番外編 早坂凛 死が二人を別つとき…… 終劇
11
「いってらっしゃい。気をつけて」
キッチンの方から食器を洗う音と一緒に、優しく温かい声が流れてきた。私のよく知っている声だ。
「うん。朝食ありがとう聡さん。いってきます!」
その優しい大好きな声をきいてから仕事に向うのが私の日課だ。
早坂凛、二十三歳。
私は探偵事務所に勤めている。
一年前、目が覚めると私は記憶を失っていた。どこかの病院の一室にいる事を理解する事は出来たが、なぜ自分がここにいるのかは思いだせなかった。
私の母親と名乗る人から聞いた話によると数年前に事故に遭い、そのショックによってベッドから起き上がれない生活を送っていたという事みたいだ。
私が起き上がってお話しているところを見たお母さんは泣きながら「ごめんなさい」を繰り返した。ほんとうに私の事を心配して愛してくれている事を実感したのと同時に、私の実の母親である事を確信した。
その次の日くらいかな、私の友人という乃木唯ちゃんという女の人がお見舞いにやってきた。
その人も私の顔を見ると号泣しながら私に飛びかかる様に抱きついてきた。まるで獲物を狩るライオンの様だ。
こんなにギュウギュウ密着してくる様子からするときっと大親友だったんだな、きっと。
でも私はちょっと顔が引きつっちゃって、それに気付いた唯ちゃんは悲しそうな顔をしてた。
私は、心に針が刺ささった様にチクッとした痛みを感じて無意識に唯ちゃんの頭を右手で撫でていた。そうしたら唯ちゃんはさらに大泣きしてしまった。何か悪い事しちゃったのかな。
唯ちゃんとは今度、一緒に水族館に遊びに行く約束をした。なんか楽しみだ。
そして、その日の夕方。聡さんが来てくれた。
仕事上がりであろうスーツ姿でやって来た彼は、ベッドから出て椅子に座っている私に気づかなかったみたい。キョロキョロと室内を見回していた。あとから聞いたのだけどベッドが空だったの見て、良くない事がおこったのではないかと焦っていたみたい。すぐ横の車椅子に座っている私と目があった時の顔は、たぶん一生忘れられないな。
聡さんは、間の抜けた表情と声で私の名前を呟いたんだ。
「凛さん……?」
私は笑顔で答える。
「はい!」
理由は今でもわからないけど、この人は自分にとって、とても大切な人である事がわかった。
自然と涙が溢れてきた。流れ続ける涙が止まらない。
私はこの人と何があったのだろう。
いつどこで出会ったのかは分からないけど大切な人なんだ。
それだけはわかる。
彼にかけよって抱きつきたかったけど私は車椅子から降りて立ち上がる事もできなくて両腕を空中でバタバタする事しか出来なかった。
そんな私を見て聡さんは自分から近寄ってきて手を握ってくれた。
それから半月くらいで退院する事ができたんだけど、聡さんが一緒に住まないかって誘ってくれた。
意味が分からなくて最初は断ったんだけど、最終的に私からお願いして聡さんの家に居候扱いで住まわせてもらう事になった。
あまり知らない男の人と同棲とかおかしいとは今も思っているけど、一緒にいると落ち着くし幸せな気持ちになる。
そう感じたから私からお願いしたんだ。
何もしないでタダでご飯を食べるわけにはいかないから、聡さんの友人の紹介で就職先ももらう事ができた。
もらったお話が探偵事務所とか特殊すぎて迷ったけど、わがままも言えないからお世話になる事になった。
職場の人はいいい人ばかりで楽しくお仕事できる。
ただ、長い黒髪の経理さんと金髪のツンツン頭の男の人の二人はちょっと苦手。向こうは私のことをよく知っているみたいだけど……
記憶を失う前に知り合いだったのかな。
と、まあ何はともあれ、私は過去の記憶がないとはいえ元気に一般人として社会の為に働いている。目標もある。
いつか大好きな人と結婚して平和に暮らすのが夢なんだ。
唯ちゃんっていう友達もできたしきっと上手くいくと思う。
とにかく一日一日頑張って、失ってしまった過去の分までたくさんいろいろな体験をしたいと思う。
そしてひとり立ちして、迷惑をかけたお母さんや聡さんに恩返しよう。
できることなら私も将来、素敵な旦那様を見つけて幸せに暮らせたらいいな。
FIN