第80話
ホテルに戻ってすぐ、マサヒデはベッドに倒れ込み、泥のように眠った。
アルマダもシャワーを浴びて眠った。
だが、この女達はまだ眠れなかった。
「ううむ、シズク殿、これは酷い」
「ああ」
イザベルがテーブルに並べられた歯を順番に見ていく。
ラディもシズクの口を覗き込み、これがここ、これがここ、と並べていく。
「痛かろうが、我慢するのだ。私の力では、シズク殿が噛もうとしたら、押さえきれんだろうし」
「はあい」
雷山の張り手で腫れまくっていた顔は治まってはいるが、歯が折れたせいで、顎がぷっくり腫れている。
「下の歯は押し込む事が出来るが、問題は上の歯であるな。ラディ、我が押し込んだ程度で入るものか?」
「分かりません」
「ううむ」
カオルが小さな壺を置き、蓋を開ける。
「一応、麻酔を用意したのですが・・・鬼族に効きますかどうか」
「ううむ」
人族が即死する程の毒も、鬼族は平気。
こんな麻酔が効くとは思えないが、気休めにはなろうか。
「む、そうだ。注射で刺し込めば、少しは効果が出るやも。ラディ」
「はい」
医療器具の入った箱から、ラディが注射器を取り出す。
「ん・・・」
「むむ・・・」
カオルとイザベルが唸る。
注射器? 針が細い紐くらいの太さがあるではないか。
シズクが異形の注射器を指差し、
「ラディ、そんなのぶっ刺すのかよ」
「普通の針では、シズクさんの肌を刺せません」
「それ、すげえ痛いと思うんだけど」
「はい。痛いと思います。歯茎ではなく、折れた歯の傷口に直に刺し込み、流し込みます」
「やめてくれよ!」
想像して、ぞくぞくとシズクの肌が粟立つ。
ラディは注射器を見つめながら、眉を寄せた。
「ううん、おそらく、私も麻酔は効かないと思います。麻酔なしでやりますか? 余計な痛みも増えません」
「う・・・」
きらりと光る注射器の太い針。
「いらない。我慢する」
む、とイザベルが頷く。
「よし。では参るぞ。口を開けてくれ」
「あい」
テーブルの上に並べられた、歯。
そのひとつをイザベルが摘み上げた。
「参るぞ。指を噛まんでくれ」
「うっかり噛んじゃったら、ラディに治してもらって」
「良かろう。だが、もし飲み込んだら、マサヒデ様に腹を捌いてもらうぞ。指を取り出さねばな。ラディ、流石に生やす事は出来まい?」
「はい」
「何、死ぬ前にラディが捌いた傷口を治せば良いからな。余計に苦しむ事になるから、噛まずに済ませたいな」
「・・・うん」
あ、とシズクが口を開けた。
イザベルが指を入れる。
こつ、と歯の先が当たると、激痛がびりっと走る。
「やあ」
「腹に気合を入れろ・・・ぬんっ!」
「あああーっ!」
「ラディ!」
「はいっ!」
半刻ほど、シズクの叫び声がホテルに響いた。
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半刻後―――
両頬を押さえながら、シズクが泣いている。
「ひんひんひん・・・」
「情けない。これがあの闘将シズクの姿か」
「痛かったんだもん・・・すんすん」
「さ、我らは寝るか。ラディ、参ろう」
「はい」
医療器具の箱をぱたんと閉めて、ラディも立ち上がる。
「シズク殿。誰より疲れているはずだ。さっさと寝ろ」
「おやすみなさい」
すげない言葉を残し、イザベルとラディは部屋を出て行ってしまった。
カオルも立ち上がる。
「では、私は少しホテル周辺を見てまいりますので。おやすみなさいませ」
「みんな冷てえー」
「もう痛みは無いはずでしょう。痛むのですか?」
「痛くない」
「では」
カオルも出て行ってしまった。
「くっそおー・・・」
最前までの痛みで涙ぐんだ目を拭き、シズクもベッドに寝転がる。
ふん、と不満気に鼻で息を吹いた後、目を瞑ると、すこんと眠りに落ちてしまった。
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翌朝。
レストランでは、イザベルに客が来て、マサヒデ達とは別のテーブルで話し込んでいた。
イザベルの客はここ、セント=エントーニョイ基地の、軍の者。
1人は如何にも偉そうな、貫禄のある感じで、胸にはいくつも徽章を付けている。
もう1人は護衛のような者か。
だが、そこらの兵とは違い、少し上役という感じだ。
テーブルの側にも、護衛が2人立っている。
護衛の2人はそこらで見る兵と変わらない。
給仕が来て、マサヒデの前に湯呑を置く。
「長引きそうです」
「ふうむ」
給仕に扮したレイシクランの忍が、マサヒデに告げる。
「軍は1ヶ月の指導をと」
「ほう? 指導ですか」
「イザベル様は足止めに渋っておりますが、中々に向こうの条件が良く」
マサヒデが品書きを取り、適当に開いて、クレールに見せて指差すように。
クレールも合わせて、あれこれとにこにこしながら、忍に尋ねる。
「それで、条件は」
「ここから南東にある港町、オウ=コナーの港から、魔の国まで、軍船の護衛付きでお送り下さいます。勿論、そこにシルバー・プリンセス号が入るまでの護衛もしてくれると」
「それは・・・えらく豪勢ですね」
「破格の条件です。軍船を動かすとなると、大金が掛かります。1ヶ月の指導料としては、高すぎます」
「ふむ」
「これなら、危険な群島海域も安全に抜けられましょう。その上、米衆軍との繋ぎも出来るので、多少の足止めを払っても釣りは出ます。マサヒデ様達も訓練に参加致しますれば、良い稽古にもなると。軍の訓練地域に忍び込む輩もおりますまいし、集中して参加出来ます」
「悪くないですね」
「推測ですが、向こうもマサヒデ様達の参加を願っているのでは、と。イザベル様を引き止めれば・・・というわけで」
ふ、とマサヒデが息をつく。
「なるほど」
クレールがマサヒデの手からメニューを取り、ぱらりとめくる。
「マサヒデ様。私の考えですけど、悪くない申し出だと思いますよ」
忍もにっこり笑って頷く。
「はい。私もそう思います。問題は、イザベル様の格闘術も訓練のうちに入っていること」
「ふむ・・・確か、魔王軍の特殊部隊の・・・」
ううん? とマサヒデが言葉を切って、ええと、と少し考える。
「思い出した。イザベルさんのお父上と酔っ払っていた、あの教官。イナダさんでしたか」(※勇者祭:881話参照)
「はい」
ふ、とマサヒデが鼻で笑う。
「確か、色んな国の軍に教えているとか」
「はい」
「何を出し渋っているのやら。それなら隠す事もないでしょうに」
「特殊部隊が採用しているから、と意固地になってしまうのでしょう。これは情報の開示をしろと言うに等しい事です。元軍人としては、渋るのも当然かと」
「してしまっても構わないでしょうに。こっちだって、米衆の技術が見れるんですからね・・・やれやれ」
マサヒデが席を立ち、イザベル達の席に向かう。
近付くと、テーブルの側の兵2人が止まるように手の平を向けた。
「トミヤス様。失礼。今は大事なお話の最中で」
テーブルのイザベルと、軍人2人が口を止め、マサヒデに目を向ける。
マサヒデが苦笑して、
「イザベルさんの一存では、決められないですからね。私の家臣ですし」
マサヒデが懐から狼紋の印籠を取り出す。
「分かりますか、これ。狼族の主と認められた者が、国王から下賜される物です。イザベルさんといくら交渉をしても、最終的に決を出すのは私になってしまうので」
マサヒデを止めていた兵が、テーブルのお偉方っぽい者にちらりと目をやると、お偉方が頷いて、イザベルの隣の席に手を差し出した。
マサヒデは頭を下げて、その席に座る。
口を開きかけた時に、マサヒデが止めるように手を向け、
「マサヒデ=トミヤスです。イザベルさんに、1ヶ月、指導をしてほしいとか」
ん! と軍人2人が眉を上げ、驚いた顔を見せた。
「・・・」
マサヒデが苦笑して、ばくばく飯をかき込んでいるシズクを指差す。
「そう驚かないで下さい。あの人、鬼族なんですよ。耳も鼻も良いんです」
レイシクランの忍の存在は、軍や各国の忍も、その存在を半信半疑に捉えている。
存在を確認しているのは、日輪国の情報省くらいだろう。
米衆の忍の腕は、日輪国の忍とは比べ物にならない格下。絶対に知られたくない。
この国の忍に知れたら、世界中に漏れてしまう。シズクが聞いた事にするのだ。
「先程言ったように、最終的な決は私が出さないと、イザベルさんは首を縦にも横にも振れないんです。条件も聞きました」
お偉方の方がシズクを見て、ため息をつき、マサヒデに苦笑を向ける。
「盗み聞きは・・・と言いたいが、聞こえてしまうものは仕方ないな。それで、トミヤス殿は首を縦に振ってくれるのかね」
「条件は申し分ないのですが、1ヶ月も足止めとなると、顔をしかめる者もいるかもしれません。一応、皆に確認を取ってからで良いですか? 非常に良い条件です。私個人は、縦に振りたい所です」
「お返事はいつ頂けるのかな」
「四半刻(30分)程、頂けますか? ここに全員揃ってますし。話を聞いて回るだけです。渋る者は説得してみます」
「頼みます」
マサヒデはにっこり笑って、席を立ち、イザベルの肩に手を置いて、テーブルに戻って行った。




