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第56話 告白

 風を裂いて、黒馬が疾った。

 王都の外れ。

 まだ朝靄の残る街道を、影のような速度で駆け抜ける。

  蹄が石を砕き、土を跳ね上げ、白い息が一直線に尾を引いた。

 アレクシスは身を伏せるように鞍へ沈み、手綱を鋭く引き絞る。

 間に合わせる。

 今度こそ。

 もう二度と、手遅れにはしない。

 街道は北へ続く一本道。

 だが途中で谷へ落ちる旧道と、山を迂回する新道に分かれる。

 ラゴウなら迷わない。

 速さを取る。

 危険でも、最短を行く。

「……なら、わたしもだ」

 黒馬が嘶く。

 次の瞬間、アレクシスは迷いなく手綱を切った。

 崖沿いの旧道。

 人ひとり落ちれば終わる細道へ、馬体が躍り込む。

 蹄が岩を打つ。

 火花が散る。

 足を滑らせれば谷底だ。

 それでも黒馬は主の狂気を理解したように、身を低くして駆け下りる。

 風が頬を裂く。

 枝が肩を打つ。

 銀髪が後ろへ激しくなびいた。

 谷を抜ける。

 朝霧の向こうに、開けた街道が見える。

 そして、その先。

 陽を受けて燃えるような赤毛。

 風を切って走る一頭の馬。

 赤焔。

 その背で、赤銅の髪が揺れた。

 王の青灰の瞳が、獣のように鋭く細まる。

 ――いた。

 踵が腹を打つ。

 黒馬が咆えるように加速した。

 蹄が土を裂き、朝露を蹴散らす。

 距離が、削れていく。

 赤焔が気づき、耳を立てた。

 ラゴウが振り向く。


 ◇ ◇ ◇



「……っ、なんで来る!」

 手綱を手繰る手が、一瞬、緩んだ。

 叫ぶ間もなく、並びかける。

 アレクシスは馬体を寄せ、手綱を引いた。

 二頭が同時に止まる。

 土煙が舞う。

 荒い息のまま、王は馬を降りた。

 そのまま、まっすぐ歩み寄る。

「降りてください」

 低く、命じる声。

「嫌だ」

 即答だった。

「これはわたしの仕事だ。邪魔をするな」

「降りてください」

 もう一度。

 今度は、震えるほど真剣な声だった。

 ラゴウの瞳が、わずかに揺れる。

 その声音の真摯さに抗えず、ラゴウは馬を降りた。

 地へ降りた瞬間、アレクシスの手がその腕を掴んだ。

 強くはない。だが、逃がさない。

「・・・誤解を解きたい」

 息を整えながら、王は言う。

「カナリアを庇護します」

 一拍。

「ですが、それは彼女を愛しているからではない」

 青灰の瞳が、まっすぐラゴウだけを見る。

「わたしは、あなたが思うほど、聖人君子ではない」

「カナリアを妃として迎える気はない。まして腹の子の父親になるつもりもない」

 これまで聞いたことのない、切実な声音で。

「わたしの妻は、あなただけです。子を望むとすれば、それはわたしとあなたの子です」

 ラゴウの喉が、小さく鳴った。

「・・・止めても、あなたが辺境へ向かうのは分かっています」

 静かに。

「それでも、これだけは伝えておきたい」

 一歩。

 距離が詰まる。

「あなたは、わたしのただひとりの女だ」

 次の瞬間。

 手首を捉えていた男の指に、力が入った。

 ラゴウの腰が強く引き寄せられる。

 アレクシスの唇が、ラゴウの口をふさぐ。

「・・・っ!」

 噛みつくような激しさだった。

 押しつけるように。

 奪うように。

 失いかけたものに縋るように。

 ラゴウの指が、思わず王の胸元を掴む。

 深く、容赦なく息を奪われた。

 抗う隙すら与えない口づけだった。

 あまりの激しさに、めまいがした。

 ラゴウは観念したように瞳を閉じる。


 長く熱を交換しあったあと。

 離れてからも、互いの呼吸だけが近い。

 互いに、すぐには言葉にできなかった。

 アレクシスは額を寄せ、低く囁く。

「わたしのキスを、忘れないでください」

「・・・な・・・」

「ほかの男の前で、泣かないでください」

「・・・勝手なことを!アンタに振り回されるのはもう・・・」

「あなたが、わたしを選ぶまで、待ちます」

 一瞬、言葉を失う。

 王はその沈黙ごと受け止めるように、ラゴウの腰を抱く手に一層力を込めた。

「必ず、戻ってきてください」

 一拍。

「――でなければ、どんな手を使ってでも、連れ戻します」

 ラゴウは視線を逸らす。

  胸の奥が、ぐちゃぐちゃだった。

「・・・わけが分からない」

「わたしもです」

 ラゴウの耳元で、王は低く告げる。

「あなたを前にすると、なにもかもに、余裕がなくなる」

 アレクシスはラゴウの瞳を捉えて逸らさない。

「あなたが好きです」

 ラゴウの瞳が見開かれる。

「・・・好き?」

「必ず、わたしの元に戻ってきてください」

 赤焔が鼻を鳴らす。

「・・・約束できない」

「結構です。――逃げても、追いますから」

 思わず、言葉を失う。

「・・・もう、行く。離せ」

 アレクシスが腕の力をゆるめる。

 ラゴウは乱暴に鐙へ足をかけ、馬上へ戻った。

 振り向かない。

 風が吹く。

 朝日が、銀髪を照らした。

「無茶をせず、気をつけて」

 その声音が、ひどく切実で優しかった。


 赤焔の影が朝靄へ溶けていく。

 アレクシスは、消えるまで動かなかった。

「・・・必ず、連れ戻す」

 その声だけが、風に残った。


 ◇ ◇ ◇


 王宮。執務室。

「メフィストは、ラゴウにどんな采配を?」

 それが・・・、と、ルシアンは言葉を濁した。

「数名を帯同者に指名したと……そのなかに、ツクヨミの名が」

 空気が、わずかに変わる。

「ツクヨミの来歴を調べたか」

「いまだ調査中です。・・・しかし、陛下がおっしゃっていたように、不審な点が」

 聖女の薬師として王宮に滞在していた静蘭が、一歩進み出た。

「陛下からお預かりした花の薬効を調べました」

 アレクシスの視線が、鋭く上がる。

「・・・続けろ」

「草原王が王妃へ毎年贈っていた花です。それ以外にも・・・この花を乾燥させて砕き、粉状にしたものを、体調を回復させる補薬と偽って頻繁に届けさせていたようです。侍女はそれを疑わず、王妃の食事にも混ぜて出していたようで」

 机上に、乾いた花弁が置かれる。

 紫を帯びた淡紅色。

 細く裂けた花びらに、甘い香がわずかに残っている。

「王都の薬師には判別できませんでしたが、異民街の古い薬舗が知っておりました」

 一拍。

「南方の港で、遊女たちが用いる花だそうです」

 沈黙。

「香を焚き、あるいは茶に混ぜ、長く摂ることで――」

 ルシアンの喉が、わずかに詰まる。

「常用すれば月の巡りを乱し、心身を蝕み、子を宿しにくくします」

 部屋の空気が、凍りついた。

「・・・なんだと」

 アレクシスは、微動だにしなかった。

 だが。

 指先だけが、ゆっくりと机を握り込んでいく。

(・・・わたしは、何を見ていた)

 三年。

 王妃に子ができぬことを、周囲は責めた。

 草原との婚姻の失敗と囁かれた。

 その裏で。

 信頼していたはずの弟から贈られる花や薬が、まさか。

「周囲の者の話によると、王妃は・・・いつも喜んでおられたそうです」

 ルシアンが続ける。

「寝所に飾り、枕元にも置いていたと」

 沈黙。

 アレクシスの青灰の瞳から、温度が消えていく。

「草原王族しか知らぬ花か」

「表向きは、祝福と長寿の象徴だとか」

「裏では」

「……女に子を成させぬ花です」

 ぱきり、と音がした。

 王の手元で、硝子杯の脚が砕けていた。

 血が、白い指を伝う。

 血が落ちる音だけが、部屋に響くような静けさだった。

「カヨウ・・・・」

 初めて、その名を口にした。

 怒りでも、嫉妬でもない。

 もっと冷たく。

 もっと深い声だった。

「幸いにも、王妃は月蝕の夜以来、徹底した食事管理と鍛錬により、本来の健康を取り戻されました。月の周期も戻っておられます」

「・・・そうか」

 安曽したように、アレクシスは短く答えた。

 もっと早く気付くべきだった。

 嫁いでからラゴウが病んでいったのは、レザリアの王宮や風習への不適応だと思っていた。

 むろん、それもあっただろう。

 草原の王女の、まっすぐなまなざしを、避け続けたのは、自分自身の愚かさだ。

 今ならわかる。

 分かってしまった。

 怖かったのだ。

 彼女のまなざしが、自分を変えてしまうことが。


 静蘭が目を伏せる。

「・・・ここ数日は、薬房に訪ねてこられていました。辺境に運ぶ薬材を選ぶかたわら、聖女様のためのお薬も調合されていらっしゃいました」

 王は何も言わない。

 窓辺に立つ。

 朝の城門が遠く見える。

(・・・もう、追えない距離だ)

「間に合いましたか」

 ふいに、静蘭が問う。なにもかもを見透かしたような不思議な深さの瞳が、少し笑う。

「・・・分からない」

 ただ、伝えるべき言葉を、伝えた。

 ――受け入れられたのかは、分からない。

 だが。

「絶対に、逃がさない」


第56話までお読みいただき、ありがとうございます。

ついに、アレクシスがラゴウに気持ちを告げました。

逃げずに。ごまかさずに。王としてではなく、一人の男として。

そしてラゴウは、そんな告白を受けても素直に頷けない場所にいます。


後半では、カヨウの花の真実も明らかになりました。

ラゴウがこの三年で失ってきたもの。

アレクが見落としてきたもの。


次回から舞台は辺境へ。

ラゴウは王都の恋と陰謀から離れ、命が失われていく現場へ向かいます。

そこで彼女が何者なのか、改めて描いていければと思います。

そして王都では、遅れて目覚めた王が動き出します。

引き続き、見届けていただけたら嬉しいです。

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