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狼の伝説  作者: ヒルナギ
1/4

狼の伝説 其の一

夕暮れで濃い灰色に染まった街道に、銀色の針となった雨が降り注いでいる。

フード付きのマントで身体を覆ったそのおとこは、足早に街道を歩いていた。

急げば日が沈みきる前にアインツベルスの街にたどり着くと思っていたが、おとこはふともういくら頑張っても夜にならなければ無理だと気がつく。

その考えがこころに浮かんだとたん、何か全てが億劫になった。

道端に大きな切り株があることに気がついたとき、そこに腰を降ろすのはもうほとんど無意識の動作であったといっていい。

おとこは切り株に腰をおろし、フードを取り払うと頭上を見上げる。

大きな木の枝が幾重にも重なり、雨を防いでいた。

雨の中を歩いているときにはなぜかそれほど感じなかったが、こうして雨宿りをすると意外に空から降る銀の針で体温と体力を奪われていたことに気がつく。

おとこは、ふうとため息をつき腰から煙管を抜いた。

金属製の長い煙管を咥えると、腰につけた物入れから煙草を出して火皿につめる。

フリントで、火種をおこし火付け棒で煙管の煙草に火を入れた。

ほう、と紫煙を吐きながら、贅沢だなと思う。

はるか西方のアルケミア近くに住む部族から伝わった煙草は、普及しているとはいえそれなりの贅沢品であった。

煙草の葉は血止めの効果もあるといわれ、従軍していた時には携帯食料や水と一緒に支給されたものだ。

そのときに身についた悪癖を、未だ絶つことがかなわない。

そんなとりとめのないもの思いに耽っていたおとこは、突然ぎょっとして立ち上がり振り向く。

誰もいないと思っていた森の中から、ひとりのおとこが歩み出してきた。

おとこは、手を伸ばせば届くところまでひとが近づくのに気がつかなかったとは、なんとも迂闊すぎると思う。

自分が今、死んでいたとしても文句がいえないほどの迂闊さだ。

森の中から現れたおとこは、少し会釈する。

「驚かして、すまないね」

夕闇の中、黒い影に覆われたそのおとこはわびをいれる。

「火を、貸してもらいたいんだが」

おとこは、頷いた。

もし森の中からきたおとこに害意があれば、自分はとっくに死んでいたはず。

今更警戒してもはじまらないと思い、もういちど火種に火付け棒を突っ込み森の中からきたおとこに渡す。

森の中からきたおとこは、火付け棒を受け取った。

ぼうと、微かな明かりが森の中から現れたおとこを照らす。

銀色の長い髪を頭の真ん中でわけおり、その銀髪の間に浮かび上がった顔は深い皺がいくつも刻まれている。

初老、とまではいかないだろうが、結構な年かさのようだ。

少なくとも自分より十は上だと、思う。

年かさのおとこは、木製の煙管を出して煙草に火を入れようとする。

おとこはその煙管を持つ手を見て、息をのんだ。

年かさのおとこは、独特の形状をしたガントレットを手につけている。

おとこは、火付け棒を返してもらいながらある疑いをもった。

その疑いは、あっというまに確信にかわりおとこは年かさのおとこから目をそらす。

そのガントレットは、手甲に二本のナイフが仕込まれており手首のひねり方次第で発条を使い、刃が飛び出すようになっている。

ウルフファングと呼ばれる、ガントレットであった。

そのガントレットを使う傭兵を、おとこは知っている。

その傭兵は、「狼」と呼ばれていた。

おとこが「狼」にはじめてであったのは、まだほんの餓鬼であったころだ。

「狼」は、彼のことをキッドと呼んでいた。

結局おとこはそのキッドというとおり名を、そのまま使い続けている。

「狼」は、静かに紫煙をはきながら、キッドに語りかけた。

「兄さん、そこはだめだよ」

キッドは、はっとして「狼」のほうを見る。

「狼」は、煙管の火皿を赤く輝かせながら言葉を続けた。

「この街道は、時折馬車がとおる。その切り株の前には、おおきな水たまりがある」

「狼」は皺が深く刻まれた顔に、笑みのような歪みを浮かべた。

「そこにいると馬車が通ったときに、あたまから水をかぶることになる。おれはさっき水をかぶって火種や火付け棒をすっかり湿らせてしまった」

キッドは、思わず苦笑しこころの中で呟く。

らしくないな、あんた「狼」なのにひとの心配をするなんざ、まったくらしくないぜ。

キッドの苦笑をどう受けとめたのか、「狼」はゆっくりうなずいた。

「まあ、好きにすればいい。おれは向こうにいく」

「狼」は、再び森の中へもどり闇へと溶け込んだ。

キッドは、またひとりとなる。

そして、もの思いに耽った。

思いは、過去の記憶へと沈んでいく。


それは、血のように赤い夕陽が世界を燃え上がるような真紅に染め上げていた日。

その日キッドはその呼び名の通りまだほんの、子供であった。

キッドは、「狼」の背中に向かって叫んだ。

「おれもあんたと一緒にいくよ、連れて行ってくれ!」

「狼」は振り向くこともなく、鋼のように冷たい声で言い放つ。

「だめだ。おまえは、ここに残れ」

「なんでだよ」

キッドは、振り絞るように叫んだ。

「なんでだめなんだよ、連れて行ってくれ、狼!」

「だめだ」

「狼」は、重く宣告を下すように繰り返した。

「おまえは、ここに残れ」


キッドがその馬車に気がつかなかったのは、あまりに深く記憶に沈んでいたせいか。

はっと顔をあげると、もうその二頭立ての馬車が目の前まできていた。

キッドが腰をおろした切り株の前で、馬車は少し揺らぐと盛大に水を跳ね飛ばす。

「狼」が忠告したとおり、キッドは頭から水を被った。

おそらくは「狼」がそうであったように、煙草も火種もすっかりしけってしまう。

誰が悪いかと言えば間違いなく間抜けな自分であるはずだが、キッドは無性に腹がたった。

キッドが道端の石を拾って馬車に投げたのは、もののはずみであったと、いえる。

八つ当たりの石が馬車の後部にぶつかったのは、運が悪かったというべきか。

少し車輪を軋ませながら、馬車がとまった。

結構つくりの立派な馬車であるから、おそらく貴族の乗り物だろう。

キッドは立ち上がると、ベルトに煙管をさし腰に吊したロングナイフに手をかける。

馬車の御者が、ゆっくりと降りてきた。

マントで身体を覆ってはいるが、精悍な若い男であることは動作の機敏さで伺いしれる。

キッドのロングナイフは鉈のように肉厚で、山刀として使えるほど丈夫であった。

よく使い込み、身体の一部かと思えるほどの武器である。

手に馴染んだ武器を持ってさしで戦えば、そうおくれをとるとは思わない。

御者は、マントを半分ひらき腰に吊した銃をみせる。

西方の大国、オーラの兵士が使う雷管銃であった。

雨で火薬が湿気ることはない、精密で頑強な造りの銃である。

万が一にも勝ち目はない、そう思わせる死の気配がその銃にはまとわりついていた。

御者は、鋭くかつ多少事務的な口調でいう。

「詫びをいれろ。そうしたら、見逃す」

不敬罪を、問われているということか。

キッドは道端に唾をはくと、ロングナイフの柄に手をかけた。

自分の馬鹿さ加減に、ほとほと呆れる。

まあでも、くだらない人生であったのだから。

こういうくだらない終わり方が、お似合いだろうと思う。

御者は侮蔑したようなため息をつくと、腰の銃に手をかける。

「やめろ」

馬車の中から、重々しい声が響いた。

「日が暮れきる前に、宿場へいくといったろう。無駄なことに、時間をつかうな」

「すぐ済みますよ」

御者は、本当に一瞬で片を付けるつもりにみえた。

キッドは、冷や汗が背中を流れるのを感じ、苦笑する。

「おまえは、森の中から獣の気配が漂っているのに気がつかないのだな」

馬車の中から響く低い声には、何か畏敬の気持ちが混じっている。

御者は、はっとなりキッドの背後に目をやった。

キッドは御者から目を逸らさなかったが、カチリというウルフファングから刃が飛び出す音をきく。

御者は、微かに舌打ちするとさっと身を翻し馬車にもどった。

再び車体を少し軋らせた馬車は、雨水を跳ね散らしながら走り出す。

キッドは、振り返った。

そこには薄闇の中で幽鬼のように佇む、「狼」がいる。

残月のように仄かな儚い光を放つナイフが、ガントレットから突き出ていた。

キッドは、呆れたようにつぶやく。

「なんでだよ、あんた関係ないだろう」

「狼」は、皺に覆われた顔に笑みのようなものを浮かべる。

「まあ、火を貸してくれたからな」

キッドも、思わず笑みを返した。

「狼」に牙を剥く理由を問うのは、愚問であったと思う。

かつて、いつも分の悪い戦いに挑んでは傷ついて血塗れになる「狼」になぜと問うたことを思い出す。

そのとき「狼」は、こう応えた。


普通に生きてると、何もかもが希薄になって息苦しい。

戦って、血塗れになっているときだけだ。

満足に息ができるほどに、空気が濃くなるのは。


そう。

「狼」にとって戦うことは、息をするのと同じこと。

理由など、どうでもいいのだ。

そこに戦いがあるのなら、「狼」は身を投じることになる。

「狼」は、キッドに向けて軽く会釈した。

「じゃあな、兄さん。おれは、そろそろアインツベルスへ向かうよ」

そう言い終えた「狼」は、ふらりと踵を返し雨と闇へ消えようとする。

キッドは急に狂おしい気持ちにとらえられ、叫んだ。

「狼!」

ぴたりと、「狼」は歩みを止める。

「なあ、あんたぁ狼なんだろ」

ゆらりと、身体を少し傾げるようにして「狼」はふりかえった。

その顔には、なんの表情もない。

今にも闇の中へ消え去りそうに思えるほど、その気配は希薄になっている。

気配の薄さにキッドはぞくりとしたが、言葉は続けた。

「おれを、覚えていないか。ほら、あんたと一緒にアインツベルスで暮らしていたキッドだよ!」

もう十年前のことであるばかりか、あのころの自分はほんの餓鬼だったから、「狼」は忘れ去ったかもしれないなとキッドは思う。

雲が月の表面を通り過ぎるように、「狼」の表情が変わっていく。

「キッド、おまえキッドなのか」

「狼」の吐いた言葉は、予想外に間抜けな言葉だった。

「おまえ、随分でかくなったな」

キッドは、苦笑する。

「そりゃあ、十年もたてばな」

「狼」は、少しだけ苦しそうな目をした。

「キッド、おまえ堅気にならなかったのか」

キッドは、思わず鼻で笑った。

「なんだよ、そりゃあ。おれは、そんな生き方知らねえよ」

「狼」は、それはそうかというように、ため息をつく。

「なあ、狼。おれはあんたについていくぜ。あんたは、あんときみたいに」

キッドは、狼の目に少し悲しみのような痛みのようなものが漂うのを、感じた。

「おれを拒絶するのか」

「狼」は、あきれたように乾いた笑い声をたてる。

「好きにすればいい。おまえはもうおとなだ、キッド」

「狼」はそう言い終えると、ゆらりと雨の中に向かって歩み出す。


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