第16話 愛馬との再会
草原王 火耀から、書簡が届いたのは、春の終わり頃。
『レザリア王へ。
我が姉ラゴウを貴国へ送り、三年が過ぎた。
それでもなお、子は生まれぬと聞く。
王妃が世継ぎをなさぬのであれば、王妃としての役目は果たされていないと言わざるを得まい。
そこで提案がある。
別の女を貴殿に送ろう。
国が傾くほどの美女だ。
王の寝台を飾るには、姉よりもよほど相応しいだろう。
代わりに――
姉を草原へ返せ。
ラゴウは元より、一国の王妃としておとなしく収まる器の女ではない。
あれは草原の女帝となるべき女だ。
王宮の鳥籠で飼うのには向かない。
今後のことは、草原王である私が引き受ける。
近く巡視の折、貴国に立ち寄る予定だ。
その時までに、レザリア王の答えを聞かせてもらおう』
アレクシスは書簡を机に置いた。
「……シキを呼べ」
しばらくして、黒衣の戦士が現れる。
アレクは書簡を差し出した。
「読めるか」
「この目は盲目ではない。視覚を封じているだけだ。文字を読むのに障りはない」
「カヨウの意図はなんだ」
単刀直入だ。
いつもの穏やかな眼差しではない。
怜悧な光が、まっすぐシキを射抜く。
シキは一読すると、鼻で笑った。
「レザリア王は、ご存じなかったか」
「何を」
「カヨウとラゴウは血がつながっていない」
一拍。
「ラゴウの再嫁を望んでいる」
沈黙。
「・・・どういう意味だ」
シキは淡々と告げた。
「あなたと別れさせ、己の妻に迎えたいのだろう」
その瞬間だった。
王の青灰の眼光jが、ゆっくりと凍りつく。
(・・・ほお?)
シキが、わずかに首をかしげる。
「草原王ともあろう者が」
アレクは低く言った。
「人妻に横恋慕とは」
一拍。
「・・・身の程を知らぬ男だ」
王の瞳から、すべての温度が消える。
声は静かだった。
あまりに静かで、むしろ冷たい。
普段の穏やかな王の声音とは、まるで違う。
氷の刃のような声音。
(……なるほど)
シキは思う。
(これが、この王の本性か)
穏やかな仮面の奥に隠しているもの。
冷酷で、容赦のない何か。
シキは肩をすくめた。
「妻として見たことがあるのか」
沈黙。
「この三年間」
シキの声は低い。
「抱き捨てて放っておいた女を、今さら妻とは」
嘲るように続ける。
「それこそ笑える」
空気が凍る。
王は何も言わない。
ただ、視線だけが鋭くなる。
シキは続けた。
「ラゴウを壊したおまえを、カヨウは決して赦さぬ」
アレクシスが静かに言う。
「……赦さないのは、おまえではないのか」
「むろん」
即答だった。
「ラゴウは、おれの弟子なのでな」
一拍。
「二度と、誰にも」
シキの声がわずかに低くなる。
「壊させはしない」
沈黙が落ちる。
やがてシキが言った。
「ひとつ頼みがある」
「なんだ」
「ラゴウには馬が必要だ」
王の眉がわずかに動く。
「良馬を草原に依頼してほしい」
王はしばらく黙っていた。
やがて言う。
「……分かった」
◇ ◇ ◇
数日後。
まだ朝日が昇りきらない頃。
厩舎の方から、騒ぎが聞こえてきた。
兵士の声。
馬のいななき。
「下がれ!」
「縄を離すな!」
「蹴られるぞ!」
弓の稽古をしていたラゴウは、眉をひそめる。
「……なんだ?」
ユイが駆けてくる。
「姫様!厩舎が大騒ぎです!」
「厩舎?」
「草原から馬が届いたらしくて……!」
ラゴウの足が止まる。
「……草原?」
胸の奥が、わずかにざわついた。
そのとき。
高く鋭い嘶きが響く。
ヒィィン!!
ラゴウの瞳が見開かれる。
(……まさか)
ラゴウは走り出した。
厩舎の前は、人だかりだった。
兵士。
厩舎番。
騎士たち。
中央に――一頭の馬。
赤い毛並み。
炎のような鬣。
黄金の瞳。
筋肉の塊のような身体。
縄を持った厩舎番が恐る恐る近づく。
次の瞬間。
ヒュッ!!
後脚が跳ね上がる。
厩舎番が飛び退く。
「危ない!」
「なんだあの馬……!」
「怪物かよ」
ラゴウが馬房の前で足を止める。
馬の耳が、ぴくりと立った。
金色の瞳が、ゆっくりこちらを向く。
炎のような赤いたてがみが、揺れる。
次の瞬間。
馬は高く嘶いた。
王妃が、ゆっくりと歩いてくる。
人だかりが道を空ける。
兵士が慌てる。
「王妃殿下!近づいてはなりません!」
「危険です!」
ラゴウは止まらない。
赤いたてがみの馬の前に立つ。
そして、その馬の名が口からこぼれる。
「赤焔」
馬が鼻を鳴らす。
ラゴウは手を伸ばす。
鬣に触れる。
温かい。
強い。
懐かしい。
胸の奥で、何かが弾けた。
ジンナイの思考が、遠のく。
王宮。
政治。
近衛隊。
そんなものが、一瞬、霞む。
代わりに満ちてくるのは、草原の風だ。
土の匂い。
馬の体温。
走る歓び。
戦士の血。
言葉が、思考より先に走る。
「……会いたかった」
赤焔が低く鼻を鳴らす。
ラゴウは額をその首に押し当てる。
「会いたかった――・・・セキエン」
幼い頃からともに育った。わたしの家族。わたしの友。わたしの相棒。
金色の瞳と、赤いたてがみ。
同じ色を分け合った、わたしの半身。
その瞬間。
身体の中で、ラゴウの魂が歓喜とともに満ちた。
血が走る。
胸が熱い。
馬は首を振る。
前脚で地面を掻く。
待ちきれないように。
ラゴウは手綱を取る。
その瞬間。
身体の奥で、何かが繋がった。
地面の感触。
馬の重さ。
重心。
忘れていた感覚が、戻ってくる。
シキが腕を組んで見ている。
ラゴウは振り返らない。
馬がまた嘶く。
ラゴウは軽く鞍に手をかけた。
躊躇はなかった。
次の瞬間。
身体が動いた。
ひらりと鞍へ上がる。
馬の背が揺れる。
高い。
視界が変わる。
風が、顔に当たる。
息を吸う。
吐く。
そして――笑った。
そのときだった。
馬が、走り出す。
重心が落ちる。
骨盤が開く。
背が沈み、馬の揺れと、一致する。
地面が流れる。
風が背中を押す。
髪が、赤銅の光を散らす。
血が巡る。
息が通る。
(生きてる)
シキが小さく息を吐いた。
(カヨウは、ラゴウの愛馬を覚えていたか)
「・・・やっと」
――戻ってきた。
草原の王女が。
遠くの回廊から、王はそれを見ていた。
女の赤い髪が、風になびく。
王は黙っていた。
ただ、目を細める。
風を受けて、馬上のラゴウが笑う。
――なんて、幸福そうに笑うのだろう。
視線をそらせない。
背筋を伸ばし、馬と一体になって、まるで風のように。
(……王妃ではない)
一瞬の沈黙。
(あれは)
ラゴウの背中が、朝日の中で輝く。
(草原の戦士だ)
第16話を読んでくださり、ありがとうございます。
カヨウからの書簡で、一気に関係が動き始めました。
そして、ついにラゴウの「原点」である草原と、愛馬セキエンが登場です。
王宮で積み重ねてきた時間と、草原で生きてきた本来の姿。
その両方がぶつかり始める回でもあります。
ラゴウはどこへ帰るのか。
王妃としてか、戦士としてか。
そして、ジンナイは?
次話から、さらに大きく物語が動いていきます。
引き続きお楽しみください。




