第17話 灯籠祭り
ふた月目。
ラゴウの身体は明らかに変わっていた。
走れば風を切る。
呼吸は乱れない。
筋肉が戻る。
だが、戻るのは筋肉だけじゃない。
神経だ。
動きの回路。
草原で叩き込まれた身体の記憶。
走る。
回る。
射る。
その回路が、もう一度つながる。
弓。
矢をつがえる。
肩甲骨を寄せる。
体幹を締める。
引く。
放つ。
兵士たちがどよめく。
剣も同じだった。
毎日。
振る。
振る。
振る。
前腕。
肩。
背中。
だが、力任せではない。
しなやかに。
重さを流す。
三週目。
ラゴウの剣は、空気を切るようになった。
初夏。
朝の空気はすでに温かい。
新しい葉が濃くなり、
風は草の匂いを運んでくる。
「姫様、姫様!」
興奮した様子で、ユイが走ってきた。
町に用事があるといって出ていき、戻ってくるなり、がし、とラゴウの手をつかんで離さない。
侍女というより、妹分に近いこの少女は、何か「おねがい」がある時に、よくこういうキラキラした目つきをする。たまにはふわふわのドレスを買いに行きましょう(ほんとは自分が街歩きしたい)とか、もっと陛下の気を引くような髪型にしましょう(ほんとは自分の髪飾りが欲しい)とか、どこそこの菓子屋がおいしいから買ってきましょう(ほんとは自分が便乗して食べたい)とか。
(・・・まあ、かわいいから、いいんだが)
妹のケイトも、よくこんなふうに俺を振り回した。小遣いをねだり、甘え、雨が降ればバイクで送れといい、帰りが遅くなるから迎えに来いといった。うちは妹を生んですぐに母親が他界し、学歴だけは高い仕事人間の父親に育てられたから、妹の世話を焼き、弁当を作り、髪を毎朝結ってやるのは、俺の役割だった。
「・・・今日はなんだ」
「明日、灯籠祭りがあるんですって!」
「灯籠祭り?」
「はい!」
ユイは両手を胸の前で組む。
「川に灯籠を流すんです。願いを書いて流すと、叶うって」
「ふうん」
「くだらん」
一蹴。
「シキ様には分からないですよーだ!姫様、素敵だと思いませんか、想い合う男女が、夜、灯籠に願いを込めて・・・」
「願いは祈るものではない。取りに行くものだ」
「シキ様なんかに聞いてませんから!色気のないこと言わないでください!」
ユイの目は、どこまでもきらきらしている。
「町の人、みんな行くんですよ! 屋台もいっぱい出るし、天燈も上がるし、甘くておいしお菓子もたくさんあって、音楽も流れて――」
「つまり、行きたいんだな」
ユイはぱっと笑った。
「はい!」
ラゴウは腕を組む。
「王妃がふらふら町の祭りに行くのはどうなんだ」
「お忍びで行けばいいじゃないですか!」
ユイは身を乗り出した。
「なんなら、陛下も、聖女様も!」
ジンナイの眉が、ぴくりと動く。
「……聖女も?」
ユイは勢いよく頷く。
「姫様も、聖女様も、ずっと王宮にこもりきりですし!たまには息抜きしたほうがいいと思うんです」
自分の要求を貫こうとする侍女は、次から次へと無邪気な策略を弄する。
「姫様、この間、聖女様と一緒に負傷兵の療養所へお見舞いに行かれたでしょう」
そういえば、先日、整形外科医としての腕がなまるので、勘を戻すのも兼ねて、負傷兵の療養所を訪れた。
骨折の固定を締め直し、腫れた関節を冷やし、動かなくなった指を一本ずつ伸ばす。
奇跡が命を救うことはあっても、身体の使い方まで元に戻してくれるわけじゃない。
そういう地味な作業は、人の手でやるしかない。
「ここ、押さえてくれ」
そう言うと、隣にいた聖女が素直に包帯を押さえた。
白い衣の袖が、血で汚れる。
だがカナリアは気にも留めなかった。
「……意外だな」
「何がです?」
「聖女ってのは、もっと遠くに立ってるものだと思ってた」
カナリアは、少しだけ笑った。
「奇跡のあとには、必ず人の手が必要ですから」
いい女だ、とあらためて思った。
ふと、下世話な想像もした。
あいつは、このきれいな女の、首筋にキスしたいとか、思わなかったんだろうか。
唇にふれてみたいと、考えなかったんだろうか。
政略のために望まない異国の女を娶って。
ただ、自分を抑えて、メフィストと近づいていくのを見ていたんだろうか。
――それは、相当きつかったんじゃないか。
ラゴウの恋に希望がないなら。
もう、あの男を政略結婚のしがらみから解放してやってもいい頃なんじゃないか。
そのとき、俺はまだ分かっていなかった。
聖女の回復魔法が、身体をどこまで変えてしまうのかを。
この女の奇跡が、どれほど異様なものなのかということを。
「お礼に、外出の許可を出すって、どうですか!一緒に灯籠祭りを楽しみましょうって」
(なるほど)
ジンナイは顎に手を当てる。
(それはいい)
「町の視察とか、口実なんていくらでもありますよ!」
侍女は巧妙に唆す。
灯籠祭り。
人混み。
夜。
王と聖女。
(デートだ)
しかも自然な形。
しかも王妃が提案する形になる。
(完璧なシチュエーションだ)
ジンナイはにやりと笑った。
「いいな、それ」
ユイがぱっと振り向く。
「でしょう?」
・・・聖女への気遣いとみせかけて、灯籠祭りに誘い出し、王とふたりきりに。
なにしろ求婚までした女だ。
あの品行方正な模範男だって、妻帯者ってことで自制してるだけで、聖女に未練があるのは分かってる。(それで、ラゴウは傷ついてきたわけだし)
「聖女はともかく」
後ろから声が落ちた。
シキだ。
腕を組み、壁にもたれている。
「どうやって王を連れ出す」
シキの声は不審げだ。
「灯籠祭りは異民街の近くですし、陛下も視察という名目で同行されればよろしいのでは?」
遊びに出かけたい侍女は、頭の回転がかなり冴えている。
「異民街・・・?」
「交易で集まった外国人の居住区です。南方の商人とか、砂漠の隊商とか、北嶺国の職人とか・・・」
「王国にとっては富の源だが、同時に火種にもなる場所だな」
シキが付け加える。
――だからこそ、灯籠祭りの夜は兵の巡回が増える。
「なるほど」
好都合だ。
「王は聖女に護衛をつける。当然、王自身も同行する。」
ジンナイは指を一本立てた。
「そして」
もう一本。
「邪魔者は人混みではぐれる」
ユイの言葉を借りれば。
想い合う男女が予想外のふたりきりで盛り上がる展開だ。
告白、抱擁、そして願いを書いて灯籠を川に流す。
少女マンガみたいなベタベタな展開だが、悪くない。
やることをやってもらって、双方の想いが通じればそれにこしたことはない。
シキは黙ってラゴウを見た。
「おまえ」
「なんだ」
「楽しそうだな」
ラゴウは肩をすくめる。
「そりゃあ」
そして小さく呟いた。
「恋のキューピッドだからな」
シキはため息をついた。
「・・・くだらん」
初夏の風が吹いた。
遠くで川の水音が聞こえる。
今夜は――
灯籠祭りだ。
第17話「灯籠祭り」、ここまでお読みいただきありがとうございます。
ふた月目。
ラゴウの身体は、確実に戻りつつあります。
筋肉だけでなく、「動き」や「感覚」そのものが、少しずつ。
そして今回は、少し息抜きの回。
……のはずが、なにやら不穏な計画も動き始めています。
ユイの無邪気な願いと、ジンナイの思惑。
それに気づいているのかいないのか、シキの視線。
そして――王と聖女。
灯籠祭りの夜、
それぞれの想いがどこへ流れ着くのか。
次話、いよいよ祭り本番です。




