちゃ、新しい本が読めないものね」
少しおどけるように言えば、シュゼットは少し微笑んだ。新しいノートを持ってきますね、と部屋を出て行った。
教科書を広げて書き取りを始めようと思ったが、だけどちっとも集中が出来ない。
頭の中でひとつの言葉がちらついている。
いつまでこんなことが続くのだろう、と。