第8話 違和感
俺は無意識に、兵士の瞳を見る。
さっきまで、死を恐れていた目。
だが今は――妙に、静かだ。
「……リオン」
カナリアが呼ぶ。
兵士は顔を上げた。
「もう大丈夫です」
「はい」
即答だった。
あまりにも、迷いがない。
俺は眉をひそめる。
(おかしい)
普通なら、助かった直後の人間は泣く。
震える。
混乱する。
だが、この男は違う。
ただ静かに、命令を待つ兵士の顔をしている。
(……待て)
胸の奥で、医者の勘が騒ぐ。
俺は兵士の腕を見る。
さっきまで、そこには矢傷があった。
筋肉の裂け方。
皮膚の張り。
そして――この男特有の、身体の癖。
戦場で鍛えられた筋肉の付き方。
だが。
今、その腕には。
それが、ない。
傷は閉じている。
それだけじゃない。
筋肉の緊張が消えている。
骨格の歪みも。
古傷の引きつれも。
まるで。
(……作り直したみたいだ)
喉の奥が冷える。
「……おい」
気づいたら、口に出していた。
神殿の空気が止まる。
カナリアがこちらを見る。
紫の瞳。
静かな視線。
俺は兵士を指さす。
「それは、治療じゃない」
沈黙。
「……妃殿下、今、何と?」
神官の声が震える。
俺は兵士から目を離さない。
癖も、傷跡も。これまで生きてきた、という身体の痕跡が、消滅してしまっている。
記憶は心だけのものではない。
からだにも記憶がある。たしかに、自分として生きてきたというアイデンティティが、からだにも刻まれているのだ。
それが、きれいに欠落している。
ゆっくり言う。
「身体そのものを――」
言葉を探す。
そして。
「……作り替えてる」
沈黙。
次の瞬間、神殿がどよめいた。
「無礼な」
「いくら王妃とはいえ」
だが。
カナリアは、動かない。
怒りもしない。
ただ、こちらを見ている。
紫の瞳。
深い。
底が見えない。
その視線が、一瞬だけ兵士に向いた。
そして、また俺に戻る。
しばらくして。
聖女は、静かに微笑んだ。
「王妃殿下」
柔らかな声だった。
「それでも」
一拍置く。
「彼は助かりました」
沈黙。
その言葉に、神官たちは安堵したようにうなずく。
奇跡。
救済。
それで話は終わる。
だが。
寒気を覚えているのは、俺だけなのか?
「これが、あんたらの言う〈奇跡〉なら――自分だった痕跡を全部消された身体で、そいつはこの先まともに生きていけるのか?」
アレクシスが、息を飲む気配がした。
「聖女の奇跡を侮辱する気か!」
神官たちが声を荒げる。
その時。
「鎮まれ」
王の一喝。
「王妃は体調不良で混乱している」
「・・・護衛。シキといったか」
「は」
「王妃を私室に連れてもどれ」
次の瞬間、シキの手がラゴウの両肩をつかんだ。
有無を言わせぬ力で、身体ごと向きを変えさせる。
「ちょっと待て――」
抗議しようとした瞬間、視界が浮いた。
シキは、当然のようにラゴウを抱き上げた。
まるで荷物でも扱うみたいに軽々と。
一瞬、アレクシスは、目を見張る。
(おろせ、シキ!!)
ラゴウはもがくが、びくともしない。
シキの腕は鉄のように固い。
そしてラゴウにだけ聞こえる声で、ささやいた。
「動けば、足を折る」
ぎょっとする。
(こいつ、ほんとにやる)
にらみつけるが、シキは淡々として告げる。
「陛下のご命令です。お部屋へお連れします」
シキに抱きかかえられて、ひとだかりから遠ざかりながら。
聖女とアレクシスの顔を横目に見る。
兵士は泣きながら頭を下げていた。
「ありがとうございます……聖女様……」
カナリアは微笑む。
優しい。
祈るような笑顔。
だが。
アレクシスは、その顔を見ていない。
視線を逸らしている。
聖女ではなく。
ひとりの女としてのカナリアを、これ以上傷つけたくないという顔で。
(……ああ)
胸の奥で、何かが理解できてしまう。
(だから、アンタは聖女を失ったんだな)
ラゴウの記憶が、かすかに揺れる。
王が、聖女に求婚した夜。
誰もいない回廊。
月の光。
そして。
アレクシスの声。
『カナリア』
静かな声だった。覚悟がある。決意もある。ひとりの女を想い抜くという気概もある。
『聖女の位を返上してほしい』
祈りではなく。
命令でもなく。
ただ――懇願だった。
『奇跡ではなく、お前自身を選びたい』
『王妃としてではない』
『ただのひとりの女性として、わたしの隣にいてほしい』
あの男にしては、不器用すぎる言葉だった。
誠実で。
真っ直ぐで。
だからこそ、残酷だ。
聖女にとって。
奇跡は、役目だ。
信仰であり、責任であり、世界と結ばれた契約だ。
それを捨てろと言うのは――生き方を捨てろと言うのと同じだ。
(そりゃ、断られるだろ)
そして。
王は、諦めた。
聖女を。
そして、代わりに――草原との同盟を選んだ。
ラゴウを、娶った。
(未練があるなら、諦めるなよ)
……アンタが諦めたから、メフィストに奪われたんだよ。
で、結局、自分が死ぬ羽目になる。
ラゴウだって不幸だ。
だってラゴウは――アンタのことを、本気で好きだったから。
聖女を見つめる王を、ラゴウが見つめる。
これは、ラゴウの癖なんだろう。
俺の意思とは関係なく、ラゴウの目は常に王を追う。
切ないほどに。
勝手に、胸が締め付けられる。
――そのとき。
聖女の紫の瞳が、ふとこちらを向いた。
ラゴウを見ている。
一瞬。
ほんの一瞬。
まるで――何かを見抜いたように。
そして、静かに目を伏せた。
第8話「違和感」でした。
聖女の奇跡。
それは本当に「治療」なのか。
ラゴウ(中身ジンナイ)が感じた違和感は、
医者としての勘でした。
傷が閉じるだけではなく、
身体に刻まれていた痕跡まで消えている。
それは回復なのか。
それとも――別の何かなのか。
そして少しだけ、
アレクシスと聖女カナリアの過去にも触れました。
求婚と拒絶。
この三人の関係は、今後の物語にも関わってきます。
次話から、少しずつ物語の舞台が外へ広がっていきます。
もしよければ、
「奇跡」についてどう思ったか、感想で教えてください。




