初雪の日
「雪村さぁ」
正面から声が聞こえ、顔を上げる。残って作業をしていたはずの男子生徒がいつのまにか自分の隣の席に座っていて、その男子生徒から声をかけられる。
「付き合ってるヤツとかいる?」
突然の質問に驚いて、間を置いてから静かに首を横にふる。心なしか、一瞬男子生徒の顔に喜びが見えた。
「じゃあ、俺と付き合ってみない?」
「え……っと、ごめん。そうゆうのってあんまり分からないから」
驚きはしたが、美鶴は妙に冷静だった。
何故急に付き合うという話になるのか分からない、その気持ちの方が大きいのだ。美鶴はその男子生徒のことを意識したことなどないからである。関わりと言えば二、三度話したことがあるくらいだ。
肩を落とす男子生徒に、自分は帰る事を告げて美鶴は教室を出る。
普段は夕暮れで赤く染まる廊下が、今日はずいぶんと冷えていて薄暗い。窓の外を見てみると厚い雲が空を蔽っていた。雨が降るかもしれないと、薄暗い空を見ながらぼんやりと考えた。
下足室の開いているドアから風が吹いてきて、思わず美鶴は身震いする。外に出てみると吐く息は白くて、凍えるような寒さだった。
ポケットの中のカイロを握りしめながら家に向かう。
そろそろ初雪の季節だ。
ふと声が美鶴の頭をよぎる。耳じゃなくて頭に直接響くような感覚。
懐かしい?
心に浮かんだ一つの感情がひっかかる。なぜかは、分からないけれど。
そのまま帰るはずだった。
でも美鶴の足はいつのまにか家の近くにある小さな森に向いていた。
道中、美鶴は小さな頃の事を思い出す。小さな頃はまだ別の地に住んでいて、祖父母の家があるここには毎年冬になると遊びに来ていた。
今でもぼんやりと覚えている、7歳の冬にこの森で迷子になった事。迷う程複雑な森ではないはずなのに、美鶴は真っ白な子猫を追いかけて迷ってしまった。祖母にそれを話してみたところ雪神様に気に入られたんだね、なんて言われたのを覚えている。
「ゆ、き神様?」
そう呟いてみて、何かが脳内ではまった。例えるなら、失ったパズルのピースがぴったりはまるような。
辺りの木々が揺れる。葉がついていない木々のはずなのに木の葉のざわめきが聞こえてくる。
「美鶴」
風に乗って、声が聞こえる。
もちろん振り向いても誰もいない事は分かっている。それでも、声が聞こえた方を振り返ってみた。
(やっぱり、いない……)
向き直って正面を見据える。
不意に足元で小さな鳴き声が聞こえ、同時にくすぐったい感覚がまとわりつく。そこには白い子猫がいた。
「君は……」
勘違いかもしれないけど、昔の子猫に似ている気がする。でもあれから10年は経っているのだから、あの白猫の子供だろうか。
美鶴はしゃがみこんで白猫を抱き上げた。ふわふわの毛に、思わず顔がほころんでしまう。
しばらく子猫の相手をしていた美鶴を微かな振動が正気に戻す。ポケットに入れたままのケータイが鳴っていた。
「はい」
電話は母からだった。美鶴は抱えていた子猫を下に降ろして通話を続ける。子猫はそれでも美鶴の足に擦り寄ってくる。
「分かりました」
そう母に告げて電話を切った。美鶴は子猫を見て話しかける。
「私行かなきゃ。君も早くお母さんのところに帰るんだよ」
ごめんね、と言いながら子猫の喉を撫でる。気持ちよさそうに喉を鳴らしている子猫を見て、少し切なくなってしまう。
どうにも重い腰を上げ、美鶴は家に帰る事にした。
「あ……」
立ち上がりながら空を見上げて呟く。いつのまにか雪が降ってきていた。雪は粉雪で積もらないと分かっているけど、それでも何だか無性に嬉しくなる。
美鶴は空を見ながら歩き出した。
家に着いてから気付いてしまった。子猫が美鶴のあとをずっと着いて来ていたのを。
このまま外においておけば凍えてしまうと思い、美鶴は仕方なく家に入れようと思う。猫アレルギーの者はこの家にいないから大丈夫だろう。
子猫を抱えて、思い切って玄関のドアを開ける。
「ただいま」