表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/17

第10話 衣装を捨て、肉を食う

 王妃の私室。

 ラゴウは鏡の前に立っていた。

「・・・よし」

 おもむろに、豪奢なドレスの紐を、無造作に引きほどく。

 背後でユイが悲鳴をあげた。

「ま、待ってください姫様!何を――」

 そしてそのまま、ドレスを脱ぎ捨てる。

 床に、重たい布が落ちた。

 シキは壁にもたれたまま腕を組んでいる。

 一瞥。

「……貧相な身体だな」

 ラゴウの眉が動く。

「うるさい」

「よくそれで王をたぶらかそうなどと思えたものだ」

「別に、思ってねえよ」

 ラゴウは顔をしかめる。

 そんなことができるほど、大人の女として成熟していたわけではない。

 王の心を手に入れられるほどの容姿も策略ももたない、何の勝算もない小娘だった。

 ラゴウは、ただ、そばにいたかっただけだ。

 形ばかりの王妃でも。

 自分を抱きながら、ほかの女を想う王に心を壊されても、なお。

(そんな悪縁、俺はぶったぎる)


 ユイが絶叫する。

「ラゴウ様!!シキ様の前ですよ!?せめて服を――」

「別にいい」

 下着一枚で素肌をさらして、ラゴウは平然としている。

 そして、鏡を見る。

 確かに。

 細い。

 肋骨がうっすら浮いている。

 肩は薄い。

 腕には筋肉がない。

 三年前、草原にいた頃の身体とは別物だった。

(……そりゃ弱る)

 三年。

 慣れない宮廷に閉じ込められた生活。

 食事もまともに取っていない。

 ストレス。

 拒食。

 これで身体を保てる方がおかしい。

 頭の中に、ふいに別の知識が浮かぶ。

(アスリートの身体ってのは)

 筋肉は、使えば増える。

 使わなければ消える。

 単純な話だ。

 そしてもう一つ。

(食わなきゃ、回復しない)

 大学での専攻はスポーツ医学だった。

 タンパク質。脂質。糖質。エネルギー。

 運動で壊れた筋肉は、食事で修復される。

 食べない身体は、回復しない。

 これは常識だ。

(まず食う)


 次に、衣装棚を開ける。

 そこには王妃の衣装が並んでいた。

 絹。

 刺繍。

 宝石。

 すべて王から贈られたもの。

 とはいえ、むろん、王本人ではなく、執事や側近たちが入念に選んだものだ。

 ラゴウの好きな布の質感も、髪飾りの色も形も、おそらく王は知らない。

(・・・愛の対義語は無関心、て、どっかの哲学者が言ってたな)

 無関心、けっこう。今さら興味をもたれても困る。

(全部、いらん)

「捨ててくれ」

 シキが言う。

「売ればけっこうな額になるぞ」

「じゃ、売ってくれ」

 今度はユイが言う。

「だめです!侍女長様にばれたら、止めなかったわたしが叱られます!」

「なら、寄付しよう。孤児院とか、病院とか」

「寄付・・・まあ、それなら」

「決まりな」

 勢いよく片手を滑らせて、一気にドレスをまとめ、どさ、と床に投げ捨てる。

 その奥に。

 一着だけ。

 質素な服がある。

 革の上着。

 兵士の服。

 ユイが息を呑んだ。

「それ……」

 ラゴウは引き出す。

「昔のだ」

 草原の装束。

 三年前、ここに来た時のもの。

「まだ捨てていなかったのか」

 シキが言う。

「捨てる理由がない」

 ラゴウは迷いなく袖を通す。

 帯を締める。

 布は重くない。

 身体にまとわりつかない。

 呼吸が、楽だった。

(まずは身体を戻す)

 王を守るなら。

 このままの身体じゃ無理だ。

 草原の戦士だった頃の身体に、戻す。

(半分でもいい)

 それでも十分戦える。

 ラゴウは立ち上がる。

 その瞬間。

 視界が揺れた。

 床が傾く。

 身体がぐらつく。

 次の瞬間。

 シキの手が肩をつかんでいた。

「情けない」

 ラゴウは舌打ちする。

「……仕方ないだろ」

(嫁いで3年)

(まともに食ってない)

(動いてない)

 そして、なにより。

(感じていない)

 喜怒哀楽も、季節の移ろいも。

 生きている実感も。

「三年でここまで弱るとは思わなかった」

「王宮は毒だな」

 シキが淡々とした口調で言う。

「草原では、弱った者から死ぬ」

 ラゴウは椅子に腰を落とした。

「今のお前は使い物にならない」

 沈黙。

 ラゴウは笑う。

「だろうな」

 女としても、戦士としても。使い物に、ならない。

 しかし、だからこそ。

「……腹が減った」

 ユイが固まる。

「え?」

「肉」

「肉!?」


 数分後。

 テーブルに料理が並んだ。

 ローストされた肉。湯気が立っている。焼けた脂の匂い。香辛料。

 腹が鳴る。

 ラゴウはフォークを取らない。

 そのまま手で掴んだ。

 がぶり。

 ユイが叫ぶ。

「姫様!?」

「いけるな」

 肉汁が滴る。

 ラゴウは気にしない。

 がつがつ食べる。骨にかぶりつく。

 噛む。

 飲み込む。

 歯が沈む。

 肉汁があふれる。

 塩。

 脂。

 熱。

「……うまい」

 三年ぶりだった。

 肉を、味として感じたのは。

 ユイは呆然としていた。

「……よかった」

 ぽろりと涙が落ちた。

「最近……ほとんど召し上がってくださらなくて……」

 ラゴウの手が止まる。

「泣くな。今日からちゃんと食う」

 皿の肉はすぐに消えた。

 骨にもかぶりつく。

 ばき、と音がする。

 ラゴウは言う。

「……まだ足りない」

 シキの口元がわずかに動く。

「そうだろうな」

「草原の人間は、その三倍は食う」

 ラゴウはユイを見る。

「持ってこい」

「は、はい!!」

 ユイが部屋を飛び出していく。

 ラゴウは椅子に背を預ける。

 息を吐く。

 身体が、少しだけ温かい。

 血が流れている。

 久しぶりに。

 生きている感じがした。

 シキが言う。

「体力を取り戻せ」

「分かってる」

(俺は医者だ)

 どんな患者に、どんな治療が必要か、分かってる。

「その身体では剣も持てん。弓も引けん」

 ラゴウは笑う。

(・・・見てろよ)

「戻す」

 金の瞳が光る。

「全部」

 ◇ ◇ ◇

 同じ頃。

 王の執務室。

 アレクシスは報告を受けていた。

 近衛兵が困惑した顔で言う。

「……王妃が」

「肉を?」

「はい」

 沈黙。

 アレクシスは窓の外を見る。

(肉を食べた、か)

 三年間。

 王妃が楽しそうに食事をしている姿など、一度も見たことがない。

 そしてふと思う。

 ――そういえば。

 王妃は、いつから食べなくなったのだろう。

 夫として、致命的に失格なのは、自覚している。

(……あの女は)

 昨日までとは、別人のような目をしていた。

 それに加えて、先日の「離縁してくれ」発言。

 政略結婚だ。王妃の一存でどうにかなる問題でもない。


 ――アンタに、もう恋情はない。


 恋情がないのに、わたしを守る?

 そして聖女をメフィストから奪い返せ、と?

(一体何をもくろんでいる)

 しかし。

 アレクシスは小さく息を吐く。

 そして、わずかに笑った。

「……面白い」


第10話でした。

王妃ラゴウ、三年ぶりに肉を食べました。

宮廷で静かに壊れていった三年間。

でもここから、ラゴウは少しずつ身体も心も取り戻していきます。

そして王のほうも、

ようやく王妃を「面白い」と思い始めました。

ここから二人の空気が少しずつ変わります。

もし物語を楽しんでいただけたら、

ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ