第11話 リハビリ開始
体力回復の第一段階。
まずは――散歩だ。
シキの野郎は、「走れ」だの「動け」だの、無茶苦茶なことを平然と言いやがった。
「巨石を抱えて丘を三往復」
「腕立て二百」
「腹筋三百」
「倒れるまで弓を引け」
挙げ句の果てには、「草原ではこれが普通だ」などとぬかす。
(馬鹿か)
この身体は今、ほぼ壊れかけだ。
筋肉は落ちてる。
血も足りない。
体幹もガタガタ。
こんな状態で、そんな根性論丸だしの蛮族式トレーニングみたいなことをやれば、むしろ悪化する。
身体を立て直すには順序がある。
まずは歩く。
呼吸を整える。
血流を戻す。
神経系を目覚めさせる。
基礎代謝を回復させてから、負荷を上げる。
スポーツ医学とトレーニング理論に基づいた、きちんとしたリハビリだ。
そのためにも、まずは身体の状態を把握する必要がある。
王宮の庭を歩きながら、ふと思う。
(……目標がいるな)
人間、ゴールがないと続かない。
期限。
目標。
達成基準。
モチベーション維持には重要だ。
いろいろ考えた結果。
ひとつの結論に至った。
王の最も近くで王を守れるのは、近衛隊だ。
(これだな。・・・近衛隊に、入隊する)
ラゴウは歩きながら考える。
廊下に出る。
宮廷の長い回廊。
窓の外には庭園。
嫁いで、三年。
ここを歩くたびに、息苦しかった。
ラゴウはずっと、“王妃らしく”あろうとしてきた。
歩き方を変えた。
声の高さを変えた。
笑うときの歯の見せ方を変えた。
香油の匂いに、慣れようとした。
胸元を締め上げる衣装にも、足首を隠す長い裾にも、黙って耐えた。
草原では、風を切って走るために作られていた身体を、ここでは、椅子に座り続けるために折りたたまねばならなかった。
王妃は、戦場を駆ける必要はない。
ならばせめて、王のために、王妃らしくあろうと、思った。
夫に、気に入られるように。
“彼女”のように。
聖女カナリア。
王が聖女を見ていることは、すぐに分かった。
同じくらい、ラゴウは王を見つめていたから。
白い肌。
柔らかな声。
祈るときの、伏せた睫毛。
なにもかもが、自分とは違う。
美しさ、立ち居振る舞い、その一挙手一投足。草原の野蛮な小娘などに、かなうはずのない相手だった。
(もう、そんなに苦しむなよ)
ラゴウの切なさが、胸を締めつける。
籠の中の鳥。
矯正された身体。
だが今は、違う。
ラゴウは足を止めた。
「夏が来たら、近衛隊志願者の選抜があるらしい」
三ヶ月後だ。
シキがわずかに眉を動かす。
「それに志願する」
沈黙。
ユイがぽかんと口を開ける。
「……姫様?」
「本気だ」
近衛隊。
王直属の軍。
軍の中でも、さらに選び抜かれた兵士たちの精鋭部隊だ。
つまり――王に一番近い場所。
王を守る位置。
期限は三ヶ月。
(悪くない)
区切りがあると、人間は動ける。
ゴールから、最短最速で、逆算する。
今、この瞬間に、やるべきことは何か。
シキが言う。
「今の身体で?」
ラゴウは肩をすくめた。
「だからリハビリだ」
「リハビリって、何ですか?」
ユイが首をかしげる。
俺は肩をすくめた。
「簡単に言えば――壊れた身体を、もう一度ちゃんと使えるように戻す訓練だ」
シキが腕を組む。
「ならば、走ればいい」
「違う」
即答した。
「壊れた身体を無理に動かせば、さらに壊れる。根性論じゃ身体は治らない。仕組みで治すんだよ」
俺は自分の腕を軽く叩いた。
「骨、筋肉、腱。全部、それぞれ回復する速さが違う。順番に負荷を上げていかないと、身体は元に戻らない」
ユイが「へえ……」と目を丸くする。
「じゃあ、少しずつ動かすってことですか?」
「そう。まず歩く。次に筋肉を起こす。それから走る。最後に戦える身体に戻す」
シキが低く言う。
「回りくどい」
俺は鼻で笑った。
「これが最短なんだよ」
ラゴウの腕を軽く持ち上げる。
「この身体は三年も檻に入れられてたんだ。いきなり戦わせたら壊れる」
一拍置いて言う。
「だが、正しくやれば――」
指を鳴らす。
「草原の戦士の身体に、確実に、戻せる」
そして視線を上げる。
「そのためにも」
「戦士の身体を見たい」
王宮の奥。
土煙が上がっている場所。
練兵場だ。
「見に行くぞ」
練兵場から響く槍の音に、胸の奥で、ラゴウの血が静かに騒いだ。
◇ ◇ ◇
王宮の訓練場は、朝から土煙に包まれていた。
槍のぶつかる音。
号令。
馬のいななき。
汗と革の匂いが混ざった空気が、胸の奥をくすぐる。
ラゴウは柵にもたれて、それを眺めていた。
(……いいな)
血が騒ぐ。
身体の奥が、わずかに熱くなる。
王宮に閉じ込められて三年。
ラゴウの身体は、まるで別人みたいに鈍っていた。
だが、目の前の光景は違う。
兵士たちの動き。
馬の重心。
槍の軌道。
全部、身体で理解できる。
(草原だ)
ほんの少しだけ、胸が痛む。
そのとき。
低い声が訓練場に落ちた。
「前列、三歩」
声だけで空気が締まる。
兵たちが一斉に動いた。
無駄がない。
揃っている。
ラゴウは視線を動かす。
訓練場の中央。
アレクシスが立っていた。
銀の髪。
青灰の瞳。
鎧ではなく、軽い訓練着。
だが、それでも分かる。
身体の線。
肩の張り。
背中の筋肉。
腰の重心。
無駄がない。
均整が整っている。
鍛えられている。
(……)
思わず、じっと見てしまう。
(いい体してんな、こいつ)
王宮の衣の下では分からなかった。
戦士の身体だ。
練兵場の中央に立つ王の視線が、一瞬だけこちらに流れた。
そして、わずかに止まる。
(……王妃?)
第11話でした。
ラゴウ、リハビリ開始です。
三年間止まっていた身体を、少しずつ取り戻していきます。
まずは歩くところから。
そして目標は――近衛隊。
王妃が近衛隊を目指すという、なかなか無茶な計画ですが、
ラゴウ本人はかなり本気です。
そして最後、練兵場で王と再び視線が合いました。
ここから少しずつ物語が動き始めます。




