永遠列車
1番線、列車が参ります。
深夜のホーム、出張で疲れ切っていた私は、間もなく来る寝台列車を待っていた。
ぼーっとしてると、目の前に少々古臭い気がする寝台列車が停車する。
色はくすんだ緑色、模様は劣化で薄れていて、窓が黄色く曇っている。
今日乗る列車はこれだろう、そう判断して私は列車に乗った。
乗ると、少し違和感を覚えた。
なんとも独創的で、それでいて不安になる模様と配色。
見た目は凄まじいが、触れてみるととても触り心地が良く、私は乗る列車を間違えたのではと感じる。
列車が出発する。
あたふたしていると車掌がやって来た。
顔が見えない、影のように真っ黒だった。
切符を見るらしい。
もし間違えていたらどうなってしまうんだ。
⋯拝見いたしました。
切符はお返しします。
切符を返された、すぐにおかしいことに気がつく。
行先の欄が、空白になっている。
お客様の部屋はこちらです。
2号車4番個室、切符を見直すとそう書いてあった。
個室を買った覚えはないのだが、何かの間違いなのだろうか。
部屋は車内のどことも変わらず、切り絵のような奇怪な模様や配色だった。
触ると、普通のイス、ベッド、テーブルだ。
特に汚れているわけでもない、見た目というか模様がかなり奇怪なだけで。
ベッドに寝転がる。
そこそこ柔らかいマットレスに、そこそこ柔らかい枕だ。
もし手違いでこの部屋に案内されたとしても、それは車掌のミスだ。
なら、存分に堪能しようじゃないか。
出張は1週間にわたってのものだった。
社に用意された宿はまあ悪くはなかったが、良くもなかった。
ちょうどこの列車と同じような、短い間だけの滞在なら平気だが、数ヶ月暮らすには少々物足りない程度だ。
伸びをする、想定よりも快適なベッドだ。
ここでしっかり寝て、明日の出勤に備えよう。
次の日、車窓には見覚えのある景色が広がってると思った。
そうではなかった、この列車は海のすぐ近くを走っている。
確信した、私は間違った列車に乗った。
そして、帰る方向とは違う方向に向かっているのだと。
テーブルの上にはいつの間にか冊子が置かれていた。
書いてある文字は見たことがないから読めないが、イラストがたくさん載っているので伝えようとしている意味はなんとなく分かった。
4号車は食堂車で、8号車はシャワー(?)、12号車は展望車のようだ。
もはや午前中に家に帰れないのが確定した私は強かった。
空腹をまず満たすために、食堂車に向かった。
食堂車へようこそ、さぁ座って。
食堂車に入ると文字通りココナツ頭のコックが迎え出た。
案内されるままカウンター席に座る。
どんなご料理をご所望でしょう。
オムライス?ハヤシライス?それともビーフカレー?
メニューを見る、見知った料理のイラストがあったのでそれを頼む。
相変わらず文字は読めない。
ハチクマライスですね、こちらはあまりお時間は取りません。
白米の香り、油の焼ける音、コンロの燃焼音。
しばらく、というほど待っていないが、待つと料理が出てきた。
ハチクマライスでございます。
もともとは私めなどの従業員用の賄い食でしたが、その単純さと栄養豊富さからお客様にもご提供するようになった一品です。
お好みで醤油などをかけて召し上がりください。
見た目は⋯すさまじい。
緑色の黄身(もう意味がわからない)に、紫色のハムが白米のうえに乗っている丼物。
白米はしっかり白い米なのが見る者の正気を保証し、同時のこの料理の色彩の異常さを証明する。
おそるおそる口に運び、咀嚼する。
一言、不味い。
ハムを口に入れた瞬間、口のなかに苦味が広がり、続いて酸味が広がる。
その後舌を刺激する不快感が現れ、歯の間に痺れすら感じる。
黄身の中身は色はおかしいがとろっとした液体で、少しは期待が持てたがすぐに期待した自分を恨んだ。
非常に、アンモニア感のある風味。
白米の味が非常に美味しく感じる、不味くないというだけなのに。
何をどうしたらここまで不味くなるのか。
不味いながら、吐き気はしない。
また料理人の目の前で残すことはできない。
掻っ込んでできるだけ味を感じないようにして飲み込む。
不愉快だが、満腹だ、満たされた気はする。
どうですか、おかわりやデザートなどは。
いらない、ときっぱり断る。
食べれるギリギリの不味さを追求したかのような均衡、「食おうと思えば」という境界、そして苦痛にならないが楽しみには決してならない雰囲気。
1つ決めたことがある、食事は不味い場合に限り、汚く食ってもいいのだと。
ジョイント音が響く車内。
自分の部屋に帰ろうとすると、隣の部屋が気になった。
半開きの扉。
覗き込むと、少女がベッドに座っていた。
制服らしき服はボロボロだがシワも穴もない。
どうぞ、せっかくだからお話しようよ。
少女はこちらに気がつくと、気さくに声をかけてきた。
少女の向かいの椅子に座る、少し冷たく、そしてふわふわ。
あなたもこの列車に?
目的は?
間違って乗ってしまった、と答えた。
ああ、そうなんだ。
君はなぜこの列車に。
わたし?
わたしは、ただ遠くに行きたかったんだ。
少女は、目を閉じる。
そしたらこの列車が来た。
迷わなかったね、とにかく逃げたかったから。
その声には後悔はない、あるのは懐かしい話をする時の、どこか誇らしげな声。
ここにいれば、すべてから逃げられる、誰もわたしを捕まえない、そんな気もする。
怪物も、運命も、勉強も、パパもママも、先生も。
私はここだから、自由なんだって気がする。
少女はこちらに身を乗り出し、囁くような⋯いや、内緒話でもするかのように言う。
あのココナツコックの料理、不味いでしょ?
食べたことないなら食べるべきだよ、吐き気のしない不味さの限界に挑んだような味だから。
もう食べた、というと少女はクスクス笑った。
知ってる?
人間があのコックのクソマズ料理を食べると、調子が良くなるんだ。
変だよね?
もしかしたら不味さの秘訣は薬草だったりするのかもね。
少女は背もたれに寄りかかり、景色を見る。
景色は今は森しか見えない。
ここにいる限り、死ぬことなんてない。
そんな気がするの。
それにほら、長い停車するときはホームに降りることもできるの。
案外自由だよ?ここで暮らすのって。
少女はすこし俯く。
ただ心残りなのは、日記もカレンダーも持ってないせいで、わたしが何日ここで過ごしてるのか分からないってこと。
切符を見たら乗車した日がわかるけど、今何日か分かんない。
少女は自分の切符を取り出す。
それは色褪せることも掠れることもなく、彼女が乗った駅と、彼女が乗った日時が記載されていた。
1年と4ヶ月前の日付だ。
少なくとも⋯6ヶ月は経ってるんじゃない?
木が色づいて散って、雪が降るまで見れちゃったものだからさ。
少女は顔をうえに向け、天井の荷物棚を見る。
家で一人、引きこもってるよりはずっといい暮らしだと思うんだ。
新しい場所の景色を見て、こうして新しい人と会話もできて。
それでいて、自分の部屋に戻れば自分の時間。
外で苦しんで生きてたのが、バカみたい。
少女はしっかり締まった扉を見つめる。
ここで暮らそうとしてた人はいっぱいいるけど、だいたい耐えられなくて4日か5日で飛び出してる。
バカだよね、帰る場所があるのにこの列車に乗っちゃうなんて。
彼女はもう、ここが帰る場所なのだろう。
口ではバカだよねなど言いながら、声はどこか哀れむよう。
でもそういうバカを、この列車はお望みなんだろうね。
人が降りるとき、必ず汽笛を鳴らして別れを告げてから出発するんだから。
ほら、また停まったよ。
耳を澄ましてみて。
車体が少し揺れたあと、遠くの先頭車両から長い汽笛が聞こえた気がした。
今人が降りた、それを見送ってるんだよ。
ここから家に帰れるか、ここから旅ができるか、ってね。
列車が動き始める、もう一度長い汽笛が鳴る。
少女はにこり笑い、お菓子を差し出した。
今日はありがとね、こんな狂人の話を聞いてくれて。
はいこれ、お礼のお菓子。
知らないお菓子があると思って買いすぎちゃったんだ、せっかくだから食べてよ。
そうそう、あなたも早く降りるべき駅を決めておきな、そうじゃないと⋯この列車が降りる駅になっちゃうから。
少女はいたずらっぽく笑う。
少女が渡してきたお菓子は、3週間前に賞味期限切れになっていた。
試しにかじると、普通においしい。
しばらく待ったが、腹を下す様子もない。
そもそもこの列車はどこに向かっているのだろう。
部屋で思案を巡らせる、どこかで行先のヒントはなかったか。
しかしどうもそれらしい情報は思い出せない。
仕方ないので、車掌に聞きに行くとしよう。
1号車、運転室に向かう扉。
文字が書かれた張り紙が窓に貼ってあるが、相変わらず読めない。
イラストは、人のマークに赤いバツが入っているので、立ち入り禁止、だろうか。
なんとなく手をかけ、ドアノブをひねる。
開いた、すぐに外の空気が一気に流入する。
足元を見ると、不安定だが連結器の上を覆うように足場がある。
前を見ると落ちないための手すりがある。
そしてすぐ、機関車に入るための扉がある。
その扉に手をかけ、ひねる。
また開いた、中は機関室。
外が冷えているので中はむしろやや暖かいまである。
換気装置が強力なのか、車内なのに風を感じる。
通路を進むと運転室、車掌に会うとかどうでもよく、ただ好奇心で進んでいた。
運転室は扉の窓から中の様子が見えるのだが。
驚くべきことに、人がいない。
独りでに操縦盤が動いている。
そしてたった今、さらっと赤信号を通過した。
本能がその空間を拒否し、不快な汗を流しながら1号車まで戻ると、等身大のメイド服を着た人形がいた。
どうして機関車からいらしたのですか。
車掌を探して迷い込んで⋯
お客様は、機関車に立ち入ってはいけません。
表情一つ変えず、しかし圧もかけずそう言う。
車掌でしたら12号車に居ます。
次からはこちらのポスターがある扉は開けたり、その向こうに行こうとしてはなりません。
あなたの安全のためでもあります。
礼を言って、12号車を目指す。
私は夢でも見ているのだろうか。
そうであれば様々なことに納得がいく。
しかし夢見ているとして、どこから夢だろう。
そしてどうやって覚めればいいのだろう。
コックに会釈し、何体かのメイド人形とすれ違い、12号車。
そこには車掌のほかに、老人と、青年とがいた。
車掌に率直に聞く。
この列車はどこに向かっているのですか。
車掌がこちらを見る、が目も口も見えない。
やっぱり影のような人だ。
どこへでも。
機関車の思うまま、様々な場所へ。
海峡を越えた先かもしれないし、山中のスイッチバック駅かもしれません。
それは私めには分かりませんが、乗車中は不都合のないよう手を尽くすつもりです。
切符のことを聞くと。
それはそうです。
この列車はどこへゆくか分からない、故に行先の決まっている切符は意味を持ちません。
あなたの切符は、あなたが改札を出るときに行き先が表示されるでしょう。
心配なさらずとも、降車はできますよ。
わかったようなわからないような。
ハイキングでもしてきたような格好の老人に声をかける。
へぇ、あんたも間違ってこの列車に。
なに、オレもそうさ。
孫に会った帰りに遠くの我が家への列車に乗ろうとして、こいつに乗っちまったのさ。
なぜ降りないんですか。
そりゃ、降りるタイミングを見計らってるのさ。
辺鄙な駅に降ろされた日にゃ、家に帰れなくなる。
どっかのターミナル駅だったら、現金は割とあるので家に帰りようがあるんでな。
ここにはどれほど滞在を。
ざっと2週間だ、あの女の子に比べりゃ、まだまだ新参さ。
老人は豪快に笑った。
青年に声をかける。
何の用だよ。
ボクがこの列車に乗った理由?
⋯どうだっていいだろ。
自分は間違って乗ったことを伝えた。
⋯ボクは違うね、自分の意志で乗った。
どっか遠くに行きたくて、そこでやり直したくて。
過去について、深いことを聞くべきじゃなさそうだ。
なぜまだ降りないのか聞くと、青年はそっぽを向いてボソボソという。
まだ決心がついてないから。
大丈夫、最悪決心がつかなくなったって、それで人生終わったりしないから、と励ましておいた。
自分の部屋に戻る。
今日締め切りに仕事があるが、なぜか電波が圏外なのでやりようはない。
むしろのびのびとしている。
数日ここで過ごすのも悪くないかもしれない。
味覚を破壊されないために、定期的に外のものを食うべきであろうが。
夕方、列車が停まる。
そのホームは、見知ったもの。
ここで降りれば、すぐに家に帰れるだろう。
私は降りなかった。
この奇妙な旅をもう少し楽しみたいと思った。
日本の鉄道網は優秀だ、どこで降りたって家に帰れるだろう。
それまでは、この列車とともに揺られてみよう。
久々の休暇だと思って。




