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第6話 それぞれの思惑

 神殿へ続く回廊は、白く冷えていた。

 祈りの日。


 週に一度、聖女カナリアが儀式を執り行う日だ。

 先を歩くアレクシスは振り返らない。

 その半歩後ろ。

 王の背に影のように付き従う男がいる。


 近衛軍隊長、ルシアン・ヴォルグ。

 銅色の短髪に、灰色の瞳。

 日焼けした肌と鋼のような体躯、鼻筋に残る古傷が、彼がいくつもの戦場を生き延びてきたことを示していた。

 王都の騎士というより、戦場の獣に近かった。

 王直属近衛軍の長。

 王都でただ一人、〈白銀章〉を帯びる騎士。

 忠誠は王にのみ向けられている。


 黒銀の鎧は飾りを削ぎ落としている。

 だが、その仕立てと立ち姿だけで分かる。

 ――最高位の騎士。

 灰色の瞳が、こちらを向いた。

 一瞬。

 警戒するまなざしで、値踏みするように。


 密かに諜報機関からあがってきた情報によると、昨晩、王妃は身を投げた。

 王には、伝えていない。

 王妃のかわりなどいくらでもいる。

 草原との同盟は重要だが、草原の王女はほかにもいたはず。

 身投げの理由になど興味はない。

 傷心だろうが、心神喪失だろうが、なにか適当な理由をつければいい。

 なんの役にも立たない草原の王女のひとりやふたり、死んだところで体制に影響はない。

 しかし、虚弱ゆえか最近ではほとんど自室からでることもまれだった王妃は、今朝、何事もなかったように王の後ろに控えて歩いている。

 普通なら、あり得ない。

 ――王妃に何が起きた。

 そのとき。

 回廊の柱の影から、もうひとつの気配が滑り出る。


 黒衣。

 視界を封じる細布。

 シキ。

 草原から派遣された王妃の護衛。

 ルシアンの視線が、わずかに冷える。

「……草原の戦士か」

「そうだ」

 シキの声は平坦だった。

「王妃の護衛を命じられている」

 “王妃の”を、わずかに強める。

 縄張りを示す声音だ。

 ルシアンの指が、ほんのわずかに剣の柄へ寄る。

(この男は、危険だ)

 騎士としての勘が告げている。

(草原王がこの男を送ってきた目的は、なんだ)

 剣は抜かない。

 王の前では、抜かない。

 それが、この男の誇りだ。

「ここは王都だ」

「知っている」

「王妃の身の安全は保証されている」

「どうだか」

「・・・貴様」

 剣がまだ抜かれていないのに、火花が散る。

 俺は小さく息を吐く。

 シキに目線で訴える。

(やめろシキ。今ここで衝突するな)


「やめろ」

 低い声で空気が凍る。


 ルシアンが半歩退き、シキも間合いを外す。

 アレクが、ゆっくり振り返る。

 まずはルシアンへ視線を置く。

「ルシアン。ここは剣を抜く場所ではない」

 短い断定の、命令。

「申し訳ありません。軽率でした」

 次に、黒衣の男を一瞥する。

「草原王カヨウが送ってきた、戦士か」

「は」

 頭を垂れる。

 従順なフリだと知っているのはラゴウとユイだけだが、見事な猫のかぶりようだ。

「では、これ以後、王妃の傍を離れるな」

「・・・御意」

 そこで、初めて。

 その視線が、ラゴウに向く。

「王妃」

(こいつは、この三年間、一度もラゴウを名前で呼んだことがない)

「体調がおもわしくないと聞いています」

 声が変わる。

 低さは同じ。

 だが、わずかに柔らかい。

 敬語。

 それは婚姻後も、一度も崩されたことがない口調だ。

 命令も、叱責も、親密さもないかわりに、決して踏み込まない距離感だ。

 政治上の、草原への敬意だけが込められている。

「大丈夫ですか」

 昨夜のことを、なかったことにはしていない。

 無関心ではない。しかし、問いも、責めも、慰めもない。

 ただ、“生きているか”と確認するような声音。

 王の目は、ラゴウを見ていない。

 胸の奥が、わずかに軋む。


(なんだよ、その話し方、その目)


 怒れ。

 蔑め。

 無視しろ。

 こいつは聖女を愛していて、ラゴウには最初から興味がない。

 だったら、もっと冷たくしろ。

 そのほうが楽だ。

 それなのに、丁寧語のまま、壁を作る。

 触れない。

 奪わない。

 近づかない。

 だが切り捨てもしない。

 ――この男は、たちが悪い。

「……問題ありません」

 俺も、一応、敬語で返す。

 返す、が。

 思わず、王を睨みつけるようにみてしまう。


 その瞬間。

 王の青灰色の瞳が、ラゴウの乾金の瞳と、ぶつかる。

 アレクシスの瞳が、一瞬、揺れて、止まる。

 が、すぐに視線を逸らす。

 そして前を向く。


「では、参りましょう」


 扉が開く。


 そのとき。

「妃殿下」

 低い、柔らかな声が割り込んだ。


 宰相メフィスト。

 アレクの弟。

 そしてラゴウが身を投げた昨晩、ひそかに聖女カナリアと婚約の約束を交わした男。


 柔らかな笑顔。

 穏やかな声。


 だが、その瞳の奥には冷たい光が宿っている。


「最近、お身体の調子はいかがですか」

「問題ない」

 短く返す。

 メフィストは微笑みを崩さない。

 しかし一瞬だけ、おや?と眉をあげる。

 いつもなら、ほとんどうなずくだけの反応だったはず。

 まだ少女の頃に嫁いだ草原の王女は、人見知りする凶暴な仔猫のようだった。

 無口で、しかし、ただ、王だけを見つめていた。


「陛下」

 自然な速度で、メフィストは王の隣に並んで歩く。

 兄上、とは呼ばない。徹底して、距離を守る。

「草原との同盟ですが」

 歩きながら言う。

「新王のカヨウが王位を継いでから、辺境の国々が、遊牧諸族と婚姻を重ねています」

 アレクは歩みを止めない。

「均衡が崩れる恐れがあります」

「均衡を保っているのは、むしろ、草原だ」

 静かな声が落ちる。

「北嶺は南下を望み、西は交易路を欲し、東聖国は改宗を進めたがっている。・・・どれも草原を越えねば届かない」

「緩衝地帯、ですね」

 メフィストは穏やかに頷いた。

(つまり、草原の存在は、椎間板みたいなものってことか)

 後ろで聞いていたジンナイが内心で呟く。

(衝撃を吸収するクッション)

(抜けば全部ぶつかる)

 メフィストが続ける。

「しかし、草原は、国家でないがゆえに、不安定です。教会法を適用すれば、帝国法の範囲を広げられます」

「信仰は強制するものではない」

 アレクの声が、わずかに低くなる。

 空気が張る。

 メフィストは笑みを崩さない。

「強制ではありません」

 しかし、迷いなく断定する。

「最適化です」

 アレクシスと同じ青灰の瞳が、細くなる。

 だが弟のそれは、光を弾く氷ではない。

 光を飲み込む海の底の色だった。

 ただ、月光のような銀髪の王とは対照的に、メフィストの髪は淡い金色をしていた。

 光を受けると、蜂蜜色の髪が、柔らかく輝く。

 聖職者のように整った顔立ちに、柔らかな微笑。

 だが、その奥にあるのは、冷静な計算だった。


「損傷を修復し、機能を最大化する。・・・国家も同じです。不要なばらつきを取り除き、最も効率のよい形へ整えるべきです」


(怖……)

 ジンナイの背筋が冷える。

 人を“部品”として扱う思想だ。


 メフィストは穏やかに言う。

「大陸に必要なのは自由ではありません。秩序です。法は一つ。信仰もまた然り。中央に力を集約すれば、資源は効率的に再配分されます。・・・聖女の御名のもとに」


「……違う」

 アレクが足を止めた。

 振り返らないまま言う。

「祈りは命令できない」

 沈黙。

「奇跡も同じだ」

「陛下のおっしゃる奇跡とは」

 低く、王は言った。

「そのままで、生き延びさせることだ」

 宰相は沈黙した。

「欠けたままでも。歪んだままでも。この身体で生きたいと願う意志を、消さないことだ」

 王を守るように後ろで控えていたルシアンの呼吸が、わずかに深くなる気配がした。

 敬慕する王への、信頼と誇り。

 それだけで十分だった。


 メフィストは微笑んだ。

「陛下は、理想より意志を優先される」


 そのとき。


 神殿の大扉が、内側から軋みを上げた。

 白い光が回廊へ流れ出す。

 祈りの鐘が鳴り始める。


 神殿の奥には、まだ見ぬ聖女が待っている。

 正史を動かす女。


 俺は胸の奥で呟いた。

(……ここからだ)

 白い光の中へ、足を踏み入れた。


第6話を読んでくださってありがとうございます。

今回は

・近衛隊長ルシアン

・宰相メフィスト

・草原の護衛シキ

と、主要人物が一気に揃う回でした。

同じ王を支える立場でも、

「意志」を重んじる王アレクと、

「秩序と最適化」を求める宰相メフィストでは、

国家の見方がかなり違います。

そして次話では、ついに

聖女カナリアが登場します。

正史を動かす存在。

ラゴウ(ジンナイ)にとって最大の壁です。

物語はここから、少しずつ大きく動き始めます。

次話も楽しんでいただけたら嬉しいです。

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