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第2話 これは、俺の身体じゃない

 ――暗い。 いや。 暗い、というより。感覚が、ない。

 手足の位置が、わからない。

 肘は、どこにある。

 膝は、曲がっているのか。

 重心が、どこに乗っているのか。


 身体の輪郭が、

 曖昧だ。


 固有受容感覚の欠落。

(……なに?)

 医学用語が、 反射みたいに浮かんできた。

 筋紡錘。腱紡錘。関節受容器。前庭系。

 目を、開ける。

「――ラゴウ様!」

 知らない声だった。

 まだ少女のような若い女の声。

 必死に、泣きそうな声を抑えている。

(ラゴウ?)

 違う。

 俺は、――陣内生真ジンナイ・ショウマ

 整形外科医だ。

 総合病院勤務。

 卒後五年目。

 手術は、そこそこ上手い。

 リハビリは、他科任せ。

 昨日は、当直明けだった。

 今日と明日は、非番で。


 駅前のイタリアン。午後七時。予約済み。

 マッチングアプリで知り合った女が、「先生って仕事もプライベートも忙しそう。いつも 女の影あるよね」と笑っていた。

「ショウマってさあ、本気でひとを好きになったこと、ある?」

 髪をかき上げる仕草が、妙に計算高くて。

 まあ、いいか、と思った。

 白衣を脱いだだけで、態度が変わる女は、珍しくない。

 ナースステーションでも、受付でも、製薬の営業でも。

 自分の顔が、それなりに使えることくらい、知っている。


 コンビニのサンドイッチをかじりながら、カルテを閉じて。

 エナドリを流し込んで。

 身体なんて、動けばいいだろ。

 そう思っていた。

 患者が歩けるようになったら、それで終わりだと。

 QOL?生活?知らんわ。

 そんなのは俺の仕事じゃない。


「ラゴウ様、気が付かれましたか?」

 泣きそうな声。俺の手を握りしめた少女の手が震えている。

 いや、・・・俺の手?


「ラゴウ様」

 だからそれは誰だ。

 喉が、ひりつく。

 呼吸が、浅い。

 胸郭の動きが、小さい。

 肋間筋の緊張が、足りない。

 低栄養か? 慢性ストレス? 自律神経失調?


 視界が開く。

 まぶたが異様に重い。

 視線を落とす。

 白い。細い。華奢な、指。皮膚が、薄い。筋量が、足りない。脂肪も、少ない。

 ――俺の手じゃない。

 ゆっくりと、息を吸う。

 肺が、思ったよりも、小さい。

(・・・なんだ、これ)

 それなりに鍛えた俺の身体は、もっと、重くて筋肉質だったはず。

 まるで壊れかけの、この身体は、なんだ?

 寝台の横に、鏡があった。

 誰かが、映っている。

 長い赤い髪の、女がいた。

 白い肌。金色の瞳。

 ――王妃ラゴウの顔。

 遅れて、何かが、追いついてきた。

 水。冷たい夜。石の欄干。滑る手。

 思い出した。

 この女は、バルコニーから、身を投げた。

 そして、落ちた。

「……ご無事で、よかった……」

 少女が、かすれた声で言った。

「王妃殿下」

 その呼び名が、現実を決定づけた。

 王妃。

 ラゴウ。

 ここは、病院ではない。

 俺の身体でもない。

(……詰んだ)

 思考より先に、その言葉が浮かんだ。

 整形外科医、陣内生真。

 現在、他人の身体。

 しかも、王妃。

 状況、最悪。

「……お加減は、いかがですか」

 少女が、慎重に問いかけてくる。

 十六、七か。妹と同じ年頃。かなり童顔。

 日に焼けたような、健康的な肌。目元が、こちらをまっすぐ見ている。

 丸い輪郭に、大きな瞳。鼻筋はまだ幼さを残していて、口元の造りも甘い。

 アニメに出てくる、田舎出身の後輩キャラみたいな顔だな、と場違いな感想が浮かぶ。

 好みってわけじゃないが、妙に男の保護欲を刺激するタイプだ。

(……いや、今それどころじゃないだろ)

「・・・ええと、だれだっけ・・・?」

 設定の記憶が、現実に追いついていない。

 思い出せ。妹からやたらと聞かされたストーリー。

 王妃とこの少女の関係は?

「姫様、少し記憶が混乱されているんですね。ユイですよ」

 姫様、と呼ぶのは、この王都ではこの少女だけだ。

「姫様と一緒に草原から付き従ってきた、ユイです」

 草原。

 その単語に、胸の奥が、微かにざわついた。

 知らないはずなのに。

 懐かしいような、感覚。

「どうして言ってくださらなかったんですか・・・!こんな、こんなことをなさるまで、苦しまれていた   なんて・・・」

 ついに、ボロボロと、少女の瞳から涙がこぼれはじめる。

「ちょ・・・泣くんじゃない」

 泣き顔が、妹と重なる。

 10以上年下の、最愛の妹。シスコンなのは自覚している。冗談抜きで、目の中に入れても痛くない。


 ――お兄ちゃん。あたし、もう、前みたいに走れないのかな


 膝を壊してスタメンを外れ、泣いてた。

 結局、あんなに好きだったバスケもやめた。

 心の穴を埋めるように、妙な乙女ゲームにのめり込み…推しのアレクシスが死んだ夜、池に飛び込んだ。

 意識不明の重体。

 だが、アレクシスの死を回避できれば。

 妹が池に飛び込む未来も、変えられるかもしれない。


「ともかくも、生きてるだろ」

「・・・?姫様、口調が、草原にいた頃に戻りましたね」

「え?」

「王都に嫁いでこられてから、無理ばかりされてましたもの。言葉遣いも、立ち居振る舞いも、衣食住すべて、草原での生活と違いすぎて。おつらかったでしょう?もうもう、敬語なんてどうでもいいです。前みたいに、来い、うるさい、腹減った、早くしろ、とか、もうそういう姫様に戻りましょう!」

(あれ?ラゴウってそういう性格だったのか?)

 草原で最優先されるのは、戦える身体であること。より多くの獲物を射抜き、より多くの敵を屠れる能力。

 男でも女でも、それは変わらない。

 だが、ラゴウの嫁いだレザリア王国で女に求められるものは、まったく別のものだ。

 声は控えめに。

 武器に触れるな。

 日焼けは厳禁。

 王の半歩後ろを歩け。

 強さは、美徳ではない。

 従順と沈黙こそが、王妃の徳。

「このまま王都の風習なんかに縛られていたら、姫様が壊れてしまいます!」

(その、ラゴウを壊した張本人が、俺が救うべき王ってわけか)

 なんとも、皮肉だ。

「しかし、あの高さから落ちたのに、よく助かったな」

 まじまじと、自分の手をみつめ、肩を触り、脚の動きを確かめる。

 どこも、負傷していない。

「・・・姫様をお助けしたのは、シキ様です」

「シキ・・・?」

「はい。カヨウ様のご命令により、姫様の護衛として、先日王都に」

 また知らない名前だ、と思ったが、じわじわと何かが浸食するように記憶が脳裏に流れ込んでくる。ラゴウの騎射の師で、護衛のシキ。草原王である、義弟カヨウ。

 断片的な記憶が、頭の中で噛み合わないまま、積み上がっていく。

「姫様が……まさか、あのような行動をなさるとは思わず……」

 ユイの声が、震える。

「自死は、私たち草原の民にとって、もっとも忌むべき不名誉な死なのですよ。お分かりの上で、飛び降りたのでしょう」

 もう、少女の泣き声が止まらない。

「そこまで思い詰めていらしたなんて・・・もう、どうか……ご自身を、粗末になさらないでください」

 粗末。

 自分を。

 その言葉に、ふと、指先へ視線を落とす。

 細い。

 骨ばっている。

 皮膚の下に、筋肉が、ほとんどない。

(……BMI、どれくらいだ)

 無意識に、そんなことを考えてしまう。

「王には、まだ……」

 ユイは、言い淀む。

「昨夜のことは、シキ様が……内々に、と」

 内々に。

 つまり。まだ、知られていない。

 王妃が、身投げを図ったことを。

「シキ様は、問題ないと言われてましたけど、やはりきちんと医師に診てもらいましょう」

 医師。

 その言葉に、思わず、笑いそうになる。

「……いや」

 かすれた声で、答える。

「大丈夫だ」

 大丈夫なわけがない。

 だが俺は医者だ。

 専門外とはいえ、この女の身体がまともじゃないことくらいはすぐに分かる。

 所有感がずれている。

 重心が定まらない。

 呼吸は浅く、筋は落ちきっている。

 栄養状態も最悪だろう。

(……リハビリ案件だな)

 自分で、自分の身体を診る日が来るとは、思わなかった。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

少しずつ状況が見えてきましたが、

次話から草原最強の戦士・シキが登場し、物語が大きく動き始めます。

続きが気になった方は、ブックマークしていただけると嬉しいです。


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