第3話 草原の最強戦士
ふと、寝台の横に掛けれれている男物の外套が目に入った。
この身体の、重苦しさ。
ぼんやりとした、鈍い疲労と痛みの記憶。
(いや、鮮明に記憶があっても困るが)
俺は基本的にはセクシュアリティにこだわりはない。
だが、少なくともこれまで抱いてきたのは女だった。
思い出す。
背中。銀灰色の髪。冷たい肩。
そして、落ちた名――「カナリア」。
胸の奥が、また焼ける。
怒りが、ぶり返す。
ラゴウの絶望が、そのまま血管を走る。
「姫様、昨夜は・・・陛下は、ご一緒ではなかったのですか」
言いかけたユイが、言葉を飲み込んだ。
触れてはいけない傷に、指がかかる。
(一緒だったに決まってる)
昨夜だけじゃない。
三年だ。
月に一度。
その事実が、俺の中に落ちてくる。
それは「俺の記憶」ではないのに、妙に生々しい。
三年間。
月に一度だけ、王はこの寝室に来た。
乱暴ではなかった。
冷酷でもなかった。
むしろ、丁寧すぎるほどだった。
触れ方は慎重で、言葉は選ばれ、決して傷つけまいとする距離。
だがそこには、決定的に欠けているものがあった。
欲ではなく、情でもなく、
ただ義務。
王としての責任。
それでも、時折、ほんの一瞬だけ。
指先が強く絡み、呼吸が乱れ、ひとりの、男になる瞬間があった。
だからラゴウは、期待してしまった。
あの刹那が、本心ではないかと。
そして昨夜。
希望が灯りかけた、その瞬間。
「……カナリア」
それは裏切りではない。
本音だった。
だからこそ、残酷だった。
(くそ……)
手のひらを握りしめる。
何もかもが虚しく終わったあと。
ラゴウの心は砕け、壊れてしまった。
そして、飛び降りた。
その時、ふいに扉が開いた。
風が、一筋、吹き抜ける。
黒い眼帯で両目を覆った男が、立っていた。
「シキ様!」
ユイが、はっと息を呑む。
床を踏む音がしない。
それなのに、そこにいる。
気配が、先に刺さった。
漆黒の髪を肩で束ね、その双眸を――黒い布が、覆っている。
眼帯ではない。幾重にも巻かれた細布。
光を吸う、飾り気のない黒。
視線を封じられてなお、視ているような圧があった。
肌は青白い。夜明け前の雪原の色だ。
骨格は細い。一切の余分がそぎ落とされた線だ。
筋肉は外に張り出さない。
内側に編み込まれた、殺傷のための肉体。
黒衣の下、首元には古傷が走っていた。
刃を受けてもなお、生き延びた痕だ。
音もなく、揺れもなく、ただそこに立つだけで、場の重心を奪う。
草原最強の戦士――シキ。
自ら視覚を封じた男。
「……目を覚ましたか」
低い声だった。
感情の抑揚はない。だが、どこか硬質で、石を擦り合わせたような響きがある。
ラゴウ――いや、俺は、反射的に身を強張らせた。
見えていないはずのその男の顔が、まっすぐこちらを向いている。
「よくもまあ、身投げなど試みたものだ」
底冷えするような口調だ。容赦がない。
「自死は、最も蔑まれるべき愚かな死だ。草原の誇りを忘れたか」
(・・・は?)
昨夜、投身自殺を図った女を前にして吐くセリフが、それなのか?
「草原の王女ともあろう女が、史上最悪の死に様を晒すところだったな」
一瞬、言葉の意味を理解するのに時間がかかる。
護衛、といわなかったか?
護衛、とは、普通、主を気遣ったり励ましたりするものでは?
「昨晩は蝕の夜だった。月に、狂わされたか」
男は一歩、近づいた。
「それとも、王への恋情に溺れたか」
音がしない。
「・・・どちらにせよ」
床板が、軋まない。
「そのザマは、なんだ」
吐き捨てるように言う。
「速さも筋肉も落ちている。呼吸も浅い。重心の置き方すら忘れたか」
その声に、わずかな苛立ちが混じった。
「おれが丸十年かけて叩き込んだ騎射は、すべて無駄だったようだな」
――騎射。
脳裏に、何かがよぎる。
風。
馬の鬣。
弓を引く感覚。
だが、思考が追いつかない。
「ここまでぶざまな腑抜けに成り下がるとは」
冷たく、言い切る。
「どうせ死ぬなら、軍のひとつやふたつ殲滅した後、敵将の首を王に捧げて死ね」
さらに一歩、近づく。
が、ふいに、ほんのわずかに、首を傾けた。
一瞬の沈黙。
そして、おもむろに言う。
「ユイ、外へ出ていろ」
「え?」
「ラゴウと話がある」
「イヤです!」
ユイの声が跳ねる。
「シキ様ってば、厳しすぎます!姫様がどれほど傷ついているか、分かってるんですか!無神経です、配慮なさすぎです!」
師匠?それにしては、一見、ラゴウと同年代のように見えるんだが。
「いいから、出ろ」
有無を言わさない声音。ユイは唇を尖らせて、王妃の私室から下がる。・・・が、扉の陰に気配が残る。
すかさずシキの声が飛ぶ。
「聞き耳をたてるな。茶でももってこい」
「はいはい、もう~。なんで分かるんですか、目、隠してるのに。見えないなんて絶対うそなんだから」
「早く行け」
もう~とグチグチ言いながら、ぱたぱたと走り去る音がする。
「・・・さて」
気配が、近づいてくる。
重くも、軽くもない足音だった。
無駄がない。土を踏む角度まで計算されているような歩み。
そして、俺の目の前まで来て、ピタリととまる。
(こいつ、本当に目が見えないのか?)
均整が、異様だ。
病院で数え切れないほどのアスリートを診てきた。
陸上、球技、格闘技。
競技ごとに身体は偏る。
使う筋、削れる関節、壊れやすい部位。
だが、こいつは違う。
どこにも偏りがない。
どこにも隙がない。
完成している。
しかも、実戦用に。
職業柄、目が勝手に追う。
骨格。
筋の入り方。
(・・・完璧だ)
一切の無駄がない。
「……お前は誰だ」
唐突だった。
「ラゴウの形をしていながら――ラゴウではない」
心臓が跳ねる。
空気が変わる。
第3話まで読んでいただきありがとうございます。
ここから、草原最強の戦士シキも本格的に絡んできて、
王宮の事情とラゴウの運命が大きく動き始めます。
王を救えば妹が助かる。
その一点だけを頼りに、王妃として生きることになったジンナイですが――。
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