前篇
考えてみろ。
三十になる男の許に十二歳の嫁が来るのだ。
何をしろというのだ。
羨ましい?
そんなことを云うやつは女を猫かうさぎとしか思ってない。くそ野郎だ。
初夜は「おやすみなさい」と夜の挨拶をする女、というか少女に、掛布をかけてやって終わった。眠れ眠れ。遠方から来た早々に夜通しの婚礼の宴で疲れたろう。眠ってくれ頼む。そう念じていたらやがてすやすやとした寝息が聴こえてきた。ほっとした。
「わが殿」
初めて云われた時は「俺のことか」とびっくりしたぞ。
初潮がはじまったから嫁に来たらしいが、そこじゃないだろう。胸も小さい。手足も子どものようだ。
これが妻。
無理がある。
せめて十歳は足してくれ。俺にそんな趣味はない。そういう性癖の輩が少なくない数いることは承知だが、普通の男として女らしい女のほうが当たり前だが好きなのだ。これは耐えられない。
幼い妻は名をマリーといった。ありふれているが可愛い名だし、いかにもマリーという感じだ。小さな菊の花のような妻は、初対面ではくるくると背中に流れ落ちていた柔らかそうな長い髪を「奥方になったから」と云って、今は結い上げている。白く細い首もまるで子どものもので、男にはどうしようもない。
どんな性格なのだろうと想っていたが、まあ真面目だ。几帳面な感じもあるし、かといって堅すぎるわけでもない。お行儀もよい。
「何処に行かれるのですか」と妻に訊かれた。
「馬に」
悪いことでもしているような気分で応えた。
「領地を見守りがてら遠乗りに行こうかと」
「行ってらっしゃいませ」幼い妻は送り出してくれた。
心臓が何故だか痛い。幼い娘を家にひとり残して旅に出る父親のような、そんな心境が今の気持ちとしては近いような気がする。もう勘弁してくれ。
夜になると寝台で妻が「おやすみなさい」と云い、隣りから俺が「おやすみ」と急いで応える。
寝相はそこそこ悪いようで、時々妻のほそい脚が俺の腹の上に乗ってくる。膝と足首を掴んでそうっと隣りにお返しする。お引き取りいただく。
せめて十歳は足してくれ。
正直、嫁の実家から付いてきた美人ぞろいの侍女たちの方に目移りがする。
遠い祖先が国王から拝領した領土は代々俺の家が領主として管理している。作物の実りはいいし、羊もいるし、豊富な雪解け水に水車が回る。この辺では豊かなほうだ。マリーの実家もわりといいが、あちらは氷河と泥地もあって使えない土地がある。その分、ちょいちょい周辺に戦を仕掛けては収穫物を奪ったり土地を取ったりしているようだ。
せっかく嫁に来たのだから、一巡り、領地の景色のいいところをマリーに見せてやった。
馬の前鞍に横座りした子供みたいな幼い妻と俺という、大の男として恥ずかしくて死にたくなるような組み合わせになったが、景色を見に行くのなら人がいない時間がいいとマリーが云ってくれたおかげで早朝や夕暮れの散策になった。
あの雪山は実家からも見えます。マリーが指をのばした。
春に咲く花の色を薄く伸ばしたような色で雪山は夕陽に照らされていた。
その夜、寝所の窓からは三日月が見えていた。なかなか綺麗だ。俺もマリーもまだ起きていた。
「殿」
「はい」
「殿はあれをあれなのでしょうか」
「あれをあれ」
「あれというか」
蝋燭のひかりの陰から横を見たらマリーが顔を真っ赤にしている。
「あれを」
云いにくそうに語尾が消えかけている。俺は訊き返した。
「あれ」
「なさらないのかと」
そうか。そこまで云わせたら続きは云わせたくない。波打つ髪の毛に囲まれた頭を引き寄せて唇を重ねた。
「ほら。あれだ」
「これだけ」
マリーが考え深い顔をしている。はじめて男と接吻した顔がそれなのか。している間たぶん数でも数えてたろ。寝台を掌で叩きながら俺は云った。
「お前が十七歳になったら続きをしよう」
わかりました、とマリーは云った。
まてまて。その頃俺は三十五だ。よけいにやばい気がしてきた。初めて女としたのは十六だ。相手も同じ年だった。もう一年早くてもいいか。
接吻といったって何の気分もおこらない。女に触れた時の血が熱くなる感じがまったくしない。この小さい妻もそのうちちゃんと女の心とかたちになってくれるのか。多分なってくれるのだろうが、何となくその時もそんな気分にならない気がしてきた。
森の中の泉のほとりでマリーが花を摘んでいた。俺は木に繋いだ馬の傍で昼寝していた。他には誰もいなかった。
マリーが花を抱えて戻ってきた。走ってきたので息を切らしている。
「殿」
「はい」
「触って」
マリーが俺の手をとって胸にあてた。
「お。ないかと想えばあるんだな」
云ってからものすごく変態男な発言な気がして焦った。消えてしまいたいくらいだ。
「マリー。今のはなしだ。撤回する」
強く否定した。マリーの手が俺の腕に絡みついてきた。
「マリーは殿が好きです」
「ふうん」
「殿はマリーのことが好きですか」
「どうかな。まだ子供みたいにしか見えてないからな」
本音で応えた。世の中の少なくないある種の男たちはよくこんな子どもに劣情を抱けるよな。やってて楽しいか。
マリーの唇が重なってきた。五つまで数えた。「ふふ」とマリーは笑って走り去ってしまった。
その夜、マリーとそうなりかけた。
なんとなくそうなった。
「おやすみなさい」とマリーが云い、「おやすみ」と云って昼間のお返しに口づけをしたら、マリーの両手が俺の首にかかってきた。
殿。マリーにあれをあれして。
誰なのだ、あれとかあれしてとか中途半端にぼかして妻に教えたやつは。はっきり教えておけよ。
「あれね」
「夫婦はするものと」
「今晩は指だけ」と云うと、マリーは真剣な顔をしてこくこくと頷いた。
俺の膝にのれ、と促したら素直に乗ってきた。横抱きにしたマリーの夜衣をめくって脚を開かせた。そろそろと溝を撫ぜてやった。やっぱり気分がのらんわ。恥毛も薄いし小さすぎるだろ。
「わあ」とマリーが小さく叫んだ。
「おしまい」と云ってマリーを膝から降ろした。
ところがマリーはもう一度膝をすすめて自ら乗っかってきた。好きですと云う。
へええ。
これはあれだ。少女が身近な年上の男に惹かれてしまう時期というやつだ。お兄さんみたいとか下らないことを云ったら寝所を別にしてやるからな。
「そこに乗られると男は痛い。ずれてくれ」
マリーの細い腰を持ち上げた。マリーが何か云った。
蝋燭はとっくに燃え尽きていた。
妻に背中を向けて月を見ていた。拒否しているわけではないのだが、今はマリーの顔を見ることが出来なかった。酷い男なんだろう、多分。
マリーの指が伸びてきて、俺の背中に何か文字を書いていた。ごめんなさい。
離縁しよう。
そう決めた。
マリーは知らないだろうが、マリーには姉がいたのだ。メリーといった。
メリーと手を繋いで石段をあがり、城の塔の上に二人で行った。びゅうびゅうと吹きすぎていく夜の風に飛ばされそうになりながら、長い裾をひらめかせてメリーは胸壁によじ登り、俺もそうした。
今ならとても出来ないが、その頃ははるか下の地上に脚をぶらぶら投げ出して、塔の壁の上に座っていることも平気だった。
お尻が痛くて冷たいとメリーが云うので、俺の膝に乗れよと云った。危ない姿勢になっていたが、若かったので平気だった。なんならこのままメリーを抱えて足を踏み出し、夜の雲を追いかけて星空を歩けそうなくらいの気分だった。
星雲はよく見ると濃淡の中に赤っぽいのや青っぽいところがあって、メリーと二人でいつまでも見ていた。
二人きりで空の船に乗っているみたい。
夜風に髪を乱しながら、メリーは明るい声で笑った。
棺の中にたくさんの矢車菊を入れた。メリーが一番好きだと云っていた花だった。青い花に囲まれたメリーは今にも起き上がって、「また塔に行きましょう」と俺の手をとって駈けだしそうだった。十七歳だった。
「メリーは妊娠しており、三日間の難産で子を産んだ後に死んだ。その子というのがお前で、つまり俺はお前の父親」
離縁すると伝え、理由も伝えた。
マリーは小さく口を開けて唖然としていた。「嘘」と云った。
「元気でな」
手を取って馬車に乗せてやり、領地の外れまで送ってやった。十二歳のマリーは馬車の窓からこちらを振り返っていたが何も云わずに去っていった。
もう少し大きくなってから、もうちょっと年の近い男と今度こそ倖せになれと胸で呟きながら送り出した。小鳩が飛んできて去って行ったような気持ちだった。
五年が経った。その頃国は荒れていて、国王の力でも抑えきれない暴徒が各地で反乱を起こしていた。
俺の領地は領民にその気がないようで反乱に誘われても乗る者がほとんどいなかったが、自衛として領の境に柵を巡らせたり、農奴から希望者を募って軍隊らしきものを作って有事の備えはしておいた。
暴徒は蝗のように襲ってきては何もかもを奪い去り、女とみれば犯して殺して畠に火をつけていく。国王に逆らいたいのか、獣慾を満たしたいのか、何がしたいのか分からない。世の中に不満を持つ暇があるなら海に行って漁でもするか、大地に種を撒いて耕せばいいだろうが。
マリーの実家の所領が襲われているという報せが入った。
長年敵対したり和睦したりしながら付き合ってきた縁の深い土地の一つで、助太刀を頼まれたら断れなかった。武装させた領民を率いて駈けつけた。
暴民を追い払うと、隠れて立て籠っていた塔から女たちが出てきた。その中にマリーがいた。
女たちは口々に俺に感謝を述べていたが、マリーは少し離れた処から俺を見ているだけだった。無理やり離婚したから怒っているのかもしれない。
「久しぶりだ」
礼儀上、こちらから声をかけた。
「美人になったな」
世辞でも偽りでもなく素直にそう云った。
十七歳になったマリーはくるくるした柔らかそうな髪はそのままでも、胸と腰と尻が女のそれになっていて、なんというか、ほぼ女になっていた。
俺は周囲を見廻した。誰かとマリーの眼が合っていないかと想ったのだ。
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