第18話 仮面の本音
その頃。
王宮。
アレクは書類から顔を上げた。
「ルシアン」
「王妃は、今日は何をしている」
いつもならこの時間、練兵場だ。
近衛隊選抜のための特訓。
朝から晩まで、剣を振り、馬を駆り、兵士を片っ端から叩きのめしている。
だが今日は。
姿がない。
ルシアンは答えた。
「かわいがっている侍女から、灯籠祭りに連れていけと、せがまれたそうですよ」
アレクは眉を上げる。
「……王妃が?」
意外そうだった。
「てっきり、騎馬と弓術にしか、興味がないものと思っていた」
「はい」
ルシアンは肩をすくめる。
「あと興味があるとすれば、骨と筋肉と骨格でしょうか」
「・・・そうだな」
「それで、どうやら町に出る算段をしているようです」
沈黙。
「聖女様を誘っておられました」
「・・・カナリアを?」
「先日の療養所訪問のときの手伝いの礼をしたいそうで。たまには息抜きの許可を、と、神殿にかけあっていらっしゃいました」
アレクはゆっくり息を吐いた。
「・・・いったい何をもくろんでいるんだ」
さあ、とルシアンは困ったように首をかしげる。
「王妃のお考えは、わたしには分かりません」
アレクは窓の外を見た。
初夏の風が吹いている。
遠くで、祭りの準備の音が聞こえる。
アレクは立ち上がった。
「ルシアン」
「はい」
「聖女に護衛を。・・・わたしの衣装もだ。民に紛れるものを」
ルシアンは目を細める。
「・・・王も、行かれますか」
「灯籠祭りは、異民街の近くだ。聖女の護衛も兼ねて、情報収集もしてこよう」
「カナリア様の心配を?」
――それとも。
王の視線が、わずかに動く。
「・・・なんだ」
「いえ。手配いたします」
ルシアンは、静かにこうべを垂れた。
夕日が落ちる頃、王都の空気はすっかり祭りに変わっていた。
通りには人があふれている。
屋台。笑い声。笛と太鼓の音。
子どもたちは走り回り、若者たちは川の方へ急ぎ、商人たちは声を張り上げる。
通りの両側には、赤や金の灯りが揺れていた。
初夏の風が吹く。
新しい葉の匂い。
夜はまだ温かい。
侍女は完全に浮かれていた。
「姫様、見てください!」
屋台の灯りに顔を近づける。
「砂糖菓子です!」
「きゃああ、蜂蜜酒もある!」
ラゴウは苦笑する。
「おまえは食い物しか見てないな」
「食べ歩きが祭りの醍醐味ですもの!ほら、姫様も楽しみましょう!!」
ユイに引っ張られながら、川の方へ進む。
人が増える。
ざわめきが、少しずつ変わる。
水の匂い。
そして。視界が開けた。
川だ。
無数の灯りが浮かんでいた。
灯籠。
小さな光が、水に揺れている。
流れる。
揺れる。
ゆっくりと、夜の川を下っていく。
まるで、星が川を流れているようだった。
ユイが息を呑む。
「……きれい」
ラゴウも、思わず目を見張る。
風の音。
水の音。
人々の祈り。
灯籠が流れる。
ひとつ。
またひとつ。
小さな光が、夜に溶けていく。
そのとき。
遠くで、歓声が上がった。
空を見上げる人々。
夜空に、ゆっくりと浮かび上がる光。
天燈だった。
紙の灯りが、空へ昇っていく。
ゆっくり。
静かに。
無数の灯りが、夜空に広がる。
川には星。
空にも星。
王都の夜は、光に満ちていた。
ラゴウは小さく息を吐く。
「……悪くないな」
ユイが振り向く。
「でしょう?」
ラゴウは答えない。
ただ、川を見ている。
流れていく灯りを。
そのときだった。
人の流れの向こう。
白い衣が見えた。
聖女カナリア。
その隣。
背の高い男。
アレクシス。
ラゴウの足が、ほんの一瞬止まる。
人混みの中で、ふたりは一見すると若い恋人同士に見えた。
聖女は町娘の装いだった。
生成りの麻布の衣に、簡素な上掛け。
長い髪は三つ編みにして、肩に落としている。
だが、歩き方が違う。
背筋が自然に伸びている。
動きは静かで、乱れない。
灯籠の光を受けるたび、ピンクゴールドの髪が柔らかく輝いた。
町娘の衣を着ていても、どこか上品な気配が消えない。
王は、狩人の仮装だった。
濃い革の上衣に、短い外套。
背には簡素な弓。
だが、背中が違う。
肩の線がすっと整っている。
無駄な力が入っていない。
歩くたび、静かに布が揺れる。
荒々しい狩人というより、森を静かに歩く番人だ。
灯籠の光が背に落ちると、その姿は妙に目を引いた。
ふたりは川を見ている。
灯籠の光が、静かに揺れている。
並んで立つ姿は、よく似合っていた。
(……なるほど)
胸の奥が、軋む。
視線を、外す。
(悪いな、ラゴウ)
頭の中で、謝る。
(でも、お前だって、大好きな王に、死んでほしくはないだろう)
王と聖女。
・・・ふたりを結びつけるのが、正史ルート回避のための一番手っ取り早い方法なんだよ。
ラゴウは、そこに割り込む存在でしかない。
邪魔者は早めに退散したほうがいい。
小さく、息を吐く。
人の波。
灯り。
音。
そして、ふと。
(……今なら)
すべてが、人混みに紛れている。
ラゴウはくるりと向きを変えた。
「ユイ」
「はい?」
「少し歩いてくる」
ユイが目を丸くする。
「え?」
「心配するな。そのへんをひとりで遊んでくるだけだから」
灯りが流れる。
ひとつ。
またひとつ。
川は静かに光を運んでいく。
――これでいい。
そして、静かに踵を返した。
王と聖女を背に、人混みの方へ歩き出す。
◇ ◇ ◇
露天の棚には、きらびやかな仮面が並んでいた。
金の花弁で縁取られたもの。
鳥の翼の形をしたもの。
蝶の羽のようにきらめくもの。
どれも灯籠の光を受けて、夜の花のように輝いている。
ラゴウは、その中からひとつ手に取った。
黒地の仮面。
瞳の周囲を、細い金の花弁が放射状に囲んでいる。
花弁の外側には、夜鳥の翼を思わせる羽飾りが広がっていた。
灯籠の光が触れるたび、金がきらりと揺れる。
ラゴウはそれを顔につけた。
視界が、すっと細くなる。
髪をまとめ、この国では珍しい赤い髪色を布で軽く隠す。
仮面を整え、露天の銅鏡をのぞき込んだ。
そこに映っているのは、草原の王女ではない。
灯籠祭りの夜に紛れた、異国の若者だった。
ラゴウは口元だけで笑う。
「いいな、これ」
人の波へ歩き出す。
灯籠の光が揺れる。
仮面の人々が行き交う。
狐。
鬼。
鳥。
蝶。
誰も互いの顔を知らない。
(ふたりは、どんな話をするのだろう)
今日は、なぜか。
ラゴウであることも、ジンナイであることも、少しだけ、消してしまいたい気分だった。
あの男はあんなに優しい眼差しで聖女を見る。
聖女はあまりにも自然に、あの男の隣に寄り添う。
(あの男は、自分の本当の望みを隠したまま、王として生きていけるくらいには、器用なのかもしれない)
だが――
(どうせ一緒に生きていくなら)
好きな女のほうがいいに決まっている。
(ラゴウ。俺たちは草原に帰ろう)
それが最適解のはず。
なのに。
なにが胸の奥が、ひどく静かに痛んだ。
第17話、灯籠祭りでした。
戦って、鍛えて、削ってばかりだったラゴウに、
少しだけ「静かな夜」を。
……のはずが、
仮面をつけてまで逃げに入るあたり、
だいぶこじれてますね。
そして今回の見どころはやっぱり、
王と聖女の“お似合いっぷり”。
第三者視点だと完全に「正解ルート」なんですが、
ジンナイ視点だと、「それでいいはずなのに、なんか痛い」になるのが面白いところです。
理屈では正しい。
でも、感情が追いつかない。
――このズレが、これから効いてきます。
次回、仮面の夜はまだ終わりません。




