屋上から落ちて記憶喪失になりましたが、目覚めると何故か彼女が三人出来てました。
その日、朝の占いコーナーは3位だった。
「行ってきます」
「いってらー」
何気ない朝の習慣を終え、家を出る。昨夜に降った雪が少し、道路に残っていた。
「まーくん、おはよう」
「おはよう」
俺の朝女神こと猪苗代凜々花は幼少からの幼馴染み。学校も同じで毎朝一緒に登校している。
「面接、もうすぐだよね。大丈夫、落ち着いて行こうね」
「自信ないなぁ」
「新卒はやる気とフレッシュ感だって、先生も行ってたじゃない」
「お、おう」
地元企業に就職希望を出した俺は、近々面接となっており、否応なく緊張が増している。
凜々花はそんな俺を笑顔で励ましてくれる、優しい女神なのだ。
「受かったらさ」
「うん?」
「その……何処か行かない?」
「いいね、俺運転するよ」
「免許取れたら、ね」
「ハハ、確かにな」
「おはよう諸君! 今日も仲が良いな!」
「相馬会長おはようございます」
「おはよーっす」
校門で挨拶運動をする生徒会長にこっそりと手を振る。相馬さんは俺の心のアイドルである。
きっと大人になったらバリバリのキャリアウーマンになるに違いない。そんな雰囲気を醸し出している。
昇降口で凜々花と別れ、いつも通り下駄箱を開ける。
「お?」
俺の上履きの中に、小さな二つ折りの紙が見えた。
【放課後屋上で待ってます】
……………………。
あれか?
あれなのか?
あれじゃないのか?
リンチか?
「いやいやお前、これは愛の告白だろーよ!」
「ウグッ」
クラスの友人である檜枝岐渚に紙を見せると、神速のツッコミが俺の胸に飛んできた。
「ついにお前にも春が来たか! ハハハ俺は嬉しいなぁ!」
「おいおいまだ確定したわけじゃ」
笑いながら肘でグイグイと俺の肩を押す渚に、俺は苦笑いを返した。
そうと決まった訳ではないのだが、やっぱり告白なのかと思うと自然に笑みが出そうになる。
「後でどうだったのか教えろよ? もし彼女が出来たらお祝いにドライブ行こうぜ! 免許取ったんだろ?」
「まだだよ。教習所は卒業したけどさ」
「落ちたら俺の免許半分貸してやるよ」
「アホ言え」
なんだよ半分って。
その日、俺は上の空で外ばかりを眺めていた。
ただひたすらに、そわそわと放課後を待ち続けた。
そして放課後。
俺は緊張の面持ちで屋上へと続く階段を登った。
誰も居ない、どこか寂しさを覚えるような放課後の屋上で、手摺りにもたれながら曇り空の向こうを眺め続けた。
「塩原先輩……」
「お、国見。どうした?」
来たのは同じ部活の一つ後輩、国見あかり。
小柄な身長だが、いつも元気なパワフルウーマンだ。
「先輩……今時間いいですか?」
「ん? んー……後じゃダメか?」
これから人生を大きく左右する一大イベントが始まるのだ。それどころではない。
「誰か待ってるんですか?」
「ん? んー……まぁ、な」
「手紙……ですか?」
「えっ?」
静かに胸に手を置く国見は、何処か真剣な眼差しで俺と対峙した。
「先輩」
「あ、はい……」
「私……先輩が好きです」
「──!?」
……もしかして、手紙の差出人って──
「下駄箱に手紙を入れたのは、私です」
「国見だったのか……そうか」
「お返事……聞いても良いですか?」
「ん? んー……」
気持ちは嬉しい。それは間違いない。
だが…………
「……ゴメン」
口を開くが言葉が出ない国見は呆然としている。そんな顔をさせてしまった罪悪感が胸に突き刺さった。
「ごめん……」
いたたまれなくなり、逃げるようにその場から去ろうと、手摺りに手を掛け遠くを見る。
「えっ?」
手が手摺りをすり抜けた。
「──先輩!?」
地面が見えた。
手摺りが腐って崩れたのに気が付いたのはそれからだ。
「うおおお!?」
ジタバタと手足が動いた。
屋上から落ちた俺は二階の女子更衣室に居た生徒と目が合った。最後のラッキーだ。
「先輩ー!!!!」
そのまま地面に落ちた俺は、まるでスマホの画面が割れるように視界が分裂し、一瞬で消えた──。
…………夜。目を覚ました。
「痛い。なんだろう? 体中が痛いな……」
何故か自分は病院にいた。
「おー、起きたかい?」
隣のベッドから声がした。
「え、あ、はいぃ……」
「待ってな、今ナースさん呼ぶから」
隣のカーテンが開くと、パジャマを着たお婆ちゃんが、僕のベッドのナースコールを押した。
「はい」
「この子、目が覚めたってよ」
「あ、ありがとうございます。今向かいます」
すぐに駆け足が聞こえた。
看護師さんが現れると、程なくして男の先生もやってきた。
「大丈夫かい? 何処か傷むかい?」
「え、ええ……頭が少し」
「相当強く打ったからね。無理も無い。明日、一番で検査入れとくから」
淡々と行われるやり取りに戸惑いながらも、僕は疑問を投げかけることにした。
「あのー……」
「はい? どうしましたか?」
「僕、どうしてココに?」
「あー……」
先生と看護師さんが顔を見合わせた。
「記憶が無いのかい?」
お婆ちゃんの声がカーテン越しに聞こえた。
どうやら僕はここ一ヶ月程の記憶を失ったらしい。
現に、何故病院に居るのか。何故頭が痛いのか。まるで覚えていない。
「一時的なものかもしれませんし、ずっとかもしれませんが、日常生活に影響は無いでしょう。覚えていない部分はもう一度覚えれば良いので、焦らず行きましょう」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
朝、駆けつけた両親が先生に何度も頭を下げていた。
どうやら僕が助かったのは奇跡的なものらしい。もう少しダメージが強ければ死んでいたそうだ。幸い検査も異常なしだったが、頭には大きなコブが出来ていた。
「父さんに似て石頭で良かったなぁ!」
「うん、うん……!」
泣きじゃくる両親を見て、とても心配をかけたのだなと感じつつも、記憶が無いので不思議な気分になった。
家に帰ると、すぐに凜々花がやって来てくれた。
「まーくん大丈夫!?」
「え、あ、うん……とりあえずは、かな」
今にも泣き出しそうに目を潤ませ、凜々花が僕に抱きついた。
「良かった……!! 本当に良かった……!!」
「大げさだなぁ……」
凜々花の頭の向こう、カレンダーの日付に、見覚えの無い丸がしてあった。
「面接……?」
「来週だね。大丈夫?」
「ごめん、何の面接だっけ?」
「えっ?」
僕は凜々花に事情を説明した。
半信半疑くらいに聞いて貰えればと思っていたが、凜々花は驚くほどに真剣な眼差しを向けてくれた。
「すぐに戻れば良いんだけど……」
「大丈夫だよ、とりあえず安静にしてようね」
「そうだね。ありがとう」
幸い土日ということもあり、僕は二日間自宅でのんびりとした。のんびりと言っても、学校や警察に説明やなんだでそんなに悠々とは出来なかったけど、なにぶん覚えてないから、説明も何も無い。自分が落ちた屋上の手摺りを見て、ゾッとしたくらいだ。
月曜には多少頭のコブも引いて、普通に登校も出来た。
「まーくん、何だか少し変わったような……」
「うーん、自分でも良く分からないけど、何だか時間が飛んだような感じがするんだよね」
「あの、ね……今日……放課後、一緒にお買い物行く予定なの……覚えてる、かな?」
「えっ?」
「ううん、やっぱり覚えてないならいいんだ」
「覚えてなくてごめん、行こうよ。怪我ならもう大丈夫だから」
「ありがとう、嬉しい」
昇降口で凜々花と別れ、クラスへと向かう。
僕を見て少しザワついたが、友人の檜枝岐がいの一番に寄ってきた。
「大丈夫だったか!? 滅茶苦茶心配したぞ!!」
「ごめん、大丈夫」
「死んだかと思ったぞ!?」
「ごめん」
「良かったなぁ! ほんとに無事で良かったなぁ!」
「あ、ありがとう」
檜枝岐が思い切り抱きついてきた。人前だから恥ずかしいのだけれども……。
それに檜枝岐って男の子なのにこんなに良い匂いしてたっけ? 何だか体も柔らかくて、これ以上は宜しくない気がする。
「あ、スマン! 怪我人に……!」
「ううん、大丈夫」
「……なんか、雰囲気変わった?」
「そ、そうかな?」
慌てて離れる檜枝岐に、おもわず僕も慌てて首を振る。
「で、何があったんだよ……」
「それが……」
僕は出来る限りの説明をした。
檜枝岐はとても驚いていた。
「マジかよ……」
「うん……ごめん」
「謝ることねーよ。お前が無事だったんだ。それだけで良かったよ」
「ありがとう」
肩を叩いて席に戻る檜枝岐。僕も席に着いた。
授業はいきなりページが飛んだように、訳が分からない箇所から始まった。
「……?」
何が何だか分からない先生の話を、ただ呆然と聞くしか無かった。
放課後、部室へ顔を出すと、皆が心配そうに声を掛けてくれた。
「心配おかけしました」
「警察とか凄かったぞ」
頭を下げた。
「すみません、何やら記憶が飛んだみたいで、何にも覚えてないんですよ」
「飛んだのが記憶だけで良かったなぁ」
今日はすぐに帰る旨を告げ部室を後にすると、後輩の国見が慌てたようにやって来た。
「せ、先輩……!」
「ん? どうしたかな?」
国見は辺りを見渡し、僕の袖を引いた。
「ほ、本当に覚えてないんですか?」
「うん」
「あの日、何があったのか」
「ごめん、なにも思い出せないんだ」
国見に引かれ、向かった先は屋上だった。
立ち入り禁止の張り紙が扉にしてあり、隣の窓からはぽっかりと外れた手摺りが見えた。
「……どうですか?」
「ごめん、何も」
「落ちたところへ行きましょう」
「う、うん」
また国見に袖を引かれ、僕は屋上の真下へとやって来た。
僕の落ちたところは校舎裏の草が生い茂る日陰になっており、夕暮れになると薄気味悪い場所だった。
上を見ると、ぽっかりと外れた手摺りの部分が見えた。
「先輩あそこから落ちたんですよ」
「よく助かったね」
何度見ても、助かるような高さには見えなかった。
「奇跡です」
国見は泣いていた。
そして、暫く押し黙った。
「……ごめん、心配かけた、かな」
「先輩……あの日……」
国見がスカートのポケットから紙を取り出した。
シワシワになったその紙は、二つ折りになっている。
「すみません、あの日、怖くて言えなかったんです……」
紙を受け取り、中を広げる。
そして、あの時、僕は国見といた事を理解した。
「私が突き落としたんじゃないかって、疑われるのが怖くて……! 偶然見付けた事にして……わたしっ!」
「あー……しょうがないよ」
苦笑い。
「話してくれてありがとう」
「ごめんなさいっ……ごめんなさいっっ!!」
こうして生きている訳だし、別に落とされた訳じゃないし、国見を責める理由は無い。
「別に国見は悪くないよ」
「先輩っ……!」
国見が抱き付いてきた。強く。
それよりも、新たな疑問が出来たので、先にこっちを解決する方がいい……のかな?
「で……この手紙の用事って……もしかして?」
「え、その……」
国見が慌てて離れ、恥ずかしそうに手を顔に当てて顔を振った。どうやら当たりらしい。
「その……こんな時に言うのもなんなんですが……」
もじもじと手を下で組み、体を揺すっている。
「本当に、私で良いんですか?」
そうか、あの時の俺はオーケーをしたのか。
確かに国見は後輩の中でも可愛らしいし、愛くるしいし、彼女としても申し分ない──ていうか、自分を選んでくれるだけでありがたい。そうか、僕はあの時彼女が出来たのか。
「もしかして、浮かれて手摺りに何かした?」
国見は苦笑いをして、無言で小さく頷いた。
アホだな僕は。
「ちょっとよく覚えてないけれど、こんな僕なら宜しくお願いします」
「……嬉しい。こちらこそ宜しくお願いします」
その後、僕は国見と連絡先を交換して、その日は帰宅した。
それから数日が過ぎたが、記憶が戻る気配は無い。
授業内容から置き去りになってしまい、このままではマズいと思った僕は、檜枝岐に勉強を教えて貰うことにした。
「ごめんね、自分の勉強もあるのに」
「いいさ。俺は余裕だからな」
教科書を開き、二人で膝を突き合わせる。
檜枝岐は学校帰り、僕の部屋に勉強道具を持ってきてくれた。
「親は?」
「今日は遅くなるって。僕が落ちたとき仕事全部投げてきちゃったから、その分遅れてるんだって……」
「いい御両親じゃないか」
「うん。凄い迷惑を掛けたみたい」
「気にするな。死んだら終わりなんだから」
ゆっくりと檜枝岐が正面から僕の隣へとすり寄ってきた。何だか雰囲気がある動き方をしていた。
「こっから忘れてるのか……どうりでな」
「え?」
「これの少し後に、今日みたいにお前の部屋に来たことがあってな」
「う、うん……」
檜枝岐が制服の第一ボタンに手を掛けた。
なんだ……?
「その時初めて話したのを……忘れたんだな?」
「えっ、ご、ごめん……何の話しだっけ?」
慌てて謝るも、檜枝岐は気にすること無く第二ボタンを静かに外した。
「俺、お前の事が好きなんだ」
ワイシャツのボタンは既に外れていた。その下に、あるはずの無い膨らみが見えた。
「なっ──なあっ……!?」
自分で言うのもなんだけど、凄い変な声が出た。
「檜枝岐、お前女のこ──モゴッ!?」
檜枝岐が僕の口を手で塞いだ。強く。
「お前に言うのは二回目だぞ?」
「もがっ! もごがごが……!?」
頭を振るも檜枝岐の力はかなり強く、僕は抵抗を許されなかった。
「私なんて言葉、使いたくないんだけど……お前にだけは使ってやるよ」
「ももももも……っ!!」
檜枝岐の顔が怖い。
「私はお前が好きだ……そしてあの時……お前も私ならいい。確かにそう言ったんだ……!!」
──はい?
力が抜けた。萎みきった風船のような、魂が抜ける感じがした。
檜枝岐の手が口から離れ、テーブルのアイスコーヒーを一口飲んだ。
「デートの約束も忘れやがって……」
「……っ……ぇ……?」
言葉が出ない。
頭がどうにかなりそうな位に、今自分が置かれた状況を理解できていなかった。
「でもいいさ。これから頑張っていこうぜ」
「へ……?」
「俺のことは思い出してからで良いから、まずは勉強、頑張ろうぜ」
「え、あ……うん」
それから夜まで檜枝岐に勉強を教えて貰ったが、正直、何一つ頭に入らなかった。
その日、ベッドの中でじっくりと考えた。
僕は記憶を失う少し前、檜枝岐から告白をされ、オーケーをした。
そして落ちた当日、国見に告白され、オーケーをした。
…………僕は二股をしようとしたのか?
檜枝岐との交際は、多分公然の秘密だろう。
そして、裏で国見とこっそり突き合おうとした。
記憶を失う前の僕は、もしかして相当な悪に走っていたのだろうか?
無い一ヶ月の記憶より前に、それらしい記憶は無い。
普通に檜枝岐と遊んでいただけだし、国見とも部室でたまに話すくらいだ。
しかし、知らぬとは言え、僕はその悪の片棒を担いでしまった。
もし檜枝岐の事を知っていたら、国見の事はあの時土下座してでも無かった事にしていただろう。
知らぬ間の後始末をするのかと思うと、いくら自分が招いた事とは言え、やはり憂鬱だった。
檜枝岐……女の子だったのか…………。
それだけがやけに頭に残り続けた。
土曜日、帰りの遅い両親は朝になっても眠っていた。申し訳なくて静かに廊下を歩いた。
「あ、おはよ」
「猪苗代?」
何故か猪苗代が僕の家のキッチンに居た。
「昨日、まーくんのお母さんからメール貰ってね。ご飯お願い出来ませんか、って」
「……ごめん。ありがとう」
本来なら僕がやるべき事なんだろうけど、ほんとに僕は助けて貰ってばかりだなぁ……。
「ううん。怪我人は座っててよ♪」
「もう痛くないんだけどね」
「脳に障害が残ったら大変じゃない?」
「こ、怖いこと言わないで……」
ちょっとリアルで身震いがした。
「それに、親公認の仲じゃない?」
「えっ!?」
少し大きな声が出てしまい、慌てて口を閉じた。
「嬉しかったなぁ。まーくんが私のことが好きだって言ってくれた時ね、私気絶するかと思ったんだよ?」
僕は頭を抱えた。
「どうしたの? 頭痛いの!?」
「ううん、大丈夫」
別な意味で頭が痛いんだけどね。
どうやら僕は相当な馬鹿者だったらしい。
自分が下半身の化身だと知り、正直絶望している。
「本当は思い出すまで待っていようと思ったんだけど、彼女なんだからこんな時こそ支えないとね♪」
笑顔で猪苗代が料理を続けた。
出された朝食はなんの味もしなかった。
身震いだけが止まらなく、僕は罪の意識から消えたくなっていた……。
休みの学校は何処か寂しげで、自分の足音すらハッキリと反響したので、そっと上履きを脱いだ。
部活の生徒のために正門も開いているので、入ることは容易だった。
屋上へと続く階段を登り切り、扉に手を掛けるがやはり開いていない。
しかし隣の窓は普通に開くので、そこから身を乗り出して屋上に出た。
上履きをはいて、そっと歩き出す。
手摺りまでの数十歩の間に、何らかの解決策を見いだせるほど、僕の頭は良くはない。
三股がバレれば僕の噂はたちまちに流れ、ネットにも晒されるだろう。もう終わりだ。
ならば死んでお詫びするしかない。
なにより、平気で三股を仕掛けようとする前の僕に嫌気が差したのだ。
「残念だったな、僕」
手摺りの下は草が生い茂っていた。
ふと、あることが頭を過る。
もしかしたら三股がバレて落とされたのではないか……。
もしかしたらそうなのかも。
もし、仮にそうならば、人殺しにならずに済んで良かったと思う。そして僕は自らの意思で死ぬ。これでハッピーエンドだ。
──さようなら。
「──痛てぇ」
目が覚め、そこが病院であることを理解するに、そう時間は掛からなかった。
起き上がるととんでもない痛みが全身を走り、再びベッドに倒れた。
「メッチャ痛い!! なんだこれ!?」
「おう、起きなすったか。今ナースコールするでよ。お前さんも大変だなぁ……」
隣の婆さんが痛みで動けない俺の代わりに看護婦を呼んでくれた。
「大丈夫ですか?」
「メッチャ痛いです!」
「ですよねぇ」
「でも、俺助かったんですね! 手摺り腐っててマジ焦りましたけど、生きてて良かったです!」
「うん?」
オッサン先生と看護婦さんが、顔を見合わせた。
そしてすぐに親が呼ばれた。
「この馬鹿者!! どれだけ親に迷惑を掛けるつもりだ!!」
「いやいや、手摺りが腐ってたんだってば!」
「何か嫌なことでもあるのかいこの子は!?」
到着するなり泣き出す両親。
「また落ちるなんてどうかしてるぞ!!」
「この子はほんとに──」
……また?
ちょっと待てよ。
俺、国見に呼ばれて、告白されて、そして手摺りから落ちて…………またってどういう事だよ。
「ごめん、どういう事だよ。理解できないんだけど?」
「それは父さんと母さんのセリフだよ!!」
俺は不思議に思い、考えるも、何も思い出せない。
「アンタ、二回も落ちるなんてついてないねぇ」
隣の婆さんがクスクスと笑った。
どうやら俺は二回、あの屋上から落ちたらしい。
そして普通に学校に通い続け、また落ちた。
一度目の屋上は十日前。二度目は昨日。
そして、俺は十日前からの記憶が……無い。
「記憶喪失から戻り、その間の記憶が失われたのだと思います」
いまいちオッサン先生の説明にピンと来ないが、どうやら俺は一度目にも記憶を失っていたらしい。
幸い大怪我も無く、精密検査も良好で、俺はすぐに退院できた。
面倒なのは警察と学校への説明だった。
一度目は手摺りが腐ってて自分で落ちたと説明したが、二度目は自分でも覚えてないのだから、説明のしようが無い。
何故俺は落ちたのか?
何故俺は休みの学校へと行ったのか?
しかめ面で何度聞かれようが、俺は覚えてないとしか答えられなかった。
そしてメッチャ怒られた。
家に戻ると、猪苗代が待っていてくれた。
「まーくん……!!」
「いてて! 猪苗代痛いぞ!」
「あ、ごめん!」
慌てて離れる猪苗代。
俺は心配かけて申し訳ないと、謝った。
「なんか記憶が無いみたいでさ、十日前から全然覚えてないんだよね。俺何か変わった事あった?」
「──え?」
猪苗代の表情が険しくなった。
「一回落ちた後の事……覚えてないの?」
「ああ。さっぱり」
「その前の事は?」
「覚えてるよ? あの日、俺国見に呼ばれて屋上に行ったんだ。そしたら手摺りが腐っててさ。マジ焦ったよ」
「……国見さん?」
猪苗代の表情が更に険しくなった。
「ほんとだよ、自分で落ちといて言うのもなんだけど、二回落ちただなんて信じられないね」
「ふぅん……で? 国見さんはその時、何の要件だったの?」
猪苗代の圧が一段と強くなるのが分かった。
何を気にしているのか……直ぐに分かった。
マズったなと気付いた時には後の祭りだ。
「こ、告白された」
「返事は、したの?」
「断ったよ」
「そうだよね。まーくんは私と付き合ってるんだから」
「──へ?」
我ながらアホな声が出てしまう。
いつの間に俺は猪苗代と突き合うことになったんだ?
「まーくんが記憶を無くしている間……私、まーくんに告白したの。覚えてないかな?」
「全然」
「まーくんも喜んでくれて、もう両親公認の仲なんだよ? 忘れちゃった?」
そんな事言われても、まるで覚えてはいない。
十日間の間に、俺はそんな事になっていのか……。
「ごめん。覚えてないんだ。それに、その間の俺は多分本当の俺じゃ無かったと思う。猪苗代には悪いんだけど……それ、無かった事に出来ないかな?」
「──えっ?」
記憶が戻って、実は突き合ってますとか、ちょっと困る。確かに猪苗代は素敵な幼馴染みだけどさ、俺、相馬さんの事が好きなんだよね……。
「本当にごめん。この埋め合わせはするからさ、な」
「まーくん……ううん。私の方こそごめん。そうだよね、ぼんやりしてる時に告白する方が悪いよね、そうだよね……」
猪苗代は明らかに肩を落として帰って行った。知らない間の事とはいえ、何だか悪いことしたな。
「大丈夫か!!」
昼飯のそうめんをすすっていると、檜枝岐がやって来た。革ジャンにジーンズ、服の趣味が俺とは合わない。
「すまん。十日前からの記憶が無いんだが、何か変なことしてないか?」
「また記憶喪失かよ……」
「へへ、悪いな」
「悪そうな顔してねえぞ」
檜枝岐が俺の対面に腰掛け、俺のノートを取り出した。
「記憶ないか?」
「……無い」
「お前、俺に何したのか忘れたのか? あんな事しといて」
「えっ!?」
檜枝岐が革ジャンを脱いだ。そしてシャツも脱いだ。
「──お前、女だったのか!?」
「……ああ。お前に打ち明けるのは二度目だよ」
「ええっ!?」
「この前打ち明けたとき、お前俺のこと襲ってきてさ……俺、怖くて……でも俺、お前の事が好きだから…………」
「──!?」
「俺、お前の事殴って逃げたんだ……」
そうか、未遂だったか……。それでもアレだがな。
我ながら、自分のしたことに理解が追いつかない。
檜枝岐が女だった事には驚きだが、なによりずっと男だと思っていた檜枝岐をいきなり襲うとか、あの時の俺はやはりどうかしていたんだな。
「悪い!!」
「せ、責任取れよ……!」
「あの時の俺はきっと下半身の化身だったに違いない! 許してくれ!!」
「わ、私とつき合ってよ……!」
「悪い! それは出来ない!! 俺はお前の事男としか見れない!!」
「女だよ……本当は女なんだよバカ……!!」
「そう言われても無理な物は無理だ……!」
「アホーッッ!!」
檜枝岐に思い切り殴られた。泣きながら飛び出した檜枝岐にかける言葉も見付からず、俺は苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。
月曜日、俺は一人で登校した。
猪苗代との事が気まずいので、いつもより早く家を出た。
グラウンドではサッカー部が朝練をしており、それなりに賑わいがあった。
「あ、塩原先輩……」
「国見……」
部室を覗こうとした矢先、国見と鉢合わせになった。
「すまんかったな。国見にも迷惑をかけたみたいで」
「ううん。良いんです。先輩が無事なら……」
「二回も落ちてさ、俺滅茶苦茶怒られたんだよね、ハハ。ところでさ、俺十日前からの記憶が無いんだけど、何か変なことしてなかった?」
「……えっ?」
「忘れてた部分を思いだしたら、それまでの事抜けたみたいでさ。何か知らない?」
「……いいえ」
「そうか。ごめんな、色々と」
「いえ。あ、もしかしたら屋上に行けば何か思いだすかもしれませんよ?」
「そうだな。行ってみるよ」
国見と別れ、屋上へと向かう。
立ち入り禁止の張り紙が何枚も貼られていたが、扉はすんなりと開き、開放的な空間が現れた。
「塩原、ココは立ち入り禁止だそ。特にお前はな!」
相馬さんが屋上に居た。俺は苦笑いを返した。
「何してるんですか?」
「誰かさんが二回も落ちたから、生徒会としても対策を早急にな……」
「すみません」
返す言葉を無く、ひたすらに頭を下げる。
「ほら、ここに居るとまた落ちかねん。早く戻れ」
「俺、相馬さんの事が好きです」
つい、勢いで告白してしまった。
「そうか、ありがとう」
「相馬さんは俺のこと──」
「すまない。私から言えるのはそれだけだ」
「……ですよね」
「ではな」
いたたまれなくなったのだろう。相馬さんが屋上から去って行く。
俺は落ちた手摺りに向かい、呆然と空を見た。
アホの末路に相応しい空だ。
雲一つ無い真っ青な空だ。
また落ちれたらどれだけ幸せだろうか。
「怖くて落ちるなんて無理だよ……」
ただただ泣きながら笑った。
──ドンッ……
首がうねり、空が揺れた。
背中に強い衝撃を、感じた。
今度は違う、明らかに押されたのが分かった。
「うおーーーーっ!!!!」
叫びながら、二階の女子更衣室が見える。しかし誰も居なかった。運が尽きたのだろう。
明らかに異質な音がし、俺は地面に叩き付けられ意識を失った。
「アンタ、落ちるのが趣味なのかい?」
隣のお婆さんが、僕を見て笑った。
そうか、僕は死ねなかったのか……。
「三回も落ちるなんて……自殺なんて止めてよ!!」
「この馬鹿息子! 馬鹿息子!!」
親は既に疲労困憊で憔悴しきった顔をしている。
僕は両足にギプスが巻かれていた。どうやら足をやらかしたようだ。
「三回……?」
壁掛けのカレンダーに目をやると、僕が落ちてから日付が進んでいた。その間にもう一度僕は落ちたらしい。やはりその間の事は記憶に無い。
死ねなくてもう一度落ちたのかと思ってみたが、ど
うやら今度は目撃者が多数いるらしく、今から警察と一緒に来るらしい。
「まーくん!」
「お前また落ちたんだってな!」
「塩原先輩……!」
猪苗代、檜枝岐、国見の三人が病室にやって来た。
胃がキリリと痛む。
「まーくんったら、急に私達を呼び出して謝った後飛び降りるんだもん!」
「ったく、こっちの話も聞かないでさ!」
「先輩が無事で良かったです」
そうか、僕は自らの過ちを認め、罪を償うために落ちたのか……。
それから、三人は代わる代わるお見舞いに来てくれた。本当に申し訳ない気持ちだ。
「足、治ると良いね」
「そのうちリハビリかな」
「治ったらさ、何処かに出掛けようよ」
「え?」
「だってさ、あの時、落ちる前にコッソリ言ってくれたじゃん?」
とても嫌な予感がして、背中に変な汗が流れた。
「私だけを愛してくれるって……」
僕は自らの不始末を呪った。
「俺だけを見ていてくれるって、嬉しかった」
僕はとんでもない馬鹿だ。
「本当に好きなのはお前だ。って、先輩の言葉、信じてます」
死のう。そうしよう……。
偶然三人が同時にお見舞いに来てくれた時は、息が止まる思いだ……!
いつバレるのか心配で目も合わせられない……!!
「まーくん、痛くない?」
「リンゴ、むけたぜ」
「先輩、良い天気ですね」
病院の窓から見える景色に吸い込まれるように、僕は遠くを見つめた。
足が治ったら、ここから飛び降りよう。
屋上だと死ねないから、もっと高いところがいい。