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[宵の果てに]

 






【宵の果てに】






 


 


 別れは突然訪れた



『何……だと、今何と申したっ?』



 馴染みの遊廓

いつもと変わらない妖艶な輝き

だがそこに華月はなかった



『月影様、花魁は身請けを受けた、と申し上げてるのです』



『誰のっ、どこの誰が華月を身請けした?答えよっ!』



『ですからそれは言えぬ決まり。それが華月の願いでもありますから、御勘弁を……』



 柄にもない

本当にみっともなく主人の胸倉を掴み問い詰めた

だが……

誰も華月の居所を教えてはくれず



 ふらり暖簾をくぐり

雨降り注ぐ夜街へ



 当て所なく歩いた

雨が霙へと変わり

雪へと変わっても

ただ、歩き続けた



 何故だ

何故お前は何も言わず……

なあ華月、そんなに俺は重荷だったか?

別れを告げる事も許せない程



 俺の愛は

重くのしかかっていたか?



 目の前が霞

失意の中俺は意識を手放した



 だが別にどうでもよい

お前が居ないこの世には

何の未練もないのだから……



 願わくば

このまま朽ちる事を

俺は強く望む

お前の居ない世を

二度と見たくはないから……

 

 


 

 

『華月姐さん、本当にいいのかい?』



 心配そうに顔を覗く桔梗

あたいはただ頷いた

これが正しい選択なのか

未だあたいには分からない

だけど……



 月影様の将来に影を落とす訳にはいかぬ

それだけは……



『別れの挨拶くらい……』



 涙を溜めた綺麗な瞳で

桔梗があたいを見つめた

あたいはただ

首をゆるゆると揺らした



 決心を

鈍らせてはならない

会えば貴方様はきっと

あたいを優しく包んでしまうから



 同情で抱かれなどしたら

あたいはきっと壊れてしまう



 だから……

黙って居なくなるあたいを許して



『花魁、行こうか』



 手を引かれ暖簾をくぐれば

今年初の白雪が舞った



 嗚呼月影様

いつまでも貴方様と一緒にありたかった



 唇を噛みしめても

零れ落ちる涙を

止める事は出来ずに……



 願わくば

貴方様に沢山の幸せを

それがあたいの唯一の……

唯一の願いで御座います



 さようなら、月影様

さようなら……愛しいお人

 

 


 

 

 あれから一年の歳月が過ぎ

季節はあの時と同じ冬を迎えた



 目覚める事を拒んでも

朝は変わらず訪れ

俺を何度も奈落へと突き落とす



 生きているのかと問われれば生きているのであろう

あの日から俺の心は

何も感じなくなった

生ける屍と呼ぶに相応しい

無様な姿だ



 だが一日たりとて

お前を忘れた事はない

華月……

お前は今幸せなのだろうか?



『あのもし、月影様では御座いませんか?』



 どこか懐かしい声が

俺の耳を揺さぶった

主の名は桔梗

華月と共に名を馳せた花魁だ



『久しゅう御座います』



『何用か?』



 出来ればもう関わりたくなかった

華月の香を思い出させる者とは



『月影様はまだ華月姐さんを愛しておいでですか?』



 俺は口を閉ざした

無粋な問いに答える義理はない

心を抉る問いに……答えるつもりはない



『何故斯様な事を?』



 桔梗もまた口を閉ざした

暫しの沈黙

空が夜色に染まり

ふわり、雪が舞い落ちた頃

桔梗は俺の手を取り歩き出した



 何も聞かず

俺はただ、桔梗の後ろを歩いた

 

 

 

 

 辿り着いたのは

煌びやかな吉原の大通りを抜けた先にある

小さな荒ら屋だった



『此処は?』



『さあ月影様、此方へ……』



 小首を傾げ訝しむ俺の背を

桔梗はそっと扉の向こうへ押しやった



『――ッ』



 思わず俺は息を飲んだ

喉に貼りついた声

上手く言葉を紡げずに

目の前の光景を見つめ

ただただ俺は立ち尽くす



『どちら様で……』



 布団に伏せていた女が

ゆるゆると起き上がり俺を見つめた



『あっ……何故……』



 女は小さくそう漏らし

布団を目深にかぶり俺の視界から消えた



『華……月……?』



 その問いに呼応し

かたかたと震える身体

俺は……夢を見ているのか?

やせ細った腕で布団を掴み

震えているのは華月だった



『姐さん、もういいじゃないか……もう……』



 見かねた桔梗が口を開き

俺は全てを知った

 

 


 

 

 一年前

俺達を引き離したもの

それは身請け話なんかじゃなく華月の身体を蝕む病が原因だった



 流行病に冒された華月は

長年世話になった遊廓を離れ

煌めく夜の世と別れなければならなくなったのだ



『……何故知らせてくれなかった?』



『姐さんは……月影様に迷惑をかけたくないと言って……』



『そうか』



 再び華月と会えた

それは喜ばしい事だ

だがそれ以上に俺は……



『桔梗、二人きりにしてくれないか?』



 余程酷い顔をしていたのだろう

桔梗は俺にすがりつき

許してあげてと懇願した



『大丈夫……酷な事はせぬ』



 華月を相手に

頼まれても酷な事など出来る筈がない

俺の言葉に胸をなで下ろし

一礼した桔梗は

静かに踵を返した



 去る間際

どうか幸せに……と

声を潤ませて

 

 

 

 

 神様は……

何故あたいを放っておいてくれないの?

こんな形で

無様な姿を晒すだなんて……



『月影様……どうかお帰り下さいませ』



 激しい痛みに心押し潰され

決心が手折れる前にどうか

どうか……



『華月、それは聞けぬ願いだ』



『どうして?』



 どうしてその様な優しい声をあたいに下さるのです

あたいは貴方様の御好意を酷く裏切ったというのに……



『此方を向け』



『嫌でございます……』



『華月、頼むから……顔を見せてくれ……』



 その声は震えていた

弾かれたように

顔を上げたあたいの頬を濡らすのは

愛しいお人の綺麗な涙

殿方の涙など

見たことのなかったあたいは

激しく動揺した



『すまない……気付いてやれなくて、お前を一人にして……すまない』



 久しぶりに見た貴方様のお顔

以前の涼やかな面影など

微塵もなく

こんなに痩せて……

あたいの選択は

きっと間違っていたのでしょう

きちんと口にすべきだった



 こんなにも愛を下さる方を

裏切るべきではなかった

……だから

 

 


 

 

『こんな姿、貴方様にだけは……見られたくなかった』



『華月……』



 俺は……

来るべきではなかったか?

お前に辛い思いをさせているのか?



『醜く枯れゆく姿ではなく、美しく着飾った姿を残して欲しかった……』



『……何故だ?』



 それならば……

黙って立ち去るのが

お前の為になるのだろうか?

しかし……

せめて最期くらい愛しいお前の傍にいたいじゃないか……

それすらも

お前には酷な事なのか?



『……お慕いしていたからです』



 熱を帯びた短い言葉

唖然とする俺に

尚も華月は言葉をくれた

華奢な白魚の手が俺の頬を滑り落ち

きゅっと手の平に重なる



『月影様、あたいは貴方様を愛しています。もうずっと昔から、貴方様だけを愛……』



 堪えきれず口付けを落とし

今にも折れてしまいそうな小さな体を

きつく、きつく抱きしめた

我ながらみっともない

だけどしょうがないじゃないか



 ずっと夢みていた言葉を囁かれ

大人しく出来る程の余裕は

俺にはないのだから

 

 

 

 

 深々と降り積もる雪が

辺りの景色を白く染める中

俺達は身体を重ねた

時折漏れる切なげな声が

余りにも愛しくて

柄にもなく乱暴に

激しい情を可憐なその身にぶつけた



『綺麗だ……』



『あっ……この様な身体……あまり見ないで下さいっ』



『何故?例え病とて、お前の美しさを奪う事は出来ない……だから……隠すな』



『……月影様』



 無理を強いている事は分かっている

今のお前にとって

これは苦しみを与える行為なのかもしれない

だが……

離せないんだ



『辛いだろう?』



『いいえ、辛くはありませぬ』



『……許せ』



『はい』



 お前の微笑みに

俺は何度となく救われてきた

どんなに辛い時でも

お前の笑顔を見るだけで

俺は……



『華月……一緒に宵の果てへと参ろうぞ』



『……はい』



『愛している』



 果てたお前に

この声は届いただろうか?

否、届いていないのなら

何処までも追いかけて

何度でも囁こう



……愛している



 いつまでも、いつまでも

俺は囁き続けるだろう


 


 

 

 思い返せばあたいの人生

辛い事も多くありました

吉原へと売られ

身を売る事に抵抗を感じ

心切り刻まれ……



 ですがあたいの人生も

そう捨てた物では御座いません



『辛いだろう?』



 辛い?

貴方様から与えられる痛みなら

あたいは甘んじて受けましょう

辛くはありませぬ

月影様

唯一貴方様だけが

あたいのちっぽけな人生に

光を与えて下さりました



『愛している』



 嗚呼最期まで……

貴方様はあたいの光であった



 月影様

先行く事をお許し下さい

されど貴方様を

決して一人には致しませぬ



 一人では

お辛いでしょう?

あたい達は

離れられぬ運命でしょう?



 さあ二人手をとって

宵の果てを目指しましょう

誰に妨げられる事もなく

平穏な時を過ごしましょう



『愛しています』



 貴方様が迷われぬ様

言の葉を風に乗せ

あたいは何度でも囁くでしょう

あちらでも貴方様に会える様



……愛しています



 何度も、何度でも

あたいは囁くでしょう

 

 

 

 

【色街恋唄】

華月、月影の章  

     終わり

 

 


 ハッピーエンドなのか

バッドエンドなのか

 感じ方はきっと人それぞれでしょう



 このお話はまだ続きます



 次なる遊女は「桔梗」



 彼女の恋はどう転ぶのだろうか




色街恋唄[第二夜 片恋]へ続く

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