コンプレスワールド #3
牢屋番は言った。
もしかしたらそれは自分の言った言葉だったかも知れない。
それくらい、自分の存在が他人事だった。
どうでもよかった。
重要じゃなかった。
「助けは来ない」
そして、理解していた。
ここにいることは、ひとかけらも余すところなく、無駄でしかないのだと。
私はもう、朽ち果てている木っ端と自分の見分けも付かないくらい、ギリギリでボロボロでクタクタだった。
希望を持ったまま死ぬのと、希望をなくしてもまだ生き続けなければならないのは、いったいどちらの方が辛いことなのか。
いや。そんなことは本来議論するまでもないことだ。
希望を失ったのならば、新たな希望を抱けばいい。
そういえる。
口では、そういえる。
けれど、『希望を失う』というのは、口で言うほど軽い事じゃなかった。
『新しい希望を抱く』というのは、口で言うほど簡単な事じゃなかった。
「私は、何のためにここに居るのでしょう」
「私は、何のためにここに居たのでしょう」
「私の人生は何だったのでしょう」
「こんな終わり方ってないでしょう」
「だめなんですか」
「どうして、たったひとつでよかったのに」
「願い事なんてひとつしかなかったのに」
「ずっとずっと守ってきたのに」
「私が馬鹿なのですか」
「頭が良ければもっと救われていたのでしょうか」
「いったい私は、何を成し得たのでしょう」
砂漠に植えられたひまわりの様に、私は乾いていた。
直向きに。上向きに。太陽を追いかけ続けていたのに、雨が降っていないことに気付かず、少しずつ枯れてしまった。
希望の光だけで、生きていくことはできない。
ガラガラと。
どこかで煉瓦の崩れるような音がした。
昔からそうだ。
この場所は少しずつ崩れている。
まだ建築物の様相を保っていられるのが不思議なくらい。
床は割れ、天は落ち、壁は崩れた。
「あなたがもっと醜い人間ならば、幸せになれたのに」
牢屋番はつぶやいた。
壁の陰にいる彼の顔は一度も見たことがない。だけどそれは、きっと悲しい顔をしているのだと思った。
「今壊れたのは、あなたの強ばった心だ。築十七年の、強ばった心が崩壊した。あなたはほっとしたんだ」
私にはそれがどういうことかわからない。
「約束は何のためにあるかと聴かれたことがありますか」
私は、乾いた唇を振るわせ「そんなことは決まっています」と言った。
なんとなく、そこから先は言わなかった。
あるいは、言えなかったのかもしれない。
言ってしまったら、自分を保てなくなるような気がしたから。
「はい。決まっています。約束は破るためにある――なんて、奇をてらって嘯くヒトもいますが、そんなはずはない。だったらやはり守るためにある――というのも少し違う。なぜなら約束は、ヒトにとって重荷になるから。永遠に終わることのない約束を守り抜く事なんて、いったい誰にできるというのでしょう。あなたはたったの十数年でその有様だというのに」
牢屋番の言いたいことは、なんとなくわかった。
彼の方が正しい事を言おうとしているのだと。わかる。
わかる。
わかる、わかる。わかる。
わかるけれど。
きっと私はとてつもなく馬鹿な人間なんだ。
気持ちが、感情が、勝手に道を造ってしまう。
正しい行き先が見えているのに、私の道は別の方を示す。
正しいことを正しいままに行う自分を、私は許せなかった。
「あなたの約束は果たされました。あなたは約束を成し遂げたのです」
持った荷物は、いつか下ろすべきなんだ。いつまでもなんて無理だ。きっといつか終わると信じられるから、私は重荷を背負ったまま歩くことができる。
私はやっと、約束を果たした。
果たした。
果たすことができた。
そして。
安心してしまった。
強ばった心がやっとほぐれて、崩れて、私は安心できた。
安心してしまった。
「きっとあなたは、心の美しいあなたは、そんな自分を許すことはできないのでしょう」
牢屋番は、悲痛をこらえて、立ち上がり、鉄の檻に手をかけた。
もう私はここに居る必要はなくなったのだろう。
この世界に。
最後まで、この地下深くで、何かを支え続ける私というボロボロの柱は――人柱は必要なくなったのだろう。
ガ、チャキ。
と音を立てて、牢は開いた。