第14話 政略結婚の意味
「あなたに医術の才能があったとは、知りませんでした」
アレクシスは続ける。
「ずいぶん的確に、からだに触れる」
一拍、置いて。
「あなたはこれまで一度も、自分からはわたしに触れなかったので」
それは、当然だ。
緊張と、不安と、環境不適応のストレス。プレッシャー。怯え。それに。
ラゴウはまだ少女だった。
身体は女でも、心は戦場に放り出された子どものようなものだ。
「・・・女のからだってのは」
ラゴウは王の肩から手を離した。
「心と連動する。・・・男とはちがう」
義務と役割の夜を、何度重ねたところで――
ラゴウの心と身体は、萎縮するばかりだったろう。
女として、花開く前に、摘み取られたつぼみのようなものだ。
ラゴウは小さく息を吐いた。
「・・・あんたの気遣いは、分かってる」
政略結婚で差し出された草原の王女。まだ幼い少女を、王妃として迎えた。
恋愛対象ではなかっただろう。
それでも、この男なりに、気遣っていた。
それは分かる。
分かるが――
「でも、もう」
小さく言う。
「一緒にいるべきじゃない」
静かな声。
「あんな夜を繰り返すのは、ごめんだ」
沈黙。
王は何も言わない。
ただ、ラゴウを見ていた。
青灰の瞳が、わずかに揺れる。
その沈黙は長かった。
やがて、アレクは静かに言った。
「……そうですか」
声は穏やかだった。
だがその言葉は、どこか重く落ちた。
◇ ◇ ◇
診察のあと。
王は穏やかな声音で言った。
「念のため申し上げておきますが」
ラゴウが顔を上げる。
「今夜、あなたの部屋を訪ねたのは」
わずかな間。
「あなたを抱くためではありません」
ラゴウは鼻で笑った。
「安心しろ。それはこっちも期待してない」
アレクの表情は変わらない。
「あなたが望まぬなら、夜伽を強制するつもりはありません」
そして続ける。
「ただ、ひとつだけ」
王は静かに断言した。
「離縁はできません」
ラゴウの眉が動く。
「これは、あなたと私の問題ではない」
一拍。
「草原と、この国の政治の問題です」
「・・・はっきり言うんだな」
「・・・もっと早く話しておきべきでした。3年前、あなたを娶った時に」
王の声は低い。
「この婚姻が、どういう意味を持つのか」
窓の外に視線をやる。
「草原とレザリアは、長く刃を向け合ってきた。あなたを王妃として迎えたことで、ようやく両国は同じ卓についたのです」
一拍。
「王妃は、ただの妻ではありません」
どこまでも、残酷なほど、静かな声。
「同盟そのものです」
ラゴウは黙って聞いている。
王は続けた。
「あなたと私が夫婦として存在すること、それ自体が政治なのです」
そのために、と、少しだけ言葉を選ぶ。
「……夫婦という形を、演じきらねばならない」
沈黙。
「本来なら、三年前に説明すべきでした」
青灰の瞳がラゴウを見る。
「ですが、あなたはまだ十五だった。・・・王都に来たばかりで、言葉も文化も違う。その状態で、これ以上の重荷を背負わせるべきではないと判断しました」
誠実さを失わない、しかしどこまでも冷たい、理路整然とした、論理。
「それが正しかったのかは、分かりません。しかし、王妃とは、そういう立場です」
「知ってる」
即答。
ラゴウは王をまっすぐ見た。
「だから、近衛隊に入るって言ってるんだ」
沈黙。
王はしばらくラゴウを見ていた。
青灰の瞳が、静かに細まる。
「……なるほど」
低く呟く。
だが、その視線はわずかに鋭かった。
「しかし」
一拍。
「ひとつ、腑に落ちないことがあります」
ラゴウの眉がわずかに動く。
「単刀直入に伺います」
王の声は変わらない。
穏やかで、静かだ。
「あなたが変わったのは、あの夜からですよね」
あの夜。
月蝕の、赤い月の夜。
俺が、ラゴウのなかで目覚めた夜。
「あなたは身投げし、絶妙なタイミングで草原王が護衛を送ってきた」
王の視線がわずかに鋭くなる。
「草原王から、なにか密命でも授かったのですか」
誤解だ。
しかし。王としては、至極、当然の、思考の帰結。
「・・・あんた、もしかして、身投げも何か計略のうちだと思ってるのか」
アレクは答えない。
沈黙。
それが答えだった。
一瞬、言葉が出なかった。
胸の奥で、何かが冷たく軋んだ。
(・・・治さなきゃよかった)
さっきまで少しだけ見直しかけていた。
新兵を庇った姿。
兵を動かす指揮。
王としての器。
だが――
全部、どうでもよくなった。
腹の底から、むかつく。
こいつは、この三年間、ラゴウの何を見ていたんだ。
いや。
見ていなかった。
興味すらなかった。
草原との同盟を維持するための王妃。
それ以上でも、それ以下でもない。
ただの飾りだ。
飾りとして、大切に扱った。
それだけ。
俺は小さく息を吐いた。
そして言う。
「……安心しろ」
アレクが目を上げる。
ラゴウは肩をすくめた。
「計略も密命も、ない」
一拍。
「そんな器用な真似ができるなら――」
口元が、わずかに歪む。
「あんたからとっくに離れてる」
沈黙。
アレクの瞳が、わずかに揺れた。
ラゴウは続ける。
「だが一つだけ、はっきり言っておく」
王をまっすぐ見た。
「あんたが嫌いだ」
一拍。
「でも、あんたを殺させない」
アレクの眉が動く。
「なぜ」
ラゴウは笑う。
少しだけ。
「それは、まだ秘密だ」
沈黙。
ラゴウは視線を逸らす。
「話は終わりだ」
断言して、続ける。
「しばらくは、あんたの言うとおり、夫婦を演じてやる。だが、形だけだ。この間も言ったように、この先、わたしはあんたの女じゃない。王の盾だ」
さらに、言いつのる。
「だから。これ以降、こんな時間に、抱く気のない女の部屋には来るな。迷惑だ」
アレクはしばらく黙っていた。
やがて静かに言う。
「……分かりました」
王は立ち上がる。
「王妃」
「?」
「近衛隊の選抜」
一拍。
「楽しみにしています」
扉が閉まった。
だが、王は廊下に出て、一度だけ足を止める。
――女の手首の感触が、まだ残っている。
無意識に、自分の手を指でなぞった。
ふ、と笑う。
(・・・わたしは、何を)
そして何事もなかったように歩き出す。
ユイが駆け寄る。
「姫様!何のお話だったんですか!」
シキが壁にもたれて腕を組んだまま言う。
「どうやら」
黒布の奥で、笑った。
「逆効果になったな」
「どういう意味だよ」
「王は完全におまえに興味を持った」
「はあ?」
ラゴウは顔をしかめた。
「それは、あれだろ、観客が珍獣に興味もつってレベルの話だろ」
「的確な例えだが」
シキの声は、意味深な笑いを含んでいた。
「気づかなかったか。扉を出て、一度、振り返った」
(・・・そんなわけ、あるか)
穏やかで誠実。
冷静沈着、品行方正、気遣いも完璧。
端正な顔に、均整の取れた体。
しかも王だ。当然、金も権力もある。
普通は、女だってよりどりみどりだろう。にも関わらず。
女も酒も煙草も――たぶん、賭博もしない。
・・・俺と違って。
酒も煙草も、女遊びも――片っ端からさんざんやってきた。
なんか、自分が、どうしようもない人間に思えてくるな。
(・・・あいつ)
(隙がなさ過ぎて、いけ好かない)
ラゴウは椅子に座る。
腕を組む。
窓の外を見る。
夜風が吹いていた。
「近衛隊選抜」
小さく呟く。
「絶対に通る」
そして。
心の奥で、もう一度言う。
(正史なんて)
(ぶち壊してやる)
第14話「政略結婚の意味」を読んでいただき、ありがとうございます!
今回はちょっと重めの回でした。
アレクからはっきりと語られた通り、
この結婚はただの夫婦関係ではなく、国と国をつなぐ「政治」そのもの。
王妃=同盟、という言葉、なかなか容赦ないですよね……。
一方でラゴウは、
「王の女」ではなく「王の盾」として生きる道を選びました。
このあたりから、二人の関係は少しずつ変わり始めています。
……とはいえ。
本人たちはまだ全然かみ合ってません(笑)
むしろ今回、アレクはラゴウを疑ってますし、
ラゴウはラゴウで「嫌い」と言い切ってますし。
距離、全然縮まってないどころか、
ちょっとややこしくなってきました。
でも実はこの回、
アレクが「ラゴウ個人」を見始めるきっかけ
にもなっています。
次話からは少しずつ、
関係の空気が変わっていく予定です。
(たぶんラゴウは逃げます)
引き続き楽しんでいただけたら嬉しいです!




