身体と身体
その演出家の指示に俺には拒否権が無い。
お互いの意思関係なく、俺と片山かすみは抱き合わなくてはならなくなった。
よりによって、昨日の放課後に初めて会って、ちょっと良い感じになった相手・・
気まずくて、緊張して、この状況を回避したいと気持ちで一杯だ。
・・俺の二歩先には片山かすみが立っている。
変な歩き方にならないように自然に近付く。
すると、向こうも俺に近付いて来た。
俺の腰に両手を回す。俺も両手を広げ、彼女の背中辺りに手を伸ばして触れる・・
俺と片山かすみの距離は無くなり、お互いの身体は正面から密着する。
すぐ横に片山かすみの耳があり、女の子独特の柑橘系の匂いがすっとしてくる。
身体の中心部には彼女の胸の感触があり、俺の身体に軽く密着している。身体の柔らかさと体温が全体を通して伝わってくる。
何だか、癒しを感じる・・
そう思っていた時、側に立っていた演出家が口を開いた。
「体温を感じてるか? もっと腰も、足も、相手の身体と密着させるんだ」
そう言って、俺と彼女の背中を同時に押してきた・・
「腰のところもまだ空いてるぞ」
そう言って俺の方を更に押してくる。
そのせいで、身体と身体の僅かに空いていた隙間が埋められ、彼女の胸が俺に押し付けられる。
弾力が大きいのかぎゅっと当たってるのがわかる。
そういえば、昨日教室で下着姿を見たとき、結構大きかったよな・・
と、彼女の白いフリルのついたブラジャーから見えた柔らかそうな白い肌を思い出す。
とてもいけない気持ちになりそうになるのを堪えているが、彼女の呼吸する度動いている胸や一体化しそうなくらい密着している腰のせいで、生々しい気持ちになってくる・・
片山かすみは嫌じゃ無いのだろうか、ここまで俺とくっついて・・と俺の肩に顔を埋めている彼女の事が気になった。
横に立っていた演出家が俺の頭を離して、
「相手の顔をちゃんと見ろ」
と言う。片山かすみの顔がそこにあった。
こぶし2個分ぐらいの距離しかない。俺の目をじっと見ている。
身体は依然、密着したまま。
演技指導でやっていても、こんな恋人同士みたいなことをやっているのは刺激が強い。
俺は彼女の目を見ていながら、固まった表情をしているだろう・・
「えっと、岸辺は下の名前何だっけ? ん? 勇人か」 片山かすみに横で言う。
「『ゆうと』って目を見たまま呼び掛けろ」
彼女は、演出家に言われたように
「・・ゆうと」と俺の名前を呼んだ。
少し緊張しているような、恥ずかしそうに聞こえた。
「まだ気持ちが入ってないぞ、こいつが恋人だと思ってもう一回! 」
「ゆうと」
今度は俺がどきっとするくらい、甘い声で囁いてきた。身体が疼いてきそうになって、
俺、これ以上は・・と思っていても、演出家は今度は俺に言ってくる。
「お前の番だ、名前で呼べ」
俺は彼女の名前を初めて呼ぶ
「かすみ」
「よし、それでいい、そのままお互い呼び掛けろ」
「ゆうと」
彼女がまた同じ声で囁いてくる。
「かすみ」
俺達はずっとお互いを見つめあいながら、お互いの名前を呼びあい、身体を余すところなく密着させている。
恋人同士になったそんな錯覚がする。
どきどきしながら、何度かお互いを呼んだ後、演出家が「よし、身体を離して」と言う。
「岸辺、片山を抱き締めて相手の体温がわかっただろ? 相手に対しても愛情が生まれてきただろ? お前に足りないのは、相手を心の底から好きだって気持ちなんだよ。
今、彼女から貰った体温を忘れるなよ」
演出家の稽古は、そこで終わった。
稽古が終わった後、片山かすみは「この後、劇団の練習があるから」ですぐ帰っていった。
さっきまでの彼女の身体の柔らかさがまだ身体に残っていた。それに、ずっと見つめ合っていた彼女の目が脳裏に焼き付いて暫くは離れなかった━━━